主の復讐の年、その枝は垣を越える

「すごく綺麗だよ!海がキラキラ光ってて本当に綺麗なんだよ。」と、そんな話をしました。その時の集会、小さな集会で、こんな集会で、総勢十名ちょこっとくらいかなというそういった集会でしたが、その時のおばあちゃんの写真もありました。

この左側のおばあちゃんが目の不自由なおばあちゃんでした。だからそんな中で「今日は綺麗ないい日だから、賛美また聞いてください。」と言って、再びリハーサルを継続しました。そして歌い続けていったんですけど、歌い続けていくうちにまた「いい声だね。いい歌だね。」と、ずっと拍手してくださって、そして全部歌い終わりました。

そうしたら、次の瞬間でした。このおばあちゃんが叫び出しました。何と叫んだかと言ったら、「はーー!!!はーー!!」と言い出しました。「どうしたの?おばあちゃん!」と言ったら、「指が見える!」と言い出しました。おばあちゃんの言葉ですけど、「賛美の中で目が見えるようになった!」とおっしゃいました。
本当に神さまの働き、賛美の中にあるみ力というのは、やっぱり賛美の中に主がご臨在くださって、賛美の中で主ご自身が働いてくださる。敵の力を打ち破る!と言っていますけど、本当にそのおばあちゃんの背後のものが破られていく中で、目が見えるという奇跡をその時に見ました。神さまは本当にそんな素晴らしい事をしてくださったんだなぁと、もう一度思い起こして、この年もう一度、主に目を上げて私たち歌い続けていかなかったらいけないなと思いました。

大阪の西成区という所でのコンサートも何度か行きました。

「やぶれかぶれの人生 歓迎 滝元ひらき氏 賛美と祈り 大声でともに歌おう」こんな集会にも行きました。

ここは来られている方、皆さんがホームレスの方ばかりで、「この人たちには話は通じない」とそこの牧師先生に言われました。「歌ったって変わらない。」そう言っていたのが変わったんですよ。本当にこの時変わって、「勇気をだーしーてー♪」と歌ったら、みんなが体をゆすって歌い出しました。
そして歌い終わったら、先生、何と言ったかと言ったら、「献金やろう」と言うのです。このホームレスの人に向かって献金ですか?「やる。」なんとなく「取る」という勢いがあったのですが、「献金やる。」ということで、「それじゃぁしましょう。」ということで、献金をしたら、ホームレスの人たち、しっかり献金を「この働きのために」と言って献金してくださったのですが、いただきました。後から見たら、しっかりその一円とか五円だけじゃないんですよ。百円硬貨がいっぱい入っていてとても驚きました。この集会の後に「炊き出し」というのがあって、そこでその時いただいていたのはパン二枚とあと何かスープかなんかだったんですけど、百円だったら今どき安いパン一斤買えるんじゃないかなという、そのような彼らの心の中に訪れた変化というのもその賛美の中で見ました。

あともう一つ、賛美の中での祝福をお証ししたいのですが、二〇一四年からこの新城教会にとって世界宣教という扉が開かれて、世界のいろいろな所へ遣わされて賛美の働きがなされて、ネパール宣教もなされましたけども、ザワメキの働きの中でもいろんな所で賛美をさせていただきました。
そんな中で、すごく貧しい地での、そしてしかもホームレスの子どもたち、それもストリートチルドレンというような子たちの前で歌う機会が与えられたことが何度もありました。
また、ある所では、「シェルター」と呼ばれる所で歌いました。若い女の子たちばかりだったのですが、でも彼女たちが賛美の中で本当に変わって、喜びいっぱい歌うのです。それでどうして「シェルター」かと言ったら、人身売買の被害にあってしまって、そこから救い出され、そして行く場がない子たちをかくまっているという場所でした。そこでの賛美も本当に祝福されて、彼女たちが本当に目を輝かせて変えられた姿を見て、やっぱりそういった場所なので、写真は撮ることはできないという場所でした。

カンボジアの一つの街に行きました。ここもすごく貧しい地域でした。人々が貧しく暮らしていて、そしてストリートチルドレンと呼ばれるような子たちもこの周りにたくさんいて、ペットボトルを一生懸命集めて、そしてなんとか食べるためのお金を得るようなことをしていました。
この中に一つの学校がありました。ストリートチルドレンの子たちを集めて、彼らに教育を与えるという「ジーザススクール」という学校があって、それを経営している先生にお会いしました。するとその先生が「ジーザススクールに行きますか?」と言ってくださったので、「是非」と言って、一緒に行きました。
そこに来ている子たちというのは、パッと見きれいな格好をしていますが、来るまでは裸だったり、ボロボロのTシャツで来て、学校に来てシャワーを浴びて、制服に着替えて、勉強をするということをずっとしていたというのです。やっぱりストリートチルドレンの子たちで、捨てられてしまった子たちなので、なかなか目も合いませんでした。なんなんだよという空気がすごくあって、でも「神さまは皆んなを愛している」ということを伝えて、「神さまは君たちを愛してる。そして一緒に歌ったら変わるよ。」という伝え、一緒に賛美の歌をいっぱい一生懸命歌いました。そうしたら彼らの表情が本当に変わって、すごい笑顔に変わってくれました。これご覧いただけますかね。

