「70年が満ちた2021 回復と再建の年! 伝道礼拝 〜奇跡を起こされる神に叫ぼう!〜」

 

神がイザヤを通して、ヒゼキヤに言われました。

二十章九〜十一節、

 

『イザヤは言った。「これがあなたへの主からのしるしです。主は約束されたことを成就されます。影が十度進むか、十度戻るかです。」ヒゼキヤは答えた。「影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ、影が十度あとに戻るようにしてください。」預言者イザヤが主に祈ると、主はアハズの日時計におりた日時計の影を十度あとに戻された。』

 

このように記されています。これはどのような意味なのでしょうか。ただ影が伸びるとか、逆に振れるとか、ただそれだけのように考えますが、実際には、宇宙の法則に反するような、すごいことが起きたことを意味しています。

「十度」と訳されていますけれど、原語を見ますと、「十段」となっています。「日時計」と言いますと公園に設置されているような日時計を想像するわけですけれど、古代イスラエルの日時計は、階段でした。階段のどこに太陽の影が落ちるかで時刻を知ったのです。太陽が東から出て西に沈むのは、世界共通です。

影が前に伸びるとは、正常に、太陽が西に進んでいることを意味します。しかし影が後ろに戻るとは、東から西に動く太陽が「逆戻りする」現象が起こった事を意味します。あり得ないことです。

 地球は、自転しながら公転しています。太陽もまた、大宇宙を自転しながら、公転しています。聖書に記録されている現象を一般的に解釈するならば、

 

“影が十段後退するとは、地球の自転が瞬時、あるいは六時間にわたって九十度逆転した計算になる。赤道付近ではほぼ、一万キロメートルを瞬時に移動したことになる。”

 

というわけです。宇宙を公転し、自転している地球が急ブレーキをかけて、後ろに逆転するなら、どうなりますか?地球が急ブレーキをかけたら、海の波は津波となり、国々に押し寄せて、人類は全滅したはずです。しかし、そうならなかったということは、「時間が瞬時に過去に戻った」としか考えられません。

私たちは、過去から現在、未来に向かう生物です。時間と空間は不変のものだと多くの人たちは考えます。古代物理学の父、ニュートンは、時間と空間は不変のものという前提で、物理学を構築しました。しかし二十世紀になって、天才物理学者アインシュタインが「時間と空間は不変でない」ということを相対性理論で証明し、実験でも確かめられたのです。

時間・空間は不変のものと考えられていますけれど、これも神の被造物の一つです。地球は「空間」という物質の上に乗っているがゆえに、重力が発生し、月はその周辺軌道を回ることができるのです。

さらに時間は、理論的には前にも進むし、後退もする、何とも不思議な性格を持っていることを、現代の物理学は証明しています。

聖書は非科学的な本ではないのです。聖書には、時間が未来に進む、時間が止まる、時間が過去に戻るという現象を記録しています。

その中で、時間が過去に戻るのが、最も難しいとされます。タイムマシーンは、理論上は可能です。しかし時間が戻る為には、光速以上のスピード必要になります。

 

以前にもお話ししたことがありますが、スカイツリーの頂上と下では、「四十五万年に一秒」時間の流れが違うと言うのです。歳を取ったら、あまり高い所に上らないほうがいいですね。早く時間が進むみたいです。

なんとヒゼキヤに起こった奇跡は、時間が逆戻りするという奇跡でした。ゆえに、十五年寿命が伸びたわけです。

 

実はこの時間の奇跡について、先にも申しましたが、二〇一八年に主から教えられて、よく語っていました。この第二列王記二十章から語っていました。

そんな中、この教会に、主は不思議なしるしを与えてくださいました。そして今回、家内の手術に際して、二〇一八年に起こったしるしと奇跡が、家内のいやしに関わるしるしと奇跡であるように感じて、このようなメッセージを語らせていただいています。

 

