永遠の愛

何しろでも私たちがこのみことばから学ぶことは、「神さまの名が付けられている私たち」です。イザヤ書の中には、神さまは私たちを「手のひらに刻んだ(イザヤ四〇章一二節)」と書いてあります。神さまが私たちを愛しています。そして私たちを握りしめています。イエスさまを信じるということは、そういうことなのです。「わたしの名をもって呼ばれるわたしの民が自らへりくだるなら、わたしは聞く」と言うのです。「そして悪い道から離れるならば、わたしはそれを聞いて、この地をいやそう」と言うのです。
この聖書の時代、今もそうですが、雨が降らなくなった場合、飢饉が起きた場合、疫病が襲ってきた場合、このコロナ二〇一九のこともそうでした。皆さん本当によく祈りました。「わたしの名をもって呼ばれるわたしの民が祈る時に、わたしは聞こう」と言ってくださっている。これを私たちはこの三年間の中で、体験したのではないかなぁと思います。

私はどんな働きをしているかというと、いろいろな働きをしているのですが、この頃は狩猟でカラスや鹿を撃ったり、魚を獲りに行ったりとか、我が家の自給率は結構高いのですが、そんなことばかりではなくて、私はいろいろな外国にもとりなしのために行っていました。このところ、このコロナの三年間は行けていないですけど、でも、パプアニューギニアに一月に行きました。

ある時から韓国に行くようになりました。二〇〇五年から二〇〇九年までの間で、この赤点のある所の町を尋ねて、韓国に日本が侵略統治下時代に建てた神社の跡を全部調べるために私はそこを巡りました。「何やってんだろう?」と思うでしょう。実は僕の思いの中心というのは、「韓国になんで日本が神社まで建ててまでして統治していたんだろう?」ということの興味でした。
また二〇〇五年、これは日本が韓国を統治するようになってから百年目のときでした。韓国併合という、朝鮮併合と呼ばれるその出来事は一九一〇年ですが、それからさかのぼること五年前から、現実には伊藤博文が初代統監になって、そして韓国を支配するようになっていったのです。そこから百年目なので、韓国でもいろいろなムーブメントがありました。当時、日帝支配、大日本帝国と呼びます、その日帝支配の残滓を一掃しようという、そのような運動が韓国の中にありました。その中にあったのが、かつての神社跡が、どこにあったのかということを皆が調べて、そして資料が上がってきていたのです。何のために調べたかというと、それを全部一掃して、全部痕跡をなくそうというのが、その韓国側の一つの意図でした。
また韓国のキリスト教会の中でも、日帝支配のときに、当時の軍部とか政府、その総督府ですが、そこに協力した牧師たちをあぶり出して、「おまえ。かつてあの時代、あの日本に協力しただろう。それで今ごろ牧師でのうのうと何やってんだ。なんかえらい伝道者とか言っているけど昔は日本の犬だっただろ!」と糾弾されていました。
そのようなことが起きた百年後ですから、やはり一つの節目だったのです。私はそういうこともあって、資料が出てくる中で韓国を巡るようになりました。こつこつこつこつ、自分たちで。チームで行ったのですが、最初は釜山に降りて、レンタカーを借りて、走り始めたらこっちと違って右側通行ですけど、韓国の釜山はすごい。すごかった。僕ずっと運転して行ってソウルに行ったときにソウルは優しいなぁと思いました。釜山はすごかったです。左折できないのです。皆さん考えられますか?こっちに行こう!みたいに言っているのですが、ホテルはそこなのにいつまで経っても左折できない。曲がれない。Uターンしかできない。全然ルールが違うのです。
それからもうクラクションだけではなくて運転が激しいのです。毎回戦闘モードで、そこで鍛えられて私は韓国で自由自在に運転することができるようになったのですが、そうやって四年間、八十八の都市を巡ってとりなし祈り調査をしていく中で、私はいろいろなことを理解するようになりました。

