何度も語っていますが、私の父が伝道者として立ち上がったのも、モンゴルから避難してきたスウェーデン宣教師たちの働きによりました。
アルネ・リンデンという宣教師がかつて豊川に住んでいたのですが、この方は中国で、自分の息子を日本兵に殺されました。目の前で殺されたそうです。それでも一家は日本に来て、宣教を続けたのです。これには本当に驚かされます。このような尊い働きを決して忘れてはなりません。
そして今、神は新しい世代に語りかけます。
“「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」”(イザヤ書 六章八節)
私たち年配者は体力的に無理があります。しかし、その代わりに不正の富を宣教に遣わせばいいのです。これが金の奴隷にならないための秘訣です。すべての世代が遣わされなければいけないのです。
では、なぜ神はこのような不思議なことをなさるのでしょうか。そこには神の究極的な目的があるからです。その目的とは、「キリストにあってすべてのものが一つに集められるため」です。神はみ心をお持ちです。み心とは最終ゴールについてです。その奥義とは何か?
“みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。”(エペソ人への手紙 一章九~十節)
神は天にもご自分の被造物を持っておられます。日本語は単数と複数が曖昧なので理解が難しいですが、天は複数です。諸天にも、地にも多くの生き物が存在します。それらは現段階では隔たれています。しかし神の創造のゴールは、やがて神の住まいと諸天、そして地にいる被造物のすべてが一つになる事です。一つになって、何をするのか。それは主を褒めたたえ賛美するのです。
被造物は何を目的として造られたのか。それは、すべてが調和して主を褒めたたえ賛美する為です。時代は、この日を目指して進んでいます。
この地域やアジア諸国でさまざまなリバイバルが起こりましたが、それらはただのイベントではありません。世代を越えて、イエスさまがお帰りになる、天と地が一つになる日を目指して、主は様々な働きを展開されているのです。
案外、教会はその最終ゴールを見失っています。教会はイエスさまが地上に来られる日を目標に、未来に向かって進んでいく必要があります。
やがて、天が降りてくる日が来ます。この教会、七十四年の歴史の中、天に帰られた兄弟姉妹が多くおられます。しかし、彼らは「こちらはいい所だから、早くおいでよ」と言っているわけではありません。もちろん、そういう面もあるかもしれませんが、彼らが本当に願っているのは、「早く、天と地が一つになる日が来ますように!」と願っているはずです。「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められる日」を、彼らは切に願っています。イエスさまもそのことを強く願われています。
私の孫の一人に、ヨセフのように夢見る少年がいます。時々、彼は不思議な夢を見て、私に報告してくれます。夢って不思議なものだと思いませんか? 聖書を見ると、旧約聖書でも、新約聖書でも、夢の中で神が人に語られたという記録が何度も出てきます。夢は人に残されている、神とのチャンネルの一つではないかと思われます。
時々、忘れられない具体的な夢を見ます。そのような夢は、祈りの対象なのかも知れません。しかし、たかが夢でもあるし、されど夢でもあります。気になる夢は、聖書の記述と照らし合わせて、矛盾がなければ、参考にできるのかもしれません。
孫の一人は夢見る少年です。時々、不思議な夢を見ては私に話してくれます。家内が病気になったときも、彼が見た夢が実現しました。
先日、私のところに来て、天国の夢を見たと言いました。天国は金ぴかだったと言うのです。聖書にも、天国の描写があります。
“十二の門は十二の真珠であり、どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは純金で、透明なガラスのようであった。”(ヨハネの黙示録 二十一章二十一節)
天国は、金が多く使われているようです。またイエスさまにも出会ったそうです。イエスさまは白く輝いていたと言うのです。イエスさまは変貌の山で、白く輝いていたではないですか。
私は彼に「イエスさまと出会ったのなら、ばあばにも出会ったか?」と聞いたら、「出会った!」と言うのです。彼は私の家内とも夢の中で出会ったと言うのです。「じゃぁ、ばあばは天国で何をしていたの?」と聞くと、「うどんを作っていた」と言うのです。
私が「えっ、うどん?」と言うと、家内のうどんを食べるために、人々が列を作っていたと言うのです。その中には明じいさんや寛太もいたと言いました。そして、うどんだけでなく、朏美衣さんが一緒にデザートを作っていたそうです(すべて夢の話ですから・・)。
「本当か?」と聞くと、「本当だよ」と言うのです。金持ちとラザロの死後の世界の描写の中で、ラザロはアブラハムと宴会の席に着いていたなっています。また、復活のイエスさまも食事をされました。天国でも食べる楽しみは続くようです。どんな夢を見ても罪はないと思うのですが、「ばあばと何か話をしたのか?」と聞くと、「話したよ。」と言うのです。彼は「ばあば、早く地上に戻ってきてよ」と話したそうです。すると、「かっちゃんが一生懸命祈ってくれたら帰れるよ」と答えたそうです。彼は、ばあばのうどんは世界一だったといつも言っていたので、そんな夢を見たのかもしれません。「早く帰ってきてうどんを作ってくれ。」という思いの反映かどうかは知りませんが、家内は「かっちゃんが祈ってくれたら帰れるよ」と答えたそうです。
すると光り輝くイエスさまが彼に近づいてきて、「もうしばらくしたら帰るからね」と話したそうです。
「もうしばらくしたら帰る!」この夢が本当なら、すごいですよね!
