~2022年~ それは主の復讐の年
主の復讐の日、シオンの訴えに仇を返す年

2022年1月2(日)新城教会主任牧師 滝元順

イザヤ書34章1節〜2節、8節
『国々よ、近づいて聞け。諸国の民よ、耳を傾けよ。地とそこに満ちているものよ、聞け。世界とそこから生え出たすべてのものよ。主がすべての国に向かって激しく怒り、そのすべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し、虐殺されるにまかされたからだ。』
『それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年だからだ。』

ハレルヤ!
今朝はグロリアシンガーズの演奏を皆さんにお届けできて、嬉しいです。昨年末の十二月二十四日のコンサートに向けて、一生懸命練習しました。家内が入院したりして、なかなかままならなかったのですが、間に合って感謝でした。

二〇二一年、様々なことがありましたが、主の導きを心から感謝します。
新しい年、二〇二二年が始まりました。十二月三十一日のカウントダウンワーシップの時には、私以外の七人の牧師・副牧師たちが二〇二二年に向けてのメッセージを語りました。大変恵まれたのですが、後ほど印刷してお渡ししますので、是非ともお読みいただきたいと思います。
しかし今日は、七人のメッセージのエッセンスと、私が今年導かれているみことばとドッキンして、「二〇二二年預言的メッセージ」として、最後にご紹介します。楽しみにして下さい。これが主からならば、二〇二二年は期待できます。

二〇二一年は、「回復と再建の年」との導きを受けて、私は、年間タイトルでメッセージを語らせていただきました。そんな中、家内の為にも、皆さんが真剣に祈って下さり、九月には手術も受けて、その後もう一度入院しましたが、今は退院して、元気に過ごしています。もう少し経ったら、彼女にここで証しをしてもらいたいと願っています。是非、お祈り下さい。

実は去年の暮れ、私にとって嬉しいことが二つありました。
家内がコンサート前に退院して、彼女についてコンサートの中で証しすることができた事は、嬉しいことの一つでした。
もう一つありました。三年くらい前、あることがきっかけで、甲子園ミッション時に私たちに対して心を閉ざしていた牧師夫妻と、関係が回復するように主が導いてくださって、それから今まで、彼らとよくお交わりするようになりました。
最近では、家内の病気のことを大変心配して、真剣に祈ってくださっています。
去年の九月ぐらいでしょうか。その方から「ちょっと祈ってほしいことがある」と電話がかかってきました。彼のお母さんは、現在九十五歳で、元気に一緒に暮らしていたのですが、ある朝倒れて、救急搬送されたというのです。おしっこが出なくなったのと、背骨の圧迫骨折があって、動けないと言いました。それを聞いて、九十五歳ですから、そういうこともありえるかと思いました。
それで、おばあちゃんは入院することになったのですが、入院先は、救急搬送された病院ではなく、とある病院に入院することになったそうです。それでおばあちゃんに、「○○病院に入院することになったよ。」と告げると、おばあちゃんは、大粒の涙をぽろぽろと流したそうです。
なぜかと言うと、その病院、地域の人たちから「姥捨山」と呼ばれているからです。その病院に入院したら、まず、ご老人たちは生きて退院できないと噂されていて、おばあちゃんもその噂を聞いて涙を流し、悲しみながら入院して行ったと言うわけです。
その牧師は「年老いた母親がかわいそうだから、祈ってくださいますか。」と言われました。私もそのおばあちゃんをよく知っているので、「分かりました」と答えました。
しかし九十五歳で、あの病院じゃぁな…みたいなところがあって、初めは祈りに力が入りませんでした。
でもしばらくすると、「おばあちゃんのいやしのために、真剣に祈りなさい。」主からと促されているような気がして、時間がある時は、その病院の駐車場に行って、「おばあちゃんが癒され、立ち上がるように!」と何度も祈りました。
でも、痛くて起き上がるのもままならないようだと言っていました。だから私はその牧師に「病院に行って、お母さんのために祈ってますよ」とは、ちょっと言えませんでした。祈ったのにどんどん悪くなったら、格好がつかないので、言いませんでした。
しかしある時、ぽろっとそのことを言ってしまいました。「よく祈りに行っていますよ!」と告げると、「えっ!祈りに行って下さっているんですか。ありがとうございます!」と喜んでくれました。
「いや〜知られちゃったなぁ」ということで、私はさらに真剣におばあちゃんの癒しを祈りました。でも、正直言って、癒されるという信仰まではありませんでした。

