そして、過去に主が何をしてくださったのか、決して忘れてはいけないのです。
詩篇48篇12節~14節
12 シオンを巡り、その周りを歩け。その塔を数えよ。
13 その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。
14 この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神。神は死を越えて私たちを導かれる。
新しい世代に神の働きを受け継ぐ秘訣は、過去に神が何をしてくださったかを忘れず、語り継ぐことです。3月には「数えてみよ主の恵み」集会があります。昔話のように見えるかもしれません。しかし、それらを語り継ぐときに、神は私たちを死を越えて、新しい世代にまで導きを与えてくださるのです。
韓国との良い関係の中で集会を開けるようになったのも、父と田中先生の努力がありました。今回は「滝元明のドラマ」を韓国語に訳して上映します。
父と田中先生が、韓国のリバイバリストの先生方と出会った話もしましたね。ソウル駅で言葉ができず、右往左往していたとき、申賢均(シン・ヒョンギュン)先生が「あなた方日本人ですか。」と日本語で声をかけてくださり、友達になったのがきっかけで、今の関係があります。もし迷っていなければ、良好な関係はなかったかもしれない。道に迷って助けてもらう、その瞬間にも神の働きが関わっているのではないでしょうか。
父は霊的に敏感だったのだと思います。1985年だけではありません。もっと以前、「我土方なれど」の中にもあるように、麻工場で働いていたとき、不思議な声を聞いたらしいのです。
「今日、家に帰るとスウェーデン人宣教師が来て、伝道に来てくれるように依頼します。それからあなたは日本中を回って伝道するようになる」。
普通、仕事中にこんな声を聞いたら、受診したほうがいいかもしれないです(笑)。しかしその日のうちにその声が実現したのです。レナンデル先生夫妻が来て、伝道に来てくださいと依頼し、父は巡回伝道者となり、リバイバリストとなったのです。
そのスウェーデン人宣教師たちがなぜ豊川に来たのか。戦争中豊川には海軍工廠があり爆撃され、若者たちが大量に亡くなったのです。広島・長崎には入れないが、次に悲惨だった地、豊川に入ろう、と彼らは来たのです。しかも彼らはもともとスウェーデン・モンゴルミッションの宣教師たちでした。モンゴルで働いていたのです。しかし中国の共産革命などで追い出され日本に来たのです。モンゴルに宣教師が行った背後にも、聖霊の強い促しがあったはずです。そして神は、モンゴルで終わらせず、日本にまで宣教を進める計画を持っておられたのです。どう説明しても説明しきれない深い計画の中で送られ、今があるということは、ここで終わりではない、次がある。だから期待してほしい、と主は言われます。
キリスト教宣教が広がったのは、犠牲の上で広がってきたのです。殉教のゆえに教会は成長したといえます。私たちはモンゴルに行ったとき、土地に手を置いて真剣に祈りました。なぜなら、スウェーデンの宣教師たちがゴビ砂漠で虐殺され、殉教したからです。その地に血が流された犠牲がなければ、私たちは今ここにいないという思いで祈りました。
殉教者たちは今、何をしているのか。黙示録6章9節~10節がその光景を述べています。
子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。
彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
黙示録は遠い未来の話だけではありません。迫害のただ中にいた聖徒たちに語られた言葉です。殉教者たちは天の教会で、敵を倒してくれというよりも、「新しい天と新しい地が来るように」と、真剣にとりなして祈っているのです。
日本もモンゴルも韓国も、宣教の歴史を紐解けば多くの血が流されてきたのです。テルトゥリアヌスの言葉に「殉教者の血は教会の種である」とあります。私たちはその歴史をしっかり知る必要があります。
