「70年が満ちた2021 回復と再建の年!伝道礼拝 The Gospel」

2021年11月21日(日)新城教会主任牧師 滝元順

イザヤ書61章1節〜4節

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。彼らは昔の廃墟を建て直し、先の荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
頌君の演奏、やはり東京からわざわざ来てくれただけの演奏でしたね。十二月二十四日のクリスマス・コンサートでも演奏してくれます。楽しみにしていただきたいと思います。
「新城教会音楽の歴史」を綴る企画です。限定二百五十席ですので、お早めにチケットをお買い求め下さい。

その他にも、今年は各種クリスマス集会を開催いたします。予定に入れていただきたいと思います。水曜主日礼拝クリスマスは、十二月十五日、中北さんのクラリネットと滝元美佐子さんの伴奏によるコンサートがあります。クラシック音楽です。これも本当に素晴らしいです。会費は八百円になると思います。
また、レッツ・プレイズのクリスマス・パーティーも行われます。クリスマスに向けて、今年は期待したいと思います。

コロナのせいで様々な制約があるのですが、そんな中でも主の守りがあることを本当に感じます。昨日の全国での感染者数は百十二人と発表されていました。少なくなりました。これは絶対に祈りの答えであると信じます。第六波をこさせないためには、さらに心を一つにして祈る必要があると思います。日本で勝利を取ったら、世界でも勝利を取ることができるはずです。
現在、少人数でしか会食出来ないのですが、素晴らしい企画が与えられました。ヘブンズ・アイスクリームにおいて、十二月は一か月間、毎日、小規模の伝道会を開催します。
誰が開催するのかと言ったら、「あなたが主催者」です。一人千円で食事を用意してくれて、その中でHiraku & Norikoが賛美とメッセージを届けてくれます。後から、この企画に関して、詳しい説明があります。まだクリスチャンではない家族などをお連れして、ちょっとしたパーティーをして、その後、ミニ伝道コンサートです。ぜひともご自身で計画していただきたいと思います。いろいろなアイディアを、主が与えてくださって感謝します。

今日は伝道礼拝ということで、初めて教会に来られた方とか、最近、教会に来られた方々に分かりやすくお話しさせていただきたいと願っています。
今日のメッセージタイトルは、「The Gospel」です。ゴスペルとは、先ほど頌君が演奏したのもゴスペル調でした。ゴスペルとは黒人たちの音楽だと考えますが、訳すと「福音、良い知らせ」という意味です。
教会では福音が知らされます。それは「良いお知らせ」です。その内容を凝縮して語っているところが、先ほど読んでいただいた「イザヤ書六十一章一節から四節」です。さらには、六十一章全体です。家に帰ったら、イザヤ書六十一章全体を読んでいただきたいと思います。
『神である主の霊が、わたしの上にある。』とあります。この「わたし」とは誰か、イエスさまのことです。イザヤは、紀元前七〇〇年に活動した預言者です。イエスさまがお生まれになる七百年前にこの言葉を語りました。イエスさまは何のために地上に来られたのでしょうか。
まもなくクリスマスです。イエスさまが地上に来られた目的は貧しい人たちに良い知らせを伝えるためでした。貧しい人たち、心病んでいる人たちに良い知らせを伝えるために来られたのです。
紀元前七百年にイザヤを通して語られた預言が、イエスさまによって実現しました。
ルカの福音書四章十七節から読んでみますと、

『すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。』

イエスさまは、イザヤ書六十一章を実際に開いたのです。昔の聖書には章とか節は付いていませんでした。巻物でした。その中からこの箇所を見つけたのです。

『主の霊がわたしの上にある。貧しい者に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油をそそぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人の目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の者とし、主の恵みの年を告げるために。』

七百年前にイザヤによって語られた箇所を、自ら選び出して、『イエスは人々に向かって話し始められた。あなたがたが耳にした通り、今日この聖書の言葉が実現しました。』
聖書って、すごい書物ですね。七百年も前に語られた預言が、イエスさまによって実現した事が証明されています。

イエスさまがお生まれになったのは、今から二〇二一年前と言われるのですが、西暦には四年の狂いがありますから、四年遡るのではないかと言われます。イエスさまのお生まれの知らせが、最初、誰に知らされたのか、ご存知のように「羊飼いたち」でした。

『さてこの地方で羊飼いたちが野宿をしながら羊の群れを夜番していた。すると主の使いが彼らの所に来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。』

羊飼いたちは夜番をしていました。狼たちから羊を守って焚き火をしていたのでしょう。そんなただ中に、神の栄光が現れて救い主の誕生が告げ知らされたのです。「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
この羊飼いたちは、ベツレヘムという町の郊外の荒野で羊の世話をしていたのですが、「ダビデの町」とは、ベツレヘムのことです。すぐさま彼らは町に入って、イエスさまと出会い、礼拝しました。

イスラエルに行きますと、聖書の情景がよく分かります。今でもイエスさまの時代と同じライフスタイルの羊飼いたちが荒野にはいます。
 この人たちは、遊牧民たちです。遊牧民たちは、何千年も前から、ユダの荒野を行ったり来たりして、牧草を求めて一年中、旅をしています。この人たちには国籍もなく家もないのです。荒野で生まれて荒野で死んでいく、ある意味、世界で最も身分の低いというか、貧しい人たちです。経済的にも保証されていません。
福音は、「最も貧しい人たちに知らされる」と預言されましたが、まさしく、そのことが実現したのです。

