2025年6月29日(日)新城教会主任牧師 滝元順
詩篇126篇5・6節
”涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。
種入れを抱え泣きながら出て行く者は束を抱え喜び叫びながら帰って来る。”
皆さん、おはようございます。ハレルヤ。
大変暑い日が続いていますが、梅雨もあっという間に終わってしまいましたね。黒潮の蛇行も元に戻ったようです。気候はかなり変化していますが、全ての気候は神の御手の中にあります。これら全てを含め、主を賛美し、感謝をもって前進していきたいと思います。
今、世界は大きく変化しています。日本も政治的に大きく変化していますね。ある意味、このような転換期はチャンスです。神の民がどのように動くかによって、世界は変わるのです。
先週は、手に汗握るような出来事がありました。
6月15日、イスラエルがイランを攻撃し、報復合戦が始まりました。これは今までになかったことです。そして、アメリカが参戦するかどうかが、今後の行方を決めると言われていました。先週日曜日の午後に「霊的戦い専門課程ダイジェスト」があり、アメリカが参戦しないように祈ってくださいと皆さんにお伝えし、共に祈りました。
しかし、帰宅すると、アメリカがイランの核施設に爆弾を落としたというニュースを聞き、ショックでした。もしかしたら核戦争になるかもしれないと緊張としました。核戦争は人類を滅ぼします。本気で祈っていかなければならない大きなテーマです。そして、これを阻止するための権威が日本に与えられているのではないかと私は思います。なぜなら日本は、世界で歴史上唯一の核被爆国だからです。核爆弾の被害を受けた国だからこそ、日本のクリスチャン、教会が祈らなければ、人類は核を使用するようになるのではないかと危惧します。
1945年8月6日と9日、広島と長崎に原爆が投下され、何十万人もの方々が亡くなりました。これに先立ち、アメリカは原爆投下の準備を進めていました。先週も少し触れましたが、「パンプキン」という原爆模擬弾を、日本各地に原爆投下1ヶ月前から投下訓練を始めていたのです。合計49発の模擬弾が全国に投下され、これらはいずれ原爆を投下する計画があった都市に落とされました。最終的に8月6日に広島、9日に長崎に落とされましたが、模擬弾が最も多く落とされたのが、なんと「愛知県」でした。愛知県春日井市に4発、豊田市に3発、名古屋市に1発です。これには理由がありました。この辺りの軍需工場では「風船爆弾」が製造されていたからです。終戦間近、日本はアメリカ本土を攻撃するために、風船に爆弾を吊るしてジェット気流に乗せ、アメリカ本土を攻撃しました。終戦までに約9,000個が作られ、約300個がアメリカ本土に着弾し、被害も出たそうです。このような兵器を製造していたのが愛知県だったため、どこよりも愛知県が狙われたわけです。
つまり、原爆が投下されたのは広島と長崎だけではなかったということです。もっと多くの投下計画があったのです。しかし、8月15日に戦争が終わったため、投下されずに済みました。この模擬爆弾の投下訓練は8月14日まで続けられ、15日に日本が降伏したため、終了しました。今回、トランプ氏が、イランに爆弾を落として戦争が終わった。言いたくないが、広島と長崎に原爆を落としたから戦争が終わったのと同じだと発言し、日本で物議を醸していますが、ある意味、本当です。なぜなら模擬弾投下訓練は14日まで続けられていたからです。もしも8月15日に降伏しなければ、愛知県も原爆の被害を受けていたでしょう。そしたら、私たちの人生は大きく変わっていたと思われます。新城教会が生まれたかどうかも疑問です。本当に歴史とは、ちょっとしたことで大きく方向が変わるものです。根本的には、主の民の祈りによって変わるのです。
特に、核問題に対して愛知県の教会の祈りが重要ではないでしょうか。
今回、私は不思議と専門課程の為に「核戦争と霊的戦い」というテーマを準備するように導かれ、その中でこの「パンプキン」についても知りました。これは、1990年代になってから、春日井市の市民団体がアメリカの秘密文書を解読して明らかになったそうです。愛知県の教会、特に新城教会に対して「祈りなさい」という、主からのサインではないかと思います。イスラエルとイランの問題も、これからどうなるか分かりません。ちょっとしたことで、大きな戦争になる可能性も十分にあります。
他人事ではなく、真剣に祈らなければなりません。第二次世界大戦が始まり、その流れの中で、日本も太平洋戦争に巻き込まれました。あっという間に戦火は伝播して、若者たちは戦場に駆り出されました。これからの戦争ではどのような者たちが戦場に駆り出されるかというと、間違いなく中高生だと私は思います。もしかしたら小学生も送られるかもしれません。なぜなら、最近の戦争の主流はドローンによる無人攻撃だからです。ドローン操作に長けているのは、ゲームをよくやる中高生を始めとする若者たちです。ゲームの名人たちが優良兵士として、戦場に駆り出されるはずです。あまりゲームをやりすぎない方がいいですね。
・涙とともに種を蒔く
詩篇126篇2-3節
そのとき私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき諸国の人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなさった。」
主が私たちのために大いなることをなさったので、私たちは喜んだ。
「涙とともに、種をまく」という言葉の前に、イスラエルがバビロンから解放され、再興されたという話から始まっています。喜びの前提として、ユダの民が70年間、バビロンに捕囚され、涙と苦しみの歴史があったのです。
私たちの人生の中にも多くの涙の種が蒔かれます。しかし、私たちクリスチャンにとっては、涙はただの涙では終わりません。「涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え泣きながら出て行く者は束を抱え喜び叫びながら帰って来る。」と約束されているからです。
