〜この地に植えられ70年〜
後ろの扉を閉めろ!

2023年2月12日(日)新城教会主任牧師 滝元順

列王記 第二 4章1節〜7節

『預言者の仲間の妻の一人がエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは主を恐れていました。ところが、債権者が来て、私の二人の子どもを自分の奴隷にしようとしています。」エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。私に話しなさい。あなたには、家の中に何があるのか。」彼女は答えた。「はしためには、家の中に何もありません。ただ、油の壺一つしかありません。」すると、彼は言った。「外に行って、近所の皆から、器を借りて来なさい。空の器を。それも、一つや二つではいけません。家に入ったら、あなたと子どもたちの背後の戸を閉めなさい。そしてすべての器に油を注ぎ入れなさい。いっぱいになったものは、わきに置きなさい。」そこで、彼女は彼のもとから去って行き、彼女と子どもたちが入った背後の戸を閉めた。そして、子どもたちが次々と自分のところに持って来る器に油を注ぎ入れた。器がどれもいっぱいになったので、彼女は子どもの一人に言った。「もっと器を持って来なさい。」その子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行ってその油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」』

皆さん、おはようございます、ハレルヤ!

陽子さんの、のびやかな、美しい賛美を聴くことができて感謝します。

 

毎年、二月十三日、新城教会に聖霊が注がれた記念日の前後に、第二列王記四章から語っています。

まずはメッセージを語る前に、今日も、心からの感謝を申し上げます。家内が天に帰って、早、二ヶ月近く経つのですが、祈りによって支えられ、守られていることを、心から感謝します。

先週も話したのですが、この二ヶ月間、家内の夢をほとんど見たことはありませんでした。他の方々は、いろいろ家内の夢を見て、報告してくれるのですが、どうも私は、嫌われているのか、家内は夢にも出てこないのです。

孫の勝門は、時々、イエスさまの声を聞いたり、夢を見たりと、結構、不思議少年なのですが、先日も「おまえにもっとばぁばの夢を見せてあげる」と、イエスさまから語られたというのです。すると彼は、「イエスさま、じぃじはばあばの夢を見たことがないそうです。僕はいいですから、なるべく、じぃじに夢を見させてあげてください。」と祈ったそうです。昨晩もそのように祈ってくれたそうです。

すると今朝、私は家内の夢を見ました!どんな夢かと言うと、名古屋みたいな大きな街の交差点で、私は横断歩道を渡ろうと信号待ちをしていました。すると家内が私の横を、「ほいっ!」と私に声をかけて、通り過ぎました。私は、「ほいじゃないだろ~!」と家内を追いかけましたが、どこかに消えてしまいました。そんな夢でした。

でも夢の中で、久しぶりに家内の声が聞けて嬉しかったです。

家内が天に帰ってから、天と地が一つになったような気がしています。今までは、地上だけで精一杯でしたけれど、天の会衆と地の会衆が一つになった気がして、神の国がこの地に現されるように、さらに祈っています。

 

聖霊の注ぎは、神の国が現されている証拠です。この地球では、大変なことばかり起こっています。先ほども皆さんでお祈りしましたけれど、トルコとシリアの国境近所で、大地震があって、多くの人たちが亡くなりました。

これは人ごとではありません。日本だって、いつ何時、また大地震が起こるかわかりません。人類の未来はどうなるのか心配です。

トルコの近くのウクライナでは、ロシアとの戦闘が続いています。そこでは日々、大勢の人たちが、殺されています。矛盾したことが多く起こっています。

未来に良い時代は訪れるのでしょうか。悪いことがどんどん積み重なって、人類はさらに行き詰まる事でしょう。

そんな中、唯一の希望は、天地宇宙を造られた神、イエスさまが、王として世界を治めてくださる、神の国の実現です。

私たちは主が、この地にもう一度帰って来られて、王となってくださるように祈らなければなりません。そのために必要なのが「聖霊に満たされる」事です。

 

