2025年9月7日(日)新城教会主任牧師 滝元順
イザヤ書 62章10~11節
“通れ、通れ、城門を。この民の道を整えよ。盛り上げ、土を盛り上げて、大路を造れ。石を除いて、もろもろの民の上に旗を揚げよ。見よ、主は地の果てに聞かせられた。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。」”
皆さん、おはようございます。
時が経つのは早いですね。九月になってしまいました。先日、ここで新年の集会をやったような気がするのですが、もう九ヶ月が経ちました。神様がご自身の働きを加速されているように感じます。様々な主の御業が同時進行しているようです。若者たちによって新しい賛美が与えられています。また、この夏は韓国とモンゴルでの世界宣教が同時進行で行われました。主が後押しされているような気がしてなりません。ということは、イエス様がお帰りになる日が近いのかもしれません。
このシリーズのメッセージは、四回目になります。今年の二月頃からこの御言葉を与えてくださり、このテーマで一年が進んでいるように感じます。「通れ、通れ、城門を。この民の道を整えよ」とあります。
「通れ、通れ」とは、七十年間バビロンに捕囚されていたユダの民が、やがてエルサレムに戻り、その門をくぐることができる、という全体のタイトルを示している言葉です。そのための道を整えなさい、と主は言われます。土を盛り上げて大路を作り、石を除き、そして諸々の民の上に旗を掲げよ、と。
先月、私たちはモンゴルへ行きました。聖書が書かれたのと同じような気候風土の場所で過ごしました。私たちが住んでいる地域との違いを感じました。日本では昔からの道があるように思いますが、聖書の世界は砂漠が背景です。三百六十度地平線の世界です。七十年前にエルサレムからバビロンにやって来た道を戻ろうとしても、道は全て消えています。まずは道を作らなければ戻れません。誰かが先駆者として、道なき道を切り開かなければならないのです。七十年も経てば、風が強いので、地形は全く変わってしまいます。そこに道を作っていく作業です。そして、諸々の民の上に旗を上げよ、と。
自分たち以外の民族は敵ですから、敵が道を塞いでいます。そこに旗を掲げるということは、戦いに勝利しなければ旗を掲げることはできない、と先週もお話させていただきました。
しかし、この箇所の後半は、
「見よ、主は地の果てに聞かせられた。『娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と』。」とあります。
これは、ただユダの民がバビロンから帰ることができる、というだけにとどまりません。この箇所は、マタイの福音書二十四章十四節にも結びつきます。「御国の福音は全世界に述べ伝えられ、全ての民族に証しされ、それから、終わりが来ます」とあります。この節は、キリスト教の宣教活動の根幹をなす教えの一つです。福音は世界を完成へと導く良い知らせであるという、力強いメッセージなのです。
聖書の中心とは何か。それは、福音、つまり「良い知らせ」です。この良い知らせは、抱えている問題がなくなったり、病気が癒やされたりすることも含みますが、根幹的には、イエス様が帰って来て新しい天と新しい地が世界に実現することなのです。そのために、私たち教会は存在しているということです。
新しいシオンに戻ることができる、すなわち、神の国の実現です。そのためには、この御国の福音を全世界に伝えなければなりません。なぜなら、それが主の帰られる道を用意することだからです。日本では九十九パーセント以上がまだイエス様を信じていません。ここに道を設けることはなかなか大変です。
私たちが訪れたモンゴルは、今は開かれていますが、その周辺の国々は、共産主義の国であったり、イスラムの国だったりして、福音に対して堅く門を閉ざしている国々ばかりです。そこに道ができないと、イエス様もお帰りになれないのではないでしょうか。一九九二年、神様は共産化していたモンゴルを自由諸国の一員にされ、そこを拠点にして、四方に福音を伝える環境を整えられたのです。
