信仰の創始者から目を離さずに

そして最終的にはこの約半年間の中で、何回か菌血症というのになって、そしてICUなんかにも入ったりしたのですが、でもそれが落ち着いて、最後にまた聖隷S市民病院の療養型の所に入って、そこで十日後に天国に帰って行きました。

私たち、この歩みの中で、やはりいろんな苦闘をしました。やはり医療制度の壁というのは大きいです。聖隷H病院の時に主治医をしてくださった先生は本当にいい先生でした。いろんな先生方に私も出会って、お医者さんというのは皆いい先生なんだと思うのですが、それでもズバズバおっしゃるので、心がずたずたになることがあります。「なんであんなこと言うんだろう?」と。看護師さん達も忙しくて、「あんたたちが特別じゃない」とか言われて、本当に心に言葉が刺さるのです。そのうち医療制度に対してのジレンマもあるし、怒りがわき起こってくる。
でも主治医のお医者さんは、ちょっとオタクっぽい感じの方でしたけど、すごいいい方で、本気で寛太の事を思ってくれました。もちろん医療制度の壁があるので、聖隷H病院からも半年したら出なきゃいけない。病院としては患者をずっと置いていたらお金がかかるわけで、国からの補助がないわけです。しかし、彼を通して、私たちはある意味で、最後の最後に「医者」というものに対して、もちろんここにいらっしゃるクリスチャンのお医者さんたちも、僕らの癒しのためにいつも祈ってくださっていたのですが、でもその医者というものに対する僕らが持ったいろんな怒りやそういったものを、彼を通して、僕らは本当に癒されたなぁという事を感じます。
最後の半年の中で、「もうあとたぶん二ヶ月でしょうね。こうやって菌血症を起こして、そして敗血症、そしてこれを繰り返すということは、二ヶ月ごとに繰り返していくから。」そして彼の言った通り、約二ヶ月後に、寛太は天国に帰っていきました。
そういう中で私たちは、死に対する、天国に帰って行くということに対する準備もさせられたと思います。イエスさまを見上げていく。

また最後の一年半くらいコロナで全く寛太と会えなくなりました。でもその期間、毎日寛太のためにビデオレターを作りました。一週間分まとめて作って、それを寛太の所にあるiPadに移して、そして本当は見せてくれていたかどうか分からないのですが、「寛太に見せてください。」と頼みました。
そのビデオレターを通して、寛太と一緒に祈りをささげていました。内容は、聖書の朗読と私たちがいろいろな所で祈っているものです。この会堂でもビデオを撮りましたし、山の上とか、いろいろな景色の良い所で、「寛太おはよう!」とか言って、ビデオレターを作りました。それは、僕にとっては寛太との本当に宝の時間でした。毎日、寛太が癒されるように!目が覚めるように!そうやって祈って、そしてまたみんなが祈っているからね!ということを伝え続けた一年半でもありました。
最後は本当に面会できませんでした。でも、その中で、先ほどご紹介したみことば、これを与えられました。「イエスさまから目を離すな。」イエスさまは癒し主だ!イエスさまは必ず勝利を与えてくださる!
でも現実に自分の目の前にある問題というのは、死が一歩手前までやってくる。お医者さんなら分かると思うのですが、あのように倒れて植物状態になってしまった患者がよく生きて二年、三年だと言われます。これは普通の見立てだと思います。若いからまだ心臓が強い、でもいろんな問題が起きてくる。腎臓が悪いとか、心臓が肥大しているかもしれないとか、また肺炎になったりとか、いろんなことを繰り返していく中で、でも彼は四年一ヶ月、祈りとともに、また皆さんの祈りとともに、本当に勇敢に闘ってくれました。