そしてある日、うちの兄から電話がかかってきたのです。当時は、ほとんど電話来ません。この頃は仲良いのでよく来ますが、昔は全然来ない。「もしもし、ノゾ。」と、僕を「のぞ」と呼ぶのです。「おい、おまえ、この頃韓国行っとるらしいな。」『あぁ、行ってるよ。』全然知らないのです。僕のやっていることに興味ない。僕も彼がやっていることにあまり賛同も興味もない。お互い独立している。でも同じ聖霊に導かれてしまうので、時々悔しいのです。神学校なんかで教えていると、「望先生、順先生と同じこと言っていますよ。」「えっ!俺はあいつとは違う!」同じように聖霊に導かれているのです。
その電話は、「リバイバルミッションで今度、韓国ミッションというのをやるようになる。おまえ行っているらしいから、俺を一回、その神社跡とやらに連れて行け」という電話だったのです。いや一緒は嫌だな、あいつと一緒は絶対嫌だと思ったら、「うちの娘のりべかと、おまえの所の娘のさやかを連れて、ホテルの部屋は別々。」と言うことで、「二人のクッションズ」というのが付いて、それで僕らは旅をしました。江原道の春川から慶尚南道の釜山とか晋州とか、僕が運転してね。そして何が開かれたかと言うと、韓国リバイバルミッションでした。
 二〇〇九年、これは大きな意味のある年だったと思います。韓国を私たちこの日本が侵略統治したときに、「創氏改名」と言って韓国の方々の名前を日本名に変えてしまってから百年目の年です。
この前年には、実は日本の教会が韓国の教会を脅して、そして韓国の教会に神社を参拝するようにという決議をさせた一九三八年九月十日。そしてこの一九三九年二月十日には創氏改名令が出されて、八月十五日までの間ですべての韓国の方々が創氏改名に従いました。
こう言うと皆さん、「そんなことない!そんなことない!」いろいろと右系の人は、「創氏改名とか言うけどキムさんが金田さんになったとか、金本さんになったとか、でもキムさん、李さんで残った人もいるぞ。」と、でも違うのです。全部変えたのです。
どういうことかと言うと、韓国の方々は、夫と妻の姓が別姓です。でも日本ではこれ、まずいのです。これ今、国会でもやっていますよね。夫婦別姓駄目なのです。妻は結婚したら滝元にならなければいけない。ですから日本名に変えたというのは、日本人の名前に変えたというのが七十パーセント、あとの三十パーセントはキムだったらキムさんで、奥さんもキムになったのです。創氏改名が完了したのです。そして、名前は奪われました。そして何をやったかと言ったら、それで神社に登録されたのです。氏子になったのです。そして神社に参拝して、そして日本に対する忠誠を誓うという中で、今度は徴兵しようという一つの一連の計画の中で創氏改名令がなされていきました。
そんな百年後にこのミッションが開かれて、仁川で開かれましたがたくさんの人たちが集まりました。そこでうちの弟の開に、「永遠の愛により」という、この歌が与えられたのです。よくあるパターンは、うちの父がみことばが与えられて、「主が声を出すと」と与えられたけど、「開、曲付けてくれ。」みたいなのもあるのですが、これはうちの弟に与えられて、これがある意味においては、主題歌のように用いられて、韓国語にまで翻訳されていきました。
私はその次の次の年、二〇一一年に、韓国と日本との間の壁を取り除くために何が必要かという本を書かせていただきました。

この時にも実は春川で集会があり、またソウルの集会があったのですが、僕が書いているのと同時進行で韓国語に訳されて行って、すごいスリリングです。僕がバーッ書いていくと、すぐにそれください!と言って、韓国のほうでずっと訳していって、大会のときには韓国語でもこれが出版されました。
皆さんの中でもし読んだことがない方という方はぜひ、千五百円ぐらいで安い、これ売れていないので、ぜひプレイズ出版に僕、迷惑ばかりかけていますので、岡本先生に赤字を食らわしているので、ぜひ買っていただきたいのですが、ぜひよろしくお願いいたします。

