ニューイヤー・セレブレーション

“それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。”

と二〇一七訳ではあります。福音の対象は「者」、人です。これを読めば福音は人だけのものと解釈します。しかし原文を見ると違うのです。
今回訳された聖書は、どう訳しているのかというと、

“すべての被造物に福音を宣べ伝えよ。”

と正確に訳しています。訳する人が、人だけに限定してしまったわけですが、その結果、福音は縮小され、矮小化されました。福音は、人から始まるけれど、すべての被造物に対するものです。

“天地よ主をほめたたえよ。海とそこにうごめくすべてのものも。”

私は奇跡の植物を持っています。家内が今から一年半位前に鉢植えした花たちですが、枯れても再生し、また再生し、現在、四回目です。
彼女は召される前、病床からも、「主を賛美しよう!主を賛美しよう!」と花たちに命じていました。すると家内が召天後も花が咲き続けているのです。今朝の享子花、見てください。

 こんなにも美しく咲いています。四回目です。私が世話出来るわけがありません。時々、家内に代わって花たちに、「主をほめたたえよ!賛美しろ!」と命じています。
この花たちは、私を慰めるためなのか、切り株から芽が出ている感じです。枯れても、四回も再生しています。家内の母は八十九歳ですが、草花に詳しいです。「すごいね。すごいね。不思議なことが起こっとるね。こんなことありえん!」と感動しています。

最近、この教会で、家庭菜園とか、農業を始められた方々がおられます。新城教会で農業をやる事はいいと思います。プレイズも農業部門に進出するか否か、今、祈っているみたいです。主を賛美しなさい!と、様々な農作物に命じたら違うと思うのです。
近頃一人の方が農業を始めました。この間、「今、何作ってる?」と聞いたら、ネギを作ると言うのです。初めて作るというわけです。それで生計を立てようというのですから、なかなか勇気があると思って、彼の為に祈っていました。
昨日、私の家の玄関にネギが置いてありました。これで鴨が来れば完璧ですが、すごく良く出来たネギでした。写真も送って下さったのですが、見てください。初めて作ったというのですが、大豊作でした。彼はいつも農作物たちに話しかけ、「愛しているよ!賛美しよう!」と声をかけながら育てています。すると、こんなにも豊かに実ったのです。福音が被造物全体のものであることがわかります。

 私たちが被造物とともに、「主よ。来て下さい!遅れないでください!」と叫ぶ時、主は再び帰ってくださるのです。現在、被造物全体が人類とともにうめいています。

またもや、少年たちの話しですが、土曜日には、毎週、彼らととりなしの祈りに行くことにしています。残念ながら、先週、一人は来ませんでした。どうも宿題ができてなくて、来られなかったみたいで、一人だけ来ました。しかし、その少年、夜中の十二時ぐらいにムクッと起き上がって、「腹減った」と言うのです。「なんか食べ物はないか?コンビニに連れて行ってくれ。」と言うのです。私が冗談で、「じゃぁ、今からすき家に行くか?」と言ったら、「いいね!」と立ち上がって着替えを始めるのです。それで私、人生で初めて、すき家に十二時過ぎに食事に行きました。帰ったら十二時半過ぎになりました。誘拐犯に疑われそうでしたが、数人のおじさんたちが食べていました。

先日も彼らと祈りに行きました。

ここは古来から悪霊を招く祈祷が行われている気味の悪い場所です。少しだけ写っていますが、この場所の木々はねじ曲がっています。森全体が蛇みたいになっています。なぜ、この場所の木々だけがねじれなければいけないのかと思います。彼らはそれを見て、「ひどいなぁ。かわいそうだな・・」と話していました。「中に悪霊がいるのかな、触りたくない!」とか初めは言っていましたが、「この木の為に祈ってあげなくちゃ」と、彼らは真剣に、「この木はうめいています。主を賛美するように!」と祈っていました。
木などを見て、「うめいている」と感じたら、祈ってあげてください。うめきから解き放たれて、主を賛美するように。「主よ。遅れないでください!」と木々は叫んでいるに違いないです。
二人の少年たち、なかなか霊的に敏感です。一晩寝ると必ず、夢の中でイエスさまがいろいろ語ってくれると言うのです。夢の中でイエスさまから語ってもらえるなんて、いいですね。私は一年経っても家内の夢さえほとんど見たことがなくて、少しぐらい出てこいよみたいなところがありますが、彼らは、毎回、我が家に泊まると、イエスさまが夢の中で語ってくれるそうです。

