天が裂け、主の霊注がれ

『彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのはあなたがたの神、主であるからだ。』

「戦うのはあなたじゃないよ。わたし自身が戦うよ!」というのが、主ご自身の約束のみことばですので、そのことを私たちは信じ続けていきたいと思います。

最近よくいろんな所で歌っている賛美の一つが、「恐れるな たじろぐな」という歌を歌っています。このみことばも我が家のトイレにあります。ある日、そのみことばカード、三つあるものですから、ある日、『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。』という、このイザヤ書四十一章十節のみことばが二つ一緒に並びました。

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』

このみことばが二つ並べられた時に、ぽんっと与えられたのが、最近よく歌っている「恐れるな たじろぐな」という、その賛美でした。本当に神さまが私たち一人ひとりに今語っておられるのは、もう本当に仕事に取りかかって戦うべき時が来て、時は満ちている。しかもそれが、誰かがするのではなくて、この教会全体に対して神さまご自身が動き始めようとされているこのただ中で、主は私たち一人ひとりに、「戦いなさい。進みなさい。」ということを、今、語っておられるのではないかなと感じています。
ですから、子どもたちからお年寄りに至るまで、また日本人も、また他の国籍を持っておられるインターナショナルの兄弟姉妹に至るまで、主が今、「わたしはあなたと共にいるから戦いなさい」とおっしゃっておられると信じています。

イエスさまがガリラヤ湖を舟に乗って、弟子たちと共に渡った時の記事が福音書の中に書かれていますけど、そんな中で激しい嵐が来ます。そうすると、弟子たちは恐れおののくのです。イエスさまが一緒にいるのにも関わらず、「わたしが共にいるじゃないか!」と言われるイエスさまがいらっしゃるのにも関わらず、「わー!死にそうだ!どうしたらいいか!」と言うと、イエスさまは起き上がって、何とおっしゃるかと言ったら、「黙れ!静まれ!」と、その嵐に向かって、主は宣言されて、その後、イエスさまは弟子たちに何と言ったかというと、マルコの福音書四章四十節、

『イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」』

と、そう言っています。あまりにも戦いが激しくて、私たちから信仰というものがなくなってしまう。それほどにサタンは選民をも惑わそうとしていると書かれているので、しかも「日夜」なので、二十四時間、食い尽くすべきものを探し求めて、「なんとかして!」としているのですが、でもイエスさまは共にいてくださって、その舟の中にイエスさまが一緒にいてくださったら、どんな嵐の中でも、「黙れ!静まれ!」と主が語ってくださって、私たちもその主のみ名によって宣言する時に、同じ主の祝福が注がれていくので、神さまご自身の訪れを、もう一度、私たちのただ中にお招きして、イエスさまご自身が私たちを通して働いてくださる。その信仰を持って、もう一度走進んで行かなかったらいけないと思います。

使徒の働き一章八節、とても有名なみことばですけれどもお読みしたいと思います。

『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』』

私たち一人ひとりが主の証人となっていくために、どうしたらいいかと言ったら、聖霊が臨まれる時、私たちが力を得る。主ご自身の訪れ、イエスさまが今日、天をバリッと裂いてくださって、訪れてくださって、主の霊注がれる時に、私たちのただ中に神のみ国が現される。それがもしかして今まで経験したことのない形で、本当に何気ないお友達とお茶している時かもしれないと思います。何気なく学校で勉強して、先生に、「君、この問題解けるか?」と聞かれて、「はい」と言った途端に、主が来られるかもしれないですし、会社で機械と向き合って、一生懸命でいつもと同じ連続の仕事をしているかもしれないですけど、そこで主が来られるかもしれない。イエスさまはどこで来られるか分からないですけど、「神の国はあなたがたのただ中にある」というのが、主のみことばですので、そのことを信じて進んでいきたいと思います。

もう一度、マルコの福音書一章十節をお読みします。

『そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。』

イエスさまご自身の所にも聖霊さまが来てくださったわけですけど、天が裂ける。
昔の話をすると云々と言われていましたが、甲子園ミッションはもう約三十年前ですね。一九九三年十一月に行われました。二日目に賛美の集会があって、本当に主のわざがありました。甲子園球場の中で賛美していたら、どこからともなく多くの人がグランドの中に入って来て、みんな踊り回るという事が起こりました。本当に主ご自身の働きだったなという、そんな姿を見ました。
その時のことで、ひとつだけ私が覚えていることが、私はちょうどその時は十字架のステージの真ん中に立っていたので、一塁側のベンチの上ぐらいの天が、なんかちょこっと裂けたなというか、そういう印象がその時にありました。「なんか聖霊さまが来られるってこういうもんなんじゃないかな。」と、そんなことを感じたことがありました。
でも今、私たちに、新たに主は天を裂いて、私たちの所に来てくださるという働き、それがそのような大会衆と共に、激しくバリーン!と来るものではなくて、何気ない「神の国はあなたがたのただ中にある。」ただ中、皆さんの日々の生活の中に「神さまが生きておられる」ということを、これから感じる、そんな一日一日であって、そしてまたキリストのからだですので、すべてのキリストのからだを通して主が動き始める時に始まる主の素晴らしいみわざというのは、計り知れない大きなものであると信じています。そんな主に期待して、私たち、前進し続けていきたいと思います。一言お祈りさせていただきます。

ハレルヤ、愛する天のお父さま、あなたの素晴らしいみ名をあがめて心から感謝します。あなたは昨日も今日も変わることなく、私たちと共にいてくださるお方であることを心から感謝します。
天の父よ、今日もあなたのみ座がここにあることを信じて心から感謝します。私たちはあなたに向かって、あなたのみ前に、今日も心から多くの賛美をささげ、あなたを礼拝することができたことを感謝します。子羊イエスさま、天のみ座の右におられる子羊イエスさま、今も、屠られたとみられる子羊イエスさま、今も傷を持って私たちの贖いをし続けておられるイエスさま、あなたの血潮のゆえに、イエスさまが大祭司となって、私たちがその血潮を受け、父なる神さまのみ前に額ずくことができることを許されていることを信じて、心から感謝します。
聖霊さま、あなたの深い助けを感謝します。励ましを感謝します。苦しみにあったことは幸せのためでした。様々な苦しみと、またなおも戦いが進んでいる中にも、神さまあなたご自身が共におられることを感謝します。聖霊さま、あなたが助けてくださっていることを感謝します。もう一度、我ら一同の中に、あなたが訪れてください。今日、天を裂いて、もう一度来てください。主の霊が注がれますように。聖霊さま、あなたを心から歓迎します。どうぞ我ら一同の所に今、来てください!来てください!来てください!
そして、今週のすべての歩みの中に、あなたのみ国を見ることができますように。家庭で、地域で、職場で、学校で、主よ、本当にあなたご自身のご栄光を仰ぎ見る、そのような一週間、これからの歩みとさせてください。み手に委ねます。期待します。尊き主イエス・キリストのみ名によって、この祈り、父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン。