2024年カウントダウン・ワーシップ

第一サムエル記において、この後十七章で、ダビデ王とゴリアテの戦闘があり、そこからダビデ王が主の霊とともに力を得て、その働きが拡大していきます。サウルはそれを妬み、ダビデを殺そうと再三追い回す展開になっていきます。

ダビデとサウルの違いは何だったでしょうか。ダビデはとことん主の教えに、主のみ声に従った王であるということが言えます。
ただ、ダビデはバテシェバの件で、大きな罪、失敗を犯したということも印象深いかもしれません。しかしその後に大きな違いがありました。サウルは、サムエルにその罪を咎められた時、言い訳をしました。さらには、民のせいにしました。
一方ダビデは、人生の中で一番大きな罪を犯した後、すぐさま悔い改め、主の前に立ち返りました。失敗してはいけないということではなく、失敗したら必ず自分の非を認めて、主の前に悔い改める。主の前に立ち返る。それをし続けることが、主のみ声に聞き従うということになるのではないでしょうか。

そんなダビデ王が書いた詩篇の四十篇六節に、このような言葉があります。

『あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。』

サムエルがサウルに語った主の教え、ダビデ王はその教えを受け取り、詩篇で歌っています。『いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。』

主が求めておられることは何でしょうか。決まりごとのいけにえ儀式ではありません。さらにここで、非常に興味深い点があります。『あなたは私の耳を開いてくださいました。』という表現、どのように理解するでしょうか?何となく詩的な表現で、「神さまの声が聞けるように霊の耳を開いてくれた」というように読む方が多いかもしれませんが、実はそうではありません。
ここを英語のある訳で見るとこうなっています、

“Sacrifice and offering you did not desire, but my ears you have pierced; burnt offerings and sin offerings you did not require.”

「耳を開く」という箇所に、下線部「pierced」という言葉が使われています。「ピアス」というのは耳に穴を開けて身に着ける飾りものです。そのような言葉が動詞で使われています。
これは何を意味するでしょうか。実はこの箇所は、出エジプト記の二十一章を念頭に書かれています。その二節をお読みしますと、

『あなたがヘブル人の奴隷を買う場合、彼は六年間、仕え、七年目には自由の身として無償で去ることができる。』

当時、奴隷の規定として、このようなものがあったわけです。しかし7年目以降も、あえて主人のもとにとどまることも選択できました。それはどのような意味合いだったでしょうか?続く、五節、六節、

『しかし、もし、その奴隷が、『私は、私の主人と、私の妻と、私の子どもたちを愛しています。自由の身となって去りたくありません』と、はっきり言うなら、』

補足しますと、当時、奴隷が妻子を持つこともありました。ただし、奴隷になってから与えられた妻子は、7年目に無償で去る場合、主人のもとに置いていかなければならないという決まりがあったのです。そのような状況から、奴隷自身が「去りたくない」と言う場合、六節、

『その主人は、彼を神のもとに連れて行き、戸または戸口の柱のところに連れて行き、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。彼はいつまでも主人に仕えることができる。』

この「きりで刺し通す」ということが、「ピアス」という動詞で描かれている表現。先ほどの詩篇にあった「耳を開く」という表現につながっています。
無償で去ることができるけども、主人に仕え続けることを選択する。自発的な奴隷となる。その目印として耳に穴が開けられたのです。

私たちも選択の自由の中で、主に仕えることをそれぞれ選び、この場にいるのではないでしょうか。また今現在、その道を探っていらっしゃる方もいます。

二〇二四年に向けてみことばを学びました。私たちはまさに、自ら主に従うことを宣言した、先ほどの自発的な奴隷のような存在であるわけです。自分が好んで主に仕えることを選んだ。そうであれば私たちはその主人である主にみ心を求め、そのみ声に聞き従い続ける。そのような歩みをして然るべきであるということです。

特にこの四年間を見て、いい加減私たちが、この世のものとどれほど付き合うべきかということを学んできたと思います。あまりにこの世の声を聞き過ぎではないでしょうか。私たちはただただ主のみ声に聞き従う。そのような生き方をするべき時が来ているのではないかと思います。
二〇二四年、私たち一人ひとりが、今一度、一対一で主のみ声に聞き従う。そのように、心からの主に仕える者に変えられていくことを、祈り進んでいきたいと思います。みことばは以上です。



≪四元雅也牧師≫

ハレルヤ!こうして二〇二三年の最後の聖会、皆さんとともに過ごすことができることを心から感謝いたします。今までのメッセージを聞いて、二〇二三年は「変化した年」というワードが何回か出ておりました。私個人的にも二〇二三年は大きな変化を伴った一年間でありました。皆さんはいかがだったでしょうか。
私にとって最も大きな変化は、六月から働きの軸足を教会からプレイズに置くという変化がありました。働き場所の環境に大きな変化を体験した年であったわけです。
長い期間、私も牧師としての立ち方について考え、神さまのみ心を求め続けた一つの結果として現わされたことだったのですが、自分では予想だにしていなかったことでした。今は神さまにあってなされたことだと信じたいと思っております。
またそのために、私の将来、教会の将来について祈ってくださり、貴重な助言、様々な手助けをしてくださいました順先生や教会のスタッフの先生方、また岡本先生や、背後で話を聞き、祈りで支えてくださった兄弟姉妹の皆さんに、高い所からですがお礼を申し上げたいと思っております。本当にありがとうございました。

