2026年ニューイヤー・セレブレーション

かつては自分の欲望のためにクロノスを浪費したかもしれない。しかし残された時間のすべては、神の御心という新しい伝記を書くための貴重なリソースとなるのです。これが「キリストの兵士としての時間の武装」です。残された時間をあなたの鎧兜として武装しなさいというわけです。もう残されている時間はあまり長くないかもしれないけれど、神の御心を表すクロノスとして、その中にカイロスを散りばめなければいけないのです。

特にこの「自分自身を武装しなさい」と述べられていますが、この言葉は古代ギリシャの「重装歩兵」を表しているそうです。普通の兵士ではないと言うのです。最も激しい戦いに出て行くための武装をした兵士として、戦場に出て行かなければならないのです。

2026年も霊的戦いの年です。適当な武装ではなくて、ペテロは重装歩兵の姿を表す言葉を使って、「あなたは戦場に出て行きなさい」と告げています。今年、私たちは重装備して、残された日々を暮らしていきたいと願っています。

皆様にとって、いや、私にとって、残された日々はあまり長くないですね。そう考えてみれば、もう悪魔に奪われる年月なんか、一秒たりともないはずです。今年は、時間を悪魔に取られるのではなく、神のために生きる。そのような心構えで「時間そのもの」を武器とし、また武装として始めていくならば、必ず勝利を得ることができるということをお伝えしたいと思います。

そして今日、あなたが祝福される一つの法則を教えたいと思うのですが、これを意識するだけで、あなたの「時」は神の元に戻ってきます。悪魔に取られないで済むと思います。しかしそれを意識しないで使っていると、知らないうちに祝福が漏れていきます。ぜひ聞いていただきたいのですが、先日、私は『キリスト者から見る天皇の代替わり』という本を読んだことを思い出して、もう一度それを紐解いてみました。

実は日本には西暦と共に、日本独自のカレンダー「元号」があります。皆様はどうですか。あなたの生年月日はいつですかと聞かれた時、どう答えられますか。私ならば「昭和26年8月5日です」と答えていました。「元号ではなく西暦を使う」ということです。

その理由をお話ししたいと思います。聖書の中の「時」とは直線的です。天地創造から始まって新天新地に至る、直線的な時を表しています。西暦はイエスさまの誕生を起点としていますから、直線的です。しかし元号は、「死と再生を繰り返す」繰り返しの時を概念としています。聖書的な時の概念と、日本的な時の概念は、全く違います。

公文書も元号ではなく、西暦で記載してもいいのです。結構いろんな場面で、「令和何年」と記さなければいけない場面があるでしょうけれど、私は昨年ぐらいからそのことを意識するようになり、必ず二本線を引いて「2025年」と記すようになりました。「令和で」と言われたら「私はクリスチャンですから、元号は使いません」とはっきり言います。元号ではなく西暦を使用することは、現代の日本においては正当な権利として認められています。恐れなくてもいいのです。

元号は江戸時代まではそれほど意識されなかったのですが、元号とは「天地万物を支配する天皇が、時をも支配する」という意味なのです。これは日本が悪いというよりも、もともとは中国の概念でした。今ではすべての諸国が元号をやめて、使っているのは日本だけです。天地万物を支配するのは誰ですか。それは天地宇宙を造られた主イエス・キリストです。

元号の使用は、「天地万物を造ったのは天皇だ、そして私の時を支配するのも天皇だ」という宣言なのです。

「元号は単なる時のカウントではなく、時間という概念そのものを君主が管理・定義するという思想に基づいている。人々が元号を使うことは、とりもなおさず君主が支配する時間の中に身を置くことを意味し、それはその王に対する完全な服従の証なのである」

と言うのですね。結構、悪魔はちょっとしたところで、重要なものを盗んでいます。私たちクリスチャンは、このようなところにも目を向けて戦っていかなければいけません。

それは天皇が人々の時に名をつけ支配するという、目に見えない霊的束縛システムであるのです。直線的に時が進む暦とは異なり、元号は天皇とともに時代が「死と再生」を「繰り返す」という、日本独自の循環する時間概念を象徴しているのです。聖書は直線的に神の国に向かってクロノスは進んでいます。しかし悪魔はそんな中で、死と再生を繰り返す時間的概念を、誰もが否定しないような中にしれっと潜り込ませて、神が与えた重要な時を奪っているということを意識する必要があるのです。

