『70年が満ちた2021 回復と再建の年! The Gospel Part 2』

2021年12月5日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ルカの福音書4章17節〜19節

『すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」』

皆さん、おはようございます。インターナショナル賛美チームの賛美、素晴らしいハーモニーでしたね。イエスさまは、すべての民族、国々のために生まれてくださったわけです。それを象徴するかのような賛美でした。

いよいよ十二月になりました。巷はクリスマス一色になっています。十二月は「主がお生まれになったことを記念する月」です。
いつも家内のためにも祈って頂き、心から感謝します。まだ入院中ですが、手術によって胆管を強制的に腸に繋げている為に、つなぎ目が狭窄しています。薬ではなかなか治らなくて、今週あたり、内視鏡で風船のような器具で広げる処置が行われます。是非とも、お祈りいただきたいと願っています。毎日、抗生剤を使っていて、絶食させられたりして、ちょっと苦しんでおりましたけれど、今朝は少し楽だと言っていました。皆さんの祈りによって支えられています。本編の膵臓ガンは勝ち取りましたが、次の段階かなと思って祈っています。お祈りを心から感謝申し上げます。

さて、新城教会におきましては、昨日からクリスマス集会が始まりました。「ヘブンズ・アイスクリーム&コーヒー」の企画で、毎日のように伝道会があります。まだ予定に空きがありますので、企画されるといいと思います。内容はたいへん素晴らしいです。一人千円で五人以上で開催できます。パーティー内容も素晴らしいですし、Hiraku & Norikoが参加者たちのために、特別、歌ってくれて、クリスマスメッセージも語ってくれます。参加者の様子を見ながら、オーダーメイドのメッセージと歌です。讃美歌ばかりではなくて、一般のクリスマスソングも歌ったりして、温かい雰囲気の集りです。

 記念写真も撮ってくれて、その場で渡してくれるらしいです。これは画期的だと思います。まだクリスチャンではないお友達、ご家族を小グループで集めて開催されたら、たいへん良い機会になると思います。クリスマスは、イエスさまのことをお伝えできる、最高のチャンスです。
また、二十四日はクリスマス・コンサートがあります。

まだチケットがあります。二百五十名限定です。今回、グロリアシンガーズも出演するという事で、そちらの方が問題なのですが、ぜひ、お祈り頂き、楽しみにして下さい。
水曜クリスマス集会だとか、様々な、クリスマスイベントがあります。これらはすべて、イエスさまが唯一の神であることをお伝えする、機会です。

実は、「誕生日を祝う」という習慣は、日本においては、私が調べたところでは昭和二十四年ぐらいから意識付けが始まったみたいです。私の少年時代、誕生日を祝ってもらった記憶はありません。
「おっかさん、俺って、いつ生まれたの?」と聞くと、「月夜の晩だったっけなぁ・・。」みたいな感じでした。すごくアバウトでした。世界中、誕生日が意識されるようになったのは、近代のことです。庶民には誕生会はありませんでした。古代の誕生日は、主に宗教的行事で、偉人のような、神のような存在にのみ意識されました。
そもそも、暦、カレンダーとは、権力者のもので、一般は現代のように、時間や日程をしっかりと意識していませんでした。

イエスさまの誕生日は、十二月二十五日と言われますが、これも権力者が決めたものです。紀元四世紀に、ローマ帝国によって決められました。当時のローマでは、ミトラ教の人たちが十二月二十五日に冬至の太陽を拝んでいました。しかしキリスト教が国教化され、クリスチャンも多くなって、両者がぶつかっては困るということで、「ミトラの太陽再生の日を、キリストの誕生日にせよ!」という命令が出されたわけです。
イエスさまの実際の誕生日は、十二月二十五日ではなくて、三百六十四日中のどこかであるわけです。しかし聖書には、その日についての記述はありません。
聖書は一義的には、当時の人たちに対して書かれた書物であり、その人たちが読んで理解した書物です。初代教会の人たちは、イエスさまがいつ頃お生まれになったのか、だいたい把握していたと思われます。その情報が福音書にあるからです。
先週は「霊的戦い専門課程」がありまして、そのことを詳しくお話ししました。今日はサラッといきたいと思います。これを知るためには、聖書暦について理解する必要があります。
現在、私たちは太陽暦で生きています。しかし聖書の暦は太陽暦ではなく、「太陰暦」です。今日を聖書暦で表記すると、テヴェット月、第十の月に当たります。LINE グループにも送らせていただきましたけれど、今日は「第十の月の一日」です。
聖書には第十の月に起こったことが記されています。
創世記八章四節、

『箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。』

と記録されています。ノアの箱舟がいつのことか、どんな季節なのかなんて、あまり考えません。しかし聖書暦が分かると、まさしく今日の出来事である事が分かります。アララテ山に長くとどまっていた箱舟が、だんだん水が引いて、ついに今日、山の頂が見えたというのです。ロマンが沸きますね。しかしロマンではなく、事実です。
今日から、試練の洪水が引いて、山々の頂が見えるようになるといいですね。そのように祈ってみてください。聖書暦を知ると、み言葉が生きて、私たちのただ中に働くきっかけをもたらします。

では、イエスさまの誕生日は実際、いつなのでしょうか?それを調べると、興味深いことが分かります。
イエスさまがお生まれになる六ヶ月前、ヨハネという人物が生まれました。父の名をゼカリヤ、母の名はエリザベツです。この人物は「バプテスマのヨハネ」と呼ばれて、救い主イエスさまを指し示す、重要な役割を担いました。
彼の誕生に関わる情報が、ルカの福音書一章五節にあります。

『ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。』

聖書が記された当時、人々は、この一節だけで、イエスさまはいつ頃生まれたのかを推測できたはずです。なぜかと言いますと、ゼカリヤは祭司でしたが、「アビヤ組」というグループに属する祭司であったからです。
歴代誌第一、二十四章を見ますと、ダビデが祭司たちのグループを二十四に分けたという記録があります。
第一歴代誌二十四章十節、

『第七はコツに、第八はアビヤに、』

「第八はアビヤに、」と記されていますね。これが「アビヤ組」です。第一の月はエホヤリブとエダヤという具合に、二つのグループで一月を、前半と後半に分けて担当していました。第八のアビヤ組は、「第四の月の後半」に奉仕するグループでした。彼らはその期間、神の宮に詰めて、二十四時間主をほめたたえ賛美するレビ人たちと共に、主を礼拝する務めを担ったのです。
ザカリヤは、祭司職の習慣に従ってくじを引いたところ、主の神殿に入って香を焚くことになったわけです。するとみ使いが現れて、子どもが与えられることが告げ知らされたのです。バプテスマのヨハネの誕生も、「良い知らせを伝える」と、み使いは告げました。
祭司たちは神殿で仕える期間、夫婦は別々に過ごしました。しかし神の宮での奉仕が終わると、ゼカリヤは速攻、家に帰っています。
ルカ一章二十三〜二十四節、
『やがて、務めの期間が終わり、彼は自分の家に帰った。しばらくして、妻エリサベツはみごもった。』

ここから、エリサベツに妊娠が確認されたのは、「第五の月」であることがわかります。
その後、処女マリヤが妊娠するわけです。彼女はある日、エリザベツを訪問しています。ガブリエルがマリヤに現れて、「あなたは神の子を宿します。」と告げるわけです。
ルカ一章二十八節、
『御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
ルカ一章三十五節、
『御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」

びっくり仰天することがマリヤに起こったわけです。彼女が戸惑っていると、み使いがこう告げました。「あなたの親戚のエリザベツを見なさい。あの人も年をとっていたけれど子どもを宿しています。不妊の女と言われていたのに、今では六ヶ月です。」
バプテスマのヨハネが宿ったのは「第五の月」でした。その六ヶ月後、「第十の月」にマリヤは妊娠したことになります。そうすると、人が生まれ出る期間を足せば、イエスさまのおおよその誕生日が特定できるわけです。
妊娠して出産まで、大体、二百七十から二百八十日だそうです。約九ヶ月にあたります。
そうすると、イエスさまの誕生月は、「第七の月」、ティシュレイの月となります。太陽暦に換算すると、「九月から十月」に当たります。このことを知るだけでも、今年のクリスマスは違ってくるのではないでしょうか。

さらに旧約聖書には影があって、新約聖書でその影が現実として現れるという、絶妙な関連を意識すると、イエスさまの誕生と、第七の月に関する旧約聖書の情報を確認できます。
第七の月は、ユダヤ人たちの主への祭りの中で、最も重要な月です。その一つがヨム・キプール、「大贖罪の日」です。
そしてもう一つは、「仮庵の祭り」です。仮庵の祭りとは、七日間、もしくは八日間に渡って行われます。イスラエルの民族がエジプトから脱出して、荒野でテント生活をしたことを記念し、忘れないように仮庵を建てて過ごすのです。
イエスさまの誕生日を計算すると、たぶん誕生日は、「仮庵の祭りのただ中」ではないかと言われます。
ここには素晴らしい整合性があります。ヨム・キプールは、イエスさまの十字架を表します。二頭のヤギの一頭は神への生贄、もう一頭はアザゼルに対する勝利の生贄でした。この月にイエスさまがお生まれになったのは、まさに、イエスさまの十字架の勝利を意味し、表します。

また「仮庵の祭り」は、まさに神の子が、「肉体」という仮庵に宿ってくださり、三十三年の間過ごしてくださったことを意味します。
イエスさまは、ユダヤ暦「第七の月」に、被造物全体の救いのために、この地に来てくださったのです。

では、イエスさまがこの地に来てくださった目的は何でしょうか。そのことに関して、前回もお話をさせていただきました。前回はイザヤ書六十一章から引用してお話をさせていただきましたが、今日、読んでいただきました箇所は、ルカの四章です。イザヤの預言が、イエスさまによって「今、成就した。」と宣言されたのです。
イエスさまがこの地上に来られた目的を「一言」でまとめると、「主の恵みの年の実現」です。
『主の恵みの年を告げるために』と結ばれています。

「主の恵みの年」とは何であるのか?これは五十年に一度現れる、一大イベントでした。庶民はその年を待ち望んでいました。それは「ヨベルの年」と呼ばれました。「主の恵みの年」とは、五十年に一度訪れる、特別な年であったのです。
「主の恵みの年」と言うと、「あぁ、主の恵みは毎日あるじゃないか・・・。」みたいに考えるのですが、「ヨベルの年」を表しています。
イエスさまの誕生は、旧約聖書に現された「ヨベルの年」を具現化するための誕生であったのです。
では、「ヨベルの年」とは、一体、どういう年であったのでしょうか。

“この制度はイスラエルの民とそこに住む人々の富を再配分して、富が小数に集中しないようにするための制度と呼ばれる。社会に格差が広がった頃にヨベルの年が来る。”