2022年9月ー勇気を出し、仕事に取りかかれ

2022年9月4(日)新城教会副牧師 鈴木陽介

ハガイ書 2章4~5節

『しかし今、ゼルバベルよ、強くあれ。──主のことば──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ、強くあれ。この国のすべての民よ、強くあれ。──主のことば──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の主のことば── あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊はあなたがたの間にとどまっている。恐れるな。』

ハレルヤ!おはようございます。今日こうして皆さんとみことばを分かち合える恵みを心から感謝します。二〇二二年九月になりました。私も子どもがいますので、夏休みが終わり、学校が始まり、生活も少し変わっているところです。日本においては「区切れ目」と感じるような時期かもしれません。

同時に、二〇二二年という年で考えると、9月に入ったという事は、もう三分の二が終わっています。残り三分の一だけです。日本は年度制を用いていますので、なんとなく四月から始まっているイメージがあるのですが、九月と言うと、もう年も終盤になってくるわけです。

二〇二二年、この教会では「主の復讐の年」掲げて、歩んできております。もう三ヶ月もすると、今年を振り返る話をするわけですけど、その時になって振り返るのではなく、二〇二二年残りの三、四ヶ月をどのように歩むのか、それが大事ではないかと思います。

 

さて、これまでもいろいろな場面で、先生方が証ししてくださっているように、この夏は、まず七月九日、ヘブンズアイスクリーム&コーヒーの一周年ということで、「アイスクリームナイト」と銘打って記念のイベントをさせていただきました。既にお聞きのように、本当に多くの方々、子どもたちが押し寄せてきました。文字通り押し寄せてきました。当日は最悪の天候で、足元も悪く、駐車場も満車で、駐車場から会場までたどり着くだけで、プールに浸かったぐらいのずぶ濡れになるような状況、それでも人が絶えず押し寄せてきました。

 

そして八月十三日には、サンセット・アロハという集会がありました。当初、駐車場が会場の予定でしたけども、この日も前日から天候悪く、教育館のホールを主な会場としてやることに導かれました。私たちの願うところとはちがいましたがこちらも大変祝福されました。

どちらの働きも、ただただ主が備えてくださった主の計画であったと感じます。

そして八月十五日には、ザワメキの同刻プレイズが、サンセット・アロハで叶わなかった駐車場のステージで行われました。

また、八月二十二日には、中高生の伝道会レッツプレイズが行われました。こちらも駐車場のステージで行われました。こちらは午後からの集会でしたので、ちょうど片付けの時間に夕暮れ時になってきて、これが私たちが祈っていたサンセット・アロハの光景だなぁということを味わわせていただきました。最後に主が見せてくれた素晴らしい夏の終わりの光景だったと思います。

 

そして、皆さんもよくご存じで、私が語るような立場ではないのですが、悲しい出来事がありました。八月二十五日に滝元寛太兄弟が召され、二十七日に召天式が行われました。脳出血で倒れ、家族、本人ともに本当に頑張った四年一ヶ月だったのではないかと思います。私たちはただ悲しむのではなく、今後も彼の家族を支える祈りを持ち続け、また私たち一人一人が、この地にある限り使命を果たしていく。そのような思いを新たに進んでいきたいと思わされております。

 

それでは今朝、みことばから主が私たち一人ひとりに語ってくださっていることを学んでいきたいと思います。

題名が『二〇二二年九月-勇気を出し、仕事に取りかかれ』ということになっております。実はこの題名はある本から、オマージュと言うか、お借りして取ったような題名になります。それはハガイ書の注解書で、その注解書のある節の表題に「紀元前五二〇年一〇月-勇気を出し、仕事に取りかかれ」と書かれていました。今日は、そこから現在の年月をあて、我々に対しても、「勇気を出し、仕事に取りかかれ」という主題でハガイ書からみことばを学んでいきたいと思います。ハガイ書二章四節から五節をお読みします。

『しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。‐‐主の御告げ‐‐エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。‐‐主の御告げ‐‐仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。‐‐万軍の主の御告げ‐‐あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。』

 

ご覧の通り、力強い主の励ましが書かれています。「強くあれ。恐れるな。」ということばが繰り返されています。その根拠として、主が共にいるから、『わたしの霊があなたがたの間で働いている。』だから『恐れるな。』と語られていることを受けとりましょう。主は闇雲に「恐れるな。強くあれ、元気をだせ、頑張れ。」と言っているのではないのです。「わたしが共にいるから。」そのように語られています。

この聖句からも、以前から私が語らせていただいているようなテーマが上がって来ます。それは私たちクリスチャンが、今一度、何者であるのかということです。なぜここに集い、こうして主の前に祈り賛美し、みことばに耳を傾けているのか。なぜ私たちは今ここにいるのか。私たちはその様な点についてでさえ、みことばから何度も点検しなければ、主の前に全うに生きていけないような弱い存在です。「主がともにいる」このことが、まず重要です。

 

