2020年10月11月号

ザ・メッセージ

聖書を見ると、はじめのことば、創世記1章1節には、『はじめに神が天と地を創造された。』と書かれています。聖書の神さまは、時間を超越された神さまです。そして、このことばは、「聖書全体を解く鍵がある」と言われるほど重要です。

神さまはこの世界を造られる前、神さまだけが存在されていた世界は「永遠」でした。聖書の最後の書巻、ヨハネの黙示録にも、神さまは『わたしが始めであり、終わりである。』と仰せられた、と書かれています。私たちの時間の概念を超越した方であり、神さまにとっては始まりも終わりもない「永遠」だというのです。そうであるならば、神さまが天と地を造られた時に、「はじめ」ができたということです。「はじめ」ができた時から、この世界には時間が動き始め、昼と夜とが交互にまわり始めたのです。

このように「歴史」は、他でもなく神さまがスタートさせたことを聖書は告げています。神さまがすべての発端であり、源であって、また動機である。
人間は神さまの計画を予知することはできないですし、また人間が何かを「神さまを出し抜いて」することもできません。冒頭のことばのように、神さまとは、いかなる場合でも「はじめ」であるということを、聖書を見る時に知ることができます。

いつしか人間が歴史の中で、「崇高なる存在」を探求し始め、想像力の結果として(人間を通して)世に生み出されたという、そのような宗教的な存在としての「神」は、ホンモノの神さまではありません。聖書を見ると、「はじめに」神さまがおられた、「はじめに」神さまが天と地を創造された、そして私たち人間も、「はじめに」神さまによって造られた。だから、私たち人間は、存在の源なる神さまを必要とし、神さまを捜し求めて、頼る者として生きている。神さまがいなければ私たちは生きられないように「造られている」のだと、聖書は私たちに語っているのです。

そして、神さまは全世界を創造されたことを通して、私たち人間にご自身を示され、聖書のことばにより人間を愛し、私たちは尊いものであると語りかけています。そしてさらに神の子イエス・キリストの十字架によって人間を罪から救い、死んでも永遠に天国に入れてくださる。それらはすべて神さまご自身側から出ていることなのです。人間側がいつからか「神さまって存在が必要なんじゃないか」と、探求し編み出された神々(宗教)と、聖書が語っている創造主なる神さまは違います。有限の人間側からか、永遠の神さま側からか、全く逆なのです。

『すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。』ローマ人への手紙11章36節

時間は神さまがこの世界に造られた法則です。私たちはその中で、神さまを認め、与えられた機会を活かして、神さまの前に正しく生きていくときに、永遠なる神さまの助け、導きを受けとることができるのです。
次のように声を出して祈ってみてください。

「天のお父さま。あなたが私のために持っておられる計画が、私の人生に実行されますように。あなたの助けと導きを受け取ることができますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。」

 

私は、新城市内でデザイン事務所を営んでいますが、コロナウイルス感染症のため、今年の春に出された緊急事態宣言によって4月から6月の間、仕事が激減し暇な日々が続きました。このような状況の中、こんな時だからこそできる編纂作業に取りかかりました。それは、以前から温めていたプランで、これまでの歩みを一冊のエッセイ画集として出版することでした。
纏めながら、神様が、私に与えてくださった恵みを再確認し、この出版を通して一人でも多く
の人に、「福音」を伝えればと言う思いにさせられました。その中の一編をここに記します。

新型コロナウイルスは、比較的年齢層の髙い人に甚大な被害を及ぼしていますが、1960年に我が国で大流行した感染症は、コロナとは逆の年代、すなわち幼児子供に多発するポリオウイルスによる感染症でした。その最大の特徴は、2・3日熱でうなされた後、手や足に、麻痺が残るという病でした。幼児が多く感染することから、小児麻痺とも呼ばれています。当時2歳であった私は、その病に冒され、一生涯右足にハンデを負うこととなりました。そんな十字架を背負わされて送る人生は、暗く辛いものでした。特に思春期のころには、そのことによって、自分の存在価値を見いだす事ができずにいました。

私は、牧師の家庭に育ち、幼い頃から神様の存在を信じていましたが、「神様は、私を救ってくれないし、愛してもくれない」と思っていました。大学も、希望する大学には行けず、何故選んだのかさえわからない商業デザインコースに通っていました。当然目的意識もなく入学した大学であったため、勉強にも身が入らず悶々とした生活が続いていました。そんなある日、キリスト教界では有名な先生のお話を聞く機会がありました。その先生のお話しは、「価値のない人間はいない。すべての人は、神さまによって創られたのだから、その人にしかできない仕事が用意されている」と言うような内容でした。幼い頃から父に聞かされていた内容とほとんど同じ筈なのに、その時は、なぜか心に響いてきました。涙が止まらず。心に暖かいものがこみ上げてきました。神さまが「おまえは高価で尊い、おまえを愛しているよ」と直接語りかけてくれているようでした。

そんな出来事を経験してから、後ろ向きの人生が、肯定的な人生へと変えられました。すると学校の勉強もおもしろくなり、やがて卒業し、学校で学んだデザインの道へ進みました。もうあれから40年近く経ちますが、同じデザインの仕事をしています。

今でこそわかりますが、神さまはいつでも私を愛し、私の進むべき道を整えていてくれていることを。そして私でなくてはできない使命を与えていてくれることを。私が希望する大学へ入っていたら、今の私はないし、すべては神さまが引いてくれたレールの上を歩んでいることを実感しています。

 

しおんちゃん

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