2026 残された時を、神のみこころに生きる!
教会はどこにある Part 2.
天と地の教会

2026年3月22日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ヘブル人への手紙 第12章 22節から24節
22 しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、
23 天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、
24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。

皆さん、おはようございます。ハレルヤ。
大変暖かくなりまして、過ごしやすくなってまいりました。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。花粉症の方も、少しは楽になられたのかもしれません。日本は四季がはっきりしておりまして、これも神の恵みであると感じます。

今、世界を見る時に、戦争が止まず、これからどうなるのかと本当に心配です。ガソリンの価格もかなり上がりました。こうしたガソリン価格高騰の中にありながら、礼拝に出席してくださいましたことに、心から感謝しております。今や、日本と世界は一つでありますので、日本だけが無関係でいられません。世界情勢を注視しながら、とりなし、祈る必要があります。やはり、イエス様がこの地に帰還してくださらないことには収まらないのだということを、日々感じておられるのではないかと思うのです。

今日は「教会はどこにある」というお話をさせていただきますが、これは私自身、主から示しを受け、2023年2月26日に語らせていただきました。2022年12月18日に私の家内が召天しまして、私にとって思いもよらないことが起こったわけです。そんな中、それまで深く考えなかった「教会とは地上だけの存在ではない」ということを思い始めました。教会とは天と地が一つとなって、初めて教会として成るのだということを実感するようになりました。今日はその続きとなるお話をさせていただきます。

先週はムンフ先生ご夫妻が来てくださいまして、大変素晴らしいメッセージを語ってくださいました。先生のメッセージは預言的であり、新城教会のこれから歩むべき道を指し示してくださったような気がしました。心が燃やされました。私たちはつい神様に「これをください、ああしてください、こうしてください」と要求する祈りをしがちですが、そうではなく「神様、私はここにいます、私を使ってください」という応答、それこそが本当の礼拝であると語られていました。

それは重要なことであり、私自身がイエス様の帰られる道を作っていかなくてはいけないことを、強く認識させられました。また午後からのセミナーも本当に良かったですね。今年の8月に、モンゴルにおいて、ぜひ新城教会の兄弟姉妹を中心に働きを継続したいとの要請をいただきまして、カザフスタンに近い西側で宣教をしたいと願っておられます。

私はネパールへは何度も赴きましたが、まさかヒマラヤの北側、中央アジア方面に導いてくださるとは、考えておりませんでした。しかし韓国との一致が新しい扉を開いたのです。ムンフ先生は午後の聖会で、どうして日本と共に歩むように導かれたのかをお話しされていました。主から直接「日本と共に戦いなさい」と語られたということです。私たちに主が期待を寄せてくださっていることを、光栄に感じております。

モンゴルという国は、現代においてはあまり特徴づけられている国ではありませんが、かつては世界最大の帝国でありました。しかし宣教という視点におきましては、現代において、モンゴルは中央アジアにおける唯一の自由諸国の一員であり、ここから共産諸国やイスラム諸国に宣教を展開できる重要な国であるというお話も伺いました。日本、韓国、そしてモンゴルの三国が、神の国の三国同盟として戦い続けたいと願っております。

新城教会は、今年で宣教76年を迎えます。そして新城の地で礼拝が始められてから、今年で70年の歴史となります。何回もこの年表をお見せしておりますが、1950年に私の父が宣教をこの地域で開始したことからスタートしました。また、今私たちが礼拝に用いているこの会堂は、1980年に献堂されたものです。今でも「新会堂」のような気分でおりますが、すでに46年もの月日が経過しております。

どうでしょうか、皆さんのご自宅でも46年経てば、相当古く感じて「そろそろ建て替えを考えなければ・・」と思われるかもしれません。しかし、この会堂は非常に堅牢に造られており、46年経っても立派に機能しております。私も当時の建築委員会の一人として祈り、韓国などへも視察に赴き、「最高のものを主に献げたい!」という一心で設計したのがこの会堂でした。それ以前は、木造の会堂がこの場所に建っていました。

時期の教会を知っているという方は、どのくらいおられますでしょうか。少ないですね、ちらほらといったところでしょうか。その当時の方々はどうされたのでしょうか。多分、その多くが天国へ行かれたのかもしれません。

今日は午後から、岡本正広先生──先生とお呼びしたほうがいいですね──彼が企画している「数えてみよ主の恵み Part 6」が開催されます。すごいですね。今日はどうぞ期待してください。スペシャルな内容です。

まずは、「新城教会30年の歩み」という、1980年に発行された記念誌の復刻版を、午後の会に出席してくださった方々のご家族に一冊ずつ進呈してくださるそうです。これは岡本正広さんのポケットマネーで発行されました。貴重な資料であります。
これを見ますと、1980年当時、この教会がどのような雰囲気であったのかがよく分かります。その頃、集っていた兄弟姉妹の写真も掲載されています。

拝見させていただきますと、すでに半分以上の方々、あるいはそれ以上でしょうか、天国へ召されたという現実が見て取れます。新城教会は1950年から始まったのですが、これまで何度も、大きな宣教のうねりがありました。

1950年に父がこの地に入り、青年たちが救われ、そして1960年代には、製材所で働いていた職工さんたちに聖霊が注がれて「山の中に宣教に行け」と主から語られました。その結果、設楽教会、東栄教会、北遠教会という、山中に三つの教会が誕生したのです。宣教に遣わされて行った青年たちは、本来「将来、名古屋か東京で材木問屋として成功したい」という夢を抱いていた人たちでした。しかし彼らに聖霊が注がれた時、主から「誰か山の中で宣教をしてくれる人はいないか」という問いかけを受け、「はい、私がここにいます」と応答したのです。

