平和の福音の使者として戦う

2023年2月19日(日)新城教会牧師 四元雅也

ローマ人への手紙10章9〜15節
『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。』

ハレルヤ!皆さん、おはようございます。今日は皆さんの前でメッセージを取り次ぐ機会が与えられたことを感謝します。だんだんと季節が春に向かい、今日は少し暖かいですが、寒い日もあり、寒暖の差が大きいような時期であります。健康に注意しながら、お互いに祈り合いながら前に進んでいけたらと思っております。

今日は、「平和の福音の使者として戦う」というタイトルを付けさせていただきました。
二〇二三年が始まって、もう二ヶ月と半分以上過ぎましたが、この期間、先生方を通して、毎週のメッセージで素晴らしいみことばが語られています。二〇二三年に向けて、先生方が受け取ったみことばを、より掘り下げた形でお話しされることが多いのではないかと思います。
このみことばも、私が昨年末、十二月三十一日のカウントダウン・ワーシップの時に、メッセージの最後に二〇二三年に向けて与えられましたと、皆さんの前で紹介をさせていただきました。その時には、みことばに対して受け取ったメッセージをお話しすることは、ほとんどしなかったのですが、その後、木曜賛美集会とか、早天祈祷会とか、そういった所で少しずつお話ししてきました。
私たちは神さまにあってイエスさまを信じることができて、聖霊さまによって信仰生活を歩ませていただいているわけですが、その土台となるものは、聖書に書かれている福音を聞き、それを理解して、信じ、「イエス・キリストは主である!」告白して、今、信仰を守る幸いにあずかっているわけです。そして、 その福音を伝える人がいたからこそ、この祝福があります。まさに、「良い知らせを伝える人の足は、なんと美しいことか。」と書かれている通りなのです。

この冬、雪が何回か降りました。先月の話になりますが、二十八日の朝、教会に出勤して来ましたら、前日の夜に雪が降っていて、教会前に見える山が雪化粧していました。

雁峰連峰の山肌が雪化粧で白くなってとても綺麗でした。山の頂上付近に、木がなく少し禿げたような所があるのですが、よく祈祷会が行われる場所で、ここに行くと新城の絶景が広がります。そこがはっきりと白く見えたので写真を撮りました。私たちはよくこの山の上に立って、街に手を差し伸べて福音を宣言したりするわけです。

「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」このみことばの元になった聖書のことばが、イザヤ書五十二章七節です。そこからパウロが引用して書いているのですが、

『良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。』

とあります。
聖書を見ていくと、福音について旧約聖書では「良い知らせ」と表現されるのですが、ここに書かれてある通り、その知らせを伝える者の足が「山々の上にあってなんと美しいことか。」と書かれていることを私たちは山の上に立って福音を地に対して宣言するという形で実行しているわけです。
何が言いたいかというと、私たちにとって、福音を宣べ伝える、福音を宣言するということは、地に対し、人々、また被造物に対しての平和の訪れなんだということです。
「福音宣教」が「平和」と結びつけられているわけです。ここでもそうですが、他にもいろいろなみことばから見ることができます。エペソ人への手紙六章十五節に書かれている、御霊の与える神の武具、その中で足に履くものとして、

『足には平和の福音の備えをはきなさい。』

と書かれています。英語では”Shoes of the Gospel of peace”と言うわけです。福音と平和がここでもくっついている。

またこれも良く知られているみことばですが、ローマ人への手紙十六章二十節、

『平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。』

これは霊的戦いのことが書かれているわけですが、おもしろいなぁと思います。なぜ「平和の神」と言うのか?「戦いの神は、あなたがたの足で・・」と言われても良さそうな気がするし、「勝利の神は、あなたがたの足で・・」と言われても良さそうな気がするのですが、あえて「平和の神が、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。」と言っています。
実は、ローマ人への手紙の全体を貫いているテーマに「平和」があります。そしてローマ人への手紙の最後に結論的な言葉としてこのみことばがあります。「平和の神が、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。」ローマ書全体がここに繋がっているということです。

