さあ、賛美をささげよう!

 

ザワメキの働きとしてさせていただいてきたのは、この二年間以上ずっと配信を、月に一度だけさせていただきました。そんな中で、六月のザワメキのライブ配信の中で、二十一世紀キリスト教会の増山先生がメッセージを取り次いでくださいました。その時のメッセージの最初のみことばが箴言二十九章十八節のみことばでした。

 

『幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。』

 

幻がないと、民は滅んでしまうんだよ!ということを、すごく熱く語っておられました。私はこのザワメキの働きが止まるまでは、毎月東京でのザワメキ・ワーシップ・シャウトというのをさせていただき続けて、二十年間、ザワメキの働きを主が導いてくださった中で、必ずこれだけはしよう!と思ってし続けたのが、「東京で毎回毎月賛美しよう。この日本を勝ち取るために、首都東京で賛美しよう!」ということで、毎月毎月ずっと歌い続けてまいりました。百八十九回歌おうとして、百八十九回目にしてコロナでドンッと終わりました。終わったと言うか、そこでストップしました。だからこんなことがあるんだなぁと思っていました。

ですが、その戦いを経て、二年ほど経って、また増山先生とお話する機会が与えられて、「先生!コロナが収まった時には、またよろしくお願いします。」とお伝えしたら、先生が何とおっしゃったかと言うと、「私たちとしてはいつ来てくれてもいいですよ。」と、そうおっしゃいました。でも自分の心の中はなかなかそこまでついていかなくて、時が来たら、時に任せてと、時のせいにして、自分ではなくて、その時が来たら…みたいな思いがありました。

でも先生としては、「ザワメキさんが決めてくださったらいつでもウェルカムしますよ。」と優しくおっしゃってくださいました。そんな中でもうお一人、東京で毎回助けてくださる方と電話していたら、「増山先生はそんなふうにおっしゃってくださった。」と言ったら、「それはそうだろう。あとは開さん。あなた自身の問題だ。」と言われました。それでついに決断をさせていただき、七月から始めよう!ということで、七月二十三日から、また再び東京でのザワメキ・ワーシップ・シャウトと始めることになりました。

今日も週報に記されていますが、その日は教会からバスも出しますので、よろしければ皆さん一緒に行って、日本を勝ち取るために東京に賛美を響かせよう!という働きですので、皆さんも一緒にこの働きを担っていただければと心から願います。本当に神さまが一歩一歩ここまで導いてくださっていますけども、でも私たちの思い以上に、主は熱い思いをもって、激しい思いを持って導いておられると、心から感謝します。

 

今日のメッセージタイトルは、「さぁ賛美をささげよう!」です。先ほど歌った「賛美をささげよう」という、その歌のタイトルにさせていただきましたけど、神さまが「賛美をささげなさい!」と私たち一人ひとりに、「賛美の中にある力がどんなに大きなものかということを知りなさい」とおっしゃっておられるのではないかなと、すごく強く感じます。

この歌詞、もう一度出していただくと、

「主イエスにささげよ 賛美 喜び躍って歌え」、

コロナのただ中では喜んで踊って歌うということは、なかなかできなかったと思います。お家で踊っておられた方もたくさんいらっしゃるかもしれないですけど、でもまもなく主が来られるので喜びを奪って迎える。これが主が私たち一人ひとりに今願っておられることと信じます。

 

そして今日のみことばは、この賛美の下のほうに、「力と富と知恵と勢い 誉れと栄光 すべての賛美を受けるのにふさわしいお方」は主ご自身であり、天に座されるお方ということで、そのことに対するみことばが今日のテーマになっています。もう一度お読みしたいと思います。ヨハネの黙示録五章十一節~十四節、

 

『また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。』

 

神さまのみ前に、主が造られたあらゆる被造物が、天のみ座に座しておられる父なる神さまに、そしてその右におられる子羊主イエスさま”ほふられたとみられる子羊イエス”と書かれていますが、「ほふられたとみられる」というのは、どういうことかと言いますと、ほふられたのです。しかし今も生きておられて、よみがえられた主イエスさま、その方が、ほふられたそのままで、ほふられた形のままで、天の父なる神さまの右に座されて、世界の王、宇宙の王として座しておられます。

さらにみ座は七つの燭台があるのです。その七つの燭台というのは、聖霊さまのことで、七つの教会に遣わされる聖霊さまの働きがそこにあるということが書かれています。私たちはそこに向かって、み座に向かって賛美をおささげすることが今日のテーマです。このみことばのテーマは、昨年秋にもここで一度開いたことがあるのですが、もう一度、主が、「さあ、賛美をささげなさい!」とおっしゃっておられると信じています。

 

このような中で、主が新しい領域を開いておられて、今日のテーマは特に黙示録のみことばからだったのですが、黙示録を見ていくと、最初に、黙示録一章一~三節、

 

『イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。』

 

この黙示録の黙示という意味の中には、「覆われたものをあらわにとすること」という意味があるそうです。主は、賛美を持って、この地の覆いを取り除ける働きを始めようとされていると感じています。