しかしその後、不思議なことが起きました。おばあちゃんの圧迫骨折が良くなって、立ち上がることができ、院内のリハビリに行くようになったというのです。それを聞いて嬉しかったです。
すると、先生からまた電話があって、「順先生に祈ってもらうと良いことがある!」と言って、「ぜひ続けて祈ってください。」と言うのです。
そして、おばあちゃんが退院したら、「とある特別養護老人ホームに入所させてあげたい」と言うのです。「退院して、そのホームに入ることができるように、ぜひ、祈ってください。」と頼まれました。
私はそれを聞いて、「これまた、ハードルの高い祈りの課題をくれたもんだ」と思いました。その老人ホーム、たいへん人気があって、入所が難しいことで有名です。
私は早速、この教会に来られているケアマネの方に、「あのホームに入れないですか?」と聞いたら、「あのホームは百人待ちです。」と言うのです。それを聞いて、祈るのは止めようと思いました。百人のご老人たちが、なんらかの形で、この世を去ったりしないと、おばあちゃんは入所出来ないわけです。それはちょっと無理だろう、と思いました。
しかしそれでも祈る必要があるように促されて、勇気を出して、その老人ホームにも行って祈ってみました。「おばあちゃんが退院して、このホームに入ることができますように・・。」
でも、百人かぁ。現在入所している人たち百人がいなくなるようにとも祈れませんし、いやぁ困ったなぁと。これはちょっと難しいぞと思っていました。

しかし、何でも祈ってみるものです。去年のクリスマスの少し前に、その牧師から電話がありました。なんと、そのおばあちゃん、姨捨山と呼ばれている病院を退院して、なんと、百人待ちのホームに、百人を飛び越えて、入所が決定したというのです。どうして入ることができたのか、私には分かりません。
私も、全く期待していない結果でした。しかし主は、私の期待をはるかに越えて、祈りに答えてくださったのです。
この二つの祈りの答えは、2021年のテーマ、「回復と再建」に主が答えてくださった証拠だと確信しました。
「祈っても、これは不可能かな・・」と思えるようなことでも、希望を失わないで、祈ることは大切ですね。祈りは、難関を突破します!
家内も、「三ヶ月から四ヶ月の命です。」と言われましたが、それから二年三ヶ月生きております。天はいつも開いています。今年も主の前に、真剣に祈るなら、必ず、勝利が現されると信じます。

2022年のために私に与えられたみことばは、イザヤ書三十四章と三十五章です。与えられたといっても、もちろん自分の願望も少しは含まれていると思います。
しかし、2022年のために祈っている時に、ふっと、こころに入ってきたみことばです。きっと主が与えて下さったみことばであり、実現すると信じています。家に帰ったら、祈りつつ、イザヤ書三十四章と三十五章を読んでみてください。
ここを読みますと、これは神が語った以外に考えにくい言葉だな、と気づくと思います。ただの宗教家とか、偉人とかではなく、天地宇宙を造られた神が、人類に語った言葉であると思います。
ここは壮大な、地球の結末を預言している箇所です。
イザヤ書三十四章八節、

『それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年だからだ。』

今年、主は、私たちに何をしてくださるのでしょうか。回復と再建を与えてくださった主は、続いて、奪われたものを元通りにするだけでなく、災いをもたらした暗闇の力に対し、復讐して下さる年であると信じます。
シオンの訴えとは、主を信じる者たちの神への祈りと叫びです。

