2026年カウントダウン・ワーシップ

イザヤ書55章の最後にはこのようにあります。

10 雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。
11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。
12 まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、平安のうちに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
13 茨の代わりに、もみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」

主のことばにより主の道、主のおもいが、私達の地上の歩みにおいても祝福として、しるしとして与えられます。

8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──【主】のことば──
9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

私達の道、おもいよりも遥かに高い主の道を受け取って、また主の思いを受け取って、2026年、進んでいきたいと思います。



≪公畑フェルナンド牧師≫

ヨシュア記 1章1-9節

1 【主】のしもべモーセの死後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。
2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。
3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
4 あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。
5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」

神から来るものはすべて素晴らしいものです。しかし同時に、新しく、未知のものに私たちは恐れます。ヨシュアは、まさに自分にとって新しく未知なことを体験しようとしていました。そのため、恐れによって身動きが取れなくなっていました。
ちょうど新しい年を迎えようとしている今のあなたも、同じような状態かもしれません。しかし、神がヨシュアに現れて「すべてはうまくいく」と語られたように、主は今日、天からあなたにメッセージを送っておられます。主は、「すべてはうまくいく。これは神の栄光のための、征服と祝福の年になる」と言われます。
ヨシュアは、自分の指導者であったモーセが亡くなり、民全体が自分の手に委ねられたことで、孤独を感じていました。しかしその時、神は彼を立ち上がらせ、必要な信仰と確信を取り戻させる七つの祝福の約束を与えられました。そして、これらと同じ約束を、神は今日、私たちに与えておられるのです。 まさに数多くの試練と大きな挑戦に満ちた新しい年を迎える前の私たちにです。
その七つの祝福を解説します。
1.領土 ヨシュア記 1:3-4
主はヨシュアに、モーセにしたのと同じように、彼の足の裏が踏むすべての地をすでに与えていると念を押されました。主は「新しい領土を与える」とは言われませんでした。神は、あなたが理解できなくても、すでに用意されている約束と祝福を与えておられます。あなたがすべきことは、信仰によって立ち上がり、その中を歩み始めることだけです。主は「私がモーセに言ったとおりだ」と言われました。あなたの前にある多くのことが、すでに神によって約束され、備えられているということを、あなたは理解しているでしょうか。
2.守り  ヨシュア記 1:5前半
「あなたの一生の間、だれもあなたに立ち向かうことはできない」とあります。敵はあなたを怖がらせようとすることしかできません。なぜなら、全能の神があなたの味方だからです。今年あなたに与えられている約束は、「だれもあなたに立ち向かうことができない」ということです。敵は試みるでしょう。しかし成功しません。あなたは前進し続けなさい。何にも歩みを止められてはなりません。神が命じられたことを行い、前へ進み続けなさい。
3.恵み ヨシュア記 1:5中
「わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいよう」とあります。これは、神がモーセと持っていたのと同じ関係を、ヨシュアとも持ちたいと願っておられることを語っています。それが恵みです。   私たちは皆、モーセが受けていたその恵み、すなわち恩寵を必要としています。神は、モーセが完全な人間ではなかったにもかかわらず、彼を支えられました。神があなたとともにおられるのは、あなたが完全だからではなく、神ご自身が完全であり、そのあわれみが毎朝新しいからです。神の恵みの真の価値を知る人は、その恵みを悪を行う言い訳として用いるのではなく、感謝に満ちて罪から遠ざかって生きるのです。
4.神の臨在 ヨシュア記 1:5後半
「わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」とあります。私たちの神は遍在される方であり、その臨在が及ばない場所はありません。神は、私たちが直面するあらゆる状況において、助けてくださいます。しかし敵は、困難な時に神が私たちから離れるかのような考えを、私たちの心に植え付けます。しかしそれは全く逆です。神が約束されたのなら、神は必ず果たされます。人生でどのような状況であろうとも、神はあなたのそばにおられます。
5.資源
今年は、多くの資源に満ちた年となるでしょう。ヨシュア記 1:6 には、「強くあれ、雄々しくあれ。あなたは、わたしが彼らに与えるとあなたの父祖たちに誓った地を、この民に受け継がせるのだ」とあります。  神はヨシュアに、すべての人を満たすための資源を彼の手に置くと語っておられます。これは非常に重要な点を示しています。それは、神はあなたに、人に与えるために与えられるということです。     Ⅱコリント記 9:6 にこうあります。多くの人はこれを理解していません。神が言われることを聞いてください。10節には、「もしあなたが種を蒔くなら、わたしはさらに多くの種を与えよう。」 とあります。
其れは何のためでしょうか。それは、あなたが種を蒔き続けるためです。多く蒔けば、さらに多くの種が与えられます。神は、蒔く者に種を与えられるからです。そして蒔く者は、その蒔いたものが増し加えられます。神の国に蒔くなら、神はあなたにさらに多くを与えられます。神は今日、あなたにこう語っておられます。「あなたが人と分かち合うのに十分なほど、わたしは与える。」と。
6.繁栄
繁栄とは、ただお金だけのことではありません。ヨシュア記 1:8 において、神は、律法を守るなら大いに栄え、すべてがうまくいくとヨシュアに約束されました。神は御言葉の学びと繁栄を結びつけておられます。なぜなら、信仰こそが、あらゆることにおいて私たちに勝利をもたらすからです。そして、信仰は聞くことから始まり、聞くことは神のみ言葉によるのです(ローマ書 10:17)。神は人の必要に応じて働かれるのではなく、その人の信仰に応じて働かれます。言い換えれば、信仰こそが繁栄の秘訣なのです。
7.恐れなき征服 ヨシュア記 1:9。
神は、あなたが始めようとするすべてのことにおいて、あなたとともにおられます。神はヨシュアを、恐れることなく約束の地へ進むように召され、その征服が彼自身の力によるのではなく、神の臨在によるものであることを思い起こさせました。ヨシュアが踏み出す一歩一歩は、神の約束によって支えられていました。彼は恐れる必要も、くじける必要もありませんでした。なぜなら、神がすべての戦いにおいて彼の前を進まれたからです。勝利が保証されていたのは、困難がないからではなく、主の臨在が共にあったからでした。神が人を遣わされるとき、神ご自身が征服を成し遂げるまでその人に伴ってくださるのです。

