廃墟を建て直すために

2022年6月5(日)グッドサマリタンチャーチ牧師 金子道仁師

イザヤ書58章1〜12節
『せいいっぱい大声で叫べ。角笛のように、声をあげよ。わたしの民に彼らのそむきの罪を告げ、ヤコブの家にその罪を告げよ。
しかし、彼らは日ごとにわたしを求め、わたしの道を知ることを望んでいる。義を行い、神の定めを捨てたことのない国のように、彼らはわたしの正しいさばきをわたしに求め、神に近づくことを望んでいる。
「なぜ、私たちが断食したのに、あなたはご覧にならなかったのですか。私たちが身を戒めたのに、どうしてそれを認めてくださらないのですか。」見よ。あなたがたは断食の日に自分の好むことをし、あなたがたの労働者をみな、圧迫する。
見よ。あなたがたが断食をするのは、争いとけんかをするためであり、不法にこぶしを打ちつけるためだ。あなたがたは今、断食をしているが、あなたがたの声はいと高き所に届かない。
わたしの好む断食、人が身を戒める日は、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、荒布と灰を敷き広げることだけだろうか。これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。
わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。
飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。
そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。
そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりを除き、
飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。
主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。
あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。』

皆さん、こんにちは。ただいまご紹介にあずかりました、グッドサマリタンチャーチ牧師をしております、金子と申します。今日は、どうぞよろしくお願い致します。
私自身、先ほど、順先生からご紹介いただいた通り、新城教会、そしてリバイバルミッションにはたくさんお世話になったというか、関わらせていただいて、でも今回初めてこのようにこの場所で、みことばを取り次がせていただく、何か感慨もあり、また緊張もあり、少しどきどきしている、そのようなところです。

私の教会、グッドサマリタンチャーチという教会は、兵庫県の猪名川町という、人口三万人の小さな田舎町にございます。私自身は、出身は兵庫ではなく、家内が兵庫で、私は神奈川横浜の出身です。
大学にいた時に、家内と初めて出会って、大学二年の時にクリスチャンになりました。ちょうど私の大学では進路を決める時期が大学二年です。その頃、私もどうしようか、初めて真剣に悩んでいました。
そんな時、大蔵省という、かつてあった大きな省庁で、事務次官が二代連続して逮捕されるという出来事がありました。そのことで本当に考えさせられてしまいました。「これから生涯一生懸命勉強して、役所に入って一生懸命働いて、最後に牢屋に入って終わるのだけは、ちょっと避けたいな」と思いました。じゃあ「正しい」と言うか、いつか人生を振り返った時に後悔しない、そういう人生って、どうやったら分かるんだろう。それが、私が初めて教会に足を向けるきっかけになりました。
教会に連絡しました。いろんなことがあって大学を中退するとか、そんな話にもなってしまって、すごく混乱した時に、私の家内の母、青木由美子牧師からこういう電話をいただきました。「あなたは自分の力でここにいると思うかもしれない。けれどもそうではなくて、あなたを造られた方があなたをそこに置いておられるのだから、自分勝手に右や左と考え行動してはいけない。」と、そのような短い電話をいただきました。
私は自分が造られた存在なんて聞いたことがありませんでした。初めて聞いて、そしてストンと心に落ちました。「あぁ、そうか。もし私が造られた存在で、造り主なる方がおられるのであれば、この方の思いを聞いていかなければ、人生的外れな生き方になる。でもこの方の思いに従って行けば人生はちゃんとまっすぐな道を歩けるんじゃないか。」そう思って、聖書を読むようになりました。教会に行くようになりました。そして大学二年の時に信仰を持って洗礼を受けることができました。
それまでは、ちゃらんぽらんな大学生活だったのですが、大学二年のクリスマス以降は、心を入れかえて真面目に勉強するようになり、無事外交官試験に合格することができて、大学卒業後すぐに外務省に勤務することになりました。
当初は外交官として六十五歳、定年まではしっかり働いて、その後献身をして、神学校に行って、教会の働きをすれば、外交官としてもクリスチャンとしても両方とも良いのではないか、それが私の思いでした。
しかし、私は七年間で献身生活に入りました。そのきっかけになったのは、家内にプロポーズしたことです。大学を卒業して、仕事もできて、給料も入るようになり、家も決まって、結婚するための準備ができたと思ったので、彼女にプロポーズしました。そうしたら、思いがけずフラれかけてしまいました。「私は外交官の奥さんには絶対にならない。牧師の奥さんだったらなってあげる。」と、そういう風に言われて、びっくりしました。でも逆に「これは本物だ」と思いました。「この人を手放してはいけない。逃してはいけない。」と、その瞬間思って、「分かった。必ず牧師になるから結婚してほしい。」と約束しました。
なので、六十五歳までだったのが、ぎゅーっと短くなり、七年で献身をすることになりました。最低七年はどうしても仕事をしないといけなかったので、七年間仕事をして、退職をして、私の家内の両親がグッドサマリタンチャーチの開拓牧師をしていますので、義理の両親の手伝いをする、そのような形で教会生活に入りました。
今、家内との間で四男四女が生まれました。実は、私たちの結婚式の司式をしてくださったのは、滝元明先生でした。明先生に祝福していただいて、結婚した後も本当に可愛がっていただいて、私にとっては私の信仰生活の大切なところを見ていただいた、種をいただいた、みことばをいただいた、そのようなお方です。
外務省を辞めてすぐ猪名川町に帰ろうと思った時に、明先生から電話がかかってきて、「金子兄弟、あなた辞めたそうだね。そうしたら、ちょっと手伝ってくれないか。」と言われて、何を手伝うのか、何をするのか全然わからなかったのですが、東京リバイバルミッションの働きを、三ヶ月程させていただきました。短い期間でした。でも、私にとってはとても意義深い経験になったというか、たくさんの同じ世代のクリスチャンの仲間たちと、主のために思いっきり働くことができた、それは私にとってすごく大きな喜びであり、財産になっています。そのような経験を通して、今、グッドサマリタンチャーチという教会で牧師をしております。