そしてもう一つのキーワード、「仕事に取りかかれ」とあります。実はこのテーマは二〇一四年に滝元開先生を通して語られた事があります。Zawameki12が制作される時の事でした。八年の時を経て、二〇二二年「仕事に取りかかれ」と主が私たちに示されています。ハガイ書には、「神殿再建」という大きなテーマがあります。ハガイの預言を受けた当時の民たちにとって、仕事に取りかかれとは端的には、「神殿再建をしなさい。」という意味でした。しかし、現代この世を生かされている私たち、今朝もこうしてこの場所に集っている私たちにとって、「仕事に取りかかれ」とはどういう事でしょうか?みことばから学んでいきたいと思います。

 

ハガイ書は短いです。二章しかありませんけれども、その冒頭を見ると、

 

『ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアとに、次のような主のことばがあった。』

 

私たちは、詩的・象徴的な表現や当時の世界観、黙示文学などの文章形態に対しては、その解釈に留意しながらも、聖書の記述が歴史的事実であると信じています。ハガイ書が特に興味深い点は、四度出てくる日付の記述が、はっきり何年の何月と特定できる点です。「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日」は、今の暦に合わせると、紀元前五二〇年八月二十九日だということです。実際に、その日、その時のことが書かれているのです。聖書のおもしろい点の一つです。そしてダリヨス王という名前が出てきます。これは新改訳二〇一七では、「ダレイオス」と書かれています。世界史にも出てくる人物です。

 今話している箇所はこちらの年表で、一番右、旧約の後半になります。以前にもお話ししたのですが、ざっと旧約の年代を覚える工夫として、モーセの時代が紀元前一五〇〇年、ダビデの時代が紀元前一〇〇〇年です。これを知っているだけで旧約聖書への理解が随分違うと思います。特に高校生なんかで世界史を学んでいる人は、世界史の内容と聖書の内容とがリンクできて、本当に聖書の内容がよく入ってくると思います。

ハガイ書は、旧約聖書の一番後半にあります。年代的にも、「バビロン捕囚」という、紀元前五八六年の出来事以降にあたります。その年代の記事が書かれているのがエステル、エズラ、ネヘミヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキで、その中でも神殿再建後書かれたのがハガイ、ゼカリヤ、マラキの三つです。

バビロン捕囚は、紀元前七二一年のアッシリア捕囚とともに、旧約において、また世界史的にも覚えておくべきことです。北イスラエルがアッシリアに、南ユダがバビロンに捕囚されました。

 バビロンという国に捕らえられたのですが、その後バビロンがペルシャという国に滅ぼされました。そのペルシャの王がクロスです。新改訳二〇一七では「キュロス」という表記です。

紀元前五八六年に捕囚にあい、紀元前五三八年、このクロス王により捕らえられた民が解放されました。いわゆる「クロス(キュロス)の勅令」です。解放されるばかりか、「神殿再建をしなさい」とまで言いました。

エズラ記の冒頭にその記述があります。一章一節、

 

『ペルシャの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。』

 

主が、ペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたとあります。異邦人、異邦の王を通してでさえ主のご計画がなされます。 続いて二節、三節。

 

『「ペルシャの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。』

 

見てきたように、バビロン捕囚という、国を滅ぼされて異教の地に連れられていくという、へブル民族にとって絶望的な出来事がありました。しかし別の国、ペルシャのクロス王がそこから解放してくれる。そしてなおかつ神殿まで建てろと、相当寛容な政策がなされました。これは普通では起こり得ない、主が起こしてくださった素晴らしい奇跡です。

この様な奇跡的な主のわざにより、一気呵成に、その勢いのまま、神殿再建が成し遂げられることを期待すると思うのですが、実際にはそうではありませんでした。この神殿再建工事はすぐに中断してしまいました。そして、ハガイ書の冒頭、紀元前五二〇年まで、十六年間停止していたということです。

ハガイがその十六年の沈黙、中断を破って、民に主からの言葉を発している。それがハガイ書ということになります。

 

ハガイ書一章を、順を追って、十五節まで読んでいきます。一節、クロス王から一代別の王をはさみ、ダリヨス王という時代になってのハガイの言葉、これが紀元前五二〇年八月二十九日だったということです。

 

二節から十節を、お読みします。

 

『「万軍の主はこう仰せられる。この民は、主の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。」ついで預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。主は仰せられる。あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。‐‐万軍の主の御告げ‐‐それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。それゆえ、天はあなたがたのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。」

 

当時のイスラエルの民に対して、厳しい叱責が投げかけられています。「あなたがたの現状をよく考えよ。」という表現が二回繰り返されています。さきほども学びましたが、イスラエルの民は、神殿再建の着手という主が成し遂げてくださった奇跡を体験したにも関わらず、すぐにその働きを諦め、十六年、神殿再建工事を中断しておりました。ハガイが主の言葉を預かって発するに至るまで、彼らは自分の家のこと、自分たちの目の前の生活を優先して、主の宮をないがしろにしていました。