一九三〇年、愛知県の隣、岐阜県で「クリスチャン児童神社参拝拒否事件」という事件が起きました。クリスチャンの子どもたちが、村祭りに参加しなかったことが大問題になったのです。
この教会にもクリスチャンの子どもたちがいます。子どもたちは、神社の祭りなどには、決して行きませんよね。
当時、岐阜県大垣市に住む、クリスチャンの子どもたちが「常葉神社」の祭りに行くのを拒否しました。その結果、彼らに対して街ぐるみ、地域ぐるみの大迫害が始まりました。
その件に関して、一九三〇年三月十三日「美濃大正新聞」が報道したことをきっかけに、各新聞でも報道され騒ぎが全国規模に拡大しました。
クリスチャンホームの子どもたちは、ただ常葉神社で行われた祭礼に参加しなかっただけです。彼らは別に反対運動を起こしたわけでなく、ただ不参加を申し出ただけでした。
子どもたちが通っていた教会は、独身女性のワイドナー宣教師が牧会する、小さな教会でした。しかしこの女性宣教師は、「イエス・キリストの再臨を信じ、神社参拝を含む日本の風習はキリスト教における偶像礼拝であることを強調し教えていた」のです。それは正しい聖書理解であり、私たちと同じです。
その信仰で育った子どもたちは、当然、近くの神社で行われた祭礼には参加しなかったのです。当時は学校教育の一環で、県社常葉神社の参拝行事がありました。公立学校が率先して、神社参拝を勧め、祭礼には全員参加することが求められていたのです。
しかし、クリスチャンの子どもたちは、「私たちは、クリスチャンだから祭には参加しません。」と拒否したのです。それはクリスチャンとして当然の態度です。しかしその様子を、「美濃大正新聞」が「けしからん児童たちがいる」と報道し、それをきっかけに他の新聞社も取り上げて、大問題になりました<>
ポスターまでできたのです。「國體擁護のために美濃ミッションを排撃しませう」小学校のPTAのような団体が街中にポスターを貼って反対しました。さらには、仲間である教会もが、子どもたちの敵となりました。日本基督教会大垣教会員であった安八農学校の佐藤信夫校長も、「我々キリスト教徒も迷惑を感じている。神社参拝に反対する必要はない」と言って迫害しました。真理に立とうとすると、仲間内からも迫害を受けるのです。
そして、この迫害運動を中心的に指揮したのが、当時の政治家、「大野伴睦」という人物でした。
さらに、一九三三年(昭和八年)、美濃ミッションの子弟たちは、伊勢神宮参拝を含む修学旅行の不参加を申し出たことにより(この子どもたち、本当にすごいです!)さらに新聞で大々的に報道されました。大野伴睦は「市民は合法的に実力で美濃ミッションを閉鎖せよ」と民衆に命令したのです。
なんと、地域を挙げて、国を挙げて、数人の小学生たちの行動を非難し、迫害したのです。それは児童たちが神社参拝を拒否したことが理由でした。
しかしこの子どもたちはすごいです。さらに三月二十三日に行われた、大垣招魂祭例祭にも参加しませんでした。それにより、九月二十三日提出された美濃ミッション設立願いは却下され、煽動された大垣市地元民は、美濃ミッション排撃の歌「守れ国体、葬れ邪教」を作詞・作曲し、さらに強く迫害したのです。なんと悪霊のざわめきが作曲され、歌われたわけです。その歌、今でも歌詞が残っています。
「守れ国体、葬れ邪教
我が国体の尊厳を
害なう彼ら
ミッションの 排撃目ざす
我等こそ 使命に生きる国民ぞ」
「ミッション」の前に「リバイバル」を付けたらリバイバルミッションじゃないですか。
二番の歌詞は、
「いざ起て勇士時は今
我が市四萬の健児らよ
邪教の牙城を葬りて
正義の御旗輝かせ」
この歌、何番まで歌詞があるのかというと、十番まであるのです。無茶苦茶でしょう。大垣市の地元民たちはこの歌を大合唱しながら、子どもたちと教会を迫害したのです。
大垣教会の牧師も「神社に参拝することはキリスト教信仰に何ら差し支えない」として、美濃ミッションを非難しました。そして、子どもたちは停学処分にされました。ワイドナー宣教師も、あまりにも迫害され、病気になり、亡くなりました。そして、教会は事実上、閉鎖されてしまいました。
