先々週、私が韓国で「天と地にある教会」についてお話ししたことを語らせていただきました。その後、ドイツで働いておられる韓国人の宣教師の方が、一冊の本を携えてこられました。彼女は私たちが参加した集会に出席するためにドイツから韓国に戻ってこられたそうですが、出発する際、聖霊様から「この本を持って行きなさい」と語られたそうです。「なぜこのような本を持って行くのだろう」と不思議に思いながら飛行機の中で読まれたそうですが、それはモラビア兄弟団の歴史を扱う「ウニタス・フラトルム(兄弟たちの一致)」という研究本の第47号でした。
しかし驚くべきことに、その本の内容を、私がまさに聖会で語ったというのです。それで彼女は、なぜ主がこれを持って行けと言われたのかが理解でき、大変興奮して話しておられました。この本の表紙の挿絵は、地上の教会と天の教会が一つに溶け合っている様子を描いています。実は、プロテスタント教会の原点や世界宣教の原点には、モラビア兄弟団の働きが関わっています。
1727年8月13日、彼らは聖餐式礼拝の中で強烈な聖霊体験をしました。これは「ヘルンフートのリバイバル」と呼ばれています。
そこで彼らが教えられたのが、他でもない、このイラストに示されている内容でした。「教会は地上だけのものではない。天も一つになって教会なのだ」ということを、彼らは聖霊によって示されたのです。このイラストでは、1階の人々も2階の人々も共にひれ伏し、中央におられる小羊イエス様が礼拝されています。2階席とは天上の教会、すなわち召されて天国へ行かれた方々の教会を表し、1階は今生きている者たちの教会です。それが礼拝の時に一つになるのだと主から教えられ、その理解の中で聖餐式を行っていた時に、激しく聖霊が注がれたのです。
そこから何が始まったかと言えば、彼らは24時間絶え間なく、祈りと賛美を開始いたしました。1人が祈りを終えると次の人が、というように、昼も夜も途絶えることなく続けられました。私たちも聖霊が注がれた時、24時間のPPHを行いましたが、ヘルンフートの人たちは、この祈りと賛美を実に、100年以上も継続したのです。1時間ずつ区切って、男性の祈祷室と女性の祈祷室を設け、100年もの間続けたというのですから、驚くべきことです。
そのような中から世界宣教が誕生しました。当時のヨーロッパの教会がほとんど宣教に動いていなかった時代に、彼らは自ら志願して困難な場所へと赴きました。奴隷の人たちに福音を伝えるために、自らが奴隷となってまでカリブ海の島々へ入っていったのです。
そうした流れの中で、彼らはモンゴルへも宣教に赴きました。現代における世界宣教の原点は、このモラビア兄弟団のヘルンフートという町で「天と地が一つである」という教会の奥義が示された時に始まったのです。私も今回、韓国人の宣教師の方がきっかけを作ってくださったことで、一生懸命、その歴史を調査し勉強するようになりました。
彼らの祈りは「神に何かを起こしてもらう手段」ではなく、「神の御座の前に地上が参加すること」でした。祈りとは単に「神様どうにかしてください」と願うことではなく、すでに神の世界において完璧に成されている御心に対し、そこに参加することこそが祈りなのです。礼拝もまた、天上の礼拝に参加することこそが真の礼拝であります。「天と地が一つである」ことを彼らが悟った時、聖霊が注がれてリバイバルが始まり、世界宣教へと導かれたのです。私自身、このことに気づかせていただいたことを心から感謝しております。
しかしこれはモラビアの人たちだけのことではなく、教会史を紐解けば、天の教会(主のもとにある聖徒)と地上の教会(現在生きている信徒)の一致を強調した人物や運動は決して少なくありません。実は多くの先人たちがこの真理に気づいていました。
結論を申し上げれば、正教会、カトリック、宗教改革、敬虔主義、モラビア──これらすべてに共通する古典的な教会理解なのです。つまりこれは特殊な教えではなく、古代教会以来の主流となる教理であります。
実は2023年に私が初めてこのことを語った際、「順先生がまた特殊なことを言い出した」と批判を受けたことがありました。「奥さんを亡くして悲しいのは分かるが、教会は地上だけのものであり、天上は関係ない」と言いに来られた方もいました。しかし、断じてそうではありません。なぜ現代の教会でこれがほとんど語られないのかと言えば、否定されたのではなく、教会理解の重心が別の場所に移動してしまったからなのです。初代教会の時代において、教会が地上と天で一つであるという理解は「常識」でした。しかし、近代西洋において「目に見えるもの、数値化できるもの」を優先する傾向が強まった結果、教会は見えない世界との共同体というよりも、今ここに集まっている可視的な集団としてのみ理解されるようになってしまったのです。
しかし、マルティン・ルターの小教理問答も、スイス信仰告白も、「戦う教会(地上)」と「勝利した教会(天)」が互いに交わりと結合を持つと言明しております。すなわちこの主題自体は特殊な教理ではなく、プロテスタントの伝統において広く共有されてきた中核的な遺産なのです。ただ、救済論や聖書論が前景に立ち、教会論や終末論が二次的な扱いになったために、暗黙のうちに持っているはずの教理が忘れ去られているのです。
神学者のトーマス・オーデンは、現代のキリスト者が「集団的健忘症」に陥っていると評していますが、それはまさにこの伝統的な理解を失念していることを指しています。
現代の世界の教会は「集団的認知症」の状態にあると言えるかもしれません。なぜなら、教会は天と地で一つであるという本質を忘れてしまっているからです。だからこそ教会が長続きしない。韓国ではコロナ禍で3割の教会が姿を消し、日本でも相当数の教会が失われたという説もあります。それは、教会自体の定義が誤っているからかもしれません。
今日お読みしたヘブル人への手紙 第12章の御言葉は、天の教会について極めて重要な鍵となります。