実はこれから語る事柄の多くは、すでに三年前に話しましたので、多くの方はご存じだと思います。この証しは、「信じるか、信じないかはあなた次第!」みたいな話です。

三年前に、「時間が過去に戻る」という話を水曜主日礼拝で語りました。その日、一人の男性が出席されていました。彼は、ベテランのトラックの運転手ですが、その週、長いこと使っていた時計をどこかにぶつけてガラスが割れたそうです。それで割れた腕時計をはめたまま、礼拝に来ておられました。

すると私が、時間とか、時計の話をしましたので、ガラスが割れた腕時計の表面を触りながら、話を聞いていたそうです。ガラスは三つに割れていて、表面を触ると、引っかかり、でこぼこしていたそうです。彼は十年くらい、その腕時計を使っていましたから、ちょうどガラスが割れたのを幸いに、新しい時計を買って欲しいと奥さんに見せたそうです。奥さんに「新しい時計を買って。」と言うと、「あぁ、割れちゃったね。でも今、お金がないから駄目。」と断られたて、ちょっとがっかりしていたそうです。

礼拝が終わり、中庭に出たというか、駐車場に行って時計を見たら、なんと、割れていたガラスがきれいに元に戻って、直っていたそうです。信じることができますか?

 割れていたのは、奥さんも確認されています。その奇跡は、私が語るメッセージの只中で起こったのです。覆水盆に戻らずと言いますが、一回ガラスは割れたら、元には決して戻りません。

しかし神さまは、時間も空間も創造し、支配されているお方ですから、神が関われば、割れたガラスでも、元に戻すことができるはずです。新品に戻すことだって可能なはずです。

彼は時計が直るようにとは、祈っていませんでした。むしろ、新しい時計が欲しいと考えていたらしいです。

しかし集会の終わりに、私が「時間が戻るような奇跡が起きますように!」と祈りました。そうしたら、彼の割れた時計のガラスが直ったのです。

現在その時計は、彼の一生の宝物になったと言われました。

これが主が起こされた奇跡なら、時間の奇跡は、再び、起こるはずだと思います。家内は手術をして、いくつかの臓器を失いましたが、そのような事があったとしても、神は失った臓器を取り戻すことができるはずだと信じました。病気になる前の健康な体にまで、戻すことができるはずです。

 

2018年、さらにもう一つ、興味深いことが起きました。それは私の孫に起こったことです。彼は当時、小学一年生でした。彼はそのころカブトムシが大好きでした。特にアトラス・オオカブトというのが大好きで、彼はこのカブトムシが欲しい!と両親にねだっていたそうです。
 でもこれをインターネットで買うと二万円、三万円もして、とても買うことができないものでした。

しかし彼は子ども礼拝に出て、「何でも、祈ったら聞かれる!」というメッセージを聞いて、祈り始めたそうです。「イエスさま、僕にアトラス・オオカブトをください!」と祈っていたそうです。

するとある日のこと、お母さんが彼に、母親は私の娘ですが、「今日、お母さんのお手伝いをしたら、アトラス・オオカブトが手に入るかもしれないよ!イエスさまが、祈りを聞いてくれるかもしれないよ」と言ったそうです。

なぜ母親はそんなことを言ったのかと言うと、近くのホームセンターで、アトラス・オオカブトの大安売りをしているという情報を手に入れたからです。なんと千円単位で売っているというのです。それで、「祈りが聞かれるかもしれないよ!」と言って、彼が仕事を手伝うようにしたわけです。彼は単純な男で、「分かった!それなら僕も手伝う!」と言って、一日、お母さんの手伝いをしながら、祈っていたそうです。「僕にアトラス・オオカブトをください。」と。

 

やがて仕事が終わって、ホームセンターに行って、「アトラス・オオカブトをください!」と言ったら、店員さんが「それは全て売り切れてしまいました。」と答えたそうです。彼は期待が高まっていましたから、それを聞いて、天国から地獄に落ちたような気分でした。希望を失い、店内で激しく泣いたそうです。それを見た母親も困ってしまって、他のチェーン店の在庫を調べてもらったのですが、他店にも一匹も残ってはいなかったそうです。「これは海外からの輸入で、今年はもう入ってきません。諦めてください。」という答えでした。家に帰っても、彼はずっと泣いていました。