新城教会の歴史を振り返ると、宣教とともに七十五年間を過ごしてきたことがわかります。私の両親、特に父は巡回伝道者として日本中、また世界において福音を伝えました。その背景に、モンゴルが関わっていたと、何度もお話させていただきました。モンゴルに行ってみて、なぜスウェーデン宣教師たちがやって来たのか疑問に思いました。スウェーデンは北欧の国で、当時、電車も汽車も飛行機もなかったのに、わざわざここまでやって来ました。何のために来たのでしょうか。そこは広大な大草原で、人などあまり住んでいませんでした。人々はゲルというテントに住んでいて、人よりも羊やヤギなどの動物の方が多く、ゲルは季節により移動していきます。そのようなところで、どうやって宣教したのか、本当に理解できません。
しかしそこに遣わされたのは、ただ一つ、「モンゴルに行って福音を伝えなさい」と聖霊が命じられたからだと確信しました。
新城教会の初期に、当時の若者たちに聖霊が注がれました。主は彼らに「都会に行くのではなく、田舎に入って伝道せよ」と命じられました。田中政男先生は預言を受けました。「政男、浦川に行け」と。浦川という場所がどこか分からなかったそうです。調べてみると、飯田線の奥の方に浦川という駅があり、結婚したその週に出かけていきました。また東栄町や設楽町など、それぞれ僻地に宣教に出て行きました。まさに、モンゴルに行ったような感じだったと思われます。
モンゴルでは後に様々な政変があり、宣教師たちは追い出され、日本に来たのです。そしてその延長線上に新城教会ができたのも、主の不思議なみ業です。
スウェーデンの宣教師たちは義和団の乱でゴビ砂漠で殺されました。今回私たちは、その土地に手を置いて祈らせていただきました。
聖書は、エルサレムという街が「神の国のモチーフ」として示されています。やがて天のエルサレムが降りてくるのです。また、エルサレムを中心として、東西南北、方角も重要です。聖書の歴史を見ると、西から東に向かうラインがあります。もちろん東西南北、それぞれのラインもありますが、特に、西から東へ向かうラインが特徴的です。それは、「神から離れる歴史的ライン」です。
誰でも神によって造られていますから、神と向き合う種は心にあります。しかし、様々なことで、西から東に向かってしまうのです。人類は最も多く、東に散らされたとお話しました。人類学的にみても、バベルの塔から東に散らされた人たちが最も多かったです。イスラエルや中近東から見ると、私たちは東の存在です。バベルの塔から、最も遠くまで離散させられた方角が東の領域でした。
人類学では、東に向かった人たちのことを「モンゴロイド」と呼びます。モンゴロイドには、前回もお話しましたが、一つの印が押されています。それは、蒙古斑と呼ばれるアザです。これは東に向かった人たちの証拠だと言われます。なぜ、日本ができたかというと、神から遠く離れたからです。
私たち神の民は何をしなければならないのか。西から東に遠く離れてしまったのですから、福音を携えて、東から西に攻め上り、道を作って旗を掲げるのです。
私たちは何も知らずに、ネパールにおいて毎年、八年くらいに渡って宣教の働きをさせていただきました。本当に懐かしいです。毎回、多くの子供たちが集まり、村人のために食事を用意したり、医療チームも派遣しました。その後、どうなったのか、と思います。
この夏、韓国に行った時、つい最近、ネパールに行った方とお会いしてお話を伺いました。パク宣教師は現在韓国に拠点を移して、度々ネパールに行って働きを続けています。チェパン族の住む山はかなり変わったそうです。山の上に電気が来ました。あるところは水も引かれています。スーパーマーケットまではいかないけれど、お店もあります。そしてホテルもあるみたいです。たいそう変わったものだなと思いますが、なんと、山にリバイバルが起こっているそうです。
