2026 残された時を、神のみこころに生きる!
~国々の上に旗を掲げよ~

2026年2月22日(日)新城教会主任牧師 滝元順

イザヤ書 62章10節~11節
10 通れ、通れ、城門を。この民の道を整えよ。盛り上げ、土を盛り上げて大路を造れ。石を除いて、もろもろの民の上に旗を揚げよ。
11 見よ、【主】は地の果てに聞かせられた。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。」

ハレルヤ!今日は2月22日。早いですね。明日から、韓日モンゴル合同リバイバル聖会が韓国で開かれます。行かれる方も、行かれない方も、ぜひ心を合わせて祈り、支えていただきたいのです。

実は今日、お読みした聖書箇所は、昨年のリバイバル聖会のときに、主から語られた言葉でもあります。ですからもう一度、このみことばから学んでいきたいと願っています。

このみことばが何を意味しているのかと言うと、これは預言の言葉です。イスラエルの民がバビロン捕囚から解放され、故郷へ帰る道が整えられる、その様子が描かれているのです。しかし「物理的な道」の準備・整備だけではなく、神が彼らを救い、栄光をもたらすという、希望に満ちた約束のメッセージでもあるわけです。

そればかりではありません。さらにこの表現は旧約の文脈を超えて、イエス・キリストの到来と、彼がもたらす普遍的な救いを指し示し、キリストの再臨によって完成する「新しいシオン」、すなわち神が人とともに住まわれる新天新地の預言でもある、と言えるのです。

聖書は本当にすごい書物です。この一文の中に、過去・現在・未来、そして永遠が包括されているのです。
だからこそ、このみことばを理解することは非常に重要です。
国々が一つになって、やがて新天新地、主の再臨へとつながっていく。私たちが生きている延長線上に、イエスさまが来られ、天と地が新しくされる――いわば「アップデート」される日が来る。正直、信じがたいと思う人もいるでしょう。

先週は、信じがたいニュースがありました。アメリカの元大統領オバマが「宇宙人がいる」という趣旨の発言をしたからです。それをまたトランプが「国家機密を漏らした」などと言ってです。ということは、宇宙人はいるという話になります。

皆さんはどう思いますか。私は「いる」と思うんですよ。なぜなら、この広い宇宙の中に、星々がどれだけあるのかわかりません。そこに人間以外の存在が、いないというほうが不自然でしょう。聖書は地球、そして人間に焦点が当たっているので、他の星々のことは書かれていません。しかし、いたとしても――イエスさまはこの地球に、私たちのために来てくださった。これは本当に感謝なことです。

さて、教会とは「過去・現在・未来を貫くもの」である、ということを私は最近お話ししています。先日も触れましたけれども、何週間か前、私の父の記念ルーム(2階にありますね)で、早天祈祷会のときに何気なく棚を見たんです。そこには父が残した資料がいろいろあります。その中に、1985年にこの教会で9日間の伝道集会をした記録がありました。今から41年前です。9日間の伝道集会、覚えている方いますか。私は全然覚えていません。

そのファイルの中に、初日のメッセージが文字起こしされていました。そこに、父がある意味で預言的な言葉を語っていたのです。

私は「教会というのは地上だけのものではない。天の教会があり、天の教会と地の教会が一つとなるときに、本物の教会が現れる」ということを、最近、主から教えられています。だから、何か証拠となる、天からの声が欲しいと願っていました。このファイルは、まさに天からの声でした。

「今年の1月(1985年)の初めに、私たちは県民の森に入り、真剣に祈りのときを持ちました。そのとき私は一つのことを真剣に祈りました。『新城教会になさろうとしていることのビジョンを見せてください。幻を見せてください』と。県民の森の山の上に登り、大声で叫んで祈り求めました。そのとき神さまが、ビジョンというか啓示を心の中に静かに語りかけてくださり、こういうみことばを与えてくださいました。使徒の働き13章41節のことばです。『私はお前たちの時代に一つのことをする。それはお前たちがどんなに説明しても到底信じられないほどのことである』。このことばを神が私のうちに語ってくださいました。到底説明しても信じられないほどの素晴らしいことを神さまがこの教会の中に、この新城の中に起こしてくださることを、私は心から信じています。ですから皆さんも期待を持っていただきたい。」

