2026年1月11日(日)新城教会主任牧師 滝元順
詩篇 33篇3節 「新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに巧みに弦をかき鳴らせ。」
エレミヤ書 33章3節 「『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』」
ゴスペル・クワイヤー「33.3」の賛美、本当にすごかったですね。明日はコンサートが開かれますので、ぜひともお祈りに加えていただきたいと思います。チケットはソールドアウトらしいです。
いつも話しているのですが、この地域は日本のリバイバルと大きな関わりがあります。日本に最初に教会ができたのは横浜です。ジェームス・バラという宣教師が来て、横浜海岸教会ができました。それが日本のプロテスタント教会の最初です。しかし、このジェームス・バラが来て、大きなリバイバルが起こった地域があるのです。それがどこかと言いますと、この地域です。ここから一時間ぐらい北に行きますと、津具村という所——今は設楽町津具と言いますが、そこに一つの記念碑が建っています。
それはジェームス・バラによって救われた最初の人、村井与三吉の記念碑です。彼が牧師になって、ここに教会ができ、村の半数ぐらいがクリスチャンになったということです。設楽町津具は、新城市の隣に位置しています。
実は、この村に一人の男が生まれました。それが誰かと言うと、滝元明、私の父でした。父は、リバイバル反対の旗振り役みたいな家に生まれました。しかし、リバイバルの火は消えなかったのです。これは明治中期に起こったリバイバルですが、昭和に入ると国家神道が強くなって、全て火が消えてしまったかに見えました。しかし、そんな反対派の中から主は一人の少年を選んで、また日本のリバイバル運動のために使われたのです。私たちが頑張って「甲子園ミッション」を行ったからではなく、主の熱心が、この働きを進めておられるということです。
昨日も、この石碑(賀川豊彦による書です)へ行って、将来献身したい滝元家の私から見たら孫たちの世代を連れて行き、献身を祈らせました。彼らが主に導かれるように祈っていただきたいです。彼らは滝元明を超える伝道者になりたいと願っています。本当に恵まれました。
父がこの村で伝道を始めてから76年の歴史になります。しかし、この新城市に移ってきて教会が設立されてからは、今年は「献堂70年」という記念の年です。私は期待しております。今はもうありませんが豊橋新聞に、1956年、こんな記事が載りました。「神の国を築く設楽教会」。当時は新城市ではなく南設楽郡だったので「設楽教会」と名乗っていたのですが、神の国を築く教会として報道され、1956年から始まりました。今年で70年になるということです。
「70年」は聖書から見ると、特別な「ヨベルの年」です。ヨベルの年とは一般的に50年と言われます。しかし、広く調べていきますと、50年と70年は解放の年として、互いに関連しています。「捕囚からの解放」や「リセット」という共通のテーマを持っているわけです。50年は神が定めた律法であり、70年は「預言の成就」というテーマがあります。ですから、今年は70年ということで、私たちは期待しているのです。
歴代誌第二36章21節では、70年の捕囚がイスラエルの民になされた理由について述べられています。それは過去に守らなかった安息年(ヨベルの年を含む)を、土地に取り戻させるためだと告げています。土地を回復するためにユダの民は、なんと、あの土地から連れ出され、バビロンで70年間を過ごさなければならなかったのです。これって、すごいことじゃないですか。実は私も初めて気づいたのですが、、
「彼は剣を逃れた残りの者たちをバビロンにとらえ移した。こうして彼らはペルシャ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。これは、エレミヤによって告げられた主の言葉が成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が70年を満たすまで、この地は安息を得た。」
と記されています。人は土地から創られています。しかし人はこの土地を軽視しています。土地がなかったら人は生きることはできません。なんと、バビロン捕囚は土地を安息させるためであった、というのです。ということは、もっと土地との関係を正しく理解しなければいけないのです。日本は土地と国民との間に対立関係があります。なぜならば、頻繁に地震があるからです。今週は、1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こった記念の週です。その揺れは尋常じゃなかったと言います。先週も震度5強の地震が島根県東部で起こりました。
実は先週ジョー先生と静岡県磐田市の海岸に行きました。この場所と日本の歴史が深く関係があるからです。1945年8月15日に戦争が終わり、マッカーサーが日本に来たのが8月30日でした。その間の2週間、日本はただ降伏したのではなくて、戦いを続けようという勢力もあって、大きな危機がありました。マッカーサーは戦後の交渉を日本に求めて、日本は「緑十字号」を仕立てて交渉に当たった際、帰りに緑十字号がこの海岸に不時着したのです。もしここで、使節団が死んでいたら、日本の歴史は全く変わりました。今日は時間がないので詳しくは語れませんが、そこに先週友人のジョー先生と一緒に祈りに行きました。
その時に、もう一つのことを祈ったのです。この海岸沿いに東に行くと、浜岡原子力発電所があるのです。実は、東北で大地震が起こった直後、主から「浜岡原発に行って守りを祈りなさい」と導かれました。大地震が起こった日、私は韓国にいましたが、テレビをつけたら日本がすごいことになっていて本当にショックでした。ちょうど静岡空港から韓国に行っていたので、帰国するやいなや、直ちに浜岡原発に向かって、真剣に地域の守りを祈りました。以後、何回も行って、原発が再稼働しないように祈りました。何回も行ったので、警備員に目をつけられて、警備員と喧嘩しました(笑)。そんな時期がありました。