残念ながら三つの教会のうち、定期的に礼拝が行われているのは設楽教会のみとなってしまいました。最近は、私もそこで奉仕をさせていただいております。

そして午後からは、菅沼先生の奥様である志保先生がお話ししてくださいます。なぜならば、今回のテーマである1970年から80年の間に、彼女は新城教会で救われ、献身して、牧師夫人となられたからです。70年代にも宣教のうねりがあり、多くの方々が宣教へと出ていきました。1970年、80年代は、まだ封建的な価値観が残っており、迫害があった時代です。迫害を押し切ってクリスチャンになった方がどのくらいおられるか分かりませんが、彼女などは、家からの激しい迫害をくぐり抜けてクリスチャンになったのです。今回、そのような証しもしてくださいますから、ぜひとも期待していただきたいと思います。

もうお一人、森勝利兄弟も証しをしてくださいます。彼は一昨年、叙勲されました。いわば人間国宝のような方です。今日は楽しみですね。午後はぜひとも、「数えてみよ主の恵み」に出席していただきたいと思うのです。

教会は、歴史を振り返る時、様々な場面で主が働かれたその奇跡の歴史を見ることができます。私たちはその恵みを決して忘れてはいけないのです。
教会とは、旧約聖書の概念に照らせば「特殊空間」です。天と地が出会う場所、それこそが教会であります。ここで神様が出会ってくださるのです。旧約聖書の視点から見れば、この空間そのものが神の宮であり、特別な場所なのです。新約聖書の時代でもその概念は引き継がれていますから、皆さんがここに集まってくださることは、極めて重要な意味を持ちます。

ヘブル人への手紙 第9章24節に次のような言葉があります。
「キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして今、私たちのために神の御前に現れてくださいます」

4月5日は復活祭です。イエス様は十字架にかかり、復活され、どこに行かれたかと言えば「天の神殿」いや、天そのものに入られたのです。地上の人の手で作った神殿にはおられないのです。「それでは神様と会うことができない」と思われるかもしれません。しかし、神は「特殊空間としての教会」を設けてくださったわけです。私たちが教会で礼拝を捧げる時、天と地が出会うのです。ですから私たちは、この会堂を大切にしなければならないわけです。

今日はお知らせのようなメッセージも含まれますが、そのお知らせの中に、神様のメッセージが込められておりますので、どうぞ聞き漏らさないでください。
何十年もの間に社会は大きく動いており、技術革新も、教会の様々な働きとシンクロしています。今日も賛美を捧げましたが、歌詞などが映像に映し出されました。しかし昔はプロジェクターなどありませんでしたから、オーバーヘッドプロジェクター(OHP)でした。それでも当時は画期的なものでした。

今から30年、40年前のことです。その頃の新城教会には、OHPを扱うプロのような、油注がれた器がいまして、多くの賛美ファイルの中から一瞬にして引き出し、OHPにポンと乗せて賛美を先導する──たいへん素晴らしい働きでした。N姉妹という、特別に油注がれた方がおられました。本当に凄かった。しかし、それが液晶プロジェクターへと変わり、コンピュータを接続できるようになり、日本の教会はあっという間にそちらに変わりました。

さらに最近は、また変化が起きています。韓国へ赴きますと、壇上の後ろがすべて液晶画面(LEDパネル)になっています。大規模な教会などは壮観です。新城教会も、今度このようになります(CGを提示しながら)。舞台の壁面がすべてLEDになります。年内には形になりますが、こうしたパネルを中国から導入します。

十字架の造形はなくなりますが、今度はCGとして表現されます。新城教会にはCGの専門家がおります。NHKの番組や博物館の展示を手がけるグラフィックの専門家がいまして、先日も打ち合わせを行いました。十字架をCGで鮮明に再現できると言うのです。幕も揺れるように演出できる、とのことです。十字架を外したとしても穴は残っておりますから、回復も可能です。

天井の照明器具も4月の第2週からLEDに更新されます。現在は一灯250Wもあり、電気代が非常にかさんでおりますが、LED化により10分の1程度に抑えられます。電気料金高騰の折、やはり早急に変えなければなりません。これは4月から始まります。礼拝がありますので、1週間ですべての工期を終えなくてはなりませんが、これも新城教会の兄弟姉妹の尽力により、安価に施工していただけることになりました。

そして音響システム(PA)も新しくなります。現在のPAシステムは古いものですが、それでも片方だけで500万もするものを無償で譲り受けたものでした。今度はさらに新しいシステムになります。費用はかかりますが、かつての信徒の方々が、この会堂から教育館まで、すべてを整えてくださったではありませんか。その方々は皆、天の教会へ移って行かれましたので、今度は私たちがこの時代に、次世代のために備えたいと思います。

このピアノですが、1980年に会堂が建った時、新城市の臼子に住んでおられた河合さんというおばあちゃん──豚を飼育されていた方ですが──、豚を売って貯めたお金で献品してくださったものです。今、河合さんを知る人は誰もいないかもしれませんが、私はいつも、このピアノを見るたびに河合のおばあちゃんを思い出します。当時は豚を道で散歩させておられました。「先生、豚が穴に落ちて怪我をしたから祈ってください」と、よく父のところへ祈りのリクエストを届けてくださる純粋な方でした。近くのスーパーから食料の残りなどを集め、一生懸命に豚を育ててピアノを献品してくださったのです。誠に尊い献品であり、46年間大切に使われてきました。歴史を振り返る時、神様が様々な奇跡を与えてくださり、それが受け継がれていることを本当に嬉しく思います。