2025
神が働きを加速される年!
私たちはあなたの民、牧場の羊です。

清崎に岡本キヨさんが避難していなかったら、プレイズの働きも始まらなかったということです。新城教会ではプレイズ関係に働いている方も多いです。ちょっとしたことで大きな神の計画が広がっていきます。

新城教会はプロテスタント教会です。日本のキリスト教には二つあり、ローマカトリック教会とプロテスタント教会です。私たちはプロテスタント教会です。実は中世まで教会はローマカトリック教会が中心でした。バチカンを頂点とするローマ教皇が支配するグループです。当時、ローマカトリック教会は人民を支配する手段になってしまいました。それで人々は苦しめられました。キリスト教の基本は聖書ですが、ローマカトリックでは聖書は禁断の書物でした。それを読んだら死刑にされました。恐ろしいことです。それは絶対におかしいと立ち上がったのが、歴史をご存知の方も多いと思いますが、マルチン・ルター、またカルバンでした。彼らは命がけで立ち上がりました。
しかし宗教改革はただ単に、彼らのような指導者たちによって進んだわけではなく、民衆も立ち上がったことにより、成功したのです。それは当時のプレイズ出版のおかげでした。宗教改革と活版印刷が関わったため成功したのです。
宗教改革とグーテンベルクの活版印刷は、ヨーロッパの歴史において密接な関係にあり、後者が前者の成功を劇的に加速させたのです。15世紀の半ば、ヨハネス・グーテンベルクは金属活字を組み合わせて印刷する活版印刷術を実用化しました。それまでは非常に時間とコストがかかる写本でしたが、活版印刷術により聖書などの書物を、短期間に安価に大量生産することを可能にしたのです。印刷技術がなければルターの思想は、一部の学者や聖職者の間でしか議論されなかったかもしれない。しかし、活版印刷によって彼の著書やドイツ語に翻訳された聖書が大量に普及したのです。一般の人々が自らの手で聖書を読み、ローマカトリック教会の教えを直接検証できるようになったことにより、宗教改革は単なる神学論争にとどまらず、民衆を巻き込んだ一大社会運動へと発展したということです。

さて、甲子園リバイバルミッションとプレイズ出版についてAIに聞いてみました。

甲子園リバイバルミッションは1993年11月に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開催された日本のキリスト教の超教派的な大規模伝道集会です。この集会は1970年に設立された「日本リバイバルクルセード」が主催しました。プレイズ出版はリバイバルミッションの活動を支援するために設立されたキリスト教専門の出版社です。「プレイズ出版」は1992年から93年にかけて行われた甲子園ミッションに印刷部門として参加し、活動に不可欠な印刷物を制作提供しました。具体的には、集会の告知チラシやパンフレット、キリスト教の教えを伝えるトラクトと呼ばれる小冊子などを手がけています。
つまり、甲子園リバイバルミッションという大規模な伝道イベントのメッセージを、印刷物を通じて多くの人々に届けるという重要な役割をプレイズ出版が担っていた、という関係にあります。
現在、プレイズ出版はキリスト教書籍や聖書、トラクトなどの出版印刷事業を幅広く行っています。

AIに「これを絵にして」といったら、こういうふうにしてくれました。なかなかうまいこと描いたなと思います。
ということは皆さんどういうことになりますか。信弘先生は現代のグーテンベルクということになるわけです。何の気なしに始めたのが日本のリバイバル運動を支えたという偉大な功績を残したわけです。でもこれは全て聖霊の流れの中にあることです。
宗教改革も、グーテンベルクによって活版印刷が実用化されなかったら、ルターやカルビンの運動も、一部の神学論争で終わってしまったかもしれない、というのです。今頃、私たちはローマカトリックのもとで、奴隷のようになっていたかもしれません。