一九三三年九月一日、読売新聞が批判記事を掲載しています。そのタイトルは、
「美濃ミッションは聖書の「神」以外一切排撃!」。公平であるべきメディアが「教会は唯一の神を礼拝している、けしからん!」と非難したのです。このような事が近代において、しかも私たちのすぐ近くで起こっていたのです。
けれども、激しく迫害された子どもたち含め、渦中のクリスチャンたちはどうだったのでしょうか。
「しかし、信徒たちは戦時中も信仰を守り、妥協せず、日本基督教団に加わることもなかった。」
現在、日本の方向性が大変危うい方向に向かっています。十一月にはアメリカでも大統領選挙があります。先日、アメリカで世論調査が行われたのですが、自分の国の方向性について、「国が正しい方向に進んでいる」と答えた人はたったの二十一%でした。「悪い方向に進んでいる」と答えた人は七十九%にも及びました。日本も同様であると思われます。世界中が「何か、ちょっとやばいんじゃないか・・・」と感じています。
この背後に、目に見えない敵の力が働いているのです。教会は真理の土台と柱をしっかりと堅持しなければなりません。クリスチャンは管理人ですから、あまり気づいていないのですが、国、地域、および、全ての被造物が、神の家、教会の上に乗っかっているわけです。真理の土台と柱が破損していたら、全体を支えることが出来ずに、壊れてしまうのです。現在、全体が悪い方向に向かっているのも、その為ではないでしょうか。
今、アメリカの教会も弱って、昔のように正しい主張ができなくなっています。日本も同じです。インターネットを見れば「この人たちは本当にクリスチャンなの?」というような、クリスチャンと称する人たちの意見が飛び交っています。
こんなときこそ、過去を振り返り、過去に主がどんなみ業をなしてくださったのかを覚えると同時に、どのような戦いと敗北があったのかを、しっかりと悔い改め、未来に向けて祈るなら守られるはずです。
同時にシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのように、「たとえそうでなくても、王よ、承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むことはしません!」という、はっきりと言い切る信仰と態度が必要です。
結果、彼ら三人は火の炉に投げ込まれました。王は怒り、炉の温度を普段の七倍にして、三人を投げ込んだのです。
しかし、何が起こったのでしょうか?びっくりする出来事が記されています。王は、「何人投げ込んだ? 三人か?」「そうです、三人です。」なんと、三人は無傷で、四人で火の中を歩いていたと言うのです。王は言いました。「四人目は、神々の一人のように見える。」これは、旧約時代に姿を現した、イエスさまではないかと言われています。
たとえ火のような迫害があったとしても、しっかりと信仰に立っていくならば、主は私たちを守ってくださるということです。
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが、なぜこのように強く立つことができたのでしょうか。それは、現実的な信仰を神に置いていたからです。どんなことがあっても、神は助けてくださる方であると知っていたのです。
クリスチャンになるということは、この日本においては、多少なり迫害が伴います。現在は宗教団体法はありませんから、先に述べたようなことはありません。それでもいろいろな戦いがあります。それぞれのレベルで、やはり立ち向かう態度がどうしても必要です。それを心しておく必要があります。
私たちが主に従うならば、必ず、戦いがあります。しかし主は、従う者たちを守ってくださいます。神は私たちをよく知っておられ、支えてくださるお方です。
先週、東京のある場所に行き、ふっと思い出したことがありました。「そういえば、以前、ここに来たことある!」と思い出しました。
数年前、この証しをしたことがあるのですが、ヤキマのジョー先生のチームが、新城教会に来られたときのことです。