イザヤ書三十四章一節と二節を見ますと

『国々よ、近づいて聞け。諸国の民よ、耳を傾けよ。地とそこに満ちているものよ、聞け。世界とそこから生え出たすべてのものよ。』

ここでは世界の国々ばかりか、すべての被造物、それも、地から生え出た、歴史の始めから終わりまでのすべてのものに対して、「聞け!」と神は命じられています。

『主がすべての国に向かって激しく怒り、そのすべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し、虐殺されるにまかされたからだ。』

人類は神から自由意志を与えられた結果、自由意志を悪用し、被造物を台無しにし、無茶苦茶にして、罪に罪を重ねる歴史を刻んで来ました。
このまま進むと、どういうことになるのか。人も被造物も、すべて滅びてしまうのです。三十四章はその事を告げています。
そしてエドムという民族に対して、神の裁きの宣言がなされています。エドムとは何かと言いますと、エサウの子孫で、神に反逆する者たちの代名詞です。またエドムは、聖書においては、「悪魔の王国」として描かれています。神は悪魔の王国を打ち破り、仇を返してくださると三十四章で述べられています。

続く三十五章になると、主を信じるシオンの民に対して、希望のメッセージが語られます。
三十五章三〜四節、

『弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ。恐れるな。見よ。あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来る。神は来て、あなたがたを救われる。」』

神は敵に復讐し、シオンの民に希望を与えて下さるのです。膝がガクガクするようなことが起こっても、主は「強くあれ。恐れるな。」と語られます。
私もこの二年の経験を通して、弱った手、よろめく膝という表現がよくわかります。家内が余命宣告されたとき、膝がガクガクする感じでした。人生の中では、そのような場面を、何度か体験しますよね。
しかし主は言われます。

「弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。強くあれ、恐れるな。見よ。あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来る。神は来て、あなたがたを救われる。」

甲子園ミッションは、初め、三日間の甲子園球場での伝道集会という名目で始まりました。その計画を日本中の教会に投げかけたら、多くの教会が賛同し、受け取って下さいました。全国的に「日本のクリスチャンの手で、甲子園球場をいっぱいにしよう!」という機運が盛り上がりました。これならうまくいく、と最初は思いました。
しかし、九二年二月十三日、愛知県民の森で祈っていた時、激しく聖霊がそそがれました。そんなことが起こるなんて、思ってもみませんでした。
そして、その後起こったのは、リバイバルどころか「霊的戦い」でした。「日本の救いをとどめているのは、文化、習慣、人の営みではない、背後に悪魔・悪霊どもが関わっている。彼らが覆いをかけている。覆いを取らない限り、いくら声を枯らして叫んでみても無駄だ」と主から教えられて、その日から、霊的戦いが始まりました。

霊的戦いは、私たちの意図する所ではありませんでした。主が突然、始められたのです。
しかし、それを見聞きした人たちの中には、「新城教会におかしなことが起こった!」と、働きに対して反対する人たちが現れました。当時私たちが属していた教団のボスは、霊的な働きに関して危惧し、霊的戦いに強く反対しました。しかし私たちが体験したことは、人間的なことではなく、主が始められたことなので、教団のボスに何度も、詳しく説明しました。しかし全く、理解してもらえませんでした。

九十二年九月のことでした。甲子園ミッションのための大きな決起大会が、ある場所で開催されました。日本の著名な牧師や伝道者たちが集合し、甲子園ミッションのために祈り、決起しました。
しかしその前後から、甲子園ミッションに対するいやがらせや、集会妨害が始まりました。脅迫状まがいの手紙が事務所に何度も送られて来たり、集会会場の周りに、へんなポスターが貼ってあるのです。手製のポスターで、ヌード写真に「リバイバルミッション集会はこちら→」なんて書いてあるのです。誰がやっているのか分からず、本当に不気味でした。
そのうち妨害している、恐ろしい男が姿を現しました。