こんなにいい笑顔で、一緒にダンシングを賛美して、一緒にハレルヤ!と賛美して、最後の記念撮影。どこの立派な学校の子どもたちかと思うような、そんな子どもたちの集合写真ですけど、これも神さまが賛美の中でしてくださった素晴らしい主の働きでした。

私たちは、リバイバル求めてともに祈り、ともに戦ってきましたが、この年は「主の復讐の年」として、今、主が何をなしてくださるのだろうかと期待していますけども、そんな中でもう一度、主がくださった「賛美の剣」をしっかりと握りしめて、主への賛美を、声高らかに歌い続けていきたいと思います。

十月の末に、私がここでメッセージをさせていただいた時に、「天のみ座に主への賛美を響かせましょう」という、そんなメッセージをしました。その時のテーマが、黙示録の五章十一節から十三節でした。

『また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」』

聖書全体の中でのある意味クライマックスだとメッセージの中で語られていましたけれども、主のみ前で、そのみ座の前の生き物、ケルビムと呼ばれるようなそういった天使たちから二十四人の長老たち、そしてみ使いたち、万の幾万倍、千の幾千倍のみ使いたち、そしてさらに十三節、

『また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」』

全被造物が主をほめたたえる。そのような賛美を私たちもこの地から、そのみ座に響かせましょう!と、そんなメッセージをさせていただいたのですが、使徒パウロが一度、第三の天にまで行ったという、そういった証しをしています。そこはいわゆるパラダイスと呼ばれる所での神さまの栄光を目の当たりにして、また再びこの地に帰ってきたと、そんなことを言っているのですが、第一の天というのが私たちの住んでいる天で、第二の天というのはある意味、悪霊どもの支配の領域で、そして第三の天が神さまの領域。その天という解釈には何層もあるとお聞きしていますけども、パウロの言ったこの言葉の中でのこの「第三の天」というのは、その場所は神の完全な支配の場所だと思うのですが、私たち、これからささげなければいけない賛美というのは、その第三の天に届く賛美をするために、賛美をする時に第二の天を破り、突き抜けて賛美していくのです。私たちが賛美する時に、父のみ前に、子羊主イエスさまのみ前に届く賛美をささげていく時に、第二の天の暗闇の力が打ち破られるということがなされる、そのような年であると信じて、この年、主の一振りの剣を手にして主への賛美を響かせる、そんな一年にさせていただきたいと思います。
ですから私たちの、皆さんのささげる賛美が、いろんな領域の垣根を越えて、それがどのような領域か分からないですけど、きっと信じることのできないような領域で、今まで絶対届くはずのないところまで届けようと神さまは用意されており、偉大な主のみ業をあらわしてくださることと信じます。
皆さんそれぞれ神さまによって示される領域に対して祈りをもって、そして賛美を持って主に仕える、そんな一年となることを心から願います。一言お祈りさせていただきます。

ハレルヤ。愛する天のお父さま。あなたの素晴らしいみ名をあがめて心から感謝します。今日もあなたがこの只中におられ、私たちの賛美を受け取ってくださっておられるお方であることを心から感謝します。昔も今も変わらない主よ、私たちの賛美を主は喜びをもって受け取ってくださるお方であることを心から感謝します。
この年あなたが二〇二二年、復讐の働きを始めてくださることを心から感謝します。そのために主が私たち一人ひとりの唇の果実であるこの賛美を用いようとされていることを信じて感謝します。主よ、もう一度主よ、幼子の唇からお年寄りの唇にいたるまで、主イエスさま、どうぞもう一度主への賛美が私たちのうちに溢れますように。もう一度主よ、あなたからの新しい賛美の剣を受け取る、そのような日とさせてくださいますように。そして新しい賛美を持って、あなたをあがめ賛美し、暗闇の力を打ち破り、あなたの栄光が輝き出る、そのような二〇二二年となりますように。
あなたの復讐の年が始まっていることを心から感謝します。私たちの思いを越えた、垣根を超えた、大いなる主の勝利が現される年であることを信じて心から感謝します。そのために私たちこの年、歌い続ける、そのような歩みをすることができるように、助け守り導いてください。唇に、家庭に、職場に、学校に、地域に、この教会に、全ての働きの中に、主よ、あなたへの賛美が満ち溢れますように。そしてその賛美が天に届きますように。尊き主イエス・キリストのみ名によって、この祈りを父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン。