そのとき私はこう話しました。「二人ともイエスさまを信じるしかないです。また、文化の背後に悪霊がいるので、繋がりを断ち切る祈りをしましょう」と言って、初めて、イスラム教徒の解放の祈りをしました。
「アッラー」の神は聖書の神と同じだと言う人がいますが、それは全く違います。「アッラー」とは、「アラジン」、すなわち、「アッラー」と「ジン」と呼ばれる砂漠の悪霊なのです。
またブラジルの国神は、「イエス・キリスト」ではありません。「アパレシーダ」という女神です。彼らが罪を悔い改め、悪霊との関係を断ち切る祈りをしたら、不思議に仲良くなりました。それまで喧嘩ばかりだったのが、驚くほど仲良くなり、子どもができたのです。
しかし新たな問題が発生しました。なぜならその奥さんは日本語がよく話せなかったため、「ブラジルで子どもを産みたい」と希望しました。それで、ご主人と一緒にブラジルに帰ることになったのですが、ご主人は数年間、日本に不法滞在していたのです。そのため入国管理事務所に申し出なければ出国できませんでした。彼は名古屋入国管理事務所に行き、「長いこと不法滞在をしていました。妻の妊娠を理由に、ブラジルに行きたいので、よろしくお願いします」と申し出ました。
すると入管が、「そんなに長く不法滞在していたのは悪質だ。イランに強制送還する!」と言われました。意外な展開でした。
彼は自分がクリスチャンになったことを周りにも話していました。彼らの社会にはスパイがいると言われます。本国に通報されるのです。「あいつはクリスチャンになった!」と。すると本国の家族に警察が来ると言うのです。彼がイランに強制送還されたら、クリスチャンですから、捕らえられ、投獄されて、死刑になるかもしれないのです。困ったことになりました。彼は入管に「身重の妻が家で待っています。」と言うと、「次回来たときに収監し、強制送還!」と告げられました。一難去ってまた一難です。
私たちは真剣に神に祈りました。天地宇宙を造られた神は国々の上に座しておられます。彼のパスポートと、奥さんのパスポートを重ねて手を置き祈りました。「どうか彼らがブラジルに行くことができますように」と祈りました。
そして私は、入管に対して嘆願書を書きました。「この方は私たちの教会で洗礼を受けました。強制送還されたら、イランで死刑になる可能性があります。第三国であるブラジルへの出国を許可してください」と記しました。その頃私は主任牧師ではありませんでしたが、「新城教会牧師 滝元順」とサインをして、彼に渡しました。「この書類を持っていきなさい。私の権威あるサインがあるから、入管は希望をかなえてくれるだろう。」
彼は私の書いた書類を入管に提出しました。入管の係員は書類を見て、「滝元順って誰だ?」と、全然効果なしでした。
しかしその瞬間、奇跡が起きたのです。彼が嘆願書を提出したとき、たまたま、待合室でテレビのニュースが流れていました。それは最近イランでクリスチャンが迫害され、捕まって死刑にされているというニュースでした。係官はテレビのニュースを見て、私の嘆願書を読んで、事務所の奥に入っていきました。
しばらくして、どんな書類を持ってきたのかと言うと、「第三国、ブラジルに出国することを許可します」という書類でした。なんと、彼は手錠をかけられることもなく、ブラジルに向けて出国しました。あれこそ、神の権威が国々の上にある証拠でした。
なぜ私がこの話をするのかというと、先週、彼らの夢を見たからです。「そういえば、そんなことがあったな・・。クリスマスの近辺に起こった出来事だったな・・」と、夢の中で思い出しました。
二十年近く前ですが、ブラジルのサンタカタリーナ州(南の方)に住んでいる彼らを訪問した事があります。彼らはたいへん喜んで、大宴会を開いてくれました。それから二十年以上も経っているので、今、どこにいるのかもわかりません。
しかしブラジル人の奥さんがイレーネさんの友達だったので、調べてもらいました。すると、彼らは生きていました!今でも仲良くやっているとのことでした。日本で妊娠して生まれた息子の名前は「イシュマエル」ではなく、彼らは「イサク」と名付けました。
神のわざは、短期間では評価できないことがあります。二十年、三十年経つと、「まさに神が助けてくださった」とわかるのです。彼らは今でもクリスチャンです。イラン人の彼は、本国にいる家族に福音をブラジルから伝えて、皆、クリスチャンになったそうです。イランでは信仰を保つことができないので、他国に出国してクリスチャンとして歩み続けているそうです。神の権威は国々の上にあります。
これは新城教会のただ中で起こった奇跡です。お一人一人にも、同じ主が共におられます。
話は変わるのですが、先週は私にとって、少し悲しい週でした。なぜかと言いますと、今から二年前の先週は私にとってまさに地獄のような週だったからです。二〇二二年十二月十八日の早朝、家内が天に帰ったからです。十二月二十日は家内の召天式の日でした。
家内の司式を誰にお願いしようかと考えましたが、やはり「私がやれば家内は喜ぶ・・」と感じました。子どもたちは、「途中で泣き伏して恥をかく」と反対しましたが、私は無事にやり遂げました。その結果、子どもたちからの株が少し上がりました。この何年かは私にとって、究極的に厳しい状況でした。
家内がいなくなって二年が経ちました。早いものです。
先週は孫たちが家に来てその話をしました。「あのときは本当に悲しかったな・・」と振り返りながら、孫の一人が、「本当に悲しくて、涙が止まらなかった。涙を止めようと思っても、止めることができなかった」と話していました。その横で、家内が亡くなって後に生まれた一歳の孫、かんちゃんが「うんうん」とうなずいていました。知らないくせになぜ?という感じでした。
家内は、彼女の希望どうりに自分のベッドから天に帰りました。かんちゃんは同じベッドの上で遊ぶのが大好きです。二年前はその場所は私にとって地獄のようでしたが、孫がそこで遊んでいる・・。なんとも複雑な気持ちになります。
しかしそんな私でありますが、あの究極的な場面でも助けられました。一人で生きていけるか不安でしたが、二年間このようにして、立派にと自分で褒めていますが、生きています。今では何でも一人でできるようになりました。料理はほとんどしませんが、洗濯、掃除、その他のことは全てやっています。でも、ほとんどを自動化しています。
皆さん、Alexa(アレクサ)って知っていますか?Alexaがあれば、電気をつけるのも、家電を操作するのも、自動化できます。例えば、「Alexa、玄関の鍵をかけて」と言うと「カチッ」と鍵がかかります。「開けて」と言うと鍵が開きます。テレビやエアコンも全て操作できます。本当に便利な時代です。寝転んだままで電気のオン・オフができるのは便利ですが、「動かないとボケるぞ」と孫たちに言われます。こうした機械を設定できるということは、まだボケはないでしょう。いやぁ二年間、よくやってきたなと思います。
しかしこれも「神がともにおられる」からです。イエスさまが一緒にいてくださってよかったと感謝しています。だから私は、牧師として職業的に皆さんにキリスト教を「宣伝」しているのではありません。私は自分で体験したからです。
皆さんにも支えられ、今年はさまざまな場所でも奉仕できました。これは自分の力ではありません。天と地が繋がっているからです。天の教会のとりなしと地の教会の皆様の祈りによって、力をいただいていると信じています。
鈴木家も巻き込まれて、これからどうなるのか心配しました。「孫たちが可哀想だ」と心配しました。しかしその暗い雰囲気を一掃するかのように、まさかの新しい命が与えられ、明るさが家に戻りました。神さまはちゃんと気遣って下さるものですね。クリスチャンで本当に良かったです。
イエスさまとの出会いは、宗教や文化を越えています。天地宇宙を創られた神が人となってくださり、共にいてくださるのです。これを体験しないのは大損です。永遠の損失になります。私は自分の体験を通して、心からイエスさまをおすすめできることを嬉しく思います。
