さあ、賛美をささげよう!

ツバメは渡り鳥ですので、南方の方からはるばるやって来ます。アジアのインドネシアとかベトナムとか、もうちょっと頑張ったらきっとカンボジアあたりから来ているのではないかなと思うのですが、だから今のように世界宣教できない時だから、ここで歌って一緒に歌って、被造物に向かってツバメも主に歌え!と言ったら、私たちのできない世界宣教を彼らがしてれくるかなと、最初そんなことを言っていたのですが、その通りになっていったのではないかなと思います。

そんな時に、一つのみことばを見つけました。詩篇八十四篇のみことばです。三~四節、

 

『雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。セラ』

 

彼ら、ツバメたちも心から賛美しているのです。いや~すごいなぁと。この主の教会に、住処を見つけて、やっと長年、七十数年目にして、やっとこの新城教会に巣を作ったぞ!と喜んでいると思うのですが、そしてただ子を産むだけではなくて、そこで主を賛美している。

 この写真が六月十五日の写真です。どうして写真を撮ったかと言ったら、やっと産んで、何匹いるのかなぁと、これをぱっと見た感じ三匹なので、三羽なのかなぁと思ったら、六月十八日、四羽だということが発見されました。

そして六月二十日、だいぶ大きくなりました。成長がめまぐるしいのです。最初、産毛がいっぱいだったのに、どんどんどんどん成長して、そしてやがてどうなったかと言ったら、六月二十日に巣だって行きました。なんとなく寂しくなったのですが、でも昨日の朝、早天祈祷会が終わって、そこを歩いていたら、ツバメが四羽、飛んでいるのです。

 えっ!と思ったら、「ツバメ帰って来た!」と思って、すごく嬉しかったです。それでまたツバメについてちょっといろいろ調べたら、その年のうちに二度、子が生まれる事があるそうです。だからこれから二度目卵を産んで、そして出産して、またさらにこの四羽以上のツバメたちが全世界に出て行く、そんなことがなされるのではないかなと思うのですが、『つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇』、彼らにとっては祭壇なのです。主にささげる賛美の礼拝の場所、『万軍の主。私の王、私の神よ。なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人(ツバメ)たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。』

本当にツバメが頑張って歌ってくれていますので、私たち一人ひとりも主を賛美して、主を礼拝する、そのような者になりたいと心から願います。

 

アブラハムが自分の子どもを主にささげよと言われた時に、絶望の真っ只中でした。そんな中で彼は何をしたかと言ったら、もちろん子どもをささげるためだったのですが、主を礼拝するという行為をしました。そのことが創世記二十二章五節に書かれています。

 

『それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。』

 

でもアブラハムのその時の心というのは、今から行って神さまを礼拝するけども、その子愛するイサクはほふって、そして主に礼拝して、そして一人で帰ってくるはずであったと、心はそう思っていたと思うのですが、でもアブラハム、「主は全てをささげても復活させる、そのような力がある!」という事を信仰を持って、行って帰って出かけて行ったのではないかなと思います。

ですから、『それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。』子どもと一緒に戻って来ると言っているのです。だから本当に私たちも、死を目の前にしてでも、神さまはよみがえりの力があり、全てを回復させる力がある。そんな思いを持って、主を礼拝する、そのような者であり続けたいと、心から願います。

ですから全被造物、ツバメも歌っていることですし、ヘブンズがオープンして一年になって、なんか駐車場もすごく神さまご自身の恵みによって、なんか単なる車を停めるスペースというより、神さまの祝福の場所に変えられているんじゃないかなというふうに、すごく強く思います。

ですから私たち一人ひとりも、アブラハムが持った信仰をもう一度持って、みことばを読んで、そして賛美をささげる、そんな者になりたいと思います。

アブラハムが九十九歳になった時に、主がこんなふうに言っています。創世記十七章一~二節、

 

『アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」』

 

という、そんな約束をしています。この時は死を目の前にと言うよりも、自分を通して子が生まれるという、そんな信仰がどこにあるだろう、現実的にはそのようなことは全くない中で、神さまの前にこのように語られたこと、そのことをアブラハムはアブラムの時代に信じたのです。それが彼の義と認められましたので、主が私とあなたとの間に立ててくださったという、その計画のしるしを信じて、そしてその計画のしるしは、「わたしは、あなたをおびただしくふやす。」それが主の計画です。

私たちの思いでは、昨日の集会もまさかこんなに人が来るとは、全く想像しませんでした。どうなるのか全く読めなくて、特に今回は若い副牧師のお二人が真剣になって準備してくださって、それに奮闘してくださったって、準備してくださって、今までしたことのないことなので、どれだけ人が押し寄せてくるか、全くわからない。ただ一年間の感謝をささげようという中で与えられたビジョンだったので、本当に神さま、何なさるか分からないという中で、主が成してくださったのは、おびただしいほどの人々がここに来るという現実でした。

 

