「生きているクリスチャンとして実を結ぼう」

田中先生がみんなの前で「祈ってください」と言って祈ってもらって変えられた場面は、本当に感動しました。田中先生を信仰に導いたのは見城しずゑさんという、田中先生が働いていた製材所の奥さんで、十二人の子を育てた肝っ玉母さんでした。見城姉は、なんとかこの若い十八歳の政男くん(田中先生)を教会に行かせたいという思いで、毎週百円玉(実際は百円札)を渡したのです。当時の大卒の初任給が一万一千円ぐらいだったそうなので、それから換算すると百円は、今で言うとたぶん二千~三千円ぐらいの価値があったと思います。今、「百円」と言ってもあんまりピンとこないですが、毎週三千円渡して「教会に行って」と誘っていたことを思うと、本当に見城姉は熱意があったと思います。政男くんは、キリスト教には何の興味も持っていなかったわけですが、見城姉が神さまに示されて百円を渡したことによって、暗闇から光に、素晴らしい救いを受けたのです。

後に見城姉はご主人と共に静岡へ伝道に出られたのですが、この見城姉がいなければ、田中先生が救われて後に大伝道者となることもなかったかもしれません。また見城姉がいなかったら、私の母 岡本キヨも教会に足を運ぶことはなかったかもしれないし、救われなかったかもしれません。しかしこのことは、神さまの偉大さを知った見城姉が、なんとか福音を聞いてほしいと種を蒔き、それが成長し大きな実を結んだ結果といえると思います。

皆さん一人ひとりも神さまによって救われたドラマがあるかと思います。誰かに祈ってもらった人、誰かにもらったトラクトや本によって教会に導かれた人、誰かの証しや伝道によって救われた人もいるでしょう。自分の救われた経緯を思い出し、感謝するとともに、私たちもその恵みを分け与える者となれるよう、実を結ぶクリスチャンとならせていただきたいと思います。

 

私はプレイズの責任を持っているわけですが、コロナ感染拡大で、皆さんから時々に「プレイズは大丈夫ですか? 印刷は大丈夫ですか? 飲食は大丈夫ですか?」と心配をして声をかけていただいています。プレイズの働きが始まって三十一年が過ぎましたが、この間いつも皆さんに祈っていただいて、主によって守られてきたことを感謝いたします。調べてみると、十年以上会社が続けられる確率は、五千件に一件だそうです。そんなに稀なのかと思いながら、ここまでこられたのもただただ主のあわれみだなと、ますます神さまの恵みを感謝しています。

事業を進める中で重要なことの一つは、しっかりした事業計画を立てることだと思います。特に金銭的なことは、「なんとかなるでしょ!」では銀行の融資は得られません。行き当たりばったりでは、行き詰まってしまうことが多々あるのです。といっても、今回の新型コロナウイルス感染症のように、思いもかけないことが起こったりします。すでに発生から一年以上たちますが、多くの会社がこんなはずじゃなかったと思っていると思います。私もそう思っている一人です。

プレイズは、現在四十名近くのスタッフがいますが、全員がクリスチャンです。初めは印刷・出版会社として設立し、文書伝道の働きを続けてきました。そしてヘブンズカフェという飲食、六年前には、飲食部門としてレストラン、介護福祉部門として老人ホームのアークホーム・デイサービスしおん、そして就労継続支援B型事業所としてシャロームという、新たに四つの事業を立ち上げました。また、二〇一九年十月に、一階をシャローム、二階を印刷・出版の事務所として、多くの借り入れをして本社をこの教会の隣から移転しました。それはまだコロナ発生前で、「さあ、これから」という時でした。それから半年ほどしてから新型コロナウイルスが発生し、だんだんといろいろなところに影響が出始めていました。

そのようななかで、六年前に事業を拡大してからのことをもう一度振り返ってみました。新事業の中で、いちばん大変だったのがシャロームでした。初めの二年間は、それぞれ四百万円の赤字でした。二年が過ぎた時、私はシャロームのスタッフを集めて、「このまま一つの部門で赤字を出し続けるわけにはいかないから、この状態があと半年続いたら、シャロームの事業を撤退しなければならなくなる」と言いました。しかし、家に帰って主の前に祈った時に、神さまから「おまえはこの二年間、シャロームのために何もしてこなかった」と示され、私はハッとしました。「確かに何もしてこなかった。種は蒔いたけども、水を注ぐことも栄養を与えることもせず、そのままにしておいた」ということに気づき、反省し、その次の週から毎週一回スタッフを集めてミーティングをすることにしました。そして皆で主の前に祈り、いろんな策を考えて行っていきました。

その状況の中、今でも覚えているのですが、私はスタッフに「今はまだシャロームの働きは大変です。でも何年かした時に、シャロームがあってよかった。シャロームがあって助けられたという時が必ず来る」と言ったことがあります。皆を励ましたかったのはもちろんですが、それ以上に自分自身を励ましていたようなところがありました。

それから三カ月後あたりから、少しずつ利用者さんが増え始め、四年たった時に、ようやくプラスマイナスゼロになり、なんとか赤字を解消するまでになりました。

そして五~六年目に入る頃、突然コロナの影響を受け、プレイズ全体で前の年を大きく下回る業績となって、赤字となってしまいました。「新しく本社も建てたばかりで月に何百万も返済をするのに、本当にこれから大丈夫だろうか…」と心配がありました。しかし、なんとこの窮地を救ったのがシャロームでした。プレイズは三月が決算なのですが、他の部門が落ち込むなか、シャロームだけは前年比を一・五倍ぐらい上回る収益を挙げ、その他の部署を支えることになりました。

今もプレイズ全体としてはまだまだ大変ではありますが、以前、「シャロームがあってよかった。シャロームがあって助けられたという日が来る」と言ったことが実現し、シャロームによってプレイズ全体が助けられています。これは収穫の実であり、本当に主の恵みだなと思っています。

 

マルコの福音書四章二十八節をもう一度お読みします。

 

『地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。』

 

稲がいちばん成長するのは七月で、一カ月に二十五センチ程伸びるそうです。ぐんぐん成長して穂ができ、穂の中に実が入ってだんだんと実が大きくなるのです。今の時期は、もうだいぶ穂に実が入って膨らんできている時期だと思います。穂が出てから一カ月半ほどで収穫期になるようですので、来月、再来月と、収穫に向けて準備をしているところだと思います。そして、その収穫は、『地は人手によらず実をならせるもの』とあるように、私たちが「ここをもう少し太くして」とか、「ここをもう少し大きくして」とかいうようにできるわけではなく、すべてが神さまの手の中にあって、実をならせていただけるということです。

同時に私たちの信仰も、ある意味ではどのように実がなるか分からないことがたくさんありますけど、しかし知らないうちに必ず成長しているということも事実であるということを是非皆さん覚えてください。

 

パウロは、コリント人への手紙の第一の三章でこのように語っています。

 

『アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。』(三章五〜七節)

 

時に、事業がうまくいって、「これをしたからうまくいった」とか、「こうしたから儲かった」と考えたりすることがありますが、「私が計画したから」とか、「私たちが頑張ったから」というわけではないということです。最も大切なことは、『パウロが植え、そしてアポロが水を注いだ。しかし成長させたのは神です』とみことばが教えるように、私たちの努力の上に、成長させてくださる神さまがいて、初めて成り立つのだということを私たちは忘れてはなりません。

 

有名なみことばがあります。

 

『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』(ヨハネの福音書十五章五節)

 

ここにあるように、神さまにつながっていることが最優先なのです。そうすることによって初めて成長し、実をならせることができるということを忘れてはなりません。それは、私たちが主につながり続けるなら、主が共に働いてくださり、力が与えられ、祈り続け、戦い続け、前進して実を結ぶことができるということです。

 

そして、ガラテヤ人への手紙六章八節

『自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。』

 

祝福を受け取る法則の一つは、ここに『御霊のために蒔く者』とあるように、自分のためではなく、神さまのために、主のために蒔くことです。

 

また、ルカの福音書十章二十五~二十八節に

『すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」』

 

とあるように、永遠のいのちを得るためにするべきことは、私たちを愛してくださった神さま、イエスさまを全身全霊で愛すること、そしてあなたの隣人である家族、兄弟、友人、知人をあなた自身のように愛することです。この二つの命令を守るなら、永遠のいのちという祝福の恵みを受けることができるから実行しなさいと、このところでイエスさまは勧めておられます。

この新城教会は、七十一年目を迎えました。四十一年前にこの会堂が建てられ、二十九年前に教育館が建てられました。今も私たちは平安のうちに礼拝をささげているわけですが、それは、今まで新城教会に属した多くの方々が主を愛し、この地を愛し、教会を愛し、この地域の悪しき力に立ち向かい、戦ってきてくださったゆえだと思います。種を蒔き続けたことによって実を結んでいるのです。私たちはその恵みを受けているということも忘れないでいきたいと思います。

また、以前はプレイズ出版があった隣の建物が、今年、二階が教会の事務所となり、一階にはヘブンズアイスクリーム&コーヒーがオープンしました。

リバイバル聖書神学校が建てられた十数年前、その一角にヘブンズカフェがプレイズの働きの中で行われていましたが、場所の関係もあり、なかなか日の目を見ることができなかった部分がありました。しかし今回神さまの計画の中で、北側の道沿いにヘブンズアイスクリーム&コーヒーがオープンして、多くの方々が連日来ているのを見る時、素晴らしい恵みをいただいていて、本当に感謝だなと思っています。これがただ商売ということではなく、今までなかった新たな教会への一つの入口として用いられ、多くの方々が福音を聞き、神さまに触れられる場所になったらと、切に願っていますので、共に祈っていきましょう。

 

どこでどのように実がなるのかは、私たちには分からないことが多いですし、収穫までに時間がかかる時もあります。こんなに祈ったのに、こんなに伝道したのに私の主人はまだ救われないし、私の家は貧乏だし、なかなか病気が癒やされないし、と思っている方もいるかもしれません。