「いやしの翼に」

そしてこのみことばですね。『義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。』と書かれているんですけど、この「ある。」という言葉には、やっぱり一つの意味があるらしいですね。

“『その翼には、いやしがある。』の「ある」と訳された動詞は、ヘブル語の「ヤーツァー」が使われており、メシアの衣の房からいやしの力が出て行くという意味である。”

というのです。神さまのいやしの元に私たちが行く時に、そうすると神さまの内にあるいやしの力が神さまから出て行く。イエスさまご自身がこの地上に来られた時に、イエスさまによるいやしがなされていきましたけど、イエスさまのいやしの力が出て行くという記事が出てきます。マタイによる福音書十四章三十四節からお読みします。

『彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた。』

主ご自身のいやしの翼、その身衣にふれる時にいやしの力が出て行ったんですね。ギリシャ語から直接訳すと、こういった訳になると、そんなふうに書かれていたものがあったので、ご紹介します。

『そのところの人々は、イェシュアだとはっきりわかったので、その付近一帯に使いを送った。すると、彼らは病気をかかえているすべての人々をイェシュアのところに連れて来た。そして、彼らはせめて房だけにでもさわらせてくだるようにと彼に懇願した。そして、さわった人々はだれでも、すっかり癒やされた。』

さわったら必ずいやされるというのが、神さまの祝福なんですね。ですから私たちも本当にその神さまの祝福にあずかる者でありたいと、心から願う者であります。

イエスさまのみ衣にふれて、そこから力が出て行っていやしがなされたという有名な箇所がありますけど、長血の女が群衆の中から紛れ込んでイエスさまのみ衣にふれて、そうしたらいやされたという、マルコの福音書五章二十七~二十九節、

『彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。』

このいやしの翼には力がある!そこから出て行く!ということを、この長血の女は信じていました。

そしてさらに見て行くと、聖書を読み進んで行くと、ペテロによるいやしが今度は書かれています。ペテロが牢獄に捕まった後、主の奇跡により牢獄から出て来て何が起こったかということが使徒の働き五章十五~十六節に書かれています。

『ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。また、エルサレムの付近の町々から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。』

イエスさまご自身によってすべての人がいやされましたけど、今度はペテロの手によっても同じようにいやしのみわざがなされました。

さらに次には、パウロの手によっても神さまの驚くべきみわざがなされました。使徒の働き十九章十一~十二節、

『神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行われた。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。』

と書かれています。神さまご自身のみ力がペテロを通して、パウロを通して現されました。

今の時代、私たち一人一人は、神さまの宮で、神さまが私たちと共にいてくださるという、そういった時代なので、私たちを通して神さまご自身のみわざがなされることを信じて、私たち歩んだらいいと思います。
私たちをおおってくださる翼の、神さまのいやしの翼が、私たちが歩く所に一緒にその翼も移動して、そこから神さまのみ力が現れて出て行くという、そのみわざをこれから見ていきたいと思います。だから本当に、その衣の裾にでも触った時に神さまのみわざがなされます。

しかし聖書の中に、触ることのできないような人たちも、いやしが起こっていることが書かれています。エリコに住んでいたバルテマイという盲人でした。ですから盲人からしたら、どこにイエスさまがいらっしゃるか分からないし、イエスさまの衣、どこか分からない。そこで彼は何をしたかと言ったら、マルコの福音書十章四十七節に書かれていますが、

『ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。』

叫び続けた結果、何が起こったかというと、十章五十二節、

『するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。』

叫び求めた時にあった神さまの祝福でした。

またあの異邦人に対しても、イエスさまは目を留めてくださったことがマタイの福音書十五章に書かれています。カナン人の女ですね。十五章二十二節、

『すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」』

彼女は異邦人なので、イエスさまはおっしゃったんですね。
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」マタイの福音書 15章24節

そう言ったのにも関わらず、求め続けていった時に、彼女の信仰を見ていやしをなされました。十五章二十八節、

『そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。』

これがみことばです。「ダビデの子、イエスさま!助けてください!私をあわれんでください!」と叫んだ時に、神さまの栄光が現されていきました。
ですから、私たち、今、この地の新しい救いの扉というのを主が開いてくださっていますので、私たちから神さまのみわざが現されていくように、主に求めると共に、そのいやしの翼が私たちから流れ出る、そのような業がこれからも始まっていくことを信じて、そのことを信じて、今週も皆さんの職場に遣わされて行ってください。そして主の福音を宣べ伝える時に、神さまのわざは必ず起こされると信じます。
みことばは以上です。一言お祈りさせていただきます。

ハレルヤ。愛する天のお父さま。あなたの素晴らしいみ名をあがめて、心から感謝します。昔も今も変わることなく働いてくださる主よ、あなたが今日もこの只中にいてくださるお方であることを信じて、心から感謝します。主イエスさま、本当にあなたご自身のいやしの翼を、今日も私たちの上に、大きく広げてください。そしてあなたのその翼にはいやしがあることを心から感謝します。主よ、そのいやしの中にある霊肉魂のいやしと救いと解放のみわざが、主よ、あなたから出ていくことを今週は見ることができますように。私たちが出て行くその場所で、私たち一人ひとりの中に、また私たちが接する全ての方々の中に、あなたのいやしの祝福が流れ出て行くことができますように、お願い致します。もう一度、私たち、心から主よ、あなたを求めます。ダビデの子イエスさま、私たちをあわれんでください。あなたは祈りに答えてくださる素晴らしいお方であることを信じます。心から感謝します。今日のこの時を心から感謝し、すべての栄光を主にお返しして、尊き主イエス・キリストのみ名によって、この祈りを父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン。

主に大きな賛美の拍手をおささげいたします。