――こう勧められていたのです。

新城教会とリバイバルミッションの働きを一番愛していたのは誰かと言えば、他でもなく、やはり私の父だと思います。私も本当に愛しています。皆さんも愛しています。でも、教会を創設した父が、この教会の働き、リバイバルビジョンの未来のために、真剣に祈った祈りには、重みを感じるわけです。

愛知県民の森の険しい岩山の上に登って、1月の寒風吹きすさぶ中で、「主よ、ビジョンを見せてください」と祈った。そのときに与えられた言葉が、「私はお前たちの時代に一つのことをする。それは説明しても信じられないほどのことである」。しかも、ここは「お前たち」と複数形になっている。つまり、滝元明の時代だけではなく、滝元順の時代だけでもない。新しい世代を超えて、主が帰られるその日まで続く、預言的な言葉だと私は受け取りました。

実際この41年の間に、信じられない神のわざが多く起こったじゃないですか。しかし、ここに及んでこの言葉がもう一度開かれたことは、きっと次がある、次に主がなさることがあるのです。

私はこれを、天からの励ましの声として受け取りました。

1992年に、預言者シンディー・ジェイコブスが来て、「新城教会は日本で一番多くの宣教師を送るようになる」と言われました。それはある意味で実現しました。ネパールに何十人も短期宣教に行ったり、モンゴルに行ったり、韓国に行ったりと、短期宣教とはいえ、本当に大勢が宣教に出て行っています。1985年の時点で、そんな未来を誰が想像できたでしょうか。

昨年も、愛知県民の森で、モンゴル、韓国、日本、そして脱北者の方々も含めた聖会がありました。そこで「石を除いて、もろもろの民の上に旗を掲げよ」と主が語られました。国々の間には痛みや苦しみ、いらない石がゴロゴロ転がっています。しかし、それらが取り除かれて旗を掲げるというのは、「勝利の旗印」です。戦いに勝利した結果である、ということです。

今まで敵対していた国々が一つになって主を賛美する。それは何を意味するのか。やがて信じられないことが起こる、それは主が帰ってこられる日が近づいている、ということです。

今年のテーマは「残された時を神のみこころに生きる」、時を無駄にしないように、ということです。私たちは日々の歩みの中で、ゴールを目指して進んでいきたいです。
今回、韓国で行われる聖会は、単なるフェスティバルではありません。主が帰ってこられる道を用意する働きです。まさしく「石を除いて、もろもろの民の上に旗を掲げる」重要な働きであり、そのゴールは主の再臨へとつながっていきます。だから行かれる方も行かれない方も、心して祈り、支えていただきたいのです。

今回の会場は、韓国の春川(チュンチョン)という町から少し南に下った「加平(カピョン)」です。主催は春川の教会のイ・ビョンチョル先生が中心となって準備してくださっています。春川と聞くと、昔「冬のソナタ」で有名になりましたね。春川に行ったことがある、という方はいますか(笑)?しかし、春川は、40キロ行けば北朝鮮です。

私たちは今回、北朝鮮を見ながら祈るプログラムも持ちます。そこは簡単には行けない場所です。日本海側の海岸端です。目の前に北朝鮮が見えます。

加平には、巨大な建物があります。それは統一教会の本部です。あれほどのものが、多くの日本人から騙し取った金で建てられたと思うと、正直腹が立ちます。異端から人々が解放されるように祈りたいと思っています。

さて、日本からモンゴルに至る地域を北上して見ると、日本、韓国、北朝鮮、中国、内モンゴル、そしてモンゴルとつながっていきます。中国の人口は圧倒的で、14億1000万人とも言われます。内モンゴルは中国領ですが、そこにはモンゴル系の人々が多く住み、その人口は約2400万人。日本は約1億2400万人、韓国は約5100万人、北朝鮮は約2600万人、モンゴルは約350万人です。内モンゴルと合わせると、かなりの数のモンゴル系の人々がいることになります。