私は、「じゃぁ、イエスさまは、もうすぐ帰ってくるのか?」と彼に言うと、「いや、そういうわけでもない。」と言うのです。
彼の夢はいつも二本立てです。今回も、もう一つの夢を見たそうです。それは、金のカップを二つ見たと言うのです。それは祈りのカップだったそうです。「祈りのカップが満ちないと、イエスさまは帰ってこられない」と言うのです。「だから、もっと頑張らなきゃ」と言うのです。
彼は聖書をそんなに深く知らないのに、祈りのカップは二つで出来ていて、それが「祈りと賛美だ」と言うのです。詩篇の祈りはまさしく、祈りと同時に賛美です。表裏一体です。「主よ!助けてください!」という嘆願の祈りと同時に、賛美が表裏一体となっています。
彼は二つの金のカップを見せられて、「祈りとは、願いとともに、賛美も含む」と夢の中で教えられたみたいです。
それで「今、どのくらい祈りと賛美が天に溜まっているか」も見せてもらったそうです。「どのくらい?」と聞くと、お願いの祈りのカップは溜まっているけど、賛美のカップが溜まっていなかったと言うのです。
それは本当だと思います。「なんとかしてください!」とは祈るけれど、賛美を表裏一体として実践することは少ないからです。懇願の祈りはしても、主をたたえる賛美は少なくなります。それは人間の悲しい常かもしれません。
懇願のカップは満ちても、賛美のカップは満たされていないと言うのです。
彼はその夢を見てから、毎日、賛美するようになりました。家庭集会で使う歌詞のリストをトイレに持ち込んで、一曲歌うごとに印をつけているそうです。家族も巻き込まれて、トイレに入ると一曲歌わなければいけないそうです。寝る前には何曲も賛美するのでなかなか寝かせてもらえないと家族が話していました。
夢を見なければ、ここまでやるかなぁ?と思うので、やはり神さまが彼に夢を見せたのだろうと思います。二つのカップが溢れたとき、主は帰ってこられるというのです。
しかし、たかが夢かもしれませんし、されど夢もあり得ます。聖書に照らし合わせて、結構一致しているので、私は参考にすべきかと思いました。
今週から、ざわめきのレコーディングも始まります。全ての世代が主を褒めたたえ賛美し、「助けてください」という祈りも大事ですが、最終的ゴールを目指して主を賛美しましょう。
皆さんも、今週、トイレに入ったら、一曲歌ってくださいね。
天に帰った兄弟姉妹たちは、大群衆の中で私たちのためにとりなし、祈っているはずです。私たちもこの地上から、「主よ、来てください」と祈らなければならないのです。
彼に「ばあばは元気だったか?」と聞くと、「めっちゃ元気だった!」と言いました。彼らが地上に戻ってきて、共に主を賛美する日が来たら最高じゃないですか。
第二の天が主のお帰りを邪魔しています。それを打ち破る祈りも重要です。その日を目指して、私たちは「主よ、来てください!」と祈る必要があります。
今日は二つの大きなテーマを話させていただきました。一つ目は、過去の勇士たちの祈りと賛美によって、今があるという歴史です。もう一つは、そのゴールはイエスさまのお帰りであるということです。
最後に、皆さんと一緒に祈りの時間を持ち、メッセージを閉じたいと思います。
ヨハネの黙示録二十二章十六節から十七節。
“「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」御霊と花嫁が言う。「来てください。」これを聞く者も「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。”(ヨハネの黙示録 22章16~17節)
ご一緒にお祈りしましょう。
父なる神さま、感謝します。教会の七十四年の歴史の中で、多くの祈りと犠牲によって今があることを感謝します。またこの教会だけでなく、世界で用いられた器によって今があることを心から感謝いたします。それらの点が線となって未来に繋がりますように。
私たちはイエスさまのお帰り、天と地が一つになる日を目標に歩みます。一刻も早くお帰りください。イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。