『70年が満ちた2021 回復と再建の年 回復と再建から復讐の年へ』

それで「僕たちの音楽聴いてくれますか?」と頼みました。すると「やってみて。」と言われたので、楽器を広げて、彼の前で演奏しました。プロから見れば、我々は素人ですから、乏しい演奏であったことでしょう。でも忠さんは、我々の拙い演奏を聴いて、むちゃ感動したらしいのです。

なぜかと言うと、やっぱりキリスト教会は保守的で、オルガンなどの生音が中心でした。電気楽器を使ったら、「悪魔の音楽だ!」と言われました。現在は世界中の教会、悪魔の音楽をやっている事になっちゃいます。当時はかなり保守的でした。忠さんが行っていた教会も、ペンテコステ系の教会でしたが、音楽的には保守的だったわけです。だから彼は「クリスチャンになったから、自分の音楽を捨てなきゃいけないかも・・・。」と思っていたらしいのです。

しかし私たちの拙い演奏を聴いて、「捨てなくてもいいんだ!」と励まされたと言うのです。それで彼は立ち上がったそうです。いや〜不思議ですね。

それでなんと、私たちは忠さん夫妻と意気投合して、日本で最初のクリスチャンレーベルのレコード会社を立ち上げたのです。畑の株しか知らない我々が、なんと、ミクタムレコードという株式会社を作りました。

そこで最初にリリースされたのが、小坂忠プロデュースのグロリアシンガーズの「ひとつの道」というカセットテープでした。
いや〜、この田舎のへたくそバンドを、有名な小坂忠さんがプロデュースしてくれるなんて、夢のようで、信じられないことが起こりました。その後も、「ワンダフルグローリー」というアルバムを制作しました。この頃になると、ちょっと力が入っているでしょう。

しかし神さまは、これだけでは働きを終えませんでした。この働きを通して、教会の会衆賛美を新しくされたのです。

当時、一般の教会で歌われてきた賛美歌は、聖歌、賛美歌が中心でした。ご存じのように、それらの歌詞は、主を賛美すると言うより、聖書の内容を説明するような歌が多いのです。私が一番嫌いな聖歌は、長い歌詞が五番ぐらいまで続き、その後、ご丁寧に、隣の曲のサビに飛ぶという歌でした。知ってます?歌詞が超長くて、うんざりしていたのですが、ミクタムから画期的な、スクリプチャーソングと呼ばれる、聖書のみことばにメロディーをつけて歌う、シンプルな歌が生まれました。

 

皆さんの中で、「いのちのパン」というシリーズを知っている方、どのくらいおられますか?「主に向かってー♪喜び歌おう♪」とか、「タンバリンと踊りで♪」とか、それらは忠さんと一緒に、私たちがミクタムレコードで制作したシリーズです。

 このシリーズ、どこで録音したのか知ってますか?レコーディングはすへて新城教会の会堂です。この場所です。一九八〇年に、この会堂ができ、ここでグロリアシンガーズと忠さんたちと、他のコーラスの人たちを集めて歌いました。その時にベースを弾いたのが、滝元開です。本当に不思議ですよね。ここから、ある意味、新しい歌が生まれたのです。

これは自慢話ではありません。その時々に、主の助けがあり、同時に、神の大きな計画が背後にあったのです。

 

以来、日本中の多くの教会の賛美が変わりました。短くて、わかりやすく、みことばをそのまま歌う賛美が広がっていきました。そこからリビング・プレイズとか、様々な賛美が生まれて、それらも最初はミクタムが関わって制作されたものでした。

また、新しいワーシップソングが生まれて、やがてそれは、ザワメキへとつながりました。

 

一九九三年に行われた、甲子園ミッションの準備の只中、九二年に愛知県民の森で激しく聖霊が注がれて、新しい歌がこの教会からどんどん生まれ始めました。

甲子園リバイバルミッション、すごかったですね。「私は甲子園ミッションに行きました!」という方、スイッチオン!よくぞやったと思いませんか?
 新城に拠点を持つ、リバイバルミッションが全日本の教会に声をかけて開催しました。ここで歌われたのは、主にザワメキでした。そこでドラムを弾いたのが、先程のドラマー松枝さんです。その時のドラムセットです。だいぶ古くなりましたね。

