〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
2023年クリスマス礼拝 絶望からの希望

僕たちがいつも食べている動物たちも、全部その命から人間が栄養をもらっているので、かわいそうだけど感謝もしたいです。駆除したシカも感謝して、解体して、肉にして食べます。こうやって人間は生きています。自然界のバランスを保つには、人間が自然界の管理人として、時にはその動物や植物を駆除したり増やしたりすることも大切です。

この作文が新城市の教育委員会賞として選ばれました。新城市も、人が被造物の管理人だということを理解しているのが嬉しかったです。この少年は誰でしょうか?人が被造物の管理人である事を、ちゃんと理解していてすごいですね。

イエスさまがこの地上に来てくださった目的は何か、それは人が本来持っている機能を正しく回復するためでもあるのです。
聖書の中にこんな言葉があります。

“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。”(イザヤ書 四十三章四節)

「わたし」とは、イエスさまのこと、神さまのことです。「あなた」とは、私たちです。神が人を愛してくださっているというのです。
日本人には「神に愛される」という概念はありません。アジア一般の宗教も同様です。自分が拝んでいる対象が、良い存在か、悪かで分類すれば、すべて悪い存在です。祟りがあるから祀らなくてはいけないという考えです。時々、ネパールの山の中に行きますが、彼らは山の神だったり、森の神だったり、動物神を恐れて生活しています。それらが自分たちに危害を加えないよう、生け贄をささげて真剣に祀るわけです。彼らは霊的存在を体験的に固く信じています。彼らの周りには、何らかの霊的存在が蠢いているのです。しかもそれらは、良い存在ではなく、彼らに害を与える存在なのです。
けれども聖書に描かれている神さまは、苦しめる存在ではなくて、愛してくださる存在です。日本人がクリスチャンになると、神は害を加えるのではないかと考える傾向がありますが、愛してくださるお方です。
イエスさまは神でしたが、地上に来てくださいました。それは人間が、「すべてのものを支配するよう」にと、被造物の管理人という、人に与えられた機能とも関連しています。人間が正しく機能しないと、他の被造物もおかしな方向に行ってしまうからです。人間を愛し、人間を助けるために、人間の姿をとって、神が地上に来てくださったのです。
遺伝子的に、人の遺伝子は、二万三千個だそうですが、ミジンコの遺伝子は、三万一千個だと以前もお話ししました。神は人間よりもミジンコに力を入れて創造されたことになります。
では、なぜ人を愛してくださっているのかと言うと、人間が正しい位置につかないと、神が造られたすべての被造物が混乱し、滅びの方向に向かうからです。地球環境には、すでにその事が起こっています。人間を正しく導かない限り、全被造物に救いはありません。それで神は、人の姿をとる必要があったわけです。
時々、アリの行列を見る事があります。アリが向かっている先にアリ地獄があるとしたらどうですか。アリに向かって、「アリさん!そのまま行くと、アリ地獄に落ちちゃうよ!方向を変えなさいよ!」と大きな声を出しても無駄です。アリに伝えたかったら、アリになることです。ありのままの姿で、アリ語で、「危ないよ」と話したらわかるのではないでしょうか。
イエスさまも同じことをして下さったわけです。私たちに「危ないよ!アリ地獄があるよ!」と告げて下さいました。人間にはアリ地獄のような敵がいるのです。

近年、戦争が多く発生していますが、戦争は人類の歴史の根源から存在しています。なぜ人は戦うかと、いろいろ研究がなされているのですが、なかなか結論が出ないのです。一つ言えるのは、戦争には人間の本能が関わっているのではないかという事です。
人間は動物を駆除したりする、管理能力があります。それは本能的なものです。
自分の周りにいる、「駆除した方がいい!」と思われる民族に対し、本能的に牙をむく性質があるという意見もあります。人には隣人愛もありますが、「皆殺しにしろ!絶滅せよ!」という残酷な面も持ち合わせています。どうしてかと言ったら、人間に与えられた特性が関与しているからです。
しかし本来、本当に駆除しなければならない対象とは何か、それは、見えない敵である「悪魔・悪霊ども」なのです。人類は、それらに対して駆除本能を向けなければならないわけです。そうでないと食物を得るために、食物連鎖しかないように、人間も、他の動物たちも、他を殺すことしか生きるすべがないのです。また、人間だけの平和を保ったとしても、動物との平和など実現するはずはありません。現在、地球環境はどんどん破壊されています。

イエスさまのお生まれの目的は何か?
先ほど読んだ箇所は、すごいことを告げていました。わかりやすくリビングバイブルで読むと、

“その日には、狼と子羊がいっしょに寝そべり、 ひょうと子やぎは大の仲良しになります。 子牛や丸々太った家畜がライオンの間にいても心配はなく、小さい子どもがその群れを追って行きます。牛は熊の間に割り込んで草を食べ、その子らはじゃれ合い、ライオンは牛のように草を食べます。赤ん坊が毒蛇の間をはい回ってもかまれず、小さな子供は平気な顔でまむしの巣に手を入れます。神様の聖なる山のどこででも、傷つけたり危害を加えたりするものは一つもありません。水が海を満たすように、神様を知る知識が地にあふれるからです。”(イザヤ書十一章六〜九節)