滝元明が清崎で日曜学校を行って、キヨさんが引っかかってきました。当時キヨさんが悩んでなかったらクリスチャンになりませんでしたから、プレイズもないことになります。

ちょっと話は変わるんですけど、先週の水曜日にパプアニューギニアから「地の癒しミニストリー」をやっている、ジャックさんという方が新城教会に立ち寄ってくださいました。この方はパプアニューギニア、オーストラリアのちょっと北にあります。私も行ったことがあるんですけど、世界中色々なところを回ってるんですが、一番怖いなと思ったのは、パプアニューギニアでした。何が怖かったかというと、ゲリラでも強盗でもなくて、プーンと飛んでくる蚊なんです。マラリアを運んでくる蚊がいっぱいいるんです。かつてここにラバウルっていう航空隊があって、私もその跡地にも行きました。これが旧日本陸軍のラバウル飛行場跡であります。ここに何十万という若者が日本から派兵され、その多くが死んでしまったんです。なぜ死んだかというと、もちろん弾に当たって死んだ人も多いですが、ほとんどがマラリアで死んだと言われます。今も世界で一番マラリアの危険地帯がパプアニューギニアです。そこからジャックさんという方が来られました。実は日本がここで多くの血を流した後、パプアニューギニアのこの地域は最悪になったのです。土地に血が流されると土地が閉鎖するのです。土地が住民に対して作物を出さなくなったそうです。沿岸に魚がいっぱい来てたのが、魚もいなくなったというのです。サンゴ礁も枯れて、湧水も毒の水になったそうです。これは日本の罪です。

実は私の弟の望がここに10回以上通って、この人たちと和解を祈るようになったのです。よく行ったと思います。ジャックさんは、その働きに始めから参加してくれて、今やこの地域の地の癒しのためのリーダーになったのです。日本が血を流して荒れ果てた地に行って、土地に手を置いて祈るそうです。「神よ。日本人が犯した罪を許してください。日本人もここに来て悔い改めました、この地をいやし、回復してください」と祈っているそうです。そうすると不思議なことが起きるそうです。今まで作物ができなかった荒野に作物ができるようになり、サンゴ礁が回復して魚が戻ってくるそうです。川の水も綺麗になって飲めるようになるんです。これ本当にすごいと思います。土地は生き物です。人間がそこで罪を犯せば、土地もうめきます。しかし主を信じる神の民が回復を祈るとき、すごいことが起きる。

かつてここに軍港がここにありました。これは当時の一人の兵士が残した「軍隊手帳」です。
「昭和19年2月2日午後8時ごろ 輸送船愛西丸にてラバウル出航」って書いてあります。

これ誰の書いた字かというと、岡本信弘先生のお父さん、岡本政次さんの字です。前にも一度紹介したことがありましたが、愛西丸、ラバウル港を出港した後、あっという間に撃沈されて、ほとんどの人が死にました。どの海域かというとパプアニューギニア人モーセスが住んでいた島の沖だというんです。彼はおじいちゃんからよく聞いてたそうです。多くの日本兵の死体が浜に打ち上げられて、後に、台風が来て死体が消えたという話でした。なんとそこで岡本政次さんは助かったのです。このとき彼はまだ独身だったわけです。終戦後、キヨさんと結婚して清崎に行って、クリスチャンになった結果、新城教会があるのです。
ラバウルで政次さんは必死に頑張ったと思います。一昼夜海上を漂ったそうです。南洋の海って、お風呂に入ってるようで暖かくて気持ち良くなって寝ちゃうそうです。寝た人はすべて死んだそうです。彼は戦友たちのほっぺたを叩いて「寝るな! 寝るな!」と叫んで生き延びたのです。あのとき政次さんが生き延びたのは、将来、神が用意しておられた計画のためでした。過去の悲しい出来事さえも、神は使って、大きな勝利を現わしてくださるのです。