使徒の働きの1章7節から8節のところは時をどのように指定・管理し生きていったらいいのかに関して、聖書が述べているところです。

7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

お定めになった「時」や「時期」との訳で、お定めになった時を「クロノス」で描いていて、時期を「カイロス」を使っています。ルカはそのように言葉を変えて表現しているのです。神が定めるときを待つこと。その時に与えられる聖霊の力がセットとして語られているのです。「聖霊が下るという出来事自体が、神の定めた決定的な時であることを示している」のです。

私たちが神の時に生きるためには、日本に置かれた悪魔のシステムを見抜いて使わないとともに、「聖霊に満たされて歩む」・・・これが時を有効に使う秘訣なのです。先ほど一緒に祈りましたけれど、聖霊に満たされるならば、あなたのクロノスもカイロスも、両面にわたって主が守り導いてくださるのです。私たちの残高がどれだけあるか知りませんが、聖霊に導かれていくならば、クロノス的な側面もカイロス的な側面もパーフェクトで進むことができるはずです。

今年は聖霊を求めてください。若い方々からお年寄りまで、聖霊を求めていくならば、残された時は素晴らしい神の時で満たされて、あなたの伝記は天に持ち運ばれる神への贈り物となることでしょう。

私は牧師になって結構長いのですが、今から40年くらい前ですが、この教会の副牧師になりました。ある時、ある牧師と、近くのサウナに行ったのですが、彼が私の顔を見ながらこう言いました。

「順、お前は結構頭がくるくる回るけれど、お前に一つ欠けたところがある」と言われました。「何?」と聞いたら、「それはおまえが、聖霊に満たされていないことだ。残念だ」とため息をつきながら語りました。

その言葉は、私の心に響いたのです。「・・残念なことは聖霊に満たされていないことだ」と。でも、そんな事から私はちょっと悔しくなって、聖霊を求めるようになりました。なかなか主に触れられることがなかったですけれど、様々なことを通して、主に触れていただきました。

田中政男先生のお母さんのたづ子さん、「たづ姉さん」と呼んでいましたが、彼女がよく言っていました。「新城教会でいろいろ奇跡が起こったけれど、一番大きな奇跡は順牧師が変わったことだ」って。それは私が聖霊を受けたからです。1992年2月13日、忘れることはできません。愛知県民の森で聖霊が激しく降って、全員が倒れてしまいました。しかし私はつっ立っていました。「俺だけダメかな」と思いましたが、現象ではなく。私も聖霊に触れられました。私は変えられました。そのようにアドバイスしてくれた牧師に会って、今の私を見せてやりたいと思うのですが、今度は何と言うでしょうか。

しかし、私はまだまだ足りないと思います。私は(平均寿命で言えば)6年半しか残っていませんから、聖霊に満たされて、一秒たりとも無駄にせずに走り抜きたいと願っているのです。年の始まりに決意とともに始めるならば、充実した一年を送ることができると信じます。

特に、元号に気をつけてください。その意味をよく覚えておいてください。誰も気づいていないかもしれません。最初に中国で設定された時から抜け出ることができないのです。

ある教会に行きましたら、礼拝の始まりに「ただいまから令和7年何月何日の礼拝を始めます」と宣言して始めた教会があって、ドキッとしたのですが、教会が元号を使って大丈夫でしょうか。教会こそ、イエスさまが生まれた原点を深く意識しなければいけません。イエスさまが私自身のために、罪のために、全被造物のために苦しんでくださったことを身にまとったら、あなたは苦しまないで勝利できます。それをペテロが語っています。クリスチャンの決意をこのようにまとめさせていただきました。

地上の王権はいとも簡単にすり替えられ、奪われ、毒に侵される。そんな不確定な世の中で与えられている時間は限られている。ダニエルが汚れたバビロンの宮殿にいながら、決して自分を汚さず、日に三度祈って神の御心に生きたように、日本の歴史の闇を知りつつも、それに飲み込まれず、光として歩むことが求められる。

日本の歴史の闇に飲み込まれないでください。それが神の時を奪う最も大きな理由かもしれません。私がその闇が何であるかをよく知りつつ、飲み込まれず、光として歩むならば、人生のストーリーは最高のものとなると信じ、宣言いたします。

一言お祈りをさせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。あなたがみ子イエスさまを送ってくださり、この地上で苦しみを経験してくださったことを覚えて心から感謝します。私たちのために、また被造物のために苦しんでくださったことを覚えて、それを武器として、武装として、今年歩んでいきます。
今日はイエスさまの十字架の苦しみ、そして復活を記念して、聖餐を行います。お一人ひとりが受けられるパンとぶどうのジュース、新しい契約そのものであることを宣言します。尊いイエスさまのみ名によって、祈りとともに聖餐式を始めます。アーメン。