イエスさまが地上に来た目的は、人類だけの救いではないのです。動植物も含めて、なんとお互いに危害を加えることがない世界の実現の為なのです。
皆さんの中に、ペットを愛しておられたり、動物が大好きという人もおられると思います。野良猫や野良犬が殺処分されるのは見るに耐えないですよね。どうしたらいいのかと。
それには秘訣があるのです。人が救われると、正しい方向を向くようになるのです。その行く末は、動物も植物もすべてを含めての、最高の地球環境が待っているという事です。一人の救いが世界を救う方向に導くのです。
地球環境を良くするためには何をしたらいいのでしょうか。まずは、あなたが神を信じて、向きを変えることです。そのような人が大勢になったら、絶望的な社会から、希望の社会、それも人間だけに特化された社会ではなくて、神が造られた被造物全体を含む幸せな未来が約束されるのです。

聖書の救いの概念って、むちゃくちゃ幅が広くて深いです。クリスマスって、目の前のチキンを食べて満足するぐらいしか理解がないですが、実は、救い主の誕生は、それほどまで大きな意味があるのです。それをイザヤが、イエス誕生七百年前に預言していたというのも、すごいことです。

クリスマスのテーマは、「絶望からの希望」です。人生には、絶望的な状況が訪れる時があります。
去年の今頃、私はある意味、絶望的な状況でした。切り株になったような気分でした。
今日は十二月二十四日ですが、去年の十二月二十日は、何があったのかと言うと、この場所でこんな集まりがありました。
 それは家内の召天式でした。俗に言う「葬式」です。家内が亡くなって、私は切り倒されたような心境でした。
召天式の司式を誰にしてもらおうかと祈ったら、やっぱり自分でやった方がいいような気がしました。それを家内も望んでいるような気がしたので、家族に話したら、「そんなの、できっこない!泣き伏してしまうんじゃない?」と言われました。
しかし、結構、ちゃんと出来ました。それで家族からの評価が上がったのですが、内心は「切り株状態だな・・。これからどう生きたらいいのか・・。」という心境でした。その事について、先週もお話ししました。

しかし主に信頼する者には、「絶望からの希望」というテーマ通りに、切り株から芽が出るのです。一年を振り返って、私も体験的にお話しできます。
あなたにも、様々な試練があるもしれません。しかしイエスさまが来てくださった目的は、切り株から目を出させ、実を結ぶまで回復する為です。

今年の私にとっての切り株からの芽は、これではないか?と思います。
 まさか新しい命が誕生するとは、思いもよりませんでした。私を慰めるために、神はもう一人の孫を加えて下さいました。
「My 1st Christmas」、いいでしょ。私がプレゼントしました。中国のネット通販で五百円ぐらいで買いました。まさかこんなにかわいい子が産まれ出るとは、夢にも思いませんでした。切り株状態でも、神はその人に応じた慰め・励ましを与えてくださるのです。
何か苦しい事があったら、イエスさまに期待していただきたいです。

家内が昨年の秋、自分で花を買ってきて鉢に植えて、毎朝声をかけて大切に育てていました。それは家内の召天後、無残にも枯れてしまいました。

しかしそれが後に芽を出し、再生して花を咲かせたのです。前回「三度目の花が咲きました!」と報告しました。それは十月頃だったかな・・。しかしそれもその後、枯れてしまいました。
 でもなんと、今回、四度目の記録更新です。私にはうまく育てる能力は全くありません。けれども、主が天使を送って、特別、この花たちを祝福しておられるかのようです。私の切り株に花が咲いているのです。身近なところからも、神は私に慰めを与えてくださっています。

聖書は、一人の人物が生まれ、彼の行く先々に神の国が現れて、復活を通して、やがて人だけでなく、すべての被造物が調和して生きる世界の実現を預言しています。

“わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。”(イザヤ書 十一章九~十節)

「彼」とは、イエスさまです。いつも話していますが、実際に動いている歴史のただ中に、神が人となって生まれるというストーリーを埋め込むのは、至難のわざです。日本の宗教のように、神話の世界ならまだいいです。しかし神話ではなく、現実の歴史のただ中に、それも当時の世界の覇者であった、ローマ帝国の支配の下に救い主が誕生したことは、ねつ造やでっちあげではあり得ない、事実なのです。

イエスさまが救い主であることは間違いありません。ぜひとも、あなたの神として、イエスさまをお迎え下さい。
人間は絶対的存在によりかからないと生きることはできない存在です。イエスさまを自分の神とするならば、あなたの切り株に芽が出て花が咲きます。その決断が、最高の世界につながるのです!

それはイエスさまがもう一度、地上に来られる「再臨」の時に実現します。それまでに、アリ地獄のような、悪魔・悪霊どもと戦って、駆除しなければいけないのです。それらを、真の駆除対象にしなければいけないのです。

今日はこうして、クリスマスをお祝いしておりますが、イエスさまが来てくださった目的をしっかりと理解し、また、個人的にも同じテーマで関わってくださること信じていただけたら幸いです。

皆さんの人生、人類の未来、すべての被造物の将来には希望があります!
最後に一言お祈りして、クリスマスメッセージに代えさせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。イエスさまがこの地上に来てくださった目的についてお話ししました。今世界は切り株のような状態になっています。主よ、もう一度来てください。もう一度、この地に来てください。私たちを救い出してください。
今日ここにおられるお一人一人が、イエスさまを自分の救い主として信じることができますように。

今、お祈りの途中ですけれど、イエスさまを心に迎える祈りをしましょう。私が祈りますから、私の後についてお祈りしていただきたいです。ではお祈りしましょう。

イエスさま、私の人生に来てください。私の切り株に、今日から芽が出ますように。将来と希望を与えてください。私の人生が、被造物全体の救いに繋がりますように。
尊いイエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。