とりでに帰れ!神はわれらの避け所、また力

『望みを持つ捕らわれ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは二倍のものをあなたに返すと。わたしはユダを曲げてわたしの弓とし、これにエフライムをつがえたのだ。シオンよ。わたしはあなたの子らを奮い立たせる。ヤワンはあなたの子らを攻めるが、わたしはあなたを勇士の剣のようにする。』

『とりでに帰れ。』私たちがとりでに帰って行く時に、ここには『ユダを曲げてわたしの弓とし、これにエフライムをつがえたのだ。』と、そして、『わたしはあなたを勇士の剣のようにする。』とあります。私たちがとりでに帰って行く、主ご自身に身を寄せて行く時に、私たち自身が勇士の剣とされていくと言うのです。私たち自身が霊的戦いの剣とされていくわけです。蛍石が、人の手に握られて高度な技術を持つものと変えられたように、私たちも主の手に握られなければならないわけです。主のとりでに身を寄せなければ、主から離れては私たちは勇士の剣にはなることはできないわけです。『とりでに帰れ。』と主は言われています。

このゼカリヤ書の背景は、バビロン捕囚から南ユダの人たちが解放され、エルサレムに帰還して、そして神殿再建にすぐに取り掛かりました。しかしその地に残っていた民、民族、またサマリヤ人、そのような方々の妨害にあって、神殿再建がストップしてしまいます。なんと十八年間も神殿再建が止まってしまいます。
そんな困難の中で、ユダの民、神の民は帰還できた喜び、神殿を再建する熱意が冷めてしまい、だんだんと自己中心的になってきてしまうわけです。ハガイ書には、『この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。』と書かれてあります。また、礼拝が形式化されてしまったり、神さまへの献げ物も、律法も軽んじられてしまう。そして異教の女性と結婚するために今結婚関係にある自分の妻と離婚したりと、すごく神さまに正しくない歩みがなされるようになってしまいました。そして神殿再建が止まってしまったわけです。そのような民を励ますために用いられたのが、預言者ゼカリヤ、ハガイでありました。

また、このバビロンの生活に慣れ親しんで、帰還しなかった民もいました。とりでに帰らなかった民もいたわけです。そのような中で、『望みを持つ捕らわれ人よ。』と神さまは言われています。私たちは主という避け所、帰る場所があります。それは主ご自身です。そこに私たちは身を寄せ続けることというのは、本当に大切なことであるということを、私自身覚えさせられています。
そしてその主ご自身のとりでに帰って行くならば、何が起こるかというと。ゼカリヤ書九章十二節で、『わたしは二倍のものをあなたに返す』と言われています。二倍の祝福ですね。
イスラエルでは長男は他の兄弟よりも二倍の祝福をもらえたと言うのです。このとりでに帰って行くことによって、私たちは神さまの民として、約束の民として回復されて、長子が受けることができる、神の子が受けることができる、百パーセントの祝福を、恵みを、勝利を、いただくことができる。そのような事をここで教えていると思います。

そして、そのとりでに帰った私たちが、ユダとエフライム、ユダは南ユダですが、エフライムは北イスラエルを象徴したものです。その二つが一つとなる。回復と再建というものを私たち自身が受け取って神の民として完全な子とされて、主の祝福を受け取り、また私たち自身が勇士の剣とされて、勝利の道を歩むことができることをここから教えられます。
このゼカリヤ書の九章から十四章までは、イエスさま、メシヤの到来の預言に対して、またこれから後に現される永遠の神のみ国、未来についての預言の箇所でもあります。今日、この地上において、イエスさまはすでに到来して、その救いのみわざは成し遂げられています。このゼカリヤ書の約束も、私たちは百パーセント受け取ることができる時代に生かされています。
そして『とりでに帰れ。』と、このゼカリヤ書で主が語っているように、主ご自身は私たちに、「とりでに帰ってきてほしい。」父なる神さまは、「わたしに身を寄せなさい。」と、「わたしにもっと信頼していいんだよ。」と、そのように語ってくださっているような気がします。
この主への信頼ということを、この数週間、私自身覚えさせられております。父なる神さまに私たちは大胆に身を寄せていきたいと思います。このゼカリヤ書全体の中では、主に忠実ならば永遠の神のみ国の到来を見るというテーマがあります。私たちが主に信頼して、とりでに帰る歩みは、永遠の神の国の完成へとつながっていることでもあります。
この時代、様々な困難があります。苦しみがあります。痛みがあります。しかし私たちが主ご自身を避け所として、シェルターとして、身を寄せていくことができます。本当に主に信頼し続けていきたいと思います。

