「70年が満ちた2021 回復と再建の年! 〜聖霊を求め、祈り続けよう!〜 もしおそくなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない!」

2021年5月23日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ハバクク書2章1節〜3節

『私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。主は私に答えて言われた。幻を板の上に書いて確認せよ。これを読む者が急使として走るために。この幻は、定めの時について証言しており、終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。』

使徒の働き1章6節〜8節

『そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

 

おはようございます。ハレルヤ!遣徒君の「主のみ名に力がある」という演奏を聴きましたが、すばらしかったですね。彼は先日までアルメニアにいたと思ったら今はニューヨークにいるみたいです。遣徒という名前の通り、いろいろな所に遣わされるのでしょう。新城教会の兄弟姉妹が世界中で活躍することを願い、感謝します。

今日は世界的に「ペンテコステの日(五旬節の日)」と呼ばれ。教会が誕生した記念日です。イエスさまはよみがえられてから四十日間、地上で皆に姿を現され、天に帰られました。その後十日間、弟子たちが祈り続けると聖霊が下って、弟子たちは聖霊に励まされて、迫害をいとわず世界に遣わされて行きました。その結果として、今があるわけです。もしもあの時、聖霊が来なければ、新城教会もありません。二千年間、福音宣教が継続され、ここまで到達したわけです。五旬節の聖霊の注ぎは、現代をも含んでいたのです。

そのような歴史の流れの中で、新城教会は今年、七十一周年です。しかし昨年から今年にかけまして、さまざまな領域で、大きな戦いと忍耐を強いられています。
お隣の元プレイズ社屋ですが、リフォーム工事も終盤となり、形になってきました。来週には、皆さんにご覧いただけるのではないかと思うのですが、実は、リフォーム工事に至るまでに、私にとって、一つの証しがあります。それを少し語らせていただきたいと思います。

一昨年、プレイズ出版が新しい地に社屋を建てて、移って行きました。それまでこの場所では大変忙しく、毎日、多くの人たちが働いていました。しかし突然、誰もいなくなり、ガラーンとして、中には彼らが残していったガラクタやゴミなどで、廃墟のようになっていました。寂しいなぁと思っていたら、一昨年の十月に私の家内が突然病気で倒れました。それは膵臓癌末期で、三ヶ月か四ヶ月しか生きることができないと言われました。大きな衝撃を受けました。以来、激しい闘病が始まりました。
年が明けて二〇二〇年になったら、それに加えて新型コロナの問題が始まり。二重、三重の試練となって教会を襲いました。大変不安になりました。私は「真剣に祈るしかない!」と決意しました。
毎晩、夜中の三時ぐらいになると必ず、目が覚めるのです。重苦しい毎日が続き、朝も、昼も、夜も、夜中までも会堂に来て、主に叫んで祈るしかありませんでした。
そんな中、なぜかお隣の元プレイズ社屋でも祈らなきゃいけないと感じて、時折、入っては祈りました。夜中はちょっと怖い気がしました。
そこに入ると、現在、新城教会を取り巻く環境が、この建物に象徴されているかのように感じました。たいへん悲しくなって、「主よ、回復と再建を与えてください!」と真剣に祈りました。
家内の体調もあまり芳しくなく、さらに去年の四月、第一回目の「緊急事態宣言」が発令されて、新城教会において、歴史上初めて、集まっての礼拝がストップされました。礼拝や各種集会は、すべて配信となり、誰もいないところでカメラに向かって語るような集会ばかりになってしまったわけです。
ご存知のように教会は、尊い献げ物によって支えられていますから、これから運営していけるのか、経済的にも、先の見えない危機的状況に陥ってしまいました。
ある夜、この場所に来て真剣に祈りました。教会に集まることもできない、家内はいつまで持つのか分からない、隣には廃墟のような建物がある、経済的にいつまで持ちこたえられるのか分からない・・・等。そんな大きな試練の中で、「主よ。これからどうなるのですか。」と真剣に祈りました。
今でも忘れることが出来ません。会堂の中央通路の真ん中ぐらいで祈っていた時、主が私の心に語りかけてくださったというか、強い印象を与えてくださいました。それは、
「わたしの教会だからわたしが守ります!」という言葉でした。その声が心の中に入ってきた瞬間、急に心が明るくなりました。「絶対に主が私たちを守り、助けてくださるに違いない!」と確信しました。
その後も続けて、機会がある度に、元プレイズ社屋でも祈りました。

そんなある日、昨年の秋口でしたが、市役所の税務課がやってきました。どこでかぎつけたのか知りませんが、「新城教会さん、この建物って、宗教施設として使ってないですよね?どう見たって、倉庫以外には見えません。つきましては、税金をかけさせていただきます。」と言うのです。え?税金をかけるんだって?
宗教法人は感謝なことに無税なのですが、この建物には固定資産税をかけると言うのです。コロナのただ中で、なぜ意地悪するの?みたいな感覚でした。税務課は「教会で使っているのならば、その証拠を見せてください。」と言うのです。書類を渡されて、「使い道をちゃんと記入してください。」言われました。今まで祈っていましたから、その時に「一階は集会室、二階は事務所」と書きました。
「一ヶ月経ったら、確認に来ますから。」と言いました。
それで皆で大掃除して、とりあえず繕いました。一ヶ月経つと、しっかりと税務課はやって来ました。私は彼らに「見てください。ちゃんと宗教施設になってるでしょ。」と言って案内しました、すると、「だいぶ変わりましたね!これならば教会施設ですね。多分、無税になると思います。」と言って帰りました。その後、無税の許可が下り、助かりました。
神さまは、私たちのためにタイミングをはかってくださるお方です。