韓国は世界でも有数のキリスト教国です。以前は国民の3分の1がクリスチャンでした。今でも約2割と言われます。なぜそんなに多くのクリスチャンが生まれたのか。それはリバイバルと、迫害と殉教の歴史があったからです。日本と韓国は文化が似ています。食べ物も似ています。辛いかどうかの違いくらい(笑)。しかしキリスト教人口は大きく違います。日本は1%弱、今は0.2%もいないかもしれないです。
20世紀、日本の植民地支配下で、韓国の教会は神社参拝の強制に直面しました。日本のクリスチャンの多くは妥協しましたが、韓国のクリスチャンは「偶像礼拝だ」と拒否し、主基徹(チュ・ギチョル)牧師をはじめ、多くの指導者が拷問を受け殉教しました。
そして1919年4月15日、大きな事件が起きました。韓国のキリスト教史に必ず記されている事件です。日本軍は堤岩里のクリスチャンを教会に集め、「謝罪と訓話をする」と言って出入口と窓を封鎖して一斉射撃をし、証拠隠滅のために火を放ったのです。逃げようとした人々も銃剣で殺害し、民家も焼き払い、約30人近くが犠牲になったと言われます。この事件は韓国で今も語り継がれています。
もちろん、その後、心ある日本のクリスチャンが再建のために献金し、和解のために働いた歴史もあります。しかし、日本のクリスチャンがどれほどこの事実を知っているでしょうか。私たちが韓国に行くというのは、この歴史も知った上で、向き合っていくことが必要だと思います。
それでも、キリストによる赦しをもって受け入れてくださる方々に、私たちは感謝し、敬意を払うべきです。
今回春川に行きますが、そこには当時「春川神社」という大きな神社がありました。そこに祀られていたのはスサノオ。新城の富永神社と同じ祭神です。日本は朝鮮半島に1500か所ほど神社を建てたとも言われます。その跡地は今も残り、ホテルが建っています。石段などは日本が作ったものです。こうした悲しい歴史を勝ち取っていくのは、イエスさまの十字架の血以外にありません。だから国々が一つになることが重要なのです。日本はモンゴルにも入り、ノモンハン事件などの歴史もあります。今回の聖会が和解と、更なる飛躍の集会となるよう祈っていただきたいです。
脱北者の方々も参加されます。韓国には脱北者が3万数千人住んでいると言われます。多くは中国に出て、東南アジアを経由して韓国に来ます。中国には10万人ほどの脱北者がいるとも言われます。
そして皆さん、この頃どうでしょう。服は中国製が多いですよね。ユニクロも結局中国で作っているものが多いです。しかし中国の人件費も上がっています。そこで、北朝鮮の労働者が監視下で働かされているケースが多くあります。ミシンがけ、ボタン付け、糸切り、仕上げなど。もしかしたら、今日皆さんが着ている服のボタンを付けたのは北朝鮮の方かもしれないのです。今日の午後、北朝鮮のために祈りたいと思います。
日本人は、こういう歴史や現実をあまり知らないのではないか。目の前のことだけで一喜一憂し、裏金問題で揺れていたのに全員復帰してしまうような、悲しさを感じます。「何とかしてください、主よ」という思いです。
けれども天の教会も一つとなって祈るとき、本当の勝利が来るのではないか、と私は思います。
教会とは何か。真の教会は、天の教会と地の教会が一つとなるときに出来上がるのです。それをヘブル人への手紙から学べます。
ヘブル人への手紙11章40
神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられたので、私たちを抜きにして、彼らが完全な者とされることはなかったのです。
この言葉は、新約の聖徒(地上)と旧約の聖徒(天)が、キリストという一つの土台において分かちがたく結ばれていることを示す重要な聖句です。神の救いの物語は、過去の人々、今を生きる私たち、未来の人々が合流して初めて、一つの神の民として完成を見るのです。
「完成される」と訳されるギリシャ語はテレイオー(τελειόω)です。語源的に的、終わり、ゴールを意味するテロス(τέλος)から派生し、単に終わるのではなく、目的を達し、あるべき完全な姿になる、存在が本来あるべき状態に仕上がる、という意味です。存在が本来あるべき姿に仕上がるためには、天に帰った聖徒たちもこの輪に加わる必要があるのです。地上の教会だけの理解では完成しないのです。