先週、ジョー先生と一緒に「そういえば、浜岡のために祈りましたね」という話をして、再び祈りました。「二度と地震が起きないように、再稼働しないように」と。この近辺には活断層があって、たいへん危ないです。詳しい断層調査する前にできた原発が浜岡原発です。それで、ジョー先生たちと一緒に祈ったのですが、祈りに行った翌日、大ニュースがありました。
なんと、「浜岡原子力発電所再稼働審査白紙」という報道でした。たぶんこの原発は解体される事になるでしょう。なぜならば、審査の書類をごまかしていたからです。私たちが祈りに行った翌日にこの報道とは、たいへん励まされました。神は祈りに必ず応えてくださるということです。様々なことが社会で起きますが、我々クリスチャンが祈らないと、悪い方向に進んでしまいます。神は、クリスチャンに祈る使命と権限を与えておられます。
人生にはどのような意味があるのかと言えば、「神が私たちに用意した『時』の中に生きる」という使命です。今年のテーマのみことばを掲げています。私個人としては、今年のみことばとして、ペテロの手紙第一 4章1節〜2節を挙げさせていただいています。
「キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は罪との関わりを絶っているのです。それはあなたがたが地上での残されたときをもはや人間の欲望にではなく、神の御心に生きるようになるためです。」
主イエス様が私たちの罪のために、また、全被造物のために苦しんでくださったことをよく理解すると、それが自分の武装となり武器となるというのです。2026年、どういうことが起こるのかと、ビクビクしないでください。主イエス様が既に、全ての苦しみを背負ってくださったのです。それをあなたの武具とし、武器としなさいと言うのです。そうすれば、私たちは勝利できます。そして「あなたがたの地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神の御心に生きるように」と勧めているのです。
肉体を持って地上にいる物理的な期間(クロノス)は限られている。その限られた器の中に、もはや欲望ではなく神の御心を詰め込み、天において称賛される新たな伝記を書き示すよう、日々を歩まなければならないということです。
人生には「残高」があるというのです。基本的には、イエス・キリストを信じる前は、自分のためのようで、究極的には悪魔のために人生を消費していました。神に仕えなかった期間を差し引いた残りが「人生の残高」だと言うのです。もし50歳で、20歳の時にクリスチャンになったのなら、残高は30年です。30年を神の「時」の中に生きていくことが、課せられた使命です。
でも、ここにおられる方の多くはクリスチャンです。現在の残高とは、平均寿命から今の年齢を引いた年数になります。それが神に仕えることができる残高になるわけです。1月1日にお話ししましたが、日本の平均寿命は男性が81.5歳、女性は長くて88歳ぐらいです。ですから男性の方ならば、81.5から自分の年齢を引けばいいわけです。女性の方は88歳から引いて残りが、あなたが神に仕えることができる残高です。私はこのメッセージを準備しながら、愕然としました。私は今年75歳ですから、81.5歳から差し引いてみたら、たったの「6.5年」です。一般的にはあと6.5年しかこの地上におりませんので、その後はよろしくお願いいたします(笑)。
若い方々が頑張ってくださっていますから大丈夫です。しかし、たったの6.5年か……と。神の栄光のために日々を使っていかなくちゃいけないと、痛感しました。 けれども、「残された時」とは、平均寿命からの残り年数とも言えますが、聖書的には「主の再臨までの日々」のことです。主イエス様がいつ帰られるか、という人類に残された日々がここにあります。そのために生きるのが人生の本質です。私たちの寿命がいつ終わるのかはわかりませんが、全力で、主の再臨の日に向けて生き抜くことが重要です。
過去はどうであったかは問わない。重要なのは人生の残高をどう使うかである。かつては自分の欲望のためにクロノス時間を浪費したかもしれない。しかし、残された時間の全ては、神の御心という新しい伝記を書くための貴重なリソース(資源)としなければならない。
これがキリストの兵士としての「時の武装」なのです。残された時間を自分の武具として、また武器として歩みなさいとペテロは告げています。ペテロの手紙にある「武装しなさい」という言葉は、ただの武装ではありません。この言葉は、古代ギリシャの重装歩兵が戦場へ赴く際に「完全武装」することを指す軍事用語です。
私たちの日々は霊的な戦いです。この世は悪魔の支配下にあります。常に私たちは武装して世に出ていかなければなりません。簡単に「ヘルメットぐらい被っていればいいかな」というものではないのです。「重装備」だというのです。最強の武装をして前線に出て、最も強い敵と戦うのです。時間を悪魔に取られないようにしたいです。
日本には、神から与えられた「時」を盗むシステムがあるのをご存じでしょうか?このことを意識するだけで、時が悪魔に奪われないと私は確信しています。日本には二つのカレンダーがあります。それは一つは「西暦」。もう一つは「元号」です。元号を使っているのは、今や日本だけです。元号にはどういう意味があるのか。「今年は令和8年」と言いますが、ある教会の礼拝で、「令和○年○月○日の礼拝を始めます」と宣言して始めたので、驚きました。元号というのは、「天地万物を支配する天皇が、時をも支配する」という意味です。元号を使うことは、「天地万物を作ったのは主ではなく、天皇だ」という宣言です。気づいていてもいなくても、使うこと自体が認めることになります。
元号は単なる年のカウントではなく、「時間」という概念そのものを君主が管理・定義するという思想に基づいています。人々が元号を使うことは、とりもなおさず君主が支配する時間の中に身を置くことを意味し、それはその王に対する完全な服従の証であるというのです。