昨日その集会の最中に、一緒にザワメキで演奏していた若いメンバーが、一旦奉仕を終え、会堂や露天をひと回りして来たのですが、興奮して帰って来ました。「こんな新城教会の姿、見たことない!人がどんどん来る!これはリバイバルだ!」と叫んでいました。この神さまがおびただしく増やすと語られたら、主のなさろうとすることで私たちはそれを止めることというのはどこにもないと思います。

ですから主ご自身がこれから成そうとしておられることに向かって、主のご計画を受け取る、そんな者であり続けたいと思います。

 

今日は本当に神さまの前に心から、すべての被造物と共に主を賛美する、そのような歌を黙示録を焦点に歌っていましたけど、でもその歌はすでにダビデ王様も歌っていました。第一歴代誌二十九章で、ダビデ王様が主の前に帰る前に、二十九章十~十三節、

 

『ダビデは全集団の目の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。』

 

そのように書かれています。ですから本当に私たち、ダビデ王様も歌っていた歌を今この時代にも二十四時間、天においてささげ続けられているその賛美に、私たちの心からのまごころの歌もささげていきたいと思います。

イザヤ書五十一章に、こんなみことばがあります。九節、

 

『さめよ。さめよ。力をまとえ。主の御腕よ。さめよ。昔の日、いにしえの代のように。ラハブを切り刻み、竜を刺し殺したのは、あなたではないか。』

 

こんなみことばがありますが、先週、順先生がエリヤについて語っておられて、エリヤが本当に激しい戦いをして、バアルとの戦いに大きな勝利をしたのにも関わらず、「もういいです。もうここまでで十分です。命をとってください。」と、そういった中にも、もう一度主の細いみ声を聞いて立ち上がったように、立ち上がりましょう!という促しをいただきましたけど、もう一度主が、『さめよ。さめよ。』と、私たち一人ひとりに語ってくださっていると信じています。

 

さらにエレミヤ書三十二章二十七節には、

 

『「見よ。わたしは、すべての肉なる者の神、主である。わたしにとってできないことが一つでもあろうか。」』

とあります。主にとってできないことは一つもないのです。その主に、もう一度、この終わりの時代だからこそ、いつどこで何が起こってもおかしくなく、考えられないことが世界中に起こって、そしてこの日本でも起こってしまったという、そんな印象が私たちのうちにありますけども、でもそれらの中で主が立ち上がられて、主が導いておられる中で、「主にとってできないことは何一つあろうか。」このみことばをもう一度握りしめて立ち上がりたいと願っています。このみことばは新約聖書にも語られています。イエスさまが生まれる前に語られた言葉ですけど、ルカの福音書一章三十七節に、

 

『神にとって不可能なことは一つもありません。』

 

そのように書かれていますので、私たち一人ひとり、不可能なことは一つもない主に向かって、さぁ賛美をささげ、そしてみことばに親しんで、進み続ける者であり続けたいと思います。

 

最後にもう一つだけ聖書をお読みします。エレミヤ書四十六章三~五節、

 

『「盾と大盾を整えて、戦いに向かえ。騎兵よ。馬に鞍をつけて乗れ。かぶとを着けて部署につけ。槍をみがき、よろいを着よ。何ということか、この有様。彼らはおののき、うしろに退く。勇士たちは打たれ、うしろも振り向かずに逃げ去った。恐れが回りにある。‐‐主の御告げ‐‐』

 

主は盾と大盾を整えて、戦いに向かえ!と、おっしゃっておられると思います。それに向かって勇士たちが恐れて逃げ去って、後ろを振り向いて逃げてしまったと、そういう風に書かれている、すごく対比的なみことばだと思うのですが、主が私たちの前で今立ち上がってくださって、勇士のように、本当に激しいみ声を、本当に激しく出しておられて、誰もが認める主ご自身が、一歩どんっと大きく足を踏み出しておられる、このような中にあると信じます。

そんな中で今日、順先生ご夫妻は奉仕に出かけられたという、この大きな恵みも本当に心から感謝するとともに、私たち一人ひとりも、もう一度主を見上げて、賛美し、祈る者、そしてみことばを学ぶ者であり続けたいと願います。

一言、お祈りして、最後にもう一度、賛美をささげようと、この歌を歌いたいと思います。ではお祈りさせていただきます。

 

ハレルヤ、愛する天のお父さま。あなたの素晴らしいみ名をあがめて、心から感謝します。もう一度、主よ、あなたを心からあがめ、あなたをたたえ、心から主よ、あなたを賛美します。すべての栄光は、主よ、あなたのものであることを覚えて心から感謝します。あなたは今もこの只中におられることを心から感謝します。力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美、それを受けるにふさわしいお方は、主よ、あなたであること、天の父なる神さま、子羊主イエスさま、聖霊さま、あなたに今、すべての栄光をお返しします。み座に座される方、天の父と子羊とに賛美と誉れと栄光と力が永遠にあることを心からほめ歌います。

私たち、この終わりの時代に生かされて、今ここにいることをあなたが許してくださっていることを信じて、心から感謝します。あなたが私たちの思い以上に立ち上がってくださり、すでに前に進んでおられることを感謝します。あなたに従う者であらしてくださいますように。全てをおささげします。