日本とアメリカはかつては戦い、お互いに傷つきました。アメリカはキリスト教国ではないです。ジョー先生が、互いに悔い改め、和解の祈りをしたいということで、日本にチームを連れてきてくださったことがありました。
それと前後して、私の姪っ子のやえちゃんがピアスと結婚して、ヤキマに住んでいました。当時、彼女は昼間、スター・バックスで働いていました。すると毎日、同じ時間に、一人の東洋人の顔をしたおばあちゃんが来て、コーヒーを飲んで、しばらく過ごして帰っていくのを見ました。なんとなく「日本人ぽい」と感じ、ある日話しかけたそうです。
「私、日本人ですけど、おばあちゃんは何処の国の人ですか?」と聞くと、「私も日本人よ」と答えたそうです。
話を聞いたら、そのおばあちゃんはご主人がベトナム戦争で戦死し、ヤキマに一人で残され、誰も知り合いもなく、五十年近くひっそりと暮らしていたと言うのです。それで「私の教会には、日本に理解のある牧師がいるので、ぜひ来てください」と誘ったら、おばあちゃんが教会に来るようになり、イエスさまを信じたのです。
おばあちゃんも意外だったそうです。アメリカ人の教会から「戦争によって多くの被害を日本に与えたことを赦してください」という和解の祈りがなされたからです。
そのような背景があり、ジョー先生とそのチームが数年前に日本に来られました。私たちは、そのチームを案内しながら、日本の中心、東京に行って様々な場所で祈りました。
するとジョー先生が「メリーさん(そのおばあちゃん)の為に祈りたいから、どこか良い場所はないか・・」と聞きました。メリーさんは「東京で生まれた」そうですが、具体的な情報はなく、住所などは不明でした。私は、どこで祈ったら良いのかと悩みました。
東京での祈りが長引いて、お腹もすいて「早く帰りたいな・・」と思っていました。それでマクドナルドに行って食事をしながら、最後の祈りをしようということになりました。マクドナルドはアメリカの企業が日本を侵略したようなものです。ちょうど良いテーマじゃないかという話になりました。
日本とアメリカを象徴するマクドナルドで、メリーさんの為に祈ろうという話になり、「いいね!」とみんなも賛成しました。東京の用賀にあるマクドナルドで食べることになりました。あたりが少し暗くなってきて、私もお腹がペコペコでした。
しかしマックに向かう途中、私たちが乗っていた教会のバスが一つの大きな寺の駐車場に入ってしまったのです。するとアメリカ人たちが「ちょっと寺を見学できるか?」と言い出しました。日本的風景に興味を持ったのかもしれません。寺の事務所に行って聞いたら、「どうぞ、見学してください」と快く許してくれました。
その寺はとても大きく、広く、墓が何千基も所狭しと並んでいました。おばあちゃんが東京出身なら、親族の墓は東京にあるかもしれないと思い、おばあちゃんの為にその場で祈ることになりました。おばあちゃんの日本名は「大原(おおはら)」だという情報をジョー先生が持っていました。そのとき、私たちが立っていた場所の目の前に「小原家」と刻まれた石塔が建っていました。私は「アメリカ人にとって、大原も小原も音的には同じだ。」と思って、そこで祈ることになりました。おばあちゃんの祝福と、祖先崇拝の束縛から解放されるように、主に祈りました。
祈りを終えて、その証拠として、墓の写真を撮りました。墓の後ろに回ってみると、墓碑に家族のストーリーが彫ってありました。私はそれも写真に撮って、やえちゃんに送りました。
さて、その墓は、どんな墓だったと思いますか?
なんと、それがメリーさんの家族の墓だったのです!
本当に鳥肌が立ちました。まるでGPSがついているかのように、私たちはその場所に導かれて行きました。何の情報もなく、その場にたどり着く確率は、何億、何千万分の一くらいだと思われます。
しかしその墓は、何十年も連絡が途絶え、孤独の中で一人生きていた、ヤキマの日本人おばあちゃんの家系の墓だったのです。
私はあのときほど、「神さまっておるわ!」と感じたことはありませんでした。そんなことを言ってはいけませんが、本当に思いました。