そして最後に、詩篇四十六篇一節に、『神はわれらの避け所、また力。』とありました。この「力」というのは、字のごとく力でもあります。この言葉を調べてみると、「prevail」という英語の意味合いが当てられています。このprevailというのは、ある思想や考え方というものが最終的に成功していく、prevailというのは勝利という意味もあります。すなわち、最終的に勝利していくという意味です。私たちが神さまに避け所を見出していく時に、万軍の主によって勝利が与えられる、最終的な勝利が与えられる、その力が与えられるのです。
私たちは多くの現実の困難があり、苦難があり、また病気、戦いがあるわけですが、それは滝元順先生が祈りの課題で言われていたように、最終的には私たちは勝利するというプロセスを通っているということです。そして、私たちの避け所は天上にあって、イエスさまは十字架の贖いを成し遂げられ、どのような状況にあっても、もうすでに私たちは勝利の中にあるわけです。
イエスさまがどん底まで下りてくださったゆえに、主を信じる私たちはそのどん底の苦しみというものは、イエスさまが取り除いて贖ってくださった故に、もう私たちは「どん底だ!」と思うようなことがあったとしても、そのような出来事の中に今おられる方がおられたとしても、イエスさまを信じていく時に、そこはどん底ではないわけです。イエスさまがすべての罪を担って、死の力を打ち破ってよみがえられ神の右の座に上げられました。そして私たちはそのあげられた天上の座に主とともに座ることができる、そのような圧倒的な恵みと勝利が、今、この地上にあって与えられています。ゼカリヤ書の中でも「勇気を出せ」とあります。勇気を失うことなく、主に信頼し続けましょう。
私たちは主への信頼を決して失うことなく、弱さがあってもその弱さを主に委ねていったら、避け所を見出せます。そして、共におられる万軍の主が大勝利を、奇跡を、私たちに与えてくださるということを覚えていきたいと思います。主にこれからも、さらに信頼していきましょう。

では、これで私のメッセージを閉じさせていただきたいと思います。最後に皆さんで立ち上がってお祈りの時を持ちたいと思います。今この場所は、主の避け所、とりで、シェルターです。完全な場所です。そして皆さんの中で多くの祈りの課題があると思います。困難に直面しておられる方もおられるかと思います。しかし、この避け所において、私たちが勇士の剣とされて、霊的戦いという剣が与えられている私たちが祈っていくならば、もうその状況を一晩で変えてくださる大勝利を与えてくださる主が私たちと共におられます。
今、大きな戦いがありますが、主が私たちに「信頼していいんだよ」と語っておられます。主に信頼して戦っていきましょう。ヒゼキヤ王の主への信頼を揺るがすように煽ってきた敵の言葉に対して、ヒゼキヤ王が屈しなかったように、悪魔がどれほど“おまえの神は助けてくれるのか”と不信仰を煽ってきても、その言葉をはねのけましょう。「私は主に信頼する!」と、私たちは主の宮で、弱さを委ねて祈りましょう。
その時に万軍の主が必ず勝利を取ってくださいます。「この年は復讐の年である」と、神さまが約束を、ことばを、かけてくださっております。この約束のみことばを悪魔に突きつけて、敵に突きつけて、主は素晴らしい方、国々で主はあがめられるべきお方となるんだ!と、戦って、信頼して宣言しましょう!皆さんでご一緒にお祈りしましょう。

「 開師の祈り」
愛する天のお父さま、あなたの素晴らしいみ名をあがめて心から感謝します。あなたは変わることなく私たち一人ひとりを今日もみことばを通して励ましてくださって、変わることのないあなたの大きな愛の中で私たちを今日も包んでくださっていることを心から感謝します。もう一度主よ、そのとりでに帰ります。どうぞ主よ、あなたご自身のみ名の中で、私たち一人ひとりを守ってください。この教会の働き、主よ、あなたが託してくださっているこのリバイバルの働き、主よ、あなたがここまで導いてくださったことをもう一度心から感謝します。主よ、そして私たちはこのとりでにおいて戦い続けていきます。どうぞ導いてくださいますように。お一人お一人の中に、この教会の中に、主よ、助けを与え、守りを与えてくださっていることを信じて感謝します。
そしてあなたご自身が、「今年は復讐の年」として、私たちに素晴らしい約束を与えてくださっていることを心から感謝します。主よ、本当に今まで主よ、さまざまな戦い、さまざまな大きな患難の中をくぐり抜けさせてくださった主よ、もう一度、最後のあなたの完全なる勝利をここに現してくださいますように。主よ、特別享子さんの上に、あなたの完全な癒やしを現してくださることを信じて感謝します。主よ、あなたご自身がそこに完全なるご栄光を現してくださる、そのことを私たちは今、心を一つにしてあなたのみ前に心から叫び求めます。主よ、あなたご自身にもう一度信頼します。感謝します。尊き主のみ名によってお祈りいたします。アーメン。