 

母親も困って祈っていたら、「もう一度店に行って、在庫を確認してもらうように。」と主から教えられたようで、翌日、お店に行って再度、在庫を確認してもらったそうです。すると、「一匹あります!」と、昨日まではなかったのが、一匹、他店にいることが分かったのです。それも、豊橋の新しくできたカーマホームセンターに一匹残っている事が分かったのです。

母親は、「すぐに取り置きしておいてください!」と頼み、店員が電話をしてくれました。しかし店員さんがこう言いました。「一匹あるにはあるんですよ。でも、弱っていて、明日まで持つか分からないんです。そして悪いことに、何本か足が第一関節から外れています。」と言うのです。カブトムシは死にそうで、その上に障害があるというわけです。

「明日まで生きていたら、お分けします。」という答えだったそうです。タダでくれるとは言わなかったみたいで、五百円で譲ってくれるということでした。それを聞いた孫は、また泣き伏して、地獄から天国、天国から地獄みたいでした。

「どうする、このカブトムシもらう?やめる?」と聞いたら、しばらく泣いていた彼が、「たぶん、このカブトムシって、かっこいいと思う!だから僕はこれが欲しい!」と答えたました。

なぜ彼が欲しいと言ったのかというと、彼が店に来るまで、YouTubeを見ていたからでした。

どんな動画を見ていたのかというと、パラリンピックの競技を見ていたそうです。手がなくても、足がなくても、大活躍しているパラリンピックの選手たちを見て、「かっこいい!」と感動したそうです。「このオオカブトも、足がないかもしれないけれど、きっと、かっこいいに違いない!」と思ったそうです。パラリンピックの選手と、カブトムシを対比したら申し訳ないですけれど、彼は次の日までそのオオカブトが生きているように、真剣に祈って、翌日、お店に行きました。すると、なんと生きていたのです。

手に取ったカブトムシは、彼の予想通りに、本当にかっこよかったらしいです。その時の記念撮影がこれです。これで一件落着!彼はたいへん喜んで、「イエスさまは祈りを聞いてくれた!」と感謝しました。
 でもストーリーはここで終わりませんでした。そのお店は、新しくできた店だったので、母親は、カブトムシをカウンターに預けて、店内を散策したそうです。そうしたら「夏休みくじ引き大会」が店内で開催されていて、彼はくじを引くことになりました。

何等が出たか思いますか?「一等賞!」と言いたいところですが、四等賞でした。係の人が「これが四等の景品ですよ。」と彼に箱を渡しました。

そしてその箱を開けてみたら、何が入っていたのでしょうか?なんと、五体満足の、アトラス・オオカブトが一匹入っていたのです!

その日彼は、二匹のアトラス・オオカブトのオーナーになってしまいました。

 

彼は、足の取れたオオカブトには、「平安くん」という名前をつけました。また、五体満足のオオカブトには「喜びくん」と名付けて大切に育てました。

しかし一夏過ぎたら、二匹とも死んでしまいました。でもそれをポイとゴミ箱に捨てることができなくて、剥製にしました。彼は今でも、二匹のオオカブトの剥製を大切にしています。

 

昨日、記念撮影をしたのですが、彼は四年生になりました。これはしるしと奇跡を担った、カブトムシたちです。主はこのような昆虫さえも使って、子どもの望みを叶える、芸の細かいお方です。本当に、きめ細かい、配慮の神さまじゃないですか。

 

しかしこの奇跡、ただ子どもを喜ばせるためだけの奇跡だけではないように感じます。これも、時間に関する、神からのしるしであり、奇跡であると信じます。

この二〇一八年の奇跡は、時間に関する奇跡でした。それは今回の家内のためにも主が用意し、皆さんのためにも用意しておられる、しるしと奇跡であると信じ、祈り始めています。