昨日は子どもクリスマスがありました。その後、すりだぶのクリスマス会がありました。私は配信で見て感動しました。一人の青年が、自分の救いの証しをしていました。彼は「生きる意味」を求め、いろいろ試したそうです。最終的に「聖書を読んでみよう」と、何度も何度も、聖書を読んだようです。そして教会にも通ったと言います。
しかし、なかなか神さまのことがわからなかったそうです。「こんなに一生懸命探求しても分からないのならダメだな」と思っていたそうです。
そうこうしているうちに、彼の大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。実はおばあちゃんはクリスチャンでした。おばあちゃんの召天式を教会で行うことになったそうです。しかし彼は、召天式に出るのを躊躇したそうです。なぜなら、彼はおばあちゃんに対して、一つ大きな後悔があったからです。おばあちゃんは自分のことをたいへん愛してくれて、自分もおばあちゃんのことが大好きでした。しかしそれとは裏腹に、彼はおばあちゃんを何度も言葉で傷つけてしまったからです。申し訳ない気持ちがあって、召天式に出るのをためらっていたそうです。
さらに彼は神の存在がわからず、イエスさまが救い主であるのかもわからないまま、葛藤を覚えていたからです。
しかしおばあちゃんの召天式の前夜、彼は祈ったそうです。「神さま、もしもあなたが本当におられるならば、一つお願いがあります。私はおばあちゃんを傷つけてしまいました。そのおばあちゃんに謝る機会を与えてください。」と祈ったそうです。
するとその夜、彼は夢を見たと言うのです。ここからは夢の話です。
彼が寝ていると、突然「起きろ」と声が聞こえました。目を開けると、横に三人の天使が立っていたそうです。天使たちは彼に「立ち上がって一階に降りなさい」と告げたそうです。彼は夢の中で天使に先導され、二階から一階の居間に降りていきました。すると、そこには、亡くなったはずのおばあちゃんがいたと言うのです。
天使は彼に、「おばあちゃんに謝りなさい」と言ったそうです。彼はおばあちゃんを見て、涙が止まらなくなり、泣きじゃくりながらおばあちゃんに近づきました。すると、おばあちゃんも彼を抱きしめてくれたそうです。
彼はおばあちゃんに「ごめんなさい。おばあちゃんがよくしてくれたのに、僕はおばあちゃんを傷つけるようなことを言ってしまいました。本当にごめんなさい」と謝りました。するとおばあちゃんは、「少しは悲しかったけど、大丈夫だよ」と言い、彼の耳元でこうささやいたそうです。
「イエスさまはあなたを愛しているからね。」
その言葉を聞いた瞬間、彼は夢から覚めました。そして気がつくと、自分の枕は涙でびっしょりと濡れていたそうです。「その劇的な体験を通して、私は神の存在を信じるようになり、イエスさまを救い主として受け入れました。そして今、献身して神学校に通っています。」という証しでした。この証しを聞いて、神は真実なお方であると改めて感じました。
人生の問題を神さまに委ねていくならば、必ず道が開かれるのです。この世の神々はいくら頼っても、良いことをしてくれません。しかし、イエスさまだけが私たちを愛し、ともにいてくださるのです。
こんな素晴らしい神がおられるのに、その存在を知らずに一生を終えてしまうなんて、そんな悲しいことはありません。クリスマスは、「神が人となり、人類を救うために来てくださった」と一般的には言われます。実はそんなものではないのです。
ベツレヘムの羊飼いたちに、救い主のお生まれが告げ知らされたのですが、エルサレムとベツレヘムおよび周辺の野原は、普通の羊が飼われていたのではありませんでした。ユダヤ人の規則によれば、これらは「神殿奉仕のための羊」でした。ベツレヘムの羊飼いたちは、やがてエルサレムの神殿で犠牲となる羊達を見守っていたと言うのです。