天が裂け、主の霊注がれ

2022年10月2(日)新城教会牧師 滝元開

マルコの福音書 1章10節
『そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。』

たくさんの賛美を皆さんと共に主に捧げることができたことを心から感謝します。賛美礼拝、今日はいつもよりも多くの賛美を神さまのみ前におささげできました。この恵みを心から感謝したいと思います。天の父なる神さまのみ座が遠い天にあるのでなくて、あなたがたのただ中にあると、みことばにあります。ルカの福音書十七章二十節~二十一節、

『さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」』

信じますか?アーメン。イエスさまは私たちの罪のために死んでくださって、葬られて三日目によみがえって、今も私たちとともに居てくださいますけども、天の父なる神さまも、神の国の只中におられるということは、神のみ座が今ここに、このただ中にある。すごいことだと思います。神さまは、神さまなのです。神さま以外に神さまはいないので、私たちはその神さまを信じることができたというのは、どんなに大きなことかと思っています。

今日のみことばのタイトルは、「天が裂け、主の霊注がれ」です。このタイトルを聞くと、きっと激しい、ファイヤー!というようなメッセージが語られるのかなと思うのですが、「そこにある」とか、「あそこにある」、ああいった集会には油注ぎがあると、そういったものではなくて、「あなたがたのただ中にある」というものが、神のみ国であり、またそこに主のみ座があるので、私たちは信じて、その神さまであられる方がここにおられる!その方のみ前に私たち賛美していることの喜びを歌い続けてまいりましょう。
今日の午後から「タピオカミルクティーリバイバル油注ぎ集会」があります。なんのこっちゃと思われるタイトルですけど、神さまが最近与えてくださっているいろんな集会のテーマですとか、主の導き、すごく不思議に感じています。タピオカミルクティーがリバイバルするんですか?みたいな。そして油注ぎ集会。油注ぎ集会というと、円陣組んで油注ぎの祈りをしてもらって、それでよし!というような、そんなイメージが私たちの中にあったかもしれないですけど、でも神さまは、もっと自然なお方で、いつも私たちのただ中にいてくださるお方なのです。今日は、その集会も子どもたちが歌ってくれたり、タピオカミルクティーの提供があったり、またワンウェイボーイズが歌ってくれたり、今日は「みことばの剣・英語バージョン」英語でみことばを覚える。「みっくんファイヤーメッセージ」、「よーくんアノインティングメッセージ」、かっこいいですね。そんな油注ぎ的なネーミングにはなっていますけど、でも神さまは、本当に私たちと共にいてくださるお方なので、何気ないこの交わりの中に主が居てくださるというのが神さまなのかなと、そんなことを感じています。今日もこの賛美の中ですでに天が裂けて、主の霊が注がれている。そんな瞬間であると信じていきたいと思います。

最近息子から一つのLINEが来ました。なかなかLINEをする人間ではないのですが、こんなLINEでした。

「苦しみにあった事はわたしにとって幸せでした」「だわ」こう来ました。ちょっと目を疑いました。彼からみことばが送られてきたということで、「ハレルヤ!アーメン!」と、つい返信しましたが、「苦しみにあった事はわたしにとって幸せでした」、これはみことばです。 我が家のトイレに「みことばカード」というのが三つありまして、毎日そのみことばを変えるのですが、その中の一つで覚えていたということで、突然そうきました。彼も東京に出て戦って、いろんな苦しいことがあったけど、結局、苦しみにあったことは、いや~私にとっての幸せだった。彼はみことばを覚えていたのです。それが詩篇百十九篇七十一節にあります。

『苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。』

様々な苦しみ、様々な試練というものを、時として、私たちはくぐり抜ける時があります。このコロナの戦いも大きな試練と戦いでしたけども、でもこれは必ず神さまの幸せのためだったな、神のみ国の現れのためだったなということがはっきりとわかる時が来ると、私たちは信じて進み続けていかなかったらいけないと思います。

この新城教会の歩みも約二年間、うめいてうめいてうめき続けるような、そんな二年間だったと思うのですが、今年の六月から神さまがぐーっと背中を押してくださったように、いろんな働きが始まっていきました。
六月からお昼のカレーも一緒に食べられるようになったし、二部の礼拝が一つになって、そしてこうして皆さんと共に賛美するようになりました。
そして七月になって、さらに主はガラリと大きく変えられたなと思います。七月の最初の日曜日から、「モーニングバイブル・モーニングプレイズ」、今朝も本当に素晴らしい学びの時と、素晴らしい賛美の時がもたれました。なんか神の国の各器官全体が動き始めたような、そして、神さまご自身が動いておられるような、神の国がそこにあるような、そんな印象を受けています。
私前回ここでメッセージをさせていただいたのは七月十日でした。七月九日というと、その前の日の土砂降りの中でのヘブンズアイスクリーム&コーヒーの「ありがとう一年間!」の集会でした。本当に私たちが見たことのないような光景を目の当たりにさせていただいて、主が動き始めてくださる時にある祝福、神さまが一旦「わたしが動くぞ!」と動き出したら、私たちきっと信じられないほどの神さまの勢いに圧倒されていってしまうのではないかと、それを目の当たりにさせていただきました。