ある時、韓国から、あれは二〇一九年の十二月だったと思うのですが、韓国から牧師たちがとりなしのために来ました。私は彼らをエスコートして、いろんな所に連れて行きました。最後の最後に東京にとりなしに行った後、うちの息子の所にも彼らを連れて行って祈ってもらいました。そうしたらその牧師の一人が言いました。「あなたの息子が横たわっているのを見て、日本の国を思わされた。」と言いました。「どういうことですか?」と聞いたら、「あたかも日本の国が本当にリバイバルを待ち望みながら横たわっている姿と寛太がダブったんだ」と言いました。「だから寛太のために祈る事というのは、それは日本のリバイバルのために祈ることなんだと思うよ」と言いました。ちょっと僕にとっては意外な言葉で、うん?と思ったのですが、後から噛み締めると本当にそうだったなぁと思います。癒されるように、立ち上がるように、目が覚めるようにと祈り続けていく。でも現実の問題。お医者さんはそうじゃないことを言いますよね。最悪の事態を言いますから。そういう中で心が揺れる。本当に心がちぎられそうになります。皆さんもそういう経験、したことがあると思います。
でも「私は本当にこの苦しみに出会ったことは、幸いだった」なぁと思います。「なんで私たちの家族だったんだろう」、「なんで僕らなんだろう」と、何度も思いました。私の家内もそうやって私に言ったことが何度もあります。なんで「私たちなんだろうね」と。
ちょうど寛太が倒れた時は、寛太がGENERATIONSというEXILE関係のグループの、SK君とKT君と三人でバックバンドに入っていました。それまで寛太はドラムで食っていくためにずっと練習を欠かさず、そして戦い続けて、最後の最後、超一流の所に足をかけた時だったのです。ちょうど倒れる二週間後には、東京ドームでの三日間のドームコンサートがありました。ドームツアーの途中で、名古屋でもナゴヤドーム、大阪ドームとか、そういった所でツアーをやってきて、最後、東京ドームでの三日間があるという二週間前に倒れてしまったのです。彼らミュージシャンを手配する手配師がいるのです。ミュージシャンをそういうバックバンドとして手配する人がね。「寛太さん、これからだった。惜しい…。」と、そう言っていました。
寛太の妻、佳代ちゃんに高校生の頃、「おまえを東京ドームに連れていく」という絵を書いていたと、葬式の時に彼女が僕らに見せてくれましたけど、その夢の直前で彼は闘病に入っていきました。
でも私たちにとって、彼の夢は果たされなかったけど、こんなに多くの人たちから祈られるというのは、本当に大きなことでした。全日本、ある場合は本当に世界のいろんな方々が、寛太のために祈ってくれたし、私が行ったパプアニューギニアでも、パラオでも、本当に真剣にみんなが彼のために祈ってくれる。また時々は「ハロー!」とか言って電話があって、「おまえの息子は大丈夫か?」とか言ってくださる。彼の病を通して、神さまがしてくださったキリストのからだを通して祈られていくという、すごい大きな神さまからの愛を私は体験したなぁと思います。

このみことばを、もう一度読んでみたいのですが、

『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。』

イエスさまご自身も、苦闘しながら十字架の道を歩まれた。イエスさまは完全な人としてこの世に来られました。ですからイエスさまはあの十字架を前にして、「わたしの心は騒ぐ」と言ったんです。「できるならばこの杯を取り除けて欲しい」と祈られました。イエスさまは百パーセント、人としてこの世に来てくださったからこそ、その叫びがあったのだと思います。神さまである方が人として来られた。そのイエスさまは、私たちと同じ闘いを戦い抜いてくださった。そしてその信仰の創始者であり、完成者であるイエスさまから目を離してはいけないと、このみことばは私たちに励ましを与えてくださっています。

これらのことと、私たちの教会、キリストのからだということが一つに繋がっていると思います。私たちはイエスさまから決して目を離してはだめです。と同時に、こういういろんな問題を、私たちが体験すると、いろんな問題で揺れるのです。皆さん信仰というと、「私は信仰があります!揺らぎません!」みたいなことを模範としてしまうかもしれません。それ実は、日本的な信仰の在り方だと思います。儒教的と言えると思います。聖書の教えでは、決してそのようなものではないと思います。
信仰の創始者であるイエスさまご自身も苦闘なさいました。また雲のように私たちを取り囲んでいる信仰の先輩である、あのヘブル書の十一章に書かれているような多くの聖徒たちも、苦難の中で信仰生活を送っています。ある時は迷ってしまう。ある時は不信仰になるかもしれない。でもイエスさまから目を離さない。