そんな中で、この黙示録の時代に私たちがすべきこと、さぁ賛美をささげることと、さらにこの七月から、新城教会に新たな事が突然、予告もなしに不意に始まったので、皆さんもとてもびっくりされたかもしれないのですが、実は、私も驚いています。なぜなら主が始められたと感じているからです。その一つが「モーニングバイブル」もう一つが「モーニングプレイズ」でした。この突然の始まり方が本当に神さまだなと、すごく強く感じています。

先ほどのみことばの中に、『朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。』とあります。『朗読する者』、これは単数ですね。『それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々』というのは複数ですので、一人の人が朗読して、それを聞いてそこに心を留める者は幸いだ。『時が近づいているからである。』

この終わりの時代に神さまが突然「モーニングバイブル」を始めてくださったというのも、すごく大きな神さまのご計画だなぁということを、すごく強く感じます。

こんなことをある兄弟とお話ししていたら、特にこの『朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。』このみことばで一人の人を思い出すと言うのです。誰を思い出すかと言ったら、私の母だと言うのです。滝元清子のことを思い出してくれるというのです。どうしてかと聞くと、昔母が、小さな集会でメッセージをしていたそうです。その時にこの黙示録の一章一節からの所を話して、この三節のみことばで『朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。』「だから朗読することは幸いですよ。」と言われ、いつのどこの集会か分からないけど、ずっとそれが心に留まっているとお聞きし、改めて、それが今回始まっていることが、本当に神さまだと思います。

そして、もう一つの「モーニングプレイズ」今朝も新城中部地区の家庭集会の皆さんが賛美をしてくださいました。とっても恵まれ、本当に大きな神さまのご計画があると信じて心から感謝しています。

 

神さまはさらに私たち一人ひとりに、「さぁ賛美をささげよう!」とおっしゃっておられるので、心から賛美する者でありたいと思います。すべての被造物が主を賛美しています。ですからみ使いも賛美していますし、天に先に帰えられた私たちの信仰の先輩たち、世界中の聖徒たちも心からその賛美をささげ続けています。

そしてすべての被造物、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、その中にある生き物までが主を賛美しているのです。これが時々賛美されて、この時間は神さまを賛美する時間で、この時間は天国のお花畑でゆっくりする時間で、この時間は交わりの時間、とかそうではなくて、二十四時間、ずーっと主のみ前に賛美がささげられています。私たちも終わりの時代に生かされていますので、この黙示録の賛美の時代に生きていますので、心から主を賛美していきたいと思います。

 

この黙示録の賛美ということで、いろんなことを勉強している中で、インターネットでそのことを語っておられる方がいらっしゃいました。すごく強く熱く語っておられて、いや~、すごいいいメッセージだなぁと思って、どこで語っているんだろうかと思ったら、二〇一五年に語られていたのですが、この場所からでした。今日は奥様が来られていますけど、山崎ランサム先生がこの場所で語っておられて、「ですから霊とまことを持って、二十四時間、天のみ座でささげている賛美を私たちもささげましょう!」と、その時から語ってくださっていましたけど、私たち一人ひとりもそのような生き方をさせていただきたいなと、二十四時間いつでもどこでも、主をあがめて、イエスさまだけを見つめて、賛美を主におささげしたいです。賛美は、主に向かっておささげするもので、そこから何かいただくためにするものでもなんでもないのです。賛美したら気持ちよくなるとか、賛美したらなんか元気になって癒されたし感謝!だから賛美しましょうというのではなく、心から霊とまことを持って、私たちの全てをおささげするという、そんな賛美をささげ続ける者となるために、もう一度賛美したいと思います。

 

ちょっと話は変わるのですが、この教会に、五月にツバメが来るようになりました。毎年のように飛来するのですが、よく父の住んでいた玄関にツバメが巣を作ろうとします。父は動物愛好家だったので来たらすぐに棚を作ったりするのですが、下がフンだらけになるので、父もいろんな人々からの迫害を受けて、いつしかそれを撤去せざるを得なくなって、それはツバメを受け入れることは実現しませんでした。

そんなことで、いろいろな所にツバメが来るのですが、この新城教会、被造物と共に歌いましょう!とか言っておきながら、ツバメの巣が完成に至ることは一度もなかったのですが、今年も来て、なんと、ご存知の方もたくさんいらっしゃるかと思うのですが、教会とプレイズホールの間の通路の会堂側にツバメが巣をかけました。すごく綺麗完成しようとしていたところ、なんと、忠実なスタッフの皆様は、「それじゃぁそういうことで撤去しましょう。」と言っていました。でもそれあまりにも綺麗に作り上げ、ツバメたちは気長に何度も行ったり来たり行ったり来たりしてやっと出来上がろうとしているのに、「撤去?それはちょっとどんなものだろう?」と意見を述べさせていただきましたら、止めてくださって、結局、教会としては毎日のように糞を片付けながらですが、そこでツバメたちが巣を作って、そしてそこで子を産むという、その祝福がこの会堂の片隅で起こりました。