主は目的を持ってあなたを選ばれた

少しだけ家族の話をさせていただきます。兄の正広が、ずいぶん前から、自分の証しを本にしたいと言っていました。なかなか実現に至らなかったのですが、この度ようやく完成しました。
今から四年前の七月、ちょうど寛太君が倒れた同じ月の二週間前に、兄から腰が痛いから病院に連れて行ってほしいと言われ、軽い気持ちで連れて行ったのですが、病院で検査をした後、そのまま入院することになってしまったのです。全身に細菌が回ってしまっているということで、すぐに手術が行われて、一時は意識がない状態でした。十日間ほど集中治療室に入れられていて、私は毎日病院に行き、手を置いて祈ってきました(コロナ以降、病室にさえ入ることができませんが…)。全身がパンパンに浮腫んでいて、もう駄目かと思いましたが、感謝なことに、奇跡的にそこから回復して、一般病棟に移ることができました。その後リハビリ病院に転院しましたが、その間、暇を持て余していたので、昔のことを思い出しては録音をしていました。たくさんあって、それはいまだに全部は文字にできていませんが、数カ月前に、一つの印刷物を見つけました。それは、日本リバイバルクルセード時代のトラクトで、明先生が私のダウン症の兄・康宏をきっかけに母が救われたことを書いてくださったものでした。それを機に、母の救いから現在に至るまでの恵みを、兄の証しに絡めてまとめようということになり、作成に取り掛かりました。何枚か写真も入っていて、十六ページの小冊子で本と言えるほどのものではありませんが、カウンターのところに置いてあります。もちろん無料ですので、よろしかったら持っていっていただき、読んでいただき、また伝道のために使っていただけたら幸いです。
兄は現在、杖をついてですが自分で歩けるまでになり、今もここに来ることができていることを、本当に感謝しています。
この冊子はプレイズで作成したものですが、皆さんの中でご自分の証しを本にしたいという方がおられましたら、簡単に作ることができますのでご相談ください。
この小冊子の中には、クリスチャンホームのみんなが、「牧師・伝道者になる!」と言っていて自分もそう思っていたが、みんなが献身したらサポートする人がいないということを知らされ、「自分は頭も悪いし何もできないけど、少しでも神さまの役に立ちたい。商売人になって、儲けて支える者になろう」と決心したという思いが綴られています。
兄のように、支えるために選ばれた人もいると思います。皆さんにも神さまは目的を持って選んでおられ、賜物も与えてくださっていることを、是非知っていただきたいと思います。
そして、神さまが何を望んでおられるかというと、最初にお読みしたみことばの後半に次のように書かれています。

『それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるためである。』

選ばれた私たちは、その選びの目的を達成し、それだけでなく実を結ぶ者とならなくてはなりません。そのために必要なことは、一つ。一人ひとりがキリストに連なる者になるということです。

先週は望さんのメッセージを聞いて大変恵まれました。息子さんの闘病と召天、本当に大変だっただろうな、つらかっただろうなと思うし、私だったら到底耐えられなかっただろうなと思わされ、祈らせていただきました。
その時に語られたみことばは、ヘブル人への手紙十二章一~二節でした。

『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。…』

今がどんなにつらい状況にあろうとも、どんなに重荷があったとしても、目の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続け、どんな時でも信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさいとあります。
私たち一人ひとりは弱い者ですし、一人では到底生きていくことはできません。しかし、私たちがただ主を見上げキリストに連なっているなら、そこに助けがあります。
キリストに連なるとは、どういうことでしょうか。最初にお読みしたヨハネの福音書十五章の前半、四~五節に、一つの答えがあります。

『わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』

ここにあるように、イエスさまは、「わたしにとどまりなさい、そうしたらわたしもあなたがたの中にとどまります」と言ってくださっています。当然のことですが、枝が木につながっていなければ枯れてしまいます。もちろん実をならすことなどできません。しかし、私たち「枝」が、イエスさまという「木」にしっかりと結びついているならば、養分を行き渡らせ、実を結ぶことができるようになります。イエスさまが責任をもって成長させ、実をならせてくださるということです。
では、「実を結ぶ」とはどういうことでしょうか。自分の希望する仕事に就き、実績を残して世の中に貢献することでしょうか。それも、世にあって実を結ぶといえると思いますが、私たちクリスチャンに、神さまは御霊の実を結ぶようにと教えています。

『御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。…』(ガラテヤ人への手紙五章二十二~二十三節)

