大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
教会とは何でしょう?

偶像の背後に悪霊がいるということを、どのくらいの人たちが気づいているでしょうか。多くの人はそれを単なる文化や習慣だと思っていますが、そうではありません。偶像礼拝のただ中に、悪しき力が働いているのです。そして教会は、その敵の門前に建てられているのです。
古代の人たちは岩を神格化して拝んでいました。かつて日本でも同じことが行われていました。しかしイエスさまは、「この岩の上にわたしの教会を建てる」と語られました。揺るがない岩とは、イエスさまご自身のことです。敵を踏みつける形で教会は建ち、ハデスの門もそれには打ち勝つことができないのです。教会は霊的戦いの最前線です。

人々がなぜ悪魔の支配下に陥ってしまうのか。それは、イエスさまを知らないからですが、私は今年韓国で四回ほど奉仕をさせていただきました。韓国には教会が多いですが、やはり多くの戦いもあります。その戦いの中で、教会は非常に苦慮している様子も見られます。異端教会も多くあって、時には見分けがつかないこともあり、本当に危険です。
私はいつも韓国で話すことがあるのですが、なかなか話すのに勇気がいるテーマです。悪魔がイエスさまを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せてこう言いました。

「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」

ここからもわかるように、世界の国々は悪魔の支配下にあるのです。世界中でいろいろ悲惨な問題が起きるのは当然とも言えます。

なぜ世界が悪魔の手に渡ったのか。悪魔はイエスさまに「もしひれ伏して私(悪魔)を拝むなら、これらすべてをあなた(イエスさま)にあげよう」と言いました。悪魔は、イエスさまが神の子であることをよく知っていました。イエスさまが悪魔を神として拝むはずはないことも承知の上で、ただ「ひれ伏してくれればいいんですよ。」と取引を提案したのです。「ひれ伏して拝むのならば、」とありますが、礼拝とは、「ひれ伏す」行為でした。アクションなのです。悪魔はイエスさまに、「ただひれ伏してくれ」と言いました。礼拝とは、元々「ひれ伏す」という言葉から生まれたものです。「俺の前にひれ伏すだけでいいんだ。そうしたら国々をあげるから」と、悪魔はイエスさまと取引を持ちかけたのです。
実はこの「ひれ伏す」という行為を通して、人は悪魔の支配下に陥るのです。

私が韓国でこの話をすると、皆はとてもショックを受けます。なぜなら韓国では、「ひれ伏す」行為が儒教文化として根付いているからです。

いろいろな宗教がありますが、「ひれ伏すスタイル」の礼拝スタイルを持っている国々を見てみてください。まずはイスラムです。イスラムでは、必ず日に何度もひれ伏します。イスラムは今、日本にも大きく広がっています。彼らは自分たちの礼拝スタイルやライフスタイルを絶対に変えません。
例えば、空港にある「プレイヤールーム(祈りの部屋)」を見たことがあるでしょうか。それはイスラム教徒のための部屋です。今や公立の大学でも、留学生の中にイスラム教徒がいることから、プレイヤールームが設けられていることがあります。
先日、あるクリスチャンの学生が大学で聖書研究会を開こうとしたところ、大学側から「宗教活動は禁止です」と言われたそうです。しかし、その学生は頭が良く、大学内にイスラム教徒のためのプレイヤールームがあることを知っていました。そこで、「イスラム教徒が祈るのは許されて、クリスチャンが祈るのはなぜダメなんですか?」と質問したのです。すると大学側は慌てて「検討させていただきます」となり、最終的にロビーで聖書研究会を開くことが許可されたという話です。

イスラム教徒は自分たちの礼拝スタイルを絶対に変えません。アッラーの神と聖書の神は全く違います。ひれ伏してアッラーを礼拝すれば、悪魔に権威が渡るのです。その結果、一人の宗教指導者に権威が渡ってしまいます。イスラムの国々では、国の権威は大統領や政治家、国民ではなく、一人の宗教指導者が実質的に国を支配しています。
同じように、チベット密教も「五体投地」といって、全身でひれ伏す礼拝が行われます。結果、ダライ・ラマという宗教指導者にすべての支配権が渡っています。

そして「もう一つひれ伏すライフスタイルがあるのです!」と、いつも韓国で話すのですが、韓国では先祖の霊と称する前に、文化習慣ということで、ひれ伏すのです。それは悪魔にひれ伏すことです。北朝鮮と韓国は分断されているように見えますが、統一しているのです。それは先祖崇拝によって統一しています。年間二回、チュソクとソルラルに、北朝鮮と韓国では同じ時刻に、同時にひれ伏す儀式が行われます。そうすればどうでしょうか。悪魔が一人の人物を選んで権威を与えるのです。それが金正恩ではないでしょうか。私は日本人なので、そのことを語ることができます。微妙な話題でもありますが、「南北問題は霊的な問題だ!」と気づき始めているのではないかと思っています。

世界を悪くしているのは誰かと言ったら、決して政治でも、文化でも、習慣でもありません。それは悪魔とその組織、悪霊どもです!それに打ち勝つことができるのは、敵の面前で「あなたは神のみ子キリストです!」と宣言した人たちによって形成された教会によって、勝ち取られるのです。
今様々な問題が起きていますけれど、祈りによって、それらが打ち破られるのを期待しています。

教会は決して教室ではありません。ただ大きなファミリーでもありません。戦いのために召し出された者たちの群れであることを知って、歩んでいきたいと心から願っています。

今日読んだ聖書の箇所に、イエスさまが地上に来られた目的、また天に昇られた目的が示されていました。そして「こうしてキリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師または教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」とパウロは告げています。
教会には、それぞれ賜物が与えられていて、キリストご自身が、「ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師または教師として立てた」とあります。教会の中に霊的役割と組織があるのは、時に、人間的組織のように感じるのですが、それは聖霊による組織であるという理解は実に重要です。