今もコロナ問題で、経済格差がものすごく開いていると言われます。富む人はどんどん富み、貧しい人はさらに貧しくなっています。
今回、ワクチンを売っているファイザーみたいな製薬会社は、世界中の人たちが自社製品を買ってくれるわけで、大儲けです。ワクチン二回接種と言っていたのが、三回接種に変わりました。それでさらなる儲けです。彼らは、コロナが終わって欲しいとは、思っていないのではないでしょうか。
日本は中流階級意識の人たちが多い国で、あまり意識しないのですが、世界では、貧困に喘いでいる人たちが多くいます。神さまは、そのような人たちに目を留めておられるのです。ですから私たちも、そのような方々の救いを祈らなければいけないです。新城教会では、ネパール宣教を長いこと続けていますが、コロナが終わったら、もう一度、山に行かなければいけないと思います。

 福音は最初、世界で最も貧しい者たちに届けられました。その内容は、心の癒やし、体の癒やし、そして、『囚人には釈放を』とあるように、霊的解放です。
そもそも「福音」とは、聖書の専用語ではありません。当時のギリシャ・ローマ世界で一般に「福音」という用語は使用されていました。どのような場合で使用されたのかと言うと「戦争に勝った!敵を打ち負かした!」という知らせが、戦場から国民に知らされた時でした。
聖書もその意味を踏襲して、「福音」の真の意味は「敵の手からの解放の知らせ」です。
この世は、様々な文化・習慣があって、多種多様に見えますけれど、本来は、光の国と闇の国の激突です。神の王国と悪魔の王国が激突している現場が、この世です。そのただ中に、私たちは住まわされているのです。
しかしイエスさまが地上に来てくださったゆえに、私たちは敵の手から解放され、心癒され、体も癒されるのです。

伝道礼拝では、聖書を詳しく解説するというよりも、聖書のみことばが現代でも、生きて働き、神は奇跡を行われるという事実を、証ししたいと願っています。
今回も、この十一月、私の周辺に起こされた主のみ業、奇跡についてお話しさせていただきたいです。
『兄弟たちは子羊の血と証しの言葉によって彼に打ち勝った。』とあります。悪魔に打ち勝つ秘訣は、神がなしてくださった良い業を、証しすることが大切です。それが、天の法廷で訴える悪魔の訴えを取り下げるカギです。

この十一月に感動する主の働きがありました。
数年前、私の友人の牧師が新城市に来た時、ある所でトラクトを集合住宅に配布したそうです。
先週「すりだぶ」というミッションの番組の中で「伝道ってどうしたらいいのだろう?」というパートがありました。その中で、「トラクトを手渡す」という話をしていました。誰かに福音を伝えるのは難しいと思わないで、トラクトを配布するだけでもいいのです。
私の友人の牧師がトラクトをある家に、ポストインしたそうです。そうしたらその家の五十代の男性の方が、教会の電話番号が書いてあったので、電話したそうです。それで何年か前から、牧師はその男性に少しずつ福音を伝えたそうです。
最近、その牧師から私に連絡があって、「新城の人なので、関わってくれますか?」と言われました。それで、彼に電話したりしているうちに、「我が家で家庭集会を開催してください」と言われました。それで十一月の初めに、第一回目の家庭集会を開かせていただきました。
その時に、全ての事象は繋がっている!背後に、神の計画があるとびっくりしました。その方は五十代の男性ですが、私は五十年くらい前に彼に出会っていたのです。なぜならば、私が高校生の時に、近くに「弁天住宅」という悪い名前の住宅があるのですが、そこで日曜学校を開いていた時期がありました。毎週、日曜日の午後、賛美歌を歌ったり、子どもたちにカードを配ったりして、聖書の話をしたりしました。なんと、彼は、小学生の時、その日曜学校に毎週来ていたと言うのです。福音の種が彼に入っていたのです。

やがて彼は成長して、その後、精神的な病気になって、社会生活もままならなくなり、悶々とした日々が続いていたというのです。そうしたら、ある日、教会からのトラクトがポストに入っていたのです。彼はそれを読んで感動して、イエスさまのことを聞くようになったのです。
『水の上にパンを投げよ。後の日になってそれを見出す。』とありますが、まさしく、彼は私にとって、水の上のパンでした。

私は瀧川副牧師と一緒にその家に行き、第一回目の家庭集会を行いました。彼は年老いたお母さんと一緒に暮らしているのですが、集会を始めたら、お母さんが部屋に入って来られて、「私も一緒に参加していいかい?」と言うのです。「私はキリスト教じゃなくて、不動さんを信仰しているけれどいいかい?」と言うので、「もちろん、いいですよ。大歓迎です。」と答えました。それで、お母さんも集会に入って一緒に賛美しました。
初めてお会いましたので、お互い、自己紹介をしたら、お母さんが「私の人生は波瀾万丈だった。」と言うわけです。「近頃も大きな手術をして、大変だったけれど、生き抜いてきた。人生は辛いもんだ。」と話されました。
次に私の番になったので、「私の人生もたいへんだった。」と話しました。「家内が膵臓癌になった。」と話すと、「えっ!膵臓癌?」と言うのです。「三ヶ月、四ヶ月の命と宣告されたけれど、三年目に入っていますよ。」と話すと、「それはすごい、本当か!」と言うのです。「私の友達は、膵臓ガンが発見されて、すぐに死んでいった。誰も生きていない。」と言うのです。私は、「教会でみんなが祈ってくれたから、家内は今も生きています。手術も受けることができました。」と話したら、「それはすごいな!」と言って、イエスさまに興味を持ってくれました。