「あなたがたが近づいているのは……」という言葉がありますが、この動詞「近づく」にはギリシャ語の完了形が用いられています。これは「将来いつか行く」という未来形ではなく、「すでに到達し、その状態が現在も継続している」ことを意味しています。肉眼では地上の困難の中にいたとしても、霊的な現実としては、私たちはすでに天のエルサレムという恵みの頂に到達している──その力強い宣言なのです。
私たちは決して地上だけで礼拝を守っているのではありません。天上と一つになって礼拝を捧げているのです。
第一に、礼拝は天的現実であり、地上の行為を通して天の教会に参与しています。
第二に、召された人たちは決して消えたのではなく、義人たちの霊として今も存在しています。
第三に、教会は地上と天に分断されておらず、本質的に一つです。
第四に、その中心は仲介者イエスによってのみ成立しています。
以前もお話ししましたが、真の教会とは、地の教会と天の教会が一つになる時に成立するのです。私たちはこの世界からイエス様の十字架を仰ぎ見ていますが、天に帰られた兄弟姉妹たちは、天の教会から同じイエス様を仰ぎ見ておられる。まさにモラビア兄弟団が主から教えられた、あの絵に描かれている教会そのものなのです。この真理を理解すれば、あらゆる物事の見方が変わってくると私は信じています。
最近、何が起こったかと言えば、輝くんが100点を取ったという奇跡が起きたり、父が1985年に預言した言葉がふと甦ったりいたしました。これから何が起こるのか、私は本当に胸を高鳴らせています。
ヨハネの黙示録には「七つの教会」が登場しますが、これは単なる当時の地域教会を指すだけでなく、すべての時代の教会を累計した象徴であり、個々の信者にも適用されるものです。そして七つの教会について述べられた後の第4章からは、天の礼拝の光景が描かれています。
黙示録 第5章13節には、すべての造られたものが御座におられる方と小羊を賛美する場面があります。これは、七つの教会が天の教会の地上的な表れであり、その完成形が「新しいエルサレム」であることを示しているのです。すなわち地上教会は、すでに天の現実の中にあるのです。本物の完全な七つの教会は「先に天にあった」のです。天において教会が計画され、その反映として地上の教会が誕生しました。天にある完全な教会がまず存在し、それが投影されてこの地にある教会が形成されたのです。地上は戦いの教会ですから、困難に直面することもあるかもしれませんが、100点満点の完成された姿はすでに天にあります。ですから、地上だけの教会だと思い込んでいては、天の力を受けることはできません。すでに天にある完全な姿を祈り求めていくとき、それは必ず地上に具現化されるのです。
ということは、七つの教会がそれぞれ町の名を名乗っていたように、天には「新城」という名がついた教会があると理解してよいはずです。先に天に帰られた兄弟姉妹たちは、天の新城教会で過ごし、新城教会の礼拝にも参列されています。今回、1980年の記念誌を拝見し、メンバーは移り変わっていきますが、皆さんは上へ昇り、天の教会へと移られたのだと実感いたしました。あと10年もすれば私もどうなっているか……決して不安に思っているわけではありませんが、時代は確実に変わっていきます。指導者もまた交代していきます。
4月5日の復活祭には、副牧師の二人に「牧師」を任命する式を行いたいと思います。真の主任牧師はイエス様であり、あとは皆で話し合いながら運営していく──。今年で私も75歳になりますが、天に帰られた方々は私たちの応援団であり、新城教会の教会員そのものなのです。
モラビアの人々がこの真理に気づいて祈り始めた時、1727年に凄まじいリバイバルが起こりました。私たちの24時間賛美や世界宣教への導きも、同じ聖霊様の流れの中にあります。きっと天の教会では、「地上の教会が、本当の意味での教会を理解できるように」と切に祈ってくれているはずです。
なぜそこまで一生懸命に祈るのか。それは、イエス様が帰還される日が近いからです。教会は天と地を繋ぐ「特殊空間」であります。イエス様の再臨とは、主がこの地に降り立ち、世界の王として治めてくださる日のことです。現在、世界情勢は厳しく、日本もいつ戦禍に巻き込まれるか分かりません。イエス様が帰られるその日まで悪魔の支配は続きますが、天と地を結ぶ「鍵」を持っているのは教会だけです。私たちがそのことに気づき、真剣にとりなすならば、イエス様が地上に帰還され、この地球そのものが天と地が出会う特殊空間へと変えられるのではないでしょうか。
5月の連休には「天と地を結ぶ天の教会での祈り」として24時間連続の祈祷会を計画しております。1日を100年と見なして祈りたいと思います。男性24名、女性24名を募集し、1人1時間ずつ、天の礼拝に参加しているという意識で祈りを捧げます。終了後には親睦のバーベキューも考えております。
このような真理を教えてくださった主に心から感謝いたします。これは決して偶然ではなく、時が迫っている証拠であると確信しております。「残された時を、神のみ心に生きる」。私たちの本部は天にある教会です。イエス様が帰られる日を目指して、共に戦い続けてまいりましょう。午後の集会におきましても、教会の歴史を深く知り、心を燃やしていただきたいと願っています。8月のモンゴル宣教も、イエス様が帰られる道を用意する働きとして、共に備えてまいりましょう。
(祈祷)
天の父なる神様、御名を崇めて心から感謝いたします。これまであなたが新城教会を導いてくださいました。先に天で計画し、この地に投影してくださったこの教会で、あなたが帰られるその日まで戦い続けていきたいと願っております。主よ、私たちを用いてください。これから何をなすべきか、主が教えてくださいますように。尊いイエス様のみ名によってお祈りいたします。アーメン。