主の道

このような状況、またそして結果を見て、教会という存在が揺るがされることがあってはなりません。なぜなら今日見てきた通りです。教会というのは、誰かこの地上の個人とか、また主のわざ、出来事によって立っているものではない。主のみことば、主ご自身によって立っているものだからです。そうであるならば、主のみことば、主ご自身に変化がない限り、私たちの信仰に本質的に変化があってはいけないのです。主のみことば、主ご自身は、何一つ揺らぐことはありません。教会が仮に、この今の体制や出来事の変化によって、何か揺るがされるとしたら、それは私たちが寄り頼むべき主に寄り頼んでいたかどうかを、そういった領域に視点を向けるように主が促しているのかもしれません。私たちを一歩先に進ませるために、この教会全体を教会という単位で取り扱っておられる、そのように受け取れるのではないかと思います。

今日のメッセージの結論はヨハネの福音書十四章六節のみことばの通りです。主のみ、主のみことばのみ、十字架のみです。主が道であり、真理であり、いのちです。私たちはその主の道を選び続けて歩む。そのような存在として、お一人お一人が召されています。

最後にみことばを読んで終わりにしたいと思います。十四章の最後の部分です。イエスさまがこのように十四章を締めくくっております。

『わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません。しかしそのことは、わたしが父を愛しており、父の命じられたとおりに行っていることを世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。』

主は私たちに立ち上がること、奮起を促しています。たかだか一つのスポーツの国際大会で勇気をもらうのではなくて、このような主のみことばに私たちは勇気をもらって、一人一人が、自分が、戦いの当事者として立ち上がりたいです。そのようなクリスチャンとして、もう一度主が新しく力を得るように促しています。『立ちなさい。さあ、ここから行くのです。』と、主が私たち一人ひとりに語りかけています。主のことばに応答して、私たちは主の道を選び続けて、この戦いを戦い抜いていきたいと思います。お祈りさせていただきます。

愛する天の父なる神さま、心からみ名をあがめます。今日こうして、もう一度、私たちは、私たちが一番慕い求めるべきみことばによって、本当に素晴らしい神の恵みを学びました。私たちはあなたご自身のみことばにより命の糧を得、心を熱くされ、またみことばに感動し、勇気与えられ、士気高められ、もう一度立ち上がる力が与えられる、その恵みを心から感謝します。私たちの辛く苦しい状況の中で、主ご自身にのみ目を向けます。み子イエスさまの十字架に目を向けます。そしてそれゆえに備えられた道、そしてその道のゆえに、私たちが導かれている父なる神に目を向けます。またこの地上において助け主として与えられている聖霊なる神さま、あなたご自身に目を向けます。私たち一人ひとりが、もう一度あなたと、人格的に一対一で言葉を交わし、祈りを交わし、一対一の信頼関係を築くことができますように。その集まりとしてこの新城教会という、一つのこの場所にこの土地に建てられた、ここに集っておられるおひとりおひとりの集まりが、神の国の強力な、強烈な軍隊として、今一度、神の国において力を発揮しますように。その新しい油注ぎをどうか主よ、与えてください。
今特に、これまで私たちを先頭に立ち引っ張ってきてくださった主任牧師ご夫妻が、最後の最後の戦いをしています。どうか主よ、そこに神の国を現してください。私たちはただ主のみこころを求めます。過去・現在・未来を貫いて、ただ私たちはこの地上ではなく天に目を向けて、これからも歩むことができるように、そのための力を与え、また思いを与え、どうか私たち一人ひとりの足を最後まで支えてくださいますようにお願いします。本当に主が選んでおられる、この場所にいるお一人お一人に、豊かな神の恵みがあるように、主の十字架を心から感謝し、また私たちはそれゆえに備えられた主の道を歩み続ける者として、主の勇士として、もう一度立ち上がることを宣言します。今、本当にお一人お一人がそのような祈りとともに、もう一度立ち上がる、この教会がもう一度立ち上がることを宣言して、私たちの勝利者、イエス・キリストのお名前によってお祈りをおささげします。アーメン。