〜この地に植えられ70年〜
後ろの扉を閉めろ!

 

憎しみが悪魔に機会、チャンスを与えることになるのです。年間に一度点検した方がいいですね。心の中に憎しみが残っていないか?と。誰かに対して、悪い感情を抱いたり、憎しみを持つのは人間の常です。それは神が与えた感情のひとつですから、別に悪いことではありません。

しかしそれを、「継続して持ち続けるな」ということです。日が暮れるまで、保っていてはいけないというのです。イスラエルの一日は、夕刻から夕刻ですが、怒りの賞味期限は一日、二十四時間です。一日にいろいろ悪い感情を持ったり、憎しみが生じたとしても、二十四時間たったら許してあげなさい!ということです。

私たちは人間関係の中で、日々、生きています。いろいろなしがらみの中で、憎しみが生じたり、心に傷を受けたりする毎日かもしれません。しかし赦しの宣言をすることは、悪魔に契約を取られないために重要です。

霊的な領域は偶像礼拝、魂の領域は怒り、憎しみです。扉を閉めましょう。

 

そして肉体的な契約とはなんでしょうか。それは性的領域の罪であると何度もお話しさせていただいています。「結婚」は大変重要な契約です。

コリントという街の男性たちは、ギリシャ神話の偶像が祀られている神殿に習慣的に通っていました。そこには神殿娼婦という、売春婦たちがいました。コリントの男性達は、習慣化し、または文化の一つかのように、売春婦たちと性的関係を結んでいました。

その姿にパウロは何と言ったかというと、売春婦たちと交わることは、ただお金を払って一時の快楽ではなくて、結婚と同じ重みのある行為であると告げました。コリントという街は汚れた街だったのです。

 

『遊女と交わる者は、彼女と一つのからだになります。』

 

とパウロは告げています。その行為は、結婚と同じ契約だと。一度でも、そのような関係が結ばれると、神殿娼婦と結婚したのと同じで、結婚の契約が生ずるということを述べているわけです。

「結婚」とは、二人がひとつになることを基本とします。

 

家内が亡くなって、やっぱり今までにない、感覚があります。結婚の契約は、いつまで続くのかというと、「二人が死よって、分かたれるまで」です。天国に行ったら、結婚することはありません。サドカイ派がイエスさまに質問した答えとして、「神の国に行ったら結婚はない、み使いたちのようだ」と語られました。

私は家内が亡くなる瞬間を見ました。「あっ、今、天国に行った!」と。人の死というのは、なんとも不思議です。今までここにいた彼女が、瞬間的に消えました。その瞬間に体は、ただの物体になってしまいました。家内の本質である魂が、神のもとに行くのを、身をもって体験しました。

そしてもう一つ、体験したのは、私の内側にいた家内、享子が消えたということです。私たちは四十七年間の結婚生活を送りました。その間は、気にしていませんでした。享子が一緒にいるのは当然で、普通でした。でも、彼女を失ってみて感じるのは、私の内側からも、享子がいなくなったと言うことです。

その体験から、結婚は二人が一体、霊・魂・肉体も一つとなって生きることであると、実体験した気がします。

 

「二人ではない、一人」という、パウロが語った言葉を現実的に今回、体験したように感じます。

私は娘に、「お母さん、内側からも消えちゃった。」と話しました。すると「人生の中で起こった場合の参考にしておくわ。」と言いました。

結婚すると、ご主人の霊は奥さんの中に宿るし、奥さんの霊も、ご主人の中に宿るのです。しかし死ぬと、相手の霊も消えてしまうのです。なぜならば、結婚の契約が失効するからです。

パウロが語っていることは、売春婦の所に行って関わると、知らない女性と結婚の契約が成立するという事です。世界規模の複数の人たちと一体になるわけです。ならば夫婦の間に、ごちゃごちゃ、様々な問題が起こるのは当然です。

結婚されている方は二人が一体である契約を宣言することが大切です。肉体的に汚れた世に住んでいますけれど、結婚は、重要な契約であることを覚えて、後ろの扉を閉め、もしも悪いネットワークができていたら、その契約を断ち切る祈りが必要です。

 

年間一度の「霊・魂・肉体」の後ろの扉確認はたいへん重要だと思います。新城教会のヨム・キプールは、二月十三日ではないかと思います。

ただ個人的だけでなく、街に、国に、世界に、ひいては被造物全体に関わる大きなテーマであると理解し、実行することは重要です。

今朝、もう一度、自分自身の後ろの扉、街の後ろの扉をしっかりと閉めたいと願います。

 

今、私たちは、どのような立場にあるのか。イエス・キリストを信じた者たちは、

 

『キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。』

 

私たちはこの瞬間も、神の国のイエスさまの横に座している存在です。私たちには、天に通じるはしごがかかっているのです。

 

 今日は「聖さん式礼拝」です。聖さん式は本当に重要です。それは、天の教会と地の教会がはしごで結ばれる瞬間であるからです。

創世記二十八章のヤコブのはしごを学びましたけれど、私たちの所に天と地を結ぶはしごがかかっていたら、どんなにか素晴らしいです。このはしごが、確実にかかるのが、他でもない、聖さん式を行う瞬間です。

 

聖さん式の前に、後ろの扉を閉めると、はしごを揺すって、はしごを外そうとする力が打ち破られます。

後ろの扉を閉めて、聖さん式を行うならば、確実に天と地が一つになるはずです。

その事は街全体にはしごが降りてくることに他なりません。今日の聖さん式礼拝は、街の祝福に繋がります。

二月十三日を前にして、もう一度内側を点検して、後ろの扉をしっかりと閉めて、悪魔との契約を完全に破棄して、天と地を結んで、天の勝利の教会と、地の戦う教会が一つとなって、イエスさまのお帰りを待ち望む者でありたいと心から願います。

 

一言お祈りをさせていただきます。

 

天の父なる神さま、心から感謝します。毎年、二月十三日を前にして、私たちの内側を点検できて感謝します。霊と魂と肉体のすべての悪い扉を閉めてくださり、天と地が結ばれる、天のはしごが降りてきますように。

主よ、来てください。お一人お一人の所に来てください。イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。