かつてモンゴル帝国は世界を制覇し、史上最大級の帝国を築いた騎馬民族です。本来、ものすごいパワーを持つ民族です。その地域の多くは共産圏、あるいはイスラム圏で、福音宣教が難しい地域です。そのただ中で、日本・韓国・モンゴルが一つになって宣教のために働く。これは神の国の働きにおいて、大きな意味があると信じます。

モンゴルは1992年まで社会主義国家でした。しかし今は自由主義陣営に入り、信教の自由も保障されました。社会主義とイスラムに囲まれたただ中で、モンゴルだけが「鍵穴」のように宣教の拠点となり得る場所です。相撲部屋ならともかく、教会がモンゴルとつながるのは簡単ではありません。しかし主は韓国リバイバルミッションを通して導いてくださった。しかも向こうから「日本と一緒にやりたい」と声をかけてくださったのです。

来月はムンフ先生がここで礼拝メッセージをしてくださいます。モンゴルが福音化し、さらに力をつけていけば、社会主義の国々やイスラム圏へ福音を伝える拠点になります。今年の夏には、さらに西のカザフスタン方面でリバイバルミッションを依頼されています。たまには人生、冒険してもいいんじゃないですか。

日本人は案外、冒険心が少ないように感じます。海外に行くと緊張し、水は大丈夫か、事故に遭わないか、とびくびくします。でも海外の方々は、どこに行っても結構、楽しんでいます。そこを自分の場所にして、リラックスしているのを見て、「日本人にないものだと感じます。これから新城教会の若者たちは、どこに行ってもリラックスし、そこに拠点を作ってしまうような人物になってほしいです。そして、モンゴルが拠点となって宣教が進むように、祈っていただきたいです。

なぜ日本人は緊張するのか。それは日本は何か特別な国だ、と洗脳されている部分が影響しているような気がします。日本は決して特別な国ではありません。日本人がこの土地から生え出てきたように思うのは大間違いです。人類はアダムとエバから始まり、バベルの塔から散らされて国々ができたからです。

日本がどうやってできたか。中央アジア周辺にいた騎馬民族が日本に入り、国が形成された、という見方もあります。朝鮮半島南部には1世紀頃、伽耶(かや)という国があり、鉄が取れて強い民族でした。私は伽耶博物館で、伽耶の騎馬隊の写真を撮ってきました。日本には、伽耶の人々が関わったのではないかと思われる古墳が多くあります。豊橋市石巻町にも古墳がたくさんあり、4世紀から7世紀頃にかけて造られたと言われますが、見てみると韓国の古墳と似ています。

そこから出てくる馬具、鎧兜なども、韓国のものと非常によく似ている。日本の考古学者は「もらったのだろう」と言いますが、私は「入ってきた」と思います。伽耶の人々が日本に入って九州王朝を作り、その後大和朝廷が形成された、という見方もあります。奈良は韓国語で「国」を意味します。つまり本来は同じルーツを持つ者たちが、歴史の狭間の中で、互いを「特殊な存在」と思い込まされてきた部分があるのです。

私たちは神の国に属する者です。国ごとの枠組みに騙されてはいけないのです。だからこそ、このような聖会を通して枠組みが外されることは、本当に重要だと私は考えます。

昨年はモンゴルのゴビ砂漠に行かせていただきました。子どもたちにとっても良い経験でした。今度はゴビ砂漠どころか、さらに西のカザフ方面に行きます。人生一度きりです。貴重な経験ですからぜひ参加していただきたいです。

モンゴルは広い。人は350万人しかいないのに、牛や馬など家畜は5000万頭いるというのです。昨年、そこで遊牧民の方々と一緒にリバイバル聖会ができました。41年前に父が「信じられないことが起きる」と語ったとき、予想もしなかったことが、現実に起きています。ということは、これからも主は、すごいことをしてくださるから期待していただきたいです。