私は(株)プレイズの、シャロームという部所に移籍しました。平日はシャロームという事業所で働かせていただきながら、夜は家庭集会など、日曜日は教会での奉仕も私なりに精一杯させていただく。そのように半年間過ぎました。必然的にですが、教会の働きからは一歩引いた立ち位置という、そんな状況が、今、私が立っている場所になります。でも新たな私の神さまへの奉仕の場所、大切な学びの場所ともなっています。
シャローム業務の中にも、これまで私が教会に仕える中で積み重ねてきた経験が生かされる場面がとても多いことを感じております。また今は、プレイズの中でも、教会のように魂に仕える姿勢で、牧師としての役割を期待される部分も与えられています。それも神さまにある導きと使命であると思っております。
そんなことを家庭集会など折に応じてシェアさせていただいたりしているわけですが、今日も少し皆さんの前でお分かちしたいと思います。ネヘミヤ記四章一節から五節、

『サンバラテは私たちが城壁を築き直していることを聞くと、怒り、非常に憤慨して、ユダヤ人たちを嘲った。彼はその同胞とサマリアの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえを献げようというのか。一日で仕上げようというのか。焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか。」彼のそばには、アンモン人トビヤがいて、彼も「彼らが築き直している城壁など、狐が一匹上っただけで、その石垣を崩してしまうだろう」と言った。「お聞きください、私たちの神よ。私たちは軽蔑されています。彼らの侮辱を彼ら自身の頭上に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。彼らの咎をおおい隠すことなく、彼らの罪を御前から消し去らないでください。彼らが、建て直している者たちを憤慨させたからです。」』

ネヘミヤ記は皆さんご存知かと思うのですが、全体的に言いますと、捕囚時代を終えてイスラエルに帰還することを許されたユダの人々、その民がネヘミヤの指導の下で街の復興、国の復興に当たっていく、その一つの象徴として、エルサレムの城壁を再建するストーリーです。バビロンに攻め落とされた時に、城壁も神殿も全部壊されてしまい、民は捕囚となり異国のバビロニアに連れて行かれました。その後、バビロニアが滅びてペルシャの時代となって、クロス王の時代に、クロスが神によって与えられた命令に従って、ユダの人たちに「自国に帰還せよ」という命令を下したことによって、ユダの人々はイスラエルに帰ることが許されました。
帰ってきた彼らが第一に取り組んだことは、エズラ記に神殿を再建したと書かれています。そして、続くネヘミヤ記では、城壁を再建することが書かれているわけです。

イスラエルの人々にとって帰還は、新しい領域に踏み出すということでした。敵の地ではありましたけど長い間生活し、すでに人生の拠点となっていたペルシャの国から、もう一度約束の地に帰還して、そこで新たに生活を立ち上げていこう、自分の人生の足場を築いていこうという時であったわけです。
そのような時期に彼らがしたことは何だったか。普通は、まずは自分の生活をしっかりと立て直し、生きるための糧を得、家族が安心して住まう拠点を作ろうとするのではないかと思うのですが、そうではなかった。彼らは自分のことはさておき、城壁の再建に象徴されるように、国の復興に重点を置いて働いていったわけです。
そして、その手本となったのがネヘミヤ自身でした。彼が今お読みした箇所でも書かれていますように、民のために霊的リーダーとなって神さまの前に、国のために、民のためにとりなし祈る者として働いていた。霊的な面のみならず、現実的な面、民が経済的に困窮していたらその負債を帳消しにしてあげたり、民の指導者たちとよく話し合い社会構造的にも様々な改革が進んでいって、城壁が五十二日間という短期間で再建されたわけであります。

話はまた、プレイズに戻るのですが、私が入ってから、月に一回、プレイズの社員たちで祈祷会を持つようになりました。プレイズの中にも様々な課題・問題をクリアしなければいけないことがありますので、社員の皆さんの中に、とにかく祈りたい!といった願いが高まってきていて、月に一回ですけども、一緒にお祈りしよう!となり、私が祈祷会を進行する命を請けました。私は祈祷会の名前を「ネヘミヤ祈祷会」と提案し同意を得て、今、「ネヘミヤ祈祷会」として祈りが捧げられています。

この中で、みんなでプレイズの祝福のため、主のみ心が現されるようにと祈るのですが、そういう中で心に深く刺さったことは、私たちがプレイズのために祈るよりも先んじて、それぞれが籍を置いている教会のために祈る必要がある!教会のために祈りたい!そういう思いでした。

ネヘミヤが、民の目を自分の生活にではなく神さまに向けさせ、国の復興の働きに集中させたと同じように、重要なことは、一人ひとりが神様に目を向け、そして、プレイズの母体である教会の祝福を祈ること。教会にも様々な問題があり、課題があり、戦いがある。また順先生もいつも言われるのですが、教会、リバイバルミッション、プレイズが運命共同体であり、どれか一つでも倒れてはいけない。そして、その中心が教会であるということを、私はフルタイムで教会に仕えていた時とは違った感覚で重く受け止め、祈祷会の中では、プレイズのことを祈るのに先んじて、教会のために祈る時間を毎回持たせていただいています。

これはプレイズの中に限ったことではないと思うのです。やっぱり私たち一人ひとり、教会に繋がるクリスチャンの人生も同様だなと。私たちがこうして毎週教会に集って喜んで神さまに礼拝をささげているのは、やっぱり神さまのみもとに行くことで私たちの人生に恵みが注がれ、祝福が注がれ、勝利が与えられ、様々な問題に対する解決も受けることができる。そういう場所であるからこそ、私たちは教会に集っている。
私たちがこの教会に集うからには、教会の祝福を祈る。牧師先生方のために、この教会における働きのために真剣に祈っていくのは、私たちの当然の役割であるということを覚えていきたいと思います。
そして、二〇二四年に向けたメッセージとして、皆さんにお分かちしたいみことばは、エペソ人への手紙四章一節から三節です。