旧約の信仰の英雄たちは天において義人の霊として安息しています。しかし彼らの救いのプロセスは未完です。なぜなら彼らも、私たち地上の聖徒とともに受ける復活の体を待っているからです。救いが完成するのは、主が帰ってこられる時です。神の救済計画という巨大なジグソーパズルは、旧約のピースだけでは完成しない。新約の教会、私たちというピースが最後にはまって、全体の絵(テロス)が完成するのです。
だから天の聖徒たちは、私たちが走るべき道を走り終えるのを、身を乗り出して待っているはずです。新城教会は今年で76年、新城に教会が建って70年。天に帰った新城教会の聖徒たちは、この礼拝の様子を、皆さんの信仰を、身を乗り出して見ているはずです。なぜなら、「あなたたちの働きがないと、私たちも完成しないから」つまり地上の教会だけでは事が完成しない。天の教会と一つになって初めて、主のみわざは現されていく、ということを知っているからです。
この頃私は、天の教会と地の教会が強力に結び合わされないと勝利できない、という示しを受けて祈っていました。すると、先ほどの父の言葉に出会い、学び理解しました。
またそれだけでなく、もっとカジュアルに、はっきりと「天の答えが地上に現れる」奇跡が起きないか、と私は思祈っていました。そうしたら、すごいことが起こったのです。
本当は本人に出てきてもらって証ししてもらうのが一番ですが、昨日「話していいか」と聞いたら「いいよ」と言うので、話します。誰が体験したのか。それは輝くんです。
それは算数のテストの時のことです。彼は小学校4年生。テスト用紙が配られました。普通、答えは書いてないですよね。ところが彼が受け取ったテスト用紙には、全て、赤い文字で答えが書いてあるのが浮かんで見えたというのです。それで彼は計算もしないで、その赤い文字の上をなぞって記入して、提出したそうです。しかし本人もびっくりして「お母さん、今日すごいことがあった。」と話したそうです。
お母さんは、「もしも100点なら神さまから来たかもしれないけど、100点じゃなかったら目が悪いんじゃないの」と言いました。
ところが後日、テストが返ってきたら、何点だったと思いますか。100点だったんですよ。しかも普段はそんなに字がうまくないのに、なぞったからなのか、その日に限って字もきれいだったというのです。私はテストの写真を送ってもらいましたが、小4にしては難しい、計算問題も理論問題もある内容です。にもかかわらず100点。今日ここに本人もいますから、嘘ではないはずです。
これは、輝に100点をあげたいから起きた奇跡、というだけではないと思います。むしろ、私たちのための計画、教会の計画が、天においては100点満点、100%成就した「答え」として既にある、ということを示しているのではないでしょうか。本来、天の教会はそれを地上に投影してくれる存在です。イエスさまの十字架の血潮によって、赤い文字で投影される主のみこころ。しかし私たちが自分の思いで勝手に書き換えてしまうと、減点されてしまうのです。けれども、天の答えをそのままなぞるなら、完全になるのです。
天で100点の答案は、もう出来上がっています。天の教会と地の教会が一つとなり、その間に聖霊が働いてくださるとき、このような奇跡が起こるのです。それを、輝くんという少年を通して、主が私たちに知らせてくださったのではないでしょうか。
いやあ、鳥肌ものですね。今回の聖会も、100点満点を受け取って帰って来れるように、ぜひ祈ってください。
最後に一言、お祈りしてメッセージに代えさせていただきます。
天の父なる神さま、御名をあがめて心から感謝いたします。
この教会において、過去・現在・未来にわたり、主が働き続けてくださっていることを心から感謝します。41年前には信じられないことが、これまで数多く起こってきました。そしてこれからも、私たちの時代に、信じられないみわざを現してください。
すべての栄光をお返しし、尊きイエスさまのみ名によって祈りを御前にお捧げいたします。
アーメン。