 父が伝道メッセージをして、招きをした時、怒濤のように人々がステージに押し寄せた時は感動でした。イエスさまを信じたい!献身したい!主に仕えていきたい!と、多くの人たちが決意を新たにしました。そして、その働きの背後にあったのが、新しい歌でした。

 

この働きは、その後もどんどん拡大して、一九九八年には東京の日本武道館で十日間の「東京リバイバルミッション」が開かれました。「東京リバイバルミッション、武道館に私は行きました。」という方、どのくらいおられますか?

十日間日本武道館を借り上げたのは、未だかつて、リバイバルミッション以外にないと言われます。

「武道館を十日間借りて来い。」という命令は、父が誰に下したのかというと、岡本信弘先生に下しました。なんと信弘先生が日本武道館の係の人と喧嘩したのかどうかは知りませんが、交渉して、十日間借りてきました。それで武道館で十日間開催出来たわけです。

武道館には一万人以上が収容できます。見てください。

招きの時、こんなにも大勢の人たちが進み出ました。

でも、どうして大勢の人たちが集まったのかと言うと、理由があります。

当時、グロリアシンガーズは、忠さんたちと一緒にやっていましたけれど、やっぱり、音楽には限界があります。このままではダメだなと感じていました。

新しい指導者がいないと、働きは前進しないわけです。困ったなぁ・・・と思っていた時に、彗星のように現れたのが、ロン・ブラウンさんでした。ロンさんとカークが東京ミッションに来たことにより、大勢の人たちが武道館にやってきました。

 この背後に、偶然の偶然みたいにも見える、奇跡的なロンさんとの出会いがありました。

東京ミッションの事を知らせるために、アメリカ、ロサンゼルスのユニオンチャーチを会場に、決起大会が計画され、父が行ったわけです。そこにロンさんが、友達かギターを弾くということで誘われて、ふらっと参加したのです。ロンさんは日本語ができ、集会後、父に話しかけて、「私はサックスを吹いています。そんな集会があるのならば、私も行きたいです。」と言ったそうです。

しかし父は、音楽のことなんか何も分かりませんから、「出演者はすでに決まってるからダメだよ。」と答えたそうです。「来たければ、自費で来なさい。」と答えたそうです。そうしたらロンさんは、「そうですか。」と言って、自分のCDを2枚を父に託しました。父はロンさんが何者か全然知りませんから、事務所に帰ってきて、「こんなCDを一人の黒人がくれたぞ。」とか言って、私たちに渡しました。それを見たら、すごい有名人じゃないですか。

それからロン・ブラウンさんが、リバイバルミッションの働きを助けてくれるようになりました。こっちから頼んだことは何もないのですが、賛美の働きの中で、主が成して下さったみわざです。

 

ロンさんが来たことによって、ザワメキも変わりました。
また、ザワメキで一緒に演奏していた、私の息子とか、若者たちがロンさんの音楽に大きな影響を受けました。私の息子と上條頌は、東京ミッション後、ロサンゼルスに行き、ロンさんに紹介してもらって、音楽学校に入学しました。そして、ロスの有名な一流クリスチャンミュージシャンたちと出会って、彼らの信仰も、演奏技術も変えられました。頌もドック・パウエルの弟子という道が備えられました。

そして今や、彼らは、押しも押されぬ、日本の音楽の最前線を支える、ミュージシャンになりました。彼らは別に苦労していないです。あっという間に最前線に登っていきました。

彼らが最近、どんな仕事をしているのか、この間、子どもクリスマス会で上條先生が出していた画像ですけれど、頌とか堅志たちがサポートしているミュージシャンたちは、皆、超一流の人たちばかりです。

別に彼らは一生懸命、頼み込んでこれらの仕事を勝ち取ったわけではありません。知らないうちに、ベルトコンベアみたいに、気がついたら、こういう場所に立たされていたわけです。これは主が、セキュラー音楽の世界を、取り戻そうとされている証拠だと思います。

 