ちょうど振り子が振れるようなものが私たちの信仰かもしれません。いい時はいいじゃないですか。「イエスさますごい!イエスさま大好き!」とか、「イエスさまだけだ!」と見えるけど、最悪な出来事を見ると、「イエスさまどこ行っちゃった?みたいな感じ。」でも必ずイエスさまは私たちを、右左に振れていく私たちをもう一度引き戻してくれて、振り子は振れながら時を刻んでいきますけど、信仰というのは、そのような歩みではないかなぁと思います。
私たちは、ぴしっといつまでもブレない信仰でしょうか?新城の隣街では、ある国会議員が「ブレない!」というポスターを出していますよね。見たことありますよね?なんとかさんという方、ちょっと私と同じようにハゲていて、「ずれない!」なのかな?と思ったら、「ブレない!」なのですが、ブレない政治って…、ブレて当たり前だと思います。ブレないと言うから、後からまた何か言われるのであって、僕らの信仰もブレない信仰、そうありたいと思います。 でも僕らは右に左に迷います。私の歩みの中でも、何かいいことがあったり、祈ってみことばをもらうと「寛太は癒やされる!絶対に癒やされる!」という信仰が湧いてきます。そしてすごい綺麗な夕陽を見て、「神さま!この夕陽は約束だ!」と思って、そして家に帰るとまた病院から電話がかかってきて、「ちょっと容態悪いです」とかね。

最後の六ヶ月、僕は携帯恐怖症になりました。携帯がいつ鳴るか。絶対手放せない。最後のほうで、「このままいくとちょっとやべぇな」と思いました。きっと闘病を同じように経験した方は分かると思うのですが、ある種、鬱状態になっていく。私は鬱になることが決して悪いことではないと思います。鬱になっても必ず神さまはそこにいてくださると思います。
このままいったら自分がまずいかもしれないなと思った時に、僕を支えたのはなんと野山に出ることだったんです。嫌いな方がいたらごめんなさい、鹿をバーンッと撃ったり、またカラスを退治して、カラスを食べて、そしてカラスの外側はお百姓さんのおばあちゃんの所に持って行って、畑でそれを吊るしてカラスが来ないようにするとか、そういうことを繰り返しながら、それがある意味では神さまが与えてくださった自分の中心軸にあったので守られ続けたような気がします。

と同時に、キリストのからだの中で私たちは祈られている。この聖書の中で、みことばの中で、エペソ人への手紙一章二十二節、

『また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。』

と書いてあります。信仰の創始者であり、完成者であるイエスさまから目を離すな。それと同じように、私たちのかしらであるイエスさまから決して私たちは離れてはならない。敵であるサタンは、私たちをなんとかして、キリストのからだである教会から引き離そうとします。そして今ある問題、いろんなことに目を留めさせて、失望を私たちに送ってきます。希望を持っていきたい、癒しを祈っていきたいと思っても失望するのです。そして失望のどん底にたたき込むようなことをお医者さんはおっしゃるし、看護師さんたちも別に悪気はないのですが言うのです。何気なく。こちらは熱心に「なんとか会わせてほしい!」「会わせません。あんたのとこだけ特別扱いできません。」ガツンと来ますよね。
でもそんな時に、怒りで僕は「この野郎!」と思うけど、「あぁイエスさま、僕らにはイエスさまがいる。イエスさまは何と祈られたんだろう。」「父よ、彼らを赦してください。彼らは何を言っているのか分からない」というような、そんなみことばも浮かびます。
キリストのからだの中に、私たちが繋ぎ止められ続けることで守られたなと思います。本当に皆さんが私たち家族のために、寛太のために、陰で祈ってくださり、また時々覚えて祈ってくださり。「毎日祈っていますよ」なんて、そんなのできないこと、僕知っています。僕も毎日なんか、人のために祈れません。ふっと思い起こした時に、寛太元気かなぁと思って祈ってくれる。そんな皆さんがいる。