2026 残された時を、神のみこころに生きる!
~33:3~

日本には元号を自然と使ってしまうシステムがありますが、クリスチャンは、主イエス様がお生まれになった年を起点とする「西暦」を使うべきです。元号は、天皇が人々の時に名を付けて支配するという、霊的束縛システムそのものです。

直線的に時が進む西暦とは異なり、元号は天皇と共に時代が「死と再生を繰り返す」という、日本独特の「循環する時間概念」です。聖書的な時の概念と日本的な時の概念は全く違うのです。聖書の時の概念は直線的です。「天地創造」から始まり「新天新地の創造」に到達する直線的な流れの中に存在しているのです。しかし日本の概念はサイクルです。同じ所をぐるぐると、死と再生の繰り返しです。日本の時の概念に生きていると、「リセットされてもいい」という宣言をしているのと同じです。日本の教会も、ある時は良いけれど、ある時になると駄目になってしまう、その繰り返しです。「リバイバルが起きたけれど駄目になった」と。時を奪われています。もしかしたら元号が深く関係しているのかも知れません。今年は、ぜひ元号を表記しないで、西暦を使用することを心がけて下さい。それは正当な権利として認められています。色々な書類に、既に「令和8年」と記してあっても、二本線を引いてください。そして「2026年」と書けばいいのです。「私たちの時は天地創造から新天新地に向かう時である」という、強力な宣言となります。それは霊的戦いそのものです。それにより、時が奪われずに済むと信じます。ぜひ実行してみてください。振り返った時に「今年は良かったな」と思えると期待しています。

◆二つの「33:3」:絶望から勝利への旋律
ところで今日は、メッセージタイトルを「33:3」とさせていただきました。

「新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。」

という詩篇33篇3節と、エレミヤ書33章3節の二つのみことばを合体させたタイトルです。今日賛美したクワイヤーの名前は、上條頌がつけたのだと思います。 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう」。良い言葉ですよね。良いとこ取りのタイトルですが、この二つのみ言葉が語られた年代を的に考えますと、詩篇の方が年代的には古いです。33篇はダビデが書いたと言われますから、紀元前1000年頃になります。
エレミヤの預言はバビロン捕囚の前ですから、もっと新しくなります。ですから本来、時間軸においては、詩篇が基本となって、それがエレミヤ書に繋がるのが正しい聖書理解になります。

そう考えると、この二つの「33:3」が記された年代的背景には対照的な状況が見えてくるのです。一方は「国家の絶頂期」、もう一方は「国家の滅亡とどん底」です。 エレミヤ書33章3節が語られた時代は、歴史的に特定されています。紀元前588年から587年頃。南ユダ王国の最後の王ゼデキヤの治世10年と記されているからです。

ということは、国家が最高の時に書かれたみことばから、国家がどん底の時に語られた言葉へと繋がることになります。「33.3」は、絶頂期からどん底に向かっていく構図に見えるわけです。……頌はあまり考えずにネーミングしたんじゃないかと思いますが(笑)。このままでは、「ゴスペルグルーブ33:3」は、今が絶頂期で、これからどん底に向かうのです。

しかし、私は頌の伯父に当たりますから、これで終わらせては可哀想ですから、なんとかしないといけません。

エルサレムが新バビロニア帝国のネブカデネザル二世の軍勢に完全に包囲されていた時、エレミヤは「降伏こそが神の意志だ」と説いたために、反逆罪に問われ、王宮の監視の庭の牢獄に閉じ込められました。ユダ王国はもはやこれまで、という完全な手詰まり状態でした。しかし、そこで語られた「知らない大いなること」とは、目の前の滅亡という現実の裏側にある「神による70年後の回復計画」だったのです。当時誰もが信じられなかった軍事・政治的逆転劇を、このみことばは示しているのです。

エレミヤが絶体絶命の時に、神は「わたしを呼べ。そうすればわたしはあなたに答え、あなたが知らない、理解を超えた大いなることをあなたに告げよう」と語られたのです。やはり絶望のどん底で祈る祈りに、神は耳を傾けてくださるということです。