考えてみると、福音が届いていない所、福音が届いていない領域には、争いがあります。人々の争い、人種、権力、教育レベル、経済力とかの優劣を、世の中でいつも争っているわけです。それが高じてしばしば戦争になり、「もっと上に立ちたい!」という自己中心的な願望は偶像礼拝に繋がっていくわけです。

私たちは二〇二〇年から「コロナ禍」と呼ばれた三年間を過ごしました。この期間、「世界は分断している」と言われたりしています。
人々は互いに距離を取り、二メートル以内に近づかないように。握手をせず、マスク越しにしか相手の顔を見ることができない。病院や施設にいる親や家族にも会えず、学校で学ぶ子どもを見てやることもできない。授業参観や運動会、学習発表会も親抜きで行われたりしました。また「巣籠」と言ってなるべく家から出ないように、人に会わないように、それが社会のためと言われ、街は静まり返ってしまった。そういった時代でありました。世界中でそのような状況になってしまったわけです。
そして世界においても、特にアメリカにおいては、二〇一七年からのトランプ政権下のアメリカ国内で分断が顕著になったと言われています。
二〇〇四年、ジョージ・ブッシュの時代には、民主党と共和党の政治的思想は重なる部分が多かったのですが、トランプ時代には距離が離れて、お互いに相いれない壁が生まれた。また格差の問題も取り立たされました。
国と国においても、二〇二〇年頃から三年間、今に至るまで分断の時期があったわけです。特に日韓問題が取り立たされました。

領土問題や、韓国併合の合法不法論争、第二次世界大戦時代の賠償問題、二〇一一年頃から急に出てきた問題で、旭日旗問題というものも出ました。それから慰安婦問題、徴用工問題、自衛隊哨戒機に対してのレーダー照射問題、ホワイト国除外によるGSOMIA破棄問題、そして、一連の問題にまつわる日本製品不買運動など、いろいろマスコミで報道されていました。データを見ても、二〇一九年から二〇二〇年までに、日本人と韓国人それぞれに対するアンケートを取ったら、「嫌韓」「反日」そういった意識が両国の間で高まってしまったわけです。
それ以外にも、最近の問題として、ロシアとウクライナ問題に象徴される西側と東側の問題も、いろいろな領域で起きています。

これは日本でミャンマー人がデモ行進している写真ですが、ミャンマーで起きた軍事政権によるクーデターに対し、国民が民主化運動をして、お互いの緊張が高まっている、いろいろと衝突が起きているということに、日本として「力を貸してください!」と訴えている様子です。
そして、最近ニュースで頻繁に話題となっている中国と台湾の関係もそうです。こういった問題が、矢継ぎ早にこの三年間、世界を覆ってしまっていた、分断の時代ではなかったかなと感じています。
こういった中で私たちは平和の福音を宣べ伝えることが神さまから委ねられ、期待されている。それが二〇二三年ではないか、というより今年に始まったことではなく、クリスチャンとして私たちはこの使命を神さまからいただいているわけですが、この年は特にコロナがある程度落ち着いて収束が見えてきている中、私たちはこの働きに励む者でなければならないのではないかと教えられます。

話しは変わるのですが、先月、二十九日の日に、礼拝で蓮池光世先生が来られて証しをされました。

三年間行き来ができなかった状態でしたが、できるようになったということで、今回、教会を励ますため来てくださったわけです。月曜日の祈祷会にも一緒に行って日韓問題ついても、その時に真剣にお祈りしました。
この方は、みんな大好きチェ・ヨンドゥ先生の奥様であります。チェ先生はリバイバルミッションに協力してくださって、韓国語フェロシップも配信で導いてくださるなど、いろんな働きを長年に渡って一緒にしてくださっている方です。
この方が今年になって新城に来てくださったことも、主が起こされている二〇二三年の福音による平和の象徴ではないかなと、お祈りしながら思わされました。