 ザワメキも、一九九三年以来、十四枚のアルバムが出され、Hiraku&Norikoも頑張っています。また。先ほど歌ってくれたゴスペルクワイアも成長し、コンサートでバイオリンを演奏した石塚かずきくん、超うまかったですよね。来週の日曜日は、新春スペシャル礼拝ということで、かずきとグロリアシンガーズが演奏します。グロリアシンガーズ、ちょっと調子にのっているところがありますけれども、ミニ・コンサートです。最後だ、最後だと言いつつも、なかなか最後にならないですが、せっかく練習したのでやらせてください。

 

人間的策略では、ここまで絶対にいきません。これは聖霊さまの働きであり、様々な戦いがあったけれど、ここまで来られたのは、この先、主が目的を持っておられるからです。

主は、この先、何を計画しておられるのでしょうか。

私は、詩編百四十九編にそのカギがあると信じます。

 

『彼らの口には神への称賛があり彼らの手には両刃の剣があるように。』とあります。ここに『神への称賛』という言葉が使われていますが、この言葉は旧約聖書中でただ一回だけ使用されている賛美を表す用語です。賛美を表す言葉はいろいろありますが、ただ一回しか、使われていない言葉が「称賛」です。

これは「最高に高められた賛美」という意味です。最高に高められた賛美がなされると何が起こるのか。その賛美は両刃の剣になるというのです。

日本のサムライの剣は、両刃ではなく一方しか刃が付いていませんでした。えいっ!と失敗すると、もう一回振り上げて、初めからやらなければいけません。世界の戦争が大きく変わったのは、片刃の剣ではなく、両刃の剣が開発されてからだと言うのです。

賛美も最高に高められると、神さまが思いっきり賛美されるのと同時に、百四十九篇七節から見ると、

 

『それは国々に復讐しもろもろの国民を懲らしめるため 彼らの王たちを鎖に彼らの貴族たちを鉄のかせにつなぐため また書き記されたさばきを彼らの間で行うため。』

 

敵の首領たちを打ち破る剣となるのです。賛美も、ただ神をほめたたえるだけでなく、戦いの剣となるのです。主は、もう一方の刃を生じさせたいと願っておられるのです。

それは、この地を支配している暗闇の支配者たちに復讐するためなのです。

ザワメキから始まった新しい賛美は、ただ単なる神をほめたたえる賛美だけではなく、敵に復讐する霊的戦いの賛美でした。

ザワメキを通して、日本中の教会に、「賛美を通して戦う」という賛美が広がっていきました。

 

しかしこの教会で生まれた戦いの賛美は、近年、次の領域に入ったと思われます。最近、どんな賛美になりましたか?

それは「被造物全体が主をほめたたえる賛美」という領域に導かれました。

 

先週もお話しさせていただいたのですが、詩篇百四十九篇は、新約聖書、使徒の働き十六章に対応しています。使徒の働き十六章は、パウロとシラスが悪霊を追い出したら、自分たちが牢屋に入れられたという本末転倒の記録です。しかし明日は処刑されるかもしれないみたいな時に、彼らは何をしたのかと言ったら、牢獄で賛美したのです。

どんな賛美をしたのかというと、原語を見ると「詩篇を歌っていた」ことがわかります。詩篇のどの詩を歌っていたのか?それは、詩篇百四十九篇の関連から見て、「百四十八篇」であると思われます。

百四十八篇の賛美とは、天の天にあるものから、地のどん底にあるものまで、主をほめたたえよ!という最高の賛美の詩です。

 

使徒の働きの十六章は、ピリピの街の霊的構図を表しています。パウロとシラスはどこから霊的戦いを始めたのでしょうか。

 ピリピの街は、アポロンとピュトンという悪霊がセットとなって、街を支配していました。この占いの霊と呼ばれる霊は「ピュトンの霊」と呼ばれていました。パウロは、女奴隷から、ピュトンを追い出したのです。そうすると、怒るのはボスであるアポロンのはずです。ピリピの霊的戦いは、霊的組織の下っ端から始まりました。その為、パウロとシラスは、アポロンによって、獄舎に入れられてしまったと言えます。