実は、詩篇33篇には作者の名がついていません。32篇と34篇は「ダビデによる」と記されていますが、33篇は誰が書いたのか記録されていないのです。
これについては二つの有力な説があります。

伝統的な理解: ダビデの時代、紀元前1000年頃の国家が一番繁栄した時に書かれたという説。イスラエルが周辺諸国を平定し、聖所を設けた時期。ダビデがレビ人を聖歌隊として組織し、新しい楽器——十弦の琴などを導入した時代。「新しい歌」とは、神が与えた軍事的勝利と平和を祝う、建国期の輝かしい賛美であったという考えです。詩篇の歌とは、「軍事的勝利をセレブレイト(祝福)する歌」です。

近年の学説: 詩篇33篇は「バビロン捕囚から帰還した後の時代」とする見方。国力は衰えているが、神のみことばによって宇宙が作られたという「創世記的」な神学が深まった時期。周辺の帝国——ペルシャやギリシャの巨大な軍事力に対して、「馬や軍勢ではなく、主を恐れることが救いとなる」と歌っています。

もしダビデが書いたとしたら、「神による軍事力で平定できる」と語ったはずですが、33篇では軍事力ではなく主に頼ることが勝利の秘訣だと歌われています。ですから、最近の説ではバビロン捕囚から帰ってきた後に詠まれたのではないかと言われています。私もそうではないかと思うのです。

となると、頌が選んだみことばも生きてきます。どん底から勝利に向かって展開していく時間軸に変化するからです。みことばは本当に大事です。もし詩篇33篇が捕囚後に記されたとすれば、それは紀元前5世紀から4世紀を指すことになり、どん底から勝利へ向かう流れになります。

エレミヤ書33章3節は「壁の中で絶望している個人」への呼びかけであり、詩篇33篇は「広場に集まった共同体」への呼びかけです。エレミヤが監獄で神から受け取った「新しい希望」が、後に捕囚から帰還した民たちの間で「新しい歌(詩篇33篇)」として完成され、歌い継がれていったという歴史の流れとして捉えることができます。

どちらの聖句も、人間の力では崩せない壁に直面した時、「声を出すこと(叫ぶこと、歌うこと)」が突破口になるという霊的な原則を教えています。エレミヤに「知らない」と言われた「大いなること」の具体的な中身が、実は詩篇33篇に散りばめられている、そう考えると、みことばの歴史的な深さが見えてきます。

この二つの聖句には「音響的なグラデーション」があります。エレミヤの叫びは未完成の旋律であり、それが歴史を経て詩篇の新しい歌として、完成されたオーケストラになる。
私たちの人生においても、必死の叫びは、将来歌われる「新しい歌」の第一楽章であるという教訓がここにあります。時に私たちはエレミヤのように絶体絶命、これ以上のどん底はないという体験をしますが、そこで叫ばれる祈りは、将来もたらされる圧倒的な勝利の序曲なのです。エレミヤ33:3は「トンネルの入り口、暗闇での約束」であり、詩篇33:3は「トンネルの出口、光の中での感謝」です。記述された時代は数百年離れているかもしれませんが、それは「神の言葉は人間の限界という要塞を完全に突破する」ことを表しているのです。

バビロン捕囚の70年を経て、絶望の叫びが歓喜の歌へと変わった歴史の流れが、この「33.3」に凝縮されています。私たちの人生もそうでありたいですね。今年は新城教会にとっても、70年という預言の実現の年であってほしいです。