神は、ヨシュアが約束の地に向かって最初の一歩を踏み出す前に彼に現れました。           なぜなら彼には、あるものが必要であったからです。それは新しい年を迎える私たちも今日切実に必要としているものです。すなわち信仰が必要だったからです。

完全で揺るぎない信仰をもって、新しい年を始めなさい。神があなたと共に行き、あなたが始めるすべてのことに成功を与えてくださるという、信仰です。あなたの事業の成功を信じなさい。あなたの結婚に信仰を持ちなさい。あなたの家のため、癒やしのため、車のために、あるいは新しい仕事のために信仰をもちなさい。この新しい年が、征服の年であると信じて歩み始めなさい。



≪滝川充彦副牧師≫

今年、私自身が与えられているみことばは、ヨハネの福音書の2章7節から8節です。

【新改訳2017】
ヨハ
2:7 イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
2:8 イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
【新改訳改訂第3版】
今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。彼らは持っていった。

この聖書箇所はガリラヤのカナにおいて、イエスさまが婚礼の宴会において、水をぶどう酒に変えられた奇蹟の記事であります。この中で、第三版の訳では、「今くみなさい。」とありますが、この”今”という言葉が、私自身の中でこの12月の間ずっと心に響いている言葉であります。最初に結論をお分かちします。

「2026年、神さまが、”今”私たちにこうして欲しいと語られるその瞬間の主のみ声を聞き逃すことがないように、しっかりと聞き取り、受け取り、主のみ声に従順に、また大胆に、勇気をもって従う者となっていくようにと願っておられる。その延長線上に、神さまの不思議、しるし、奇跡が現され、全く新しい領域・時代が切り開かれていく。」

このように神さまからみことば、神さまのみ思いをいただいております。

人は”今”という時にしか生きることができない限界のある存在であるということを12月28日の礼拝メッセージでお分かちしました。私たち人間は、1秒前に戻ることも、1秒先に進むことも出来ない。過去も現在も未来も”今”という時の中で捉えることしか出来ない存在であることを4世紀のアウグスティヌスの哲学者・神学者が、「人間の線上的時間意識」と表現しました。過去は、今現在持っている記憶、そして現在のことは今現在そのまま感じることができる直覚、そして未来のことは、将来こんなことが起こるかなという現在に抱く期待であると表しました。私達は現在という点、今という一点で、過去も現在も未来も捉えることができない存在であります。しかし神さまは、私達の過去の罪も贖い赦してくださいます。そして現在は私達を守り支え、導いてくださっております。未来には将来と希望を私たちのために持っておられます。私達が想像もしないような、見たことも聞いたことも思い浮かんだ事のないご計画を持って私達を待ち望んでおられる存在です。