今、韓国でも、日本でも一つの問題があります。韓国は教会が日本以上にしっかりとした組織を持っています。しかし、それを「教会の中に組織なんていらない」と感じる人もいるのです。特にコロナ禍以降、教会がばらけて、「自分たちで小さなグループを作って集まれば、それで教会ではないか」と考える人たちが増えているのです。「二、三人がわたしの名によって集まるところにわたしもいる」と聖書に書かれているから、大きな組織なんていらない。そう言って、教会を離れ、小さなグループを作って、喫茶店やロビー、あるいは家庭で集まる人たちが増えています。そして、「牧師がメッセージを語る必要はない。みんな自由に語ればいい」と主張します。
また、「献金なんてしなくてもいい。十分の一なんておかしい・・」といった考えを持つ人たちが多く出ています。日本にもその傾向が強くあります。

しかし、これこそ、悪魔の策略です。なぜならば教会の組織が崩れると、賜物が霊的・有機的に繋がらなくなり、教会は悪魔に立ち向かえなくなるからです。

韓国では、ほとんどの男性が徴兵制により軍隊生活を経験しています。そのため軍隊の組織についてよく理解しています。もし軍隊が「組織なんか廃止して和気あいあいとやりましょう」「上官も下官もなく、平等な関係でやりましょう」となったらどうなるのでしょうか。軍隊ではなくなり、戦えなくなります。「戦争が始まったら、命令は無視して自由に弾を撃ってください」なんて言ったら、どうなるかということです。瞬間的に敵にやられます。

軍隊には非常に厳格な組織があり、命令伝達の機能があり、兵士たちすべてがその機能に同意した時、最も有効に敵を倒す事が出来ます。チェ先生の息子の一人は、特殊部隊に所属しています。特殊部隊がどれだけ完璧に組織化され、整えられているかということです。
何千人もの応募者の中から、ほんの百人ほどが選ばれ、さらに厳しい訓練を受けた精鋭たちが集められています。戦争が始まれば、彼らは最初に派遣される部隊です。それができるのは、組織があるからこそです。

霊的には教会も同じです。
明治期にジェームズ・バラにより、日本にリバイバルが起こったのですが、その後、教会が崩壊しました。それはたった一人の人物によるものでした。
それは明治期にイギリスから来日したプリマス・ブレザレンの宣教師、ハーバート・ブランドという人物によって引き起こされました。彼が来日したことで、当時の教会が、全国的に分裂したのです。
なぜそうなったのでしょうか。当時、日本のキリストのからだが形成されていく中で、ブランドが次のような教えを広めたからです。

彼の教えは、「高度で難解な神学を否定し、ナザレのイエスの素朴な福音を信じる信仰を重んじ、教会の制度や組織を廃する一方、特定の教義や信条を持たず、伝道師はいるが牧師を置かず、聖書を唯一のものとし、聖霊に導かれるままに礼拝する」というものでした。

一見すると良さそうに見えますが、その根幹の教えは「教会の組織を否定する」ものでした。その方が「楽だ」と感じた多くの当時のクリスチャンたちが、既成の教会から去ったのです。
その結果、日本のリバイバルの火は消え、その後、教会は国家神道に乗っ取られ、迫害の時代へと繋がったのです。

当時の教会指導者で神学者であった本多庸一は、

『プリマス派の人たちは、「真面目にして厳格に道を守ることは窃かに感服する」と述べた後、プリマス派は「偏狭の態度」を持ち、「組織ある教派を嫌悪」し、「殆ど彼らは教会の破壊を希望するがごとく」と酷評している。
そして、所属の教会を脱してプリマス派に移るのは理解できないとのべ、神秘なる厳格な信仰を保ちつつ、教会を改革していくことが大切である」と説いています。

どんな働きにも「光と闇」があります。本多が説いているように、神秘なる厳格な信仰を保ちつつ、闇を光へと改革する態度が常に教会には必要です。安易な気持ちで脱会する時、悪魔の罠にかかり、結局、自分自身も破滅します。

ハーバート・ブランドと関わったのが、乗松雅休でした。彼は生涯、ブランドと一緒に働きました。乗松は日本から韓国に宣教に行ったのですが、それを追うかのように、二年後にブランドも韓国に渡りました。どうしてか。ブランドは日本で多くの問題を引き起こし、日本に居られなくなり、韓国へ移ったと思われます。そして韓国でも問題を起こしています。

今回、私たちは乗松宣教師が設立した教会を訪問しました。この教会は「キリスト同信会」と言って、他の教会とは決して交わることのない教会です。しかしその教会の先生と、親しくお交わりをさせていただきました。その教会には乗松の墓もありました。

この先生、オープンな方で、「教会に組織は必要です。私はこのグループを改革するために、この教会に来ました。」ともおっしゃいました。そして共に祈る時間も持つことができ、本当に癒しと回復のときとなりました。

今日、悪魔も真剣になって教会を攻撃しています。日本でも「教会に属さなくてもいい」という考え方が広まっています。「小さな聖書研究グループで十分!」という傾向があります。それはキリストのからだが破壊されることであり、教会が戦う機能を失うことです。
イエスさまご自身がパウロを用いて告げています。

「ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師または教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」

教会には、聖徒を建て上げ、整える使命があります。敵の面前に建て上げられた教会は、ハデスに落ち込む人たちを勝ち取るのです。そのためには、人間的な組織ではなく、神の組織、神の軍隊によって一致する必要があることを神は教会に教えています。