どうしたら神に対する情熱の心を持つことができるか?

しかし私にとっては、これ以上の名誉もなければ、これ以上の特権もありません。主イエスのみことばを宣べ伝えること以上はないのです。私は神がこのために私を召してくださったと確信していますし、ただ喜んでこのことをするだけではなく、情熱を持ってしています。

情熱がないところでは、ビジョンが失われます。情熱がないと喜びがなくなります。しかしあなたが情熱を回復させれば、ビジョンや喜びも回復できるのです。私は宣言します。ここにいる若者一人ひとり、また男性、女性、夫婦がおのおのビジョンを持って出ていき、喜びをもってここから出ていくことを宣言します。

 

情熱を失うと起こることの三つめは、「過去」です。ルカ二十四章十九節〜二十節、

 

『イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。』

 

この二人の弟子たちはビジョンを失っていました。そしてイエスさまが彼らと歩いて行った時、彼らと話していました。しかし彼らはイエスさまのことが分かりませんでした。さらに聖書では、彼らは悲しい顔であったと書いてあります。そしてイエスさまが彼らに、イエスさまご自身について質問されたとき、弟子たちはこう答えました。「イエスはすごい人であった。偉大な預言者であった。良い牧者であった。」このように彼らは過去の出来事を話し始めました。もうそのすべてが終わったかのように話しました。イエスがもう過ぎ去った人であるかのように語りました。もう死んで、イエスさまの歴史がそこで終わったかのように話していました。

これが問題なのです。情熱を失うとき、人は、過去に生きるようになります。情熱を失った人に出会うたびに、そういう人はいつも過去にあったことを話すということに気づくと思います。「ああ、昔の教会はこうだった。」「たくさん人が来た。」「多くの奇跡があの時起こったなぁ。」「昔の賛美はすごかったなぁ。」「あの時に来た先生のメッセージはこうだった。」など、すべて過去のことを話すのです。

 

人は情熱を失うと、過去の中に生きることを始めます。過去の思い出の中に生きようとします。過去の物語の中に生ききようとします。過去の恐れの中に生きようとします。そういう人は過去の栄光や過去の勝利の中に生き始めた人たちです。

過去について問題なのは、過去のことを話し、また過去に生きるときに、あなたは自分の未来を否定しているかのようになります。どうしてかと言うと、過去には未来がないからです。後ろを振り返って生きている人たちの問題とは、遅かれ早かれ、その後ろ向きの方向に行ってしまうことです。

ですから情熱を回復することはとても重要なことです。情熱を回復することによって、前を向いて歩むことができるからです。また期待しながら生きることができるからです。また夢を見ながら生きることができるからです。そして実際にもっと良いものが来ようとしています。あなたの人生の中で最も良い日々がこれから来ようとしているのです。たとえあなたの過去が偉大で良いもので栄光に満ちたものであっても、あなたの未来はその過去にも勝って偉大なものになります。あなたの最大の勝利が今から来ようとしているのです!

なぜ私は、良いものが来ようとしているといつも宣言しているのでしょうか?これは聖書の言っている約束の宣言にすぎません。キリストにある人生は、良いものが増し加わっていくものだと聖書にあります。栄光から栄光へと、勝利から勝利へと、あなたの人生、少ないものからよりたくさんのものへと増し加わる人生なのです。ですから過去の栄光の中に生きないでください。

 

神さまがモーセにパロの前に出るように行きなさいと命じられたとき、「これはわたしの名によって行うものだ」と言われました。そして神さまは自分の名前のことを、「わたしは昨日偉大であった者」とは言われませんでした。「わたしは以前偉大な者であった」とも言いませんでした。また、「わたしは明日偉大な者」とも言われませんでした。神さまは、「あなたはパロの前に立ち、わたしが偉大な神である、と言え!」と言われました。

私はもう過ぎ去った神さまに仕えていません。またこれから偉大になる神さまにも仕えていません。神は現在進行形の神さまです!神は昨日も今日も永遠に変わりません。神さまは今日も続けて癒しを行い、今日も続けて奇跡を行われます。今日も続けて回復してくださいます。今日も続けて祝福してくださいます。今日も続けて変えてくださいます。私たちの人生を今日も続けて作り変えてくださいます。なぜなら神さまは偉大なる「現在進行形の」お方です。

私たちには、今日の問題に対応してくださる神さまが必要です。今日の病をいやしてくださる神さまが必要です。今日の負債から救ってくださる神さまが必要です。今日の状況から守ってくださる神さまが必要です。

 

しかしこの二人の弟子たちは、イエスさまのことを、まるで過去の預言者のように語りました。イエスさまは過去の偉大な教師であった、過去の偉大な救い主であったと。

しかし神に感謝してください。あなたは過去の神さまに仕えているのではありません。あなたの仕えている神さまは、いつでも準備ができていて、準備の整っている状態です。そしてあなたを助け、祝福し、立ち上がらせたいと願っておられます!それは「今日」です。

 

情熱を失うと起こることの第四番目は、「希望」です。ルカ二十四章二十一節、

 

『私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、』

 