今日の主題の聖句。私たちに神さまが今日語ってらっしゃる。このことば。

『主は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。』

これを読んでみて、主はなぜ遠くから現れているのでしょうか。近くにいないのです。遠くから。
僕らもそうでしょう。遠くから見ていたい人っていますよね。この人の近くに行くと、「あのハゲに近づくと大変だ!ハゲが移る!」みたいなね。孫たちも言いますね。「そのハゲ移るの嫌だ!」とね。でも孫には「絶対ハゲる!おまえ諦めろよ。」と、これはだいたい隔世遺伝ですね。
僕のおじいちゃんはつるっぱげでした。滝元側のおじいちゃん。実は小学校二年の時に、ちょうど脳梗塞で倒れていたおじいちゃんの枕元に行って、そのハゲをパチン!と叩いたことがあります。その結果こうなったのです。

何しろ、何言ってたっけ。こういうところに行くからいけないね。

遠くから現れるのです。これ何か複雑な事情があると思います。でも語っている言葉は、「永遠の愛で、あなたを愛しているよ。」でもここで「乙女イスラエルよ。」と行っています。「乙女イスラエル」、男性を知らない、処女であるイスラエル。無垢な姿。
聖書もそうですが、英語なんかでは国家のことを女性形で表します。皆さん知っていますか?日本ではないですよね。国家は女性形です。
「乙女イスラエルよ。」何を言っているのでしょうか?実はこのときに何が行われていたかというと、イスラエルの民は偶像礼拝に明け暮れていました。そしてそのみことばの中で学んでいくと分かることですが、エゼキエル書なんかにはたくさん書かれているのですが、二十章三十節、

『それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう言われる。あなたがたは父たちの生き方をまねて自分を汚し、彼らの忌まわしいものを慕って姦淫を犯そうとするのか。』

これは現実に不品行の罪、姦淫の罪、性的な罪を犯すというだけではなくて、結果それも偶像礼拝の結果起きてきますけども、これは偶像礼拝を表しています。偶像礼拝とは、ただ単なる罪ではなくて、「姦淫」と表すような霊的な罪であるということを表しています。
今日はここから先を学びはしませんが、コリントの手紙第一、六章の中には「遊女と交われば一心同体となる。このことを忘れてはいけない」ということをパウロは言いました。偶像礼拝というのはそのような不品行の罪、性的な罪と関わっているということをこの旧約聖書の中で語っています。
そのコンテキストの中で、「乙女イスラエルよ」と呼んでいる。実際は遊女のように、売春婦のように、あそこでもここでもいろいろな神々と偶像礼拝をして、そして汚れてしまったイスラエルの民でした。しかし、神さまは遠くから現れながらも、どう呼んだかというと、「乙女イスラエルよ」と呼んだのです。そして、愛は変わらない。「永遠の愛を持って、わたしはあなたを愛している。」この訳の中で、「永遠の愛」「真実の愛」と、「愛」が繰り返されています。「あなたを愛した。」神さまは愛を持って私たちをずっと愛してくださっている。どのようになろうともです。
このみことばの背景を読んでいくと、この当時はバビロニア帝国に捕らえ移される前のみことばですから、当時においては、その霊的な姦淫の罪、偶像礼拝に明け暮れてしまって汚れ果ててしまって、そして身を持ち崩して、そして売春婦のように、またそれを自らそれをしている。売春婦とは違い、自分が丘の上に行って罪を犯しているというような、そのようなみことばもあります。
しかしそのようなイスラエルに対して、神さまは、「乙女イスラエルよ」と声をかけられたのです。このみことばは、この後に、バビロニア帝国に捕囚になった人々の悔い改めをも、この中で言っています。

『姦淫の目に、わたしがどんなに傷ついたかを思い起こす。自分たちのした悪や、あらゆる忌み嫌うべきことを、彼ら自らが嫌うようになるとき、”』

と書いてあります。バビロン捕囚、バビロニア帝国に、そのイスラエルの民、ユダの民族が、そこに移される中で初めて彼らは目を開くのです。
さてそこで何があったのでしょうか?それは、あのダニエルによる悔い改めが起きています。