2025年11月23日(日)新城教会主任牧師 滝元順
テモテへの手紙第1 6章17~19節
17 今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、
18 善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、
19 来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。
皆さん、おはようございます。ハレルヤ。恵まれた賛美の中で礼拝が進められていることを心から感謝しています。
三年前の十二月、私の家内が天に帰りました。私にとっては思い出深い、まもなく訪れる十二月は感慨深い月です。二十日にはクリスマスコンサートがあります。ぜひ大勢の方々をお誘いください。このコンサートは無料です。
人生は、準備に準備を重ねるものだと思うのですが、今日読んだ聖書の箇所は究極の「準備」を教える箇所です。
19節に「来るべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい」とあります。
教会、そしてクリスチャンのゴールはどこかというと、この世ではありません。「来るべき世」です。イエス様が帰って来られて新しく始まる「新天新地」をゴールにしているのです。人生は、来るべき世において、どう過ごすかに懸かっています。
そのために「立派な土台となるものを自分自身のために蓄えておけ」と勧めています。「アリとキリギリス」の話がありますが、今はまさに蓄えることができる季節です。
ところで老後の資金はお一人二千万円ぐらい必要だと言われます。どうですか? 二千万円ちゃんと貯まっている人は……聞くのをやめましょう(笑)。でも、貯まっている人がいることを私は知っています。
しかし、二千万円は割り算するとほんの数年しか持ちません。昔とは、だいぶ変わってしまった今日この頃です。
しかし私たちは「老後」だけに懸けていてはいけないのです。その後の「新しい天と新しい地」をどう過ごすかに、懸けておかなければいけません。
テモテへの手紙第一の6章17節~19節に出てくる「富」に相当するギリシャ語は、「プルートス」だそうです。同じ語源の言葉が文脈に合わせて、名詞、形容詞、そして動詞と形を変えて三回出てきます。
パウロは同じ「プルートス(富)」という言葉をたくみに使いながら、まず二つの富を対比させています。
それは「頼りにならない富」と「良い行いにおける富」です。
物質的に富んでいる人に対して、その富をただ保持するだけではなく、良い行いによって豊かになるようにと、言葉遊びのような技法を使って明示しています。
富には「頼りにならない富」と「頼りになる富」があるのです。頼りになる、永遠を過ごすための富を、生きている内に蓄えておかなければなりません。「頼りにならない富」とは金銭的な富のことです。一方、「良い行いにおける富」は、「霊的な豊かさ」を指します。
先ほど話しましたように、老後に二千万円あっても、聖書から言わせればそれは「頼りにならない富」なのです。しかし私たちは、「神にのみ信頼する」と言いながら、知らないうちに頼りにならない富に信頼していることが多いのです。
今日のメッセージタイトルを「暗黙の奴隷制度と霊的戦い」とつけさせていただきました。明日と明後日は霊的戦い専門課程がありますから、そこで語るテーマでもあります。
「私は奴隷なんかになっていない」と思っていても、気がついたら奴隷になっていた、そして永遠の富を失っていた、ということにもなりかねません。その為には時々自分自身を確認しなければなりません。
ある人がこう書いていました。
「貨幣というものは、交換の利便性をもたらすと同時に、金融資本の拡大を通じてバブルとリーマン・ショックのような国際的危機を引き起こす幻想の根源であり、その本質を解明することが現代資本主義を理解する鍵である」。
分かりやすく中学生用に訳すとこうなります。
「みんなの勘違い。
お金そのものに価値があるわけではありません。みんなが『これは価値があるものだ』と信じているから使えるだけです。お金はみんなの信用でできている空気のようなものだから、国の信用がなくなれば魔法が解けたように、ただの紙くずになってしまいます」。
こういうことをどのぐらい意識して生活しているでしょうか。聖書もこのことをしっかりと意識して生活することを勧めています。「幻想のようなものを頼りにして生活していたら、永遠の世界でキリギリスのようになってしまいますよ」と教えているのです。
日本でかつて実際に、何が起こったかを見てみましょう。
私が幼い頃、紙幣の一円がありました。今でもこの一円札を持って日本銀行に行けば一円玉と交換してくれるそうです。でも、オークションで売れば四、五百円になるそうですが(笑)。
しかし、戦後、「一円」の価値は劇的に変わりました。
