2025
神が働きを加速される年!
Merry Christmas!
~クリスマスに隠された神の戦略~

「東の方」とは、まさに宿敵パルティア帝国のことです。そこから博士たちのキャラバンがエルサレムにやって来たのです。 聖書には「これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった」とさらりと記述されていますが、なぜ彼らはそれほどまでに恐れたのでしょうか。単に客人たちは「拝みたい」と言ってだけです。しかしなぜ国中が恐れたのか・・。 それは、彼らが敵国パルティアから来た使節団だったからです。しかも、ヘロデ王自身、かつて紀元前四十年頃にパルティア軍によってエルサレムを攻め落とされ、命からがらローマへ亡命したというトラウマを持っていました。

ヘロデはユダヤ人ではなく、イドマヤ人(エドム人)でした。ダビデの家系でもないのに、ローマの元老院に金と政治力で取り入り、便宜上任命された王に過ぎませんでした。 そこへ、東方のパルティアから、正当な血筋を持つ「ユダヤ人の王」を探しに来た者たちが現れたのです。ヘロデにとってこれほど恐ろしいことはありません。「いつまたパルティアが攻めてくるか分からない」という恐怖の中で、彼は震え上がったのです。エルサレムの人々も、戦争の再来を恐れて動揺しました。これがクリスマスの本当の背景です。

では、なぜ東方の異教の地であるパルティアの博士たちが、星を見てユダヤ人の救い主の誕生を察知できたのでしょうか。 彼らは「マゴス(占星術師)」たちでした。星を見るだけで「ユダヤ人の王が生まれた」と特定し、はるばるエルサレムまでやって来ました。しかしこれは単なる占星術の力だけではありませんでした。ここにも、神の壮大な戦略がありました。 多くの聖書学者は、この背景に、約五百年前にバビロン捕囚として連行された預言者ダニエルの影響があったと見ています。

このダニエルがどうして異国で国のトップまで上り詰めることができたのでしょうか。それはネブカデネザル王が見た不思議な夢、強大な金の頭の像の夢を解き明かしたからでした。実はダニエル書二章四節から七章までは、ヘブル語ではなくて、当時の国際共通語であったアラム語で記されているそうです。アラム語の原典を見ると、ダニエルの役職が巨大な権限を読み取ることが出来ます。となぜ彼が東の博士たちに影響を与えることができたのか、その構造的理由がはっきりすると言うのです。 東の博士がなぜ、エルサレムに来たのかというと、500年前にバビロンに連行された少年ダニエルが、バビロンに種を蒔いた結果だというのです。その蒔かれて種が、500年後に芽を出したってことです。

ダニエル書二章の後半、「バビロンの全ての知者たちをつかさどる長官」という部分のアラム語で表記は、「ラブ・シグニン・アル・コル・ハッキメ・バベル」となるそうです。イエス様もアラム語を喋っていたと言われます。詳しく調べると、「ラブ」は単なる管理職ではなく、その組織における絶対的なトップ、グランドマスターを意味するそうです。聖書は二つの語を合わせて「ラブ・シグニン」と表記し、「長官たちの長」と呼んでいます。つまり、ダニエルは単なる名誉職ではなく、バビロンの全ての行政官の上に立つ、実質的な最高行政官の地位を与えられていたということになるのです。なんとバビロンにおいて、ネブカデネザルが見た夢を解き明かしたことによって、彼はバビロンにおける実質的な最高行政官、トップになっていたわけです。

そして「ハッキメ」とは、単に学者だけでなく、呪法師、呪文師、まじない師、カルデア人(占星術師)の全ての頂点に立って、彼らにやがて救い主が生まれるという、この預言と真理を伝えていたのです。アラム語から読み解くこの説の重さは、神は敵の本丸に神の代理人をトップとして就任させ、偶像礼拝と魔術の総本山であるバビロンの知者階級、後のマゴスたちの組織図の頂点「ラブ」に、最も忠実なヤハウェのしもべダニエルを備えていたのです。ダニエルはバビロンの中に、創造主なる神の知識とメシア預言を必須科目として組み込んだと考えられるというのです。