詩篇90篇10節に、「私たちの齢は七〇年。健やかであっても八〇年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります。」とあります。
詩篇90篇は「神の人、モーセの祈り」とありますから、モーセがこの詩を書いたようです。今から何千年も前のことだと思われますが、当時の平均寿命は大体70年だったようです。健康に生きても80年という時代であったということです。
現代の日本も、世界もあまり変わりませんね。日本人の男性の健康寿命は72歳と言われます。女性は74歳と言われます。私はこの8月で74歳になります。先日、高齢者運転講習会を受けるように言われたので、行ったんですよね。近くの自動車学校で講習を受けてからでないと免許更新できないというので参加しましたら、おじいちゃん、おばあちゃんばかりでした。自分では気づいていないんですよ。きっと、みんなそう思っているんだろうな、と感じました。私もその中に入っていました。高齢者の事故も多いですね。人生はあっという間に過ぎ去り、「私たちは飛び去る」とあります。油断していると、人生はあっという間に終わってしまいます。そしてその中身は涙と苦しみも多いということです。
誇りとなるものは「労苦と災い」だとモーセは語っています。誇りとできるものが、功績を上げたとか、良いことを行ったことよりも、労苦と災いとは悲しいことです。しかし、人生とはこんなものなのかもしれませんね。しかし、主を信じる者たちにとっては、労苦、涙、苦しみも、今朝の賛美にもあったように、喜びに変わるということを、今日は皆さんと一緒に学んでいきたいと願っています。
詩篇が書かれた時代、種を蒔くことは自らの食料が減ることを意味しました。収穫の一部を食べずに未来のために残し、種を取る必要があったからです。現代においては、種屋さんに行って種を買えばいいわけですが、昔はそうはいきませんでした。例えば、お米が10俵取れたなら、1俵は食べてはいけないのです。それを次の年の収穫のために残さなければなりませんでした。今のように食料が豊富に収穫できたわけではないですから、種を蒔くのは非常に深刻なイベントだったのです。
今の時代とは全く違った時代背景があったということです。これは何か新しいことを始める際の困難や苦労、あるいは悲しみや喪失感という意味をも持っています。人生で何か新しいことを始めるときは、困難があり、苦労もあります。悲しみや喪失感を味わうかもしれません。しかし、主を信じる者は、その涙が種となって、収穫の日が来るのです。ゆえに、涙には希望があるということです。収穫のとき、過去の苦労は報われて、大きな喜びを体験するからです。「喜び叫びながら」という表現は、その喜びが非常に大きく、感動的であることを意味しています。
今までの人生の中で、皆さんも様々な場面で涙を流してこられたかもしれません。しかし、イエス様と出会うならば、その涙は無駄にはなりません。涙が種となって、大きな感動をもって喜び叫びながら、収穫する日が来るからです。
新城教会にヘブンズファームができたのも、神の大きな計画ではないかと思います。作物の収穫のためには、種まきから始まって、様々なプロセスを経て、収穫期を迎えるからです。
聖書が書かれた時代は、種まき期は涙の季節でした。大きな不安とともに種が蒔かれたわけです。
・新城教会の歴史と個人的な涙
新城教会は今年で75年が経ちました。私の両親が津具村で宣教を開始したのが1950年ですから、今年で75年です。振り返るならば、その歴史の多くは、涙とともに種を蒔く者たちによって記されてきたと言っても過言ではありません。父が亡くなって今年で10年が経ちました。皆さん覚えていますか。滝元明・清子、私の両親です。記憶が薄れてきたかもしれません。誰でも人は死ぬのです。
私の父が若い頃、リバイバルミッションの原点を3人の牧師たちで作ったと、何度も語っておりますが、彼らに聖霊が注がれ、「宣教に出て行きなさい」と主が声をかけたのは、都会ではなく、山の中に伝道に行くように導かれました。田中政男先生は、佐久間町浦川に行きましたが、その地で3回、4回、洪水に遭って教会は流されました。1回でも洪水に遭ったら、諦めると思いますが、彼は諦めなかったのです。涙を流しながら、歯を食いしばって主の働きを進めたわけです。県民の森に集まって祈っているときに、リバイバルミッションの原点である日本リバイバルクルセードが発足し、その結果として新城教会が現在あるのです。それぞれ初代の人たちって、涙とともに種を蒔いた歴史だったわけです。でもその涙はそのままでは終わらなかったのです。
私個人として一番大きな悲しみと涙は、家内が天に召されたことです。この6月で家内が召天して、2年半が経過しました。長かったような短かったような複雑な気分です。2年半を記念して私の家内の写真を出させていただきます。家内のこと、皆さん覚えてくださっていますか。
まさか私、家内の葬式をここで、自ら司式するなんて夢にも思いませんでした。自分の奥さんの葬式を自分でやるんですよ。これ、なかなか勇気のいることでした。この講壇のあるところに、家内の棺が置かれていました。なかなか複雑な気分です。しかし皆さんに参列していただいて、慰められ、励まされて、こうして今、ここに立つことが出来ています。家内の闘病期間、私は人生の中で最も真剣に祈り、涙を流しました。大変な日々を過ごしました。しかしその時流した涙は、無駄にはなっていないはずです。このままでは終わらないと、この御言葉で励まされています。
ここでまたAIが出てくるのですが、私は家内のことを色々語っていますが、AIがどのように分析し、評価しているのか調べてみました。私が過去に語ったメッセージをAI分析したのです。今から紹介する文章は、私が書いたのではなく、すべてAIの作成した文章です。
「滝元順牧師のメッセージにおける、妻の病と死がもたらした試練・苦しみ・涙の神学的深化」と題されています。
家内が死んだことによって、私は神学的に深められたみたいです。次のようになっていました。