1941年の開戦当初、「一円」は現在の二~三千円ほどの価値がありました。しかし終戦時には、物不足とインフレにより数十円から紙切れ同然にまで暴落したのです。
ある方が、戦前に一生懸命お金を貯めて、当時の東海銀行に預けておいたそうです。戦争が終わって「これで安泰だ」と思っていたら、その額は、豊橋から新城までの電車賃にしかならなかったと言いました。日本でこういうことが起こったのです。まさしく富は幻想です。
1941年頃の一円の価値は、
* 米1.5キロ(公定価格0.5円)
* タバコ、ゴールデンバット10箱以上
* 葉書50枚、コーヒー5~6杯
* 教師の初任給は50円~60円程度。つまり一円は給料の2%相当(現在、手取り20万円ならば4000円程度の価値)。
戦争末期~直後、1945年
米一升(1.5キロ)は、公定価格では50銭(0.5円)でしたが、闇市では50円~60円、時には100円以上。
現在の価値に換算すると、米1.5キロが10万~20万円になるのです。
今まで一円で買えたものが、10万円、20万円の値札がついていると想像してみてください。
着物や家財道具を売って何とか生活する「たけのこ生活」と言われました。お米は、当時なら10万~20万円の価値がある「命の塊」だったのです。
また、戦前の1ドルは2円~4円でした。それが戦後、1ドル360円に固定されました。日本の国力がどれほど失われたかということです。
私たちは「頼りにならないお金なんかに頼りすぎるな」という聖書の言葉が、歴史をふり返ると「本当だ!」と実感させられます。
テモテへの手紙第一 6章10節~12節にこうあります。
10金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。12 信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。
「信仰の戦いを立派に戦う」とは、金銭に頼る生活ではなく、神のみに頼る者になることです。パウロが指摘しているのは、単なる経済活動ではなく、人の内面的な心の状態、すなわち偶像礼拝的な執着です。「拝金主義」こそが、信仰生活の中で最も大きな戦いです。
イエス様はマタイ(6:24)とルカ(16:13)で「あなたがたは、神と富とに仕えることはできません」と言われました。
ここで使われている「富」は「マモン」です。
これは単なる紙幣や硬貨ではなく、貪欲、心配、不安、競争心、搾取といったネガティブな精神を体現する「霊的な力」、あるいは「悪霊」のことです。
イエス様が「マモン」と擬人化されたのは、それを神への忠誠を奪うライバル、「霊的存在」と見なしたからです。
金という物質ではなく、その背後に働く「マモン」という力に対抗しなければなりません。
デヴィッド・グレイバーという人類学者が書いた『負債論』という本を読みました。
一般的に貨幣経済は「物々交換の不便さから生まれた」と言われますが、彼はそれを否定しています。
人類の初期は「ツケ払い(信用システム)」が主流でした。では、なぜコイン(貨幣)が生まれたのか?
グレイバーによれば、「国が戦争をするために作った」と言います。
巨大な軍隊を養い、兵士に給料を払うためにコインを作り、そして国民に「そのコインでしか払えない税金」を強制しました。
これにより、国民はコインを得るために働かざるを得なくなり、国に縛り付けられることになったのです。
金は市場のためではなく、軍事的な道具として、破壊的な力と共に成り立ってきたのです。
今日は、クリスマス献金があります。今日このメッセージをしたことは偶然ではありません。
私たちは、金の奴隷になってはいけません。
「不正の富をサタンの手から勝ち取って、金を奴隷として遣わし、神の国の拡大のために使う」のです。
献金とは、神の国への投資そのものです。神の国の為に「惜しみなく施し、喜んで分け与え」ることは、来るべき世における立派な土台となります。
永遠の世界に入った時、「良かったな、蓄えがあった」となるように準備しなければなりません。
かつて日本でも、お金の価値が崩壊した時代がありました。その時代を生きた人々は、金や国家ではなく、生き抜く力に頼ったことでしょう。クリスチャンはいつでも、100%神にのみ望みを置く人生でなければなりません。
祈り
天の父なる神様、感謝をいたします。
私たちは神にのみ仕え、あなたに望みを置いて歩んでいきたいと願っています。
しかし、知らず知らずのうちに、暗黙の奴隷制度の中に引っかかっていたかもしれません。
私たちはこの貨幣経済の只中で、あなたを見上げます。そして「マモン」という目に見えない力に立ち向かっていきます。
今日は、神の国の働きを支えるために、神の国に投資します。
どうぞ、お一人お一人が捧げられるその献金を祝福して、それを幾倍にも増やしてくださいますように。あなたに投資する時に失敗はありませんから、心から感謝します。
全ての栄光をあなたに、イエス様の御名を通して、お捧げいたします。アーメン。