この教会が田舎にあっても成長できたのは日本の教会全体を底上げするため、世界宣教のために働いているからです。

しかしなぜ、全国展開できるようになったかと言えば、1950年スウェーデンから宣教師たちが来て、宣教活動をし始めたからでした。その頃、私の父、父の相棒であった田中先生は工場で働いている工員たちでした。クリスチャンになって熱意だけは熱く持ってた人たちでした。スウェーデン宣教師たちが、そんな二人を引き出して働きに参加させてくれたのです。その背景にも不思議なことがあったと話させていただいております。
なぜスウェーデン宣教師たちが新城の近くに来たかって言ったら、彼らはモンゴルで宣教していた人たちでした。
1900年、中国で勃発した「義和団の乱」、これは一つの宗教団体が起こした反乱でした。それにより、多くの宣教師たちが、内外モンゴルで殺されたのです。

スウェーデン宣教師の殉教は宣教活動の歴史における一つの大きな悲劇でした。特にゴビ砂漠での死は、遠隔地での宣教活動がいかに危険に満ちていたかを物語っています。彼らの犠牲は、その後の宣教活動のあり方に深い影響を与え、スウェーデン国内の歴史的記録にその足跡が刻まれている。

と記録されています。いつも話していますように、スウェーデンでリバイバルが起こって、多くの若者が内モンゴル、外モンゴル、中国の北の方に遣わされました。しかし義和団の乱が起きて、外モンゴルウランバートルまで避難する途中、通過しなければならないのはゴビ砂漠でした。そこで義和団に襲われて、一番悲惨な死に方をしたというのです。このことは今でも、スウェーデン国内外の歴史的記録に足跡が刻まれているそうです。

このようなことがあったがゆえに、終戦後、スウェーデン、モンゴル宣教師たちは相次いで日本に移り、SMMはSMJMと名称を変更して豊川で宣教した結果、私たちが現在あるのです。

キリスト教は本当に多くの犠牲の上に成り立っている宗教です。迫害と殉教の歴史で伝わってきました。

ヨハネの黙示録は殉教者が続出するただ中で、当時の教会に向けて書かれた書物です。殉教した人たちは、どのように今神の国で活動しているかについて、ヨハネの黙示録6章9節に記されています。

「子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神の言葉と、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んだ。『聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか』」。

キリスト教、2000年の歴史の中で、多くの殉教者たちが天に帰りました。彼らは天で復讐を祈ってると言うのです。この復讐は軍事的復讐ではありません。世界宣教による、「霊的戦いと愛の実践」によってなされる復讐です。

有名な神学者であるテルトゥリアヌスが、こんな言葉を残しました。「殉教者の血は教会の種である」。これは殉教者の血が教会を成長させる原動力となるという信仰を表しています。

新城教会、75年の歴史の中、振り返れば、多くの犠牲があることを忘れてはならないと思うのです。

私は牧師の息子として生まれましたが、私の家族だけを考えてみても、いいことばかりだったとは言えません。実は、私は8人兄弟です。現在で残ってるのは7人です。一人、亡くなったんです。悲しかったです。私が小学校6年生のとき、朝学校に行く前にはニコニコしていた赤ん坊が、帰ってきたら亡くなっていました。当時流行った疫病のせいでした。また、私の弟の息子の寛太も若くして死んでいきました。そして私の家内も、若くして天に帰っていきました。これは殉教とは言えませんが、悲しみの種として残っています。他にもいっぱい、悲しみの種が蒔かれたのです。いろいろ悲しいことがあったなと。

でも、それは決して無駄にならないのです。「殉教者の血は教会の種である」。この教会でも、様々な悲しいことあったかもしれないけれど、それらは全て天におけるとりなしの祈りにつながっています。やがて訪れる神の国の為に用いられるのです。

リバイバルの条件を前にもお話しましたけれど、九つの条件があるそうです。この中で一番大事なのは「飢え渇きと強烈に主を求める気持ち」です。「主よ、この地に来てください」と、「この場所に戻ってきてください」と、神の国のために真剣に祈る人たちによって、この地は回復していくのです。