この二人の弟子たちは、情熱を失ってビジョンを失うだけではなく、またとても悲しくなるだけではなく、イエスさまが過去の人であるかのように語るだけではなく、このみことばが言うように、「イエスさまが救い主になってくださるだろうと期待していた」となります。「期待していた」ということは、もうすでに希望を失ったということです。私たちは誰でもなく、イエスさまと歩んでいた弟子たちのことを話しているのです。イエスさまが語った言葉を聞き、彼の行う奇跡を見、病人の癒やしや悪魔からの解放の業を目撃した人たちです。死人をよみがえらされたのを見た人たちです。また、イエスさまが水の上を歩くのを見た人たちです。そして、パンと魚を増やし、多くの群衆を食べさせたのを見ていた弟子たちのことを話しているのです。

しかし何日後でしたか?たった三日過ぎただけでした。たった三日で情熱が冷めてしまいました。三日前には希望がありました。しかし今はないのです。その心は疑問で溢れていました。恐れで溢れていました。不安でいっぱいでした。

ある人が言いました。人は食べなくても七日間は生きていけると。水を飲まなくても三日間は生きられると。息をしなくても十五分は生きられると。しかし希望を失っては一秒も生きられないそうです。この二人の弟子たちは、三日間希望を失っていました。

 

良い知らせがあります。あなたが情熱を回復するとき、ビジョンや喜びが回復するだけではなく、またあなたの未来が過去よりもさらに偉大なものになることに気が付くだけではなく、希望を回復することができます。今、あなたがどのような問題を持っているか、私には分かりません。またあなたの事情やあなたの置かれている状況も分かりません。しかし、イエスさまと共にいるなら、あなたにはいつも希望がある!ということを私は言いたいのです。

 

メッセージの最後に、結論として、「情熱」は選択肢の一つではないということが分かると思います。情熱は必要なものです。情熱なしでは、ビジョンもなく、夢もなく、喜びもないからです。

 

この箇所でメッセージを終わりにします。ルカ二十四章三十一節〜三十二節、

 

『すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」』

 

 

この二人の弟子たちがイエスさまと歩いている間、そして聖書を分かち合っている間に、何が彼らに戻ったでしょうか?情熱が彼らに戻ったのです。そして聖書には、彼らの目が開かれたと書いてあります。すなわち視覚、ビジョンが戻ったのです!この章を読み進めると、彼らに喜びと希望が戻ったことに気が付くでしょう。情熱があるときにビジョンを回復し、喜びを回復し、希望が回復します。

そして、皆がこの場所から出ていくときに命に満ち溢れることが、私の祈りです。そして私の祈りは、あなたが希望に満たされ、喜びに満たされて出て行くことです。いろいろな問題等があると思いますが、それは過ぎ去っていく事であり、イエスさまと共にいるなら、必ず最良の結果になるという平安で満たされていただきたいと願っています。

このビジョンを失った二人の弟子たちは、イエスさまが隣にいる間にすべて変わりました。もしあなたの隣にイエスさまがいないとしたら、それはイエスさまがあなたの隣にいることがいやだからということではありません。もしイエスさまと共に歩んでいないとしたら、それはあなたが自分の心で決めたからです。それは自分で自分の人生を送ろうと決めた結果なのです。なぜなら神さまの望みはいつも私たちと共に生きることだからです。

この二人の弟子たちがイエスさまと歩き出した時、すべてが変わりました。心が燃え始め、目は開かれ、喜びが戻り、希望を再び持つことができるようになったのです。

 

ですからこの朝、この情熱をイエスさまにあって持ち続けていきたいと思います。もし何かの状況下であなたがこの情熱を失ったとしたら、一緒にお祈りしたいと思います。そして情熱をもう一度回復することができるように祈りましょう。

しかし、その情熱を回復する方法というのは、この二人の弟子たちと同じです。イエスさまと共に歩き始めることが必要です。イエスさまが聖書について分かち合ってくださることです。ですから、イエスさまと共に歩き始めましょう。そして、もう一度、聖書を開いて、天の父である神さまに祈り始めたいと思います。

それではお祈りしましょう。

 

主よ、今日もう一度、私の信仰をあなたに置きます。信頼をあなたに置きます。安心をあなたに置きます。すべてが変わり、私の心が再びあなたに燃えるようにしてください。私の目を開いてください。私に喜びを返してください。希望を返してください。あなたに対する情熱が私の人生に戻ってきますように、私がこの人生で行うこと全てが、あなたに捧げるものとなりますように。また日常生活におけるほかの事も、情熱をもって行うことができますように。これによって私のビジョンと夢を回復し、そしてまた自分の夢を回復し、あなたの大きな約束の中で成長することができますように。

もし私たちがその情熱があるなら、どうぞそれを失わないように助けてください。そしてあなたと共に歩んでいくことができますように。そして聖書を開き、読み続けることができますように。そして私たちがすること全てが自分の置かれている状況に左右されることなく、心からあなたにすることができますように。あなたの栄光と、あなたの誉れのためにすることができますように。イエスさまの名前によって祈ります。アーメン。