一人の少年に、「昨晩、どんな夢見た?」と聞いたら、「夢の中に、祈りに行った森が出てきて、今まで見たことがないほど輝いた森になっていた。」と言うのです。「あんな綺麗な森を見たのは初めてだった!」と言いました。主は、祈った後、回復された森の夢を見せてくれたらしいのです。
もう一人の少年にイエスさまは、「わたしは地上に戻りたいけれど、お前たちが悪霊どもをやっつけないと、なかなか帰れない。だから、悪霊どもをやっつけろ!」と夢の中で語られたそうです。彼らは聖書もよく知らないのに、なかなか深いことを話します。
み言葉に照らし合わせると、実に、その通りです。

コリント人への手紙 第一 十五章二十三~二十五節
“しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。”

とあります。イエスさまのお帰りの日は、霊的戦いの終結の日です。その日までイエスさまと教会が一つとなって、「あらゆる支配、あらゆる権威、権力」すなわち、悪魔の組織に立ち向かい勝利しないと、イエスさまは、国を父なる神に返すことができないのです。
教会が霊的戦いを行わないなら、イエスさまは帰って来られないのです。
主は、少年たちに実に深いことを語られています。その理由は、少年たちを使って、私たちに真理を教えたいからです。
主が帰られる必須条件は、悪魔・悪霊どもに立ち向かい、勝利することです。

日本は一九四五年八月十五日に太平洋戦争に負けました。しかし勝利の連合軍司令官、マッカーサーが日本の厚木に到着したのは、約二週間後の八月三十日でした。十五日に戦いは終わったのですが、司令官の日本上陸は八月三十日でした。なぜ二週間のギャップがあったのか。それは、日本国内にゲリラがいたからです。日本にもハマスみたいなのがいたのです。それは厚木飛行場の航空隊がゲリラ化して、戦争終結を阻止しようとしていたからでした。
しかし二週間の間に、厚木のゲリラ部隊が滅ぼされて、安全が確保されたから、その証拠として、司令官マッカーサーは厚木に降り立ったのです。
その日から、GHQ支配が日本に始まりました。

イエスさまは十字架で勝利を取ってくださり、サタンとの戦いは終結しました。しかし今、なぜイエスさまのお帰りは遅れているのか。それは地上軍である教会が、サタンの残党に対しての戦いを忘れているからです。
主に帰ってきていただくために、霊的戦いを忘れてはならないのです。戦い続けなければいけないのです。

このような条件を踏まえ、「主は大いなる方!遅れないでください!主よ。」と叫ぶならば、主は来られると信じます。

今年、世界はさらに混迷を深めることでしょう。私たちクリスチャンが、被造物と一緒に、「主よ。遅れないでください!」と、主の前に出る時、主は帰ってくださるのではないかと期待しています。今年が、「主の再臨の年」になる事を期待したいです。
このメッセージが、私の思いではなく、主から来たものであることを期待します。

今日は年の初めということで、聖餐式礼拝となっています。イエスさまの十字架の勝利を宣言する、聖餐式を行います。聖餐式はパンとブドウのジュースをいただくだけのように思いますが、すごく深い神秘があります。聖餐式は聖なる神の世界と、人類と被造物の世界が重なる瞬間です。
ヤコブが枕した地名が以前はルズであったのが、ベテルへと変えられたように、天と地が一つになる。天上の勝利の教会と、地上の戦う教会が一つになる瞬間です。再臨を迎えるにあたって、欠かせないのが聖餐式です。

“感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。”(コリント人への手紙 第一 十一章二十四~二十六節)

今からの聖餐式において、天と地が結ばれますように。今年、何が起こったとしても、天と繋がっているなら恐れることはありません。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。今日は聖餐の時を許していただき、心から感謝いたします。主よ、今ここに備えられたパンとブドウのジュースを祝福してください。今日は聖なる神の世界と、人類・被造物が繋がる瞬間となりますように。
このパンとブドウのジュースは、イエスさまとの新しい契約です。イエスさまは、死なれました。やがて来られます。遅れないでください。
尊いイエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。