どうして起こったのかと聞くと、この山の上に、NPOが造った学校があるのですが、校長先生はヒンドゥー教徒で、福音に対して堅い人でした。私たちは学校に入れてもらえませんでした。しかし、最近、この校長がクリスチャンになったそうです。それでオープンになった、と言うのです。だから子供たちも福音を聞くようになり、山に福音が広がっている、と言うのです。
そしてもう一つ、不思議なことが山であったそうです。何年か前に、「家に訪問して祈ってください」と言われた家がありました。チェパン族の人たちは蜂蜜を採取して生活しています。チェパンの蜂蜜ほど品質の良いものはないそうです。私はこの頃、チェパンの蜂蜜をいただきました。全然違います。
チェパンでは高い木の上に蜂の巣ができます。蜂蜜を採っていた一人の男性が、蜂の巣どころか自分が落ちて、腰を打ち半身不随になりました。ちょうど新城教会のドクターたちも一緒にその家に行きました。彼と出会うと、治療ができるような状態ではありませんでした。ドクターたちは、彼に手を置いて祈っていました。
実はその人物は村の「ウィッチ・ドクター」でした。それは霊媒治療師です。村には病院がないので、病気になったらどうするかというと、悪霊を呼んで霊媒によって病を治そうとします。魔術で治療するわけです。私たちがその村に行った時、夜な夜な変な太鼓の音が聞こえて、うるさいなと思っていたら、それはウィッチ・ドクターが太鼓を叩いて悪霊を呼んで治療している音でした。
この蜂蜜採りの男性は、蜂蜜を採っていただけではなく、魔術師だったわけです。私たちが訪問して伝道した時も、結構態度が堅かったです。しかしお祈りをしてあげました。また家に泊めてもらったりして、色々交わりをしました。
実は、つい最近、その人に、夢の中でイエス様が現れたそうです。イエス様が「わたしが神だ。わたしが救い主だから、わたしを信じなさい」と告げたそうです。すると彼は、「本当にあんたが救い主なら、俺を癒やしてくれ」と夢の中で頼んだそうです。すると、「分かった。癒やしてやる」と言われて。なんと、彼はその後、立ち上がり歩きだしたのです。
それを村人たちが見て、「うわー、どうして治ったんだ」と驚きました。彼は「イエス様が夢の中に現れて、治してやるって言ったんだ」と答えました。それが話題となり、山に福音が一気に広がったと言うのです。すごいじゃないですか。パク宣教師がこう話していました。「それは日本チームが長年にわたって、この山に来て祈ってくれたからだ。それも各家にホームステイまでして祈ってくれたおかげだ、それに違いない!」と。そうかもしれないと思いました。ホームステイしたようなグループは、日本チームの他に、いなかったそうです。
ネパールでの働きについて、改めて感謝しました。チェパンに転がっていた石が取り除けられ、勝利の旗が立てられた結果だと信じます。主は私たちを遣わし、バベルの塔から東南側に回り込んだ民族のところに遣わし、戦わせてくださったのです。そして続いてヒマラヤの北側領域に、導いてくださっています。これは単なる偶然の働きだとは思いません。主が来られる道を用意する重要な働きだと確信します。それをぜひ理解していただきたいと願っております。
イザヤの預言は「ただバビロンからエルサレムに戻る」というだけでなく、旧約聖書の文脈を超え、イエス・キリストの到来と彼がもたらす普遍的な救いをも指し示しているのです。キリストの再臨によって完成する新しいシオン、すなわち神が人々とともに住まわれる新天新地の預言でもある、と言うのです。
今、世界中が混乱しています。根本的な解決策はどこにもありません。イエス様が再び帰って来られて、新しいシオン、新天新地を創造して下さるしか、解決策はありません。私たちはそのために働いていかなければなりません。教会は、この大前提をしっかりと理解して動かないと何もなりません。案外、教会のメッセージはハウツーものが多いです。それも大切ですが、大前提を押さえることは、重要だと思うのです。そのために必要なこととは、イエス様が帰られる道を用意することと、石を取り除き、諸々の民の上に旗を掲げる、すなわち、道程に存在する敵に勝利することです。