 こちらが私の家族です。私の両親は今、猪名川町に住むようになりました。元々は、クリスチャンホームではない家庭で生まれたので、外交官を辞めると言った時に、ものすごく怒られて勘当させられました。「縁を切る」と言われました。せっかく大学に入れて、せっかく公務員になったのに、牧師になるために辞めるということは、全く理解してもらえませんでした。分かります。でも、福音書にこのような言葉があります。「わたし(イエスさま)のために、父、母、子、家、畑、兄弟を捨てたもので、この時代にそれを受けない者はなく、後の時代に永遠のいのちを受ける。」そういう約束が福音書に何箇所か書かれています。これを握って、必ず両親との関係も回復する。そのように祈って参りました。
今うちの両親は、六年前でしょうか。教会から二分ぐらい、スープの冷めない距離ぐらいの所に引っ越して来て、ここにあるように、十四人ですね。私たち家族十人と、両方の両親二人、二人、十四人でお祝いをするような、そういう家族にさせていただいています。本当に主の恵みに感謝です。

 こちらが、私たちのグッドサマリタンチャーチの写真です。このような小さな子どもからお年寄りまでが共に暮らす、活動する、大きな神の家族として活動し、また礼拝生活を行っています。

二〇〇〇年から、教会付属のフリースクール「光の子どもインターナショナルクリスチャンスクール」という働きもさせていただいています。もう二十二年になりました。たくさんの子どもたちと関わりながら、その子どもたちに主の教育、エペソの六章にありますけれども、みことばを正しく教え、実践をしていくような、そのような働きをさせていただいて、たくさんの若者たちがここから巣立っていきました。
毎年一回ミュージカルをしています。子どもの伝道集会で、子どもがミュージカルをして、そしてメッセージをする。子どもが子どもに対して伝道していく、そのようなきっかけを作っていきたい、そのように思ってこのようなプログラムを毎年行なっております。

 こちらは社会福祉の働きです。教会のすぐ隣の敷地に、このような福祉の建物を建てさせていただいて、教会の入り口と、福祉ホームの入り口を向かい合わせにして、自動扉で軒をくっつけて、雨でも車椅子で礼拝堂に行けるように、そのような建物を建てました。
昨日も私、夜に教会に戻ったら、ホームの入り口でおばあちゃんが待っていて、「礼拝堂行きたい」と言うので、一緒に礼拝堂に行って、一緒にお祈りをして、それから帰って来ましたけれども、本当に教会のすぐ近くで、いつまでも主の家に住まう、そのみことばが実現していることを感謝しております。このような牧会生活を、田舎の町でさせていただいている者です。

このような働きをしていて、私自身も教会の牧会には非常に喜びを持ち、また使命を持ってさせていただいています。課題はあります。やることがたくさんあります。でも幸せな牧会生活だなと思っています。
この所で思わされたこと、イザヤ書五十八章十二節のことばが、今回、私に対してのチャレンジの言葉として響いてきた言葉です。

『あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。』

この言葉は、イザヤを通して、神の民に語られた言葉、「あなたがた破れを繕う者と呼ばれる。あなたがたは市街を人の住める場所に回復する者と呼ばれる。」と、そのように神の民に神さまが語ってくださっているわけです。
でも私たちの周りを見た時に、真逆なのではないでしょうか。私の街も廃墟が広がっています。どんどん人のいない空き家が広がって、田んぼや畑が放置されて広がっている。また私の周りでも教会が無牧になって、そして拠点や集会が閉じていってしまう。そのようなことを見ると、「みことばと真逆です。神さま。神さまは私たちに『破れを繕う』と、『あなたは破れを繕う者だ』と言われる。『廃墟を建て直す者、回復する者と呼ばれる』と言われています。けれども、いったいどうやってこんなことが起こるのですか?」
私も明先生から誘っていただいたリバイバルミッションの働きを通して、ずっとリバイバルを叫んできました。でも正直に言うと、今、日本の教会はリバイバルどころか、現状維持ができるのだろうか。目の見えるところでは、そんな現実が迫っています。でも、神さまが、「そこに希望を与える」と言われている以上、希望はあるのです。そこに道があるのです。
では、どのようにしたら、廃墟が建て直されていくのか。イザヤ書五十八章の中でみことばを開いていきました。