Living Water ― 生ける水 ―

このメッセージの初めに、ヨハネの黙示録22章1節から3節を読んでいただきました。ヨハネの黙示録とは「これからイエス様が何をなさるのか」「どのように御国を確立させるのか」ということが書かれています。今からもう一度この箇所を読みますが、その前に二つのことを考えていただきたいです。

一つ目は、ヨハネの黙示録に書かれている言葉が、いかにエゼキエル書の言葉に近いかということ。 そして二つ目は、この水が「人によってなされていることではない」ということです。誰かが水を持ってきて注いでいるのではなく、神様自身がこの水を作り出しているということを考えてみてください。ヨハネの黙示録が書き留められる何百年も前に、エゼキエル書の中ですでに同じことが書かれていた、そのことを覚えてください。

1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、 2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。 3 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、

1節では、この川は「神と子羊の御座から流れ出ている」と書いてあります。イエス・キリストと父なる神は、神殿の後ろ側に隠れてはおられません。神様は私たちと共におられる方で、すぐそこにおられる方なのです。そして回復させる水は、都の大通りの中央へと流れ出ていました。

この川の両側には木がなっていました。ただの木ではなく「いのちの木」と書いてあります。このことは、私たちを「エデンの園」へと戻らせるものです。私たちはかつて、エデンの園にあったいのちの木から断絶されました。ですから、この箇所は「すべてが回復される」という回復のことを語っているのです。私たちに約束された回復です。

このことは「将来いつか起こること」というより、今すでに起こっていることなのです。諸国の民を癒やす水と葉は、今もうここにも存在しています。3節に書かれている言葉は、サタンが打ち砕かれていることを示しています。なぜなら「もはや、のろわれるものは何もない」と書かれているからです。私たちが神様を完全に知るのを妨げるものは、何一つありません。

この約束は、私たちに与えられています。ですから、この約束を聞くとき、「諦めないでください」と言いたくなります。何が起こっていたとしても諦めないでください。敵は打ち砕かれていて、神様がこのことを約束してくださっています。私たちはこの御座の周りに立ち、そこに子羊がいて、他の聖徒たちと共に神様を自由に礼拝することができるのです。

今日の賛美は素晴らしかったですよね。しかし、あの素晴らしい賛美もまだ始まりにすぎません。私たちは、これから来るさらに素晴らしい賛美を(今ここで)味わっているのです。私たちは神様の完全な臨在の中にいることになります。

今、すでに素晴らしいことが私たちの周りになされています。しかし神様は、これからもっともっと素晴らしいことを約束してくださっています。今日、この世界で何が起ころうとも、私たちの未来は素晴らしいものです。私たちはその素晴らしさを、今、言葉で説明しきることはできません。それは私たちの理解を超えたものです。 その未来は、私たちが生きるにふさわしい、人生を捧げるのにふさわしいものです。私たちが賛美するのにふさわしいものです。

皆さんのために一言お祈りしたいと思います。聖霊によって回復されて、私たちのアイデンティティも回復させていただきましょう。

(祈り)

イエス様、私たちの人生の中で、また私たちの周りの世界の中で、あなたが働かれていることを見せてくださって感謝します。私たちが壊れた状態のまま見捨てられなかったことを感謝します。 あなたの恵みと聖霊を通して私たちを力づけ、あなたと歩むようにさせてくださったことを感謝します。私たちに回復を与え、賜物を与え、前に進む力を与えてくださったことを感謝します。

この教会と集う人々を感謝します。ここに集っておられる方々、またインターネットで聞いておられる方々を感謝します。どうか彼らを祝福してください。彼らが忠実にあなたに仕えてきたことを感謝します。

主よ、どうかこの国のために祈ります。この国の人々のために、あなたが回復を与え、あなたのもとへと導こうとされていることを感謝します。主よ、どうか敵の策略を退けてくださって、あなたの御前に歩むことができますように。 あなたの祝福をこの教会に宣言します。イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン。

ありがとうございます。