新城教会では、リバイバルミッションの働きと共に、海外で和解ととりなしの集会を長年に渡って持ってきました。チェ先生もそのために毎回のように協力をしてくださった方であります。
二〇〇七年のハワイに始まり、二〇〇九年と二〇一一年には韓国で、そして二〇一二年には台湾で、一三年にはタイで、そして一五年にはインド(ナガランド・インパール)、そして一八年にはパプアニューギニア(ラバウル)、そして二〇一九年には香港・パラオと、リバイバルミッションが持たれてきました。
このような働きがずっと続けられていましたが、この三年間はストップしています。今年は新たに開かれていく年になっていくかもしれません。

そんな中、先月、私にとってというか、リバイバルの働きの中で嬉しいニュースがありました。滝元望先生が関わっておられる、とりなしの働きの中で起きた出来事です。ラインのメーリングリストで紹介されていましたので、大勢の方がご存じかと思うのですが、香川県の高松で牧会伝道している、米谷愛(まな)と仰る女性の牧師先生がおられます。この先生も親子で高松の教会を牧会されながら、長年にわたりリバイバルミッションの働きを真剣にサポートしてくださっている先生です。このような海外でのミッションにも積極的に参加されたり、四国でも二回リバイバルミッションがありましたが、その時にも協力してくださったり、ザワメキの働きであったり、とりなしの働きであったり、また霊的戦い専門課程にも毎回のように新城まで足を運んで参加してくださっている、そういったリバイバルを信じる同労者であります。この方が先月、結婚されたというニュースです。
そのお相手は、パプアニューギニア人のモーセスさんと仰る男性です。この方も献身者であります。本当に素晴らしいなぁと思いました。

今地図でお見せしたように、二〇一八年九月にパプアニューギニアのラバウルで和解のとりなし集会が行われ、その時は、順先生、望先生、新城教会の兄姉も何人か参加され、私も一緒に参加させていただく恵みにあずかりました。私もその時にモーセスさんにお会いすることができました。
米谷先生は、とりなしの働きを自分に与えられた特別な使命として真剣に受け止め、特にパプアニューギニアに対して神さまからの愛を受け取られ祈っておられる先生です。太平洋戦争時代にパプアニューギニアで起きた凄惨な戦いによって十万人以上の人たちが死んだと思います。戦争の後、昭和の高度成長期になると、今度は日本人遺族たちによって戦死者供養という名によって、死者礼拝という偶像礼拝がその国に持ち込まれました。
これは、土地と悪魔との関わりが結ばれてしまう行為であるわけです。日本は、戦争中はそこに乗り込んでドンパチして、大勢の血が流れて地に呪いがもたらされる行為を行い、戦争が終わってからは、慰霊団を派遣して、毎年のように戦没者供養をして、その地に呪いを招くことがなされてしまった。米谷先生は、土地が呪われたことに対して、回復を祈り、現地の人々に対して和解を求め、ともに祈る働きを二〇一三年頃から続けておられます。
そして、米谷先生ご自身が証しされているので、ここでもお話ししていいかと思いますが、お二人は、先生が何度かパプアニューギニアに赴いて祈っておられる中、二〇一六年に神さまの巡り合わせによって出会われたそうです。先生はモーセスさんと初対面で挨拶を交わした時に、「何か」を感じられたそうです。その時から二人でお祈りすることから始まり、二〇一八年にラバウルでミッションがあった時にも、私たちとモーセスさんも行動を共にしてくださって、その中でもお互いの理解が深められて、そしてミッションが終わってから、「結婚しましょう!」と同意されたみたいです。
しかし、その後一連のコロナ騒動で結婚は引き延ばされ、二〇二一年六月にオンライン婚約式が、日本とパプアニューギニア、それぞれの国でネットを介して行われました。そして、さらに待ち続けた結果、ついに先月の十五日に現地で結婚式が執り行われたのです。
これまでリバイバルミッションの働き、とりなしの働きを通して何年にも渡って、和解の働きがなされている中で、主が勝利をとってくださった象徴のようなカップルだなぁと思います。本当に素晴らしい神さまの導きを感じました。
先生が証しを書かれていましたが、一部をご紹介したいと思います。こんなふうに書かれていました。