ここでは、一つひとつを詳しくお話しすることはできませんが、例えば、あなたが、友人や知人に声をかけ祈ってあげること。今、順先生の奥様の享子姉や、病の方々のために、神の家族として皆さんが真剣に祈っておられることによっても、実をならせてくださるということだと思います。

先日、一人の方がトラクトを二百枚ほど購入したいと言ってこられたので、「差し上げますからどうぞ配ってください」と、お渡ししました。その方はトラクトの裏側に新城教会の印を押して、持って行かれました。しばらくして家内がその方に、「トラクト配れましたか?」と伺うと、「教会からの帰り道に、少しずつ配っています。時々、渡した方とお話ししたりして楽しいです」とおっしゃったそうです。その方の家は新城教会から離れたところから通っておられるので、家の近くからではなかなかここまで来てもらうのは難しいと考え、新城市の少し田舎のほうを回って配ってくださっているとのことでした。本当に素晴らしいなと思いす。この一枚のトラクトが、やがて救いにつながると私は信じています。
トラクトは、会堂のうしろのラックに置いてありますので、皆さんも自由にお持ち帰りいただき、使っていただければと思います。

私たちの選ばれた目的の一つは、御霊の実を結ぶことであると思います。私たちが主にあって誰かに声をかけたり、祈ったり、トラクトを配ったりすることによって、愛、喜び、親切や善意、誠実などの実が結ばれていくと思います。しかし、自分が何の目的で選ばれたのか、何の使命があるのかはっきりと分かっている人は、少ないのだと思います。教会の一つひとつの奉仕、礼拝での映像や奏楽、受付や食事の準備や接待、警備や子ども礼拝など、本当に様々な奉仕がありますが、そのために選ばれておられる方もいらっしゃるでしょう。目の前に与えられている仕事、与えられている奉仕を忠実に行っていく時に、多くの御霊の実をならせることができるのではないでしょうか。
しかし、直接そういった奉仕ができない方お一人おひとりにも、神さまは必ず目的を持っておられます。どんな小さなことでも神さまの前に祈り、神さまが私に何を望んでいるのかということを教えていただき、どうすれば神さまのためになるのかを考え実行してみてください。みことばに従い、神さまが備えてくださっている最善の道を追い求めいく時に、御霊の実が結ばれ、明確になっていくのではないかと思います。主は、「いつまでも残る実を結ぶために、わたしがあなたがたを選んだのだ」と、おっしゃってくださっていますから、信じていただきたいと思います。

私たちが何か努力したから救われたのではありません。主が選んで救ってくださり、一人ひとりに賜物を与えてくださいました。そしてそれを用いて主のわざを現してほしいと願っておられます。時に困難もありますが、信仰の創始者であり完成者であるイエスからどんな時にも目を離さず、イエスさまを見失わずにただただ主を見上げてまいりましょう。雲のように私たちを取り巻いてくれている証人たちがいると、パウロは私たちを励ましています。

最後にまとめたいと思います。今日の最初のみことばをもう一度、お読みします。

『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。』(ヨハネの福音書十五章十六節)

初めにお話ししたように、私たちが神さまを選んだのではなくて、神さまが私たちを名指しで選んでくださいました。その理由は、私たちが出て行って実を結ぶ者となるためです。そうするなら、『あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです』と、素晴らしい約束を下さっています。
私たちは、主に連なり、神の選びにふさわしくどんなに小さなものであっても、その役目を果たしていきましょう。人間的には決して勝つことのないというような状況下の中でも、ダビデが主に信頼して勝利を勝ち取ったように、私たちの目の前にも今、様々な問題、様々な祈りの課題があります。私たちは到底勝てないでしょう、というようなことであるかもしれませんが、私たちのバックには全能なる主がいてくださり、私たちを導いてくださっていて、私たちが求めるものは何でも与えてくださることを信じて、前進して参りたいと思います。一言お祈りさせていただきます。

愛する父なる神さま、み名をあがめます。こうして今日は礼拝において主が私に、またこの教会に語ってくださったみことばを語らせていただきました。一人ひとりに主が目的を持って選んでくださったことを感謝します。そして私たちがイエスさまから目を離さないで、どんなにつらく苦しい時でも、どんなに大きな問題がある時でも、主を仰ぎ主に信頼していくならば、主が私たちを責任を持って実を結ぶ者と変えてくださるという約束を感謝します。今、一人ひとりをさらに強め、恵み祝福で満たしてください。すべてを主のみ手に委ねます。感謝します。信仰を持って主のみ名によって祈ります。アーメン。