バビロンは当時の最先端国でした。彼はここで創造主なる神の知識を教えたはずです。その知識が500年間、代々受け継がれていたわけです。

民数記二四章の一七節に、

私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。

この預言は、やがて星が現れるという預言ですが、この預言は不思議なことに、イスラエルの預言者ではなく、異邦の占い師バラムによって語られたことが知られています。この預言を、きっとダニエルはバビロンの知者たちに伝えていたはずです。バビロンにおいて、「特別な星が出た時には、西方に救い主がお生まれになった証拠だ」ということを、代々、伝えて彼らは待ちわびていた事でしょう。

その教えは五百年間、代々のマゴスたちに受け継がれていきました。そしてついにその時が来て、彼らは星を見つけ、約束の地へと旅立ったのです。 ダニエルがバビロンに捕囚されて行ったとき、彼は自分の運命を呪い、未来に絶望してもおかしくありませんでした。それでも彼は忠実に神に仕え、種を蒔きました。その種は死んだように見えましたが、五百年の時を経て、イエス様の誕生という歴史的瞬間に、東の博士たちの礼拝という形で実を結んだのです。

新城教会の七十五年の歴史を振り返っても、同じことが言えます。それぞれの時代に、一粒の麦となって死んでいった人たちがいました。彼らはその時、なぜ自分がそこにいたのか、なぜ苦難に遭うのか、完全には理解していなかったかもしれません。しかし、その種は決して無駄にはなりませんでした。
昨日の子どもクリスマス会でメッセージをしてくれた瀧川充彦先生の姿を見て、私は本当に感動しました。彼は堂々と、子どもたちや親御さんたちの前で、ユーモアを交えながら素晴らしいメッセージを語っていました。彼は元々、教会のすぐ前に住んでいた近所の子でしたが、日曜日の朝に教会から聞こえてくる賛美の歌声を「うるさいな・・」と思って寝ていたそうです。それでも、私の家内は毎年、クリスマスの時期になると彼を我が家に招待し続けました。私の息子と同級生だったこともあり、ささやかなクリスマス会を開いていました。

当時、私は「教会でクリスマス集会をやっているのだから、わざわざ家でもやらなくてもいいのでは」と思っていました。当時の写真を見ると、彼らが小学校低学年くらいの頃の様子が写っています。その時は我が家のクリスマス会に何の意味があるのか分かりませんでした。 しかし、その背後には神の計画がありました。その小さな種まきを通して、やがて彼は救われ、献身し、今では新城教会の牧師の一人として、多くの子供たちに福音を語る器となりました。これもまた、神の戦略であり、蒔かれた種が時を経て実を結んだ証です。

イエス様の誕生において、神は五百年前からダニエルを用いて準備をされていました。神のなされることは、種を蒔いてから収穫までに時間がかかることがあります。「この働きに何の意味があるのか」と思えるような時もあるでしょう。しかし、蒔かれた種は、神の時が来れば必ず芽を出し、豊かな実を結びます。

今週の土曜日のクリスマスコンサート、そして来週の礼拝。私たちが愛する家族や友人を誘い、福音の種を蒔くとき、それがどのように世界を変えていくのか、今はまだ分からないかもしれません。しかし、神は間違いなく戦略を持っておられます。 四千年の歴史を超えて「主イエス・キリスト」がこの世に来てくださったように、私たちの蒔く小さな種も、神の手の中で大きな実を結ぶことを信じましょう。 このクリスマス、主から種を託され、喜びを持って蒔く者とならせていただきましょう。

ご一緒に祈りの時を持ちたいと思います。

 

「天の父なる神様、御名を崇めて心から感謝をいたします。 あなたは種を蒔き、その後、豊かな収穫を与えてくださる神様です。 新城教会の七十五年の歴史の中でも、多くの種が蒔かれてきました。多くの先人たちが涙とともに祈り、種を蒔いてくださったことによって、今の私たちがあることを心から感謝します。 私たちもまた、この時代にあって種を蒔き続けていきたいと願っています。主よ、どうか私たちに種を蒔かせてください。 今、一人一人の心に語ってくださり、福音を伝えなければならない人、種を蒔かなければならない人々の顔や名前を思い起こさせてください。お一人お一人の上に、あなたの特別な祝福があることを宣言し、尊い主イエス・キリストの御名によって、感謝して祈りを御前にお捧げいたします。 アーメン。」