新城教会が最も絶望的だったのは、1992年から93年にかけてでした。93年11月の「甲子園ミッション」を目前にして、どん底を味わったのです。
1992年2月、愛知県民の森で祈っている時に聖霊が注がれて、続いて激しい霊的戦いが起こりました。この国は悪魔に覆われている。覆いを取らない限り、リバイバルは起こらないと、主から直接的に教えられました。聖霊の流れは教会全体に広がりましたが、そうなると悪魔も働きます。教会内部に反対勢力が立ち上がり、「大分裂」が起きたのです。300人近く集まっていた会衆は、120人ぐらいに激減しました。残ったのは若者たちや、私を含めて力のない者たちでした。「甲子園ミッションなんて冗談じゃない、もう無理だ」と誰もが思いました。全員の信仰が試されました。

そんなどん底、教会が最悪の時に、世界的な預言者であるシンディー・ジェイコブスが新城教会に来られました。彼女は神の声を聞く賜物の持ち主で、世界中で用いられている神の器です。
彼女は私たちに、「主はあなたがたに言われます」と、すごい迫力で預言したのです。それが「1993年5月」のことでした。
先週、私はこのことを思い出して、彼女が何を語ったのかをもう一度読み返してみたのです。そうしたら、そのとき語られた約7割が既に実現しています。それと同時に、これはまた「新しい世代」への預言だと感じました。ここでもう一度確認したいと思います。

「わたしはこの場所を、神の聖なる山、全世界のための祈りの山とします。これは単なる象徴ではなく、物質的な実態としての山です。やがて世界中から人々がこの山を訪れ、そこで奇跡が起こります。現在その場所に立ち並んでいる多くの神社は、神の手によって全て取り除かれ、山はあなたがたのものとなります。これは神にしか成し得ない業です。」

これは「県民の森」のことだと思われます。去年も県民の森で、モンゴル、韓国、日本から人々が集まって、聖会が開かれました。

「この教会は宣教の力を増し加え、やがて世界中に教会を持つようになります。日本で最も多くの海外宣教師を派遣する教会となるでしょう。」

この預言の通り、その後、インターナショナル部会ができ、さらに、多くの国々へ宣教に導かれました。別に私たちは、この預言を意識していたわけではありませんが、知らないうちにアジアの諸国や、ネパールの山奥、昨年はゴビ砂漠にまで、今年はカザフスタンへと、主が遣わしてくださっています。

「かつて、木が成長するために剪定が必要なように、この教会も主による剪定(試練)を経験しました。しかし、去っていった人々の代わりに、神はその3倍の人々を送り込みます。彼らは神によって救われる、失われた魂です。」

彼女は教会が分裂して弱体化していることなど、知らなかったはずです。しかし分裂は「剪定だった」と語りました。成長させるために必要だったのです。私もここ数年、試練の連続でしたが、それは私の成長のための剪定でした。今の新城教会は、あの時出ていった人たちの3倍以上になっているのではないでしょうか。

「この教会は大いなる伝道の拠点となり、若い世代の中から日本で最も偉大な伝道者が輩出されます。やがてあなたがたの子孫は、敵の門、悪魔の門を打ち破ります。政治の世界で活躍するダニエルのような者と、豊かな資源をもたらすヨセフのような者が、この教会から現れます。」

政治や経済の領域に関しても、主が導かれ、様々なことが起こってきました。さらに、

「活動の拡大に伴い、必要な施設が整えられます。優れた神学校と、宣教物を発行するための印刷所が設立されます。子供たちのための十分なスペースが与えられ、学校(クリスチャンスクール)も誕生します。」

この預言の後、教育館、神学校、牧師館ができました。印刷所については「プレイズ」ができました。当時は小さな印刷機はありましたが、今や立派なクリスチャン企業となりました。そして、

「神はこの場所に『歌を作る学校』を建てられます。ここから世界中を駆け巡る預言的な歌が生まれます。人々はこの教会で生まれる日本語の賛美を英語に翻訳し、歌うようになるでしょう。」

まさしくこれは「33.3」じゃないですか。賛美の働きは継続していますが、去年から今年にかけて、加速度を増して新しい歌が生まれています。30数年を経て振り返ると、シンディーが語った預言は神の言葉だったと確認出来ます。そうでなければ、新城教会は潰れていたでしょう。