そしてその次の日が礼拝がメッセージでしたが、その後、いろんなことが起こされていって、八月にはさらに、サンセット・アロハもありましたけども、個人的にもいろんな働きが進んでいきました。
二年間ずっと止まっていた「万座温泉日進館」という所でのコンサートも始まりました。

これは八月十日でした。お客さんの人数制限もされていると思うのですが、そこに多くの方々が来てくださって、八時から九時までのコンサートなのですが、毎回九時になると抽選会があるのです。ですから宿泊券をいただけるという抽選会があるので、必ず多くの人が来て、そこで九時目指して、皆さん九時ちょっと前ぐらいに来て抽選をするのです。
それはコロナ前のことで、私たち的には来てくださった人たちを見て、「これきっと抽選を目指して皆さん来てくださったんだな」と思いました。でもコンサート最初から来られて、まじで真剣に聞いてくださるのです。一人の方は元警官(現役かも?)という方が来て、「本当によかった。本当によかった」と言ってくださったり、おじさん、おばさん、クリスチャンでない方々が真剣に聞いてくださいました。結局、その場での抽選はないんですよ。宿泊の抽選は最初に受付で済ませるようで、そんな中でも主が働いてくださいました。

そして八月十三日は、結局、台風直撃の中でのサンセット・アロハ、何度もここで証しされていますが、本当にそれも主の大きな恵みでした。
そして八月十五日は、「Zawameki同刻プレイズ」というのがありました。

駐車場で、叶わなかったサンセット・アロハを同刻プレイズは素晴らしい天気の中でさせていただきました。

また中高生の働きのレッツプレイズというのも、その場所で、ここにノンクリスチャンの子たちも来てくれて、とても楽しい恵みの時がもたれました。
一つ一つ、神さまがなしてくださった恵みのみわざで、一歩一歩、神さまが私たちのただ中にいてくださったなということをすごく強く感じました。

でもそんな中で、八月二十五日は、私たちにとっての大きな悲しみの時でした。寛太君が天に帰りました。その時に、私に与えられた一つのみことばが、このみことばでした。コリント人への手紙第一 十五章五十四節、

『しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。』

朽ちるものが朽ちないものを着た瞬間、死ぬものが不死を着る瞬間、それが死なのです。だから死ぬことは怖くないよという、そういったみことばをとらえていましたが、でも今回、寛太君が手に帰った時に、私、このみことばを与えられて、勝利そのものを彼が飲み込んで天に帰ったな。やはり今、天と地がすごく近い時なので、彼の使命は彼の使命として、今は天においてドラムを叩き続けて、リズムを刻み続けることだと思います。
彼は中学生の時から、先ほどのレッツプレイズという集会からドラムを始めて、そしてミュージシャンを目指していって、高校生の時に今の奥さんともうすでにお付き合いしていて、こう言ったと言うのです。「俺は必ずいつかおまえをドームに連れて行くからな」と、そう言ったと言うのですが、その約束まで果たして、主のためにリズムを刻み続けて、リズム、メロディ、ハーモニーをサタンの手から奪回するという戦いを彼はし続けてきたと思います。
新城出身のミュージシャンたちがたくさんいますけど、彼のプロフィールにはいつも、EXILE系のそういう人たちの素晴らしい人のバッグでしていたという経歴の最後に、「Zawameki」と必ず入れていたのです。偉いなとすごく思っていました。
私の写真の中で、寛太君の顔をチョイスして、どれくらい写真に上がってくるかなと思ったら、いっぱい上がってきました。ほんの少しだけご紹介します。
 これは二〇〇七年、ハワイでZawamekiをした時です。マジックアイランドで歌いました。
そしてこれはハワイのオアフ島のヘソと言われるような、すごく霊的なポイントで神さまを賛美しました。
そしてサンセットビーチでも賛美しました。寛太君、一緒に行ってくれました。
 またその他は、Zawamekiのチャーチライブで彼も行って、本当に日本の色んな所で主に賛美しました。これは軽井沢だと思うのですが、これは南足柄かなと思います。
そしてこれは被災地を巡った時でした。

 シーサイドチャーチが建っていた、その跡地で、瓦礫の真っ只中で主を賛美するということを彼もしてくれました。
またレコーディングも一緒にしてくれました。韓国ミッションのテーマ曲「国を越え言葉を越え」のレコーディング、彼が一生懸命ドラムを叩いてくれました。

 また同刻プレイズでも賛美を一緒にしてくれましたし、そしてZawamekiのワーシップシャウト東京大会では、何度も何度も賛美してくれました。

そしてこの写真プロの方が撮ってくれたのですが、彼はこう天を見上げて賛美してくれている。本当に今は悲しいですけど、今日も本当に主のみ前でリズムを一緒に刻んで戦っていてくれるなぁと、すごく思います。

みことばの中に、先ほどのコリント人への手紙十五章の続きですけど、十五章五十八節、

『ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。』

神さまご自身の働き、神のみ国の拡大のための働き、様々な苦しみも悲しみもあるし、通ることの中には、なかなか幸せだと言えないようなこともたくさんあるかもしれないですけど、それらすべての中に神さまの計画と、神さまの許しと、そして私たちに対する神さまのご栄光が現されるための働きがあるのだと信じています。
もう一箇所、聖書を読みます。ルカの福音書 十三章三十二~三十三節、

『イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』』