毎回、話していますが、新城教会、今年で七十周年を迎えました。

この写真は、初代の兄妹姉妹たちです。一九六〇年くらいの写真でしょうか。この時代の方々が、真剣に聖霊さまを求めた結果として、今があるのを忘れてはなりません。

今年で七十年ですが、その中で度々、聖霊さまが新城教会に訪れてくださいました。聖霊の訪れは、見える形での、主の訪れです。教会は今まで、聖霊によって支えられてきました。

教会が七十年間持ちこたえるのは、なかなかたいへんですが、今まで継続できたのも、祈りと共に、聖霊の働き以外、ありません。これからも真剣に、聖霊さまを求めて祈りたいですね。

初代の人たちに聖霊が注がれて、多くの人たちが宣教に派遣されて、様々な地域に教会が建てられました。その一人が田中政男先生です。佐久間町浦川に教会を建てて、その後、浜北にも教会を建てました。

 この度、田中先生の息子の田中進先生が、浜松に中古物件を購入し、リフォームして新しい教会ができました。この教会のために新城教会から献金したいと願っています。

 

 今日は二月十二日ですが、明日は、一九九二年に愛知県民の森で聖霊が注がれた記念日です。午後から愛知県民の森に行ってお祈りしたいと思います。明日の夜も、真剣に聖霊さまを求めます。

 私は「主が立ち上がられた日」という本にその事を書きました。この場所は、特別な場所です。今朝もヤコブのはしごについて学びましたが、ここは天と地を結ぶはしごがあると私は信じています。実際的に、ここで祈り、多くの祝福をいただいています。

一九九二年二月十三日に聖霊が注がれたことによって、甲子園ミッションも前進しました。県民の森での聖会の後に聖霊が注がれて、その波がどんどん広がって行きました。

 それから三十一年経ちましたが、リバイバルを求める気運が、少し失われているような気がします。三年以上にわたるコロナ問題で、特に元気がなくなっています。もう一度、主が訪れてくださるように、真剣に求めなければなりません。

一人ひとりがそれぞれの場所に遣わされ、それぞれの街の管理人として、責任を持って街のリバイバルを祈らなくてはなりません。

 新城市の全景写真です。聖霊が注がれた時に主が語られたのは、街が主のものとなるように、天の門となるように祈りなさいということでした。

お一人一人、様々な街に住んでおられますが、街にはそれぞれ特徴があります。新城市なら新城市の特徴と雰囲気があります。豊川・豊橋、それぞれ、雰囲気が違います。生まれたら、すでに街がありましたから、なぜ、街ができたのかあまり考えないかもしれません。

例えば新城市は、どこにあるのでしょうか。

それは、「新城人の心の中」にあります。「街」は、ひとり一人の心の中にあるわけです。逆を言えば、新城人の心の中にあるものが、地域に反映され街を形成したといえます。

私の両親がこの街に入って、新城人になって、この街に教会が欲しいということで、祈り始め、教会が誕生しました。ということは、一人ひとりが街の代表者なのです。

街はどこにあるのか?広い空間にあるというよりも、我々の内側にあるということです。新城市の人がいくら東京に行っても、やはり新城人です。大阪に行っても大阪人にはなりきれません。なぜなら、街・地域は内側にあるからです。

ということは、新城の人たちが救われ、解放され、聖霊に満たされるという事は、街全体が祝福されることにつながるはずです。

 

ところで、あなたの内側の地域、街は、どこですか?私ならば、やはり新城です。新城で育ちましたから、内側の街は新城です。自分の内側の街はどこか、一度、考えてみてください。浜松でお生まれの方ならば、「浜松ナビが内側にある」と言うだろうし、韓国から来られた方は、いくら日本に住んでいても「内側は韓国」ということです。大阪から来られた方は、三河で大阪弁はしゃべらなくても、やはり内側は、大阪ではないでしょうか。

ということは、お一人お一人が聖霊に満たされる事は、街全体に関わるのです。クリスチャンには、街に対する責任があります。

 

一般的に地域(街)ができる要素は、四つあります。これは私の友人、三重大学教授の中川先生による定義です。彼はその専門家で、こんなふうに定義しました。

第一に、「ある空間に対して言葉が語られ、名称を付けることによって街ができる」というのです。新城も、権力者が、「ここは新しい城が出来たから新城だ!」と宣言して新城になりました。

第二に、「ある領域の景観が人々にまとまりを感じさせるとき」というものです。

生まれ故郷は景観と共にあります。だいたい日本人の故郷の景観は、村の真ん中に神社があって、寺があって、かやぶき屋根の家があって、青白い煙が立ち登るような、日本昔話のイメージです。街は景観と共にあるのです。私たちの内側の景観は、街の景観と結びついています。

続いて「住民の交流単位が空間的領域と一致している時」だそうです。ある街には「飛び地」という場所があります。飛び地は、いくら自分の街でも、内側の地域では別の場所だったりします。もしも、「新城市」の一部が、北海道にあったとしても、まとまりはないでしょう。やはり街には、交流できる空間的一致が必要なわけです。

最後に、「ある所で共通の体験をする」というのが、街ができる要素だと言うのです。どういう体験かと言うと、祭りだとか、スポーツ大会だとか、争いを共有するときに街の概念につながるのです。

 新城市のマークは、これです。旧新城市は、このマークではなかったです。現在の新城市は、作手村、鳳来町が合併して、新城市となり、面積がすごく増えました。ちょっとローカルな話ですが、しばらく前まで、私にとって。鳳来町は新城市というイメージはありませんでした。空間的一致がありませんでした。しかし時間が過ぎて、今では、鳳来町も「新城市だな・・・」と感じるようになりました。でもまだ、作手村村までは、新城とは思えないです。

ではなぜ、三つの市町村が合併して新城市になったのかと言うと、「歴史的共通体験」があるからです。

このマークにもあるように、これはカブトですが、十六世紀の共通体験「設楽が原の戦い」が元になっています。

本来、街は神のためにあるべきです。創造主である、イエスさまが地表を造られたからです。

しかし実際は、人間的な理由で街が発生しています。この地域は設楽が原の戦いという、血生臭い歴史によって発生した地域です。土台そのものが死の霊に掴まれている地域です。しかしそんな中から、私たちは選ばれ、クリスチャンになり、内側が神の国に変えられたのです。その結果、街に何が起こるのでしょうか。争いと殺戮の土台が、神の国に変えられるのです。お一人一人がイエスさまを信じ、聖霊に満たされ、内側が変えられることは、ただ単に、個人的なものだけではなくて、地域全体、国全体にまで関わる大きな出来事です。

 

今年は新城教会、七十年という記念の年ですが、七十という数字は、聖書の中で大変重要な数字であると毎回語っています。バビロンに捕囚されて、七十年目に解放されました。一人の王が七十年間、国を治めるとプラチナ・ジュビリーと呼んで、特別なお祝いをします。今年はユダヤ暦ではジュビリー、「ヨベルの年」の可能性もあるそうです。ヨベルの年は、イエスさまの再臨とつながっています。

 

イスラエルに行きますと、様々なユダヤ教の祭りがあるのですが、ユダヤ人たちが、最も重要視している祭りは「Yom Kippur(ヨム・キプール)」と呼ばれる、「大贖罪の日」です。これは第七の月の十日に行われます。それは「国民的・民族的な悔い改めの日」です。国民総出で断食し、国の罪を、民族の罪を悔い改める日です。

ヨム・キプールは、ヨベルの年に向けて、毎年、繰り返される重要な祭りです。

一人ひとり、ただ個人に収まるのではなく、共同体とともにあって、一人ひとりの悔い改めは、国全体の悔い改めに繋がる事を強く意識させる祭りです。民族全体の悔い改めは、街・国・民族全体の祝福につながり、歴史が神によって導かれるという、重要な法則があるのです。古代からイスラエルは、その法則を神から教えられて、実行して来ました。