2025
神が働きを加速される年!
人類は被造物の管理人!
~AI版~

2025年6月1日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ローマ人への手紙 8章19~22節
“被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。”

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
早いもので、6月になってしまいました。6月は私が好きな月です。“ジューン(順)”と言いますからね。それはともかく、あっという間に月日は過ぎていきます。

私は毎月「霊的戦い専門課程」をさせていただいているのですが、5月に語られたテーマの一つが「AIが社会に及ぼす影響について」というものでした。広島の末宗宣行先生が講義してくださいました。

私たちが住んでいる世界は、気づかないうちにどんどん変化しています。AIが様々な領域で自動運転しているのをご存知でしょうか。

AI、アーティフィシャル・インテリジェンスの頭文字で、人工知能と言います。人は経験で得た情報を元に、未来を予測したり、様々な結論を出したりする思考を持っていますが、それをそっくりコンピューターが肩代わりするのがAIです。人間の思考と同じ形態を持ったコンピューター、それがAIです。私は忘れっぽいですが、コンピューターは忘れません。それも、世界中の情報を集約して回答します。現代はそれが全ての領域に関わりを持ち始め、今後は人類と切っても切れない関係となっていくでしょう。そして、AIには人類を超える知識が蓄積されているのです。これから、色々な職業がAIに取って代わられるとも言われています。似顔絵なども一瞬にしてできてしまう時代です。

先日、韓国に行った時、韓国の神学校で論議の的になっているのが、「AIが礼拝のメッセージを作ってくれる」という話でした