実は新城教会、過去にお隣の教育館とか、様々な建物を建てましたから、三十年ぐらい前から、多額の融資を受けて月々、返済をしてきました。最近では毎月、七十数万円の返済がありました。
しかし本当に感謝な事に、緊急事態宣言が発令され、集まることができなくなったその月に、すべて完済したのです。危機一髪でした。それで経済的に助かりました。
元プレイズ社屋をどのように活用するのか、私以外の先生方に検討していただいたのですが、なかなか結論が出なくて、最後は、「主任牧師が決断しないといけない」と言われました。しかし税務課が来たことも幸いして、一階を集会室、二階は私以外の牧師先生とかスタッフの事務所にする事になりました。
イエスさまは天に帰られる前に、「わたしはあなたがたのために場所を備えに行く。」と言われました。しかし私は、いつまで主任牧師として働けるのか分かりませんが、「みんなのために場所を備えてから」にしようと思いました。私は、昔、建設関係の仕事をやっていまして、図面とか書いていました。だから今回、私がリフォームの設計をさせていただきました。人生最後の仕事だと思うのですけどね。
うまくできましたよ。色はデザイナーに決めてもらいました。
資金も全然なかったのですが、今までの残債を完済できたので、銀行が、「どれだけでも貸してあげます。」と言うのです。最近は、銀行に運転資金を借りに来る人が多いようです。新規事業のために借り入れする人は少ないようです。それで二千五百万円の融資を受けることができました。前回の借り入れは終わりましたから、今は返済が楽です。また、この機会にヘブンズ・アイスクリーム&カフェも移転することになりました。皆様方の利便を図ることができて、心から感謝します。

私は主任牧師として、長く働かせていただき、家内のことで皆さんに祈って頂いて、何か、見える形で感謝を表したいと考えていました。するとちょうど一つの保険が満期になり、それを献げなさいと主から示されました。それで、二階の事務所の机を献品させていただきました。すごく良い机です。一台、十万以上する机です。しかし最近倒産会社が多く、中古机をたいへん安く買えるのです。ある会社が倒産して、同じタイプの机を安く買うことができました。
そしてもう一つ、教会の前にあった自動販売機が撤去されて、片隅に小さなウッドデッキを献品させていただきます。それらを見たら、私たちのためにお祈りいただけたら感謝です。
様々なことがありますけれど、主は、そんな中でもみわざを現してくださるのを見て、本当に感謝をしています。

しかし時に、私たちが真剣に祈っても、なかなか答えが来ない現実も体験します。最初に読んだみことばは、ハバクク書でした。ハバククは紀元前7七世紀頃、ユダ王国で活躍した預言者ですが、彼は国の様子を見て主に叫びました。「主よ。この国を、なんとかしてください!」と。
当時、律法を守る人は誰もなく、国は霊的に荒れすさんでいました。このままではどうにもならない!国を変えてください!と彼は叫んで祈っていましたが、一向に、神は彼の祈りに答えてくれませんでした。
しかし二章を読むと、神がハバククに答えを与えた事が記録されています。しかしその答えとは、『おそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。』という言葉でした。神の答えとは、「答えが遅れても待っててください。」と言う、さらなる忍耐を要求するものでした。
私たちは、即、祈りの答えが来ることを望みますが、なかなか答えられなくて、更なる忍耐を強いられる事も多くあります。

家内のために祈っていただき、本当に感謝いたします。新しい薬が始まって、ちょっと強いので、副作用がありまして、髪の毛が抜けたり、湿疹がでたりして、ちょっとかわいそうです。でも感謝なことに、食欲だけは全然落ちなくて、私よりもよく食べます。本当に感謝しています。今週も治療もあるので、結構、忍耐を強いられます。「しかし遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」というみ言葉を信じて頑張っています。

この旧約聖書の流れは、新約聖書にも受け継がれています。使徒の働き一章では、よみがえられた主イエスさまを目の前にして、弟子たちが『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。』と訴えています。イエスさまは死を打ち破ってよみがえられたわけですから、無敵です。イエスさまはイスラエルの王となって、長いローマ帝国による支配と圧政から解放してくれるに違いない!と確信したわけです。それで、「いつ国を再興してくださるのですか。」と、イエスさまを問いただしたわけです。
するとイエスさまは、『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。』という、「わたしは知らない。」みたいな、つれない返事だったわけです。そのニュアンスは、「もっと時間がかかりますよ。」というものです。
しかし続いて告げられたのは、『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』という言葉でした。
国の再興のためには、主を信じる者たちが聖霊を受けて立ち上がらなければいけないというものでした。そして、彼らにさらなる祈りを要求されたのです。

今日は、彼らの祈りに主が答えて、聖霊なる神さまが来られた記念日です。日本語でば「五旬節」と言います。五旬節とは、一旬が十日で、五旬で「五十日」という意味です。ペンテコステとは、「五十日」というギリシャ語です。
ローマ帝国によって、太陰暦を太陽暦に変更され、礼拝日を安息日から日曜日に統一され、復活祭も日曜日に変更された為に、その日程は毎年変わります。それによると今年は、四月四日が復活祭でしたから、五十日後が今日になるわけです。
本来は、ニサンの月十六日がイエスさまのよみがえりの日ですから、太陽暦に変換すると、今年は三月二十九日が復活記念日です。それから数えれば、五月十七日が五十日目に当たります。初穂の祭りの日から五十日後、イエスさまが天にお帰りになって、わずか十日の出来事でした。長い祈りを要求されるのかと思ったら、わずか十日で、祈りが実現したのです。
私でも、十日くらいなら大丈夫です。十日、根を詰めて祈ったら問題が解決するならば、喜んで我慢したいと思います。しかしながら我々が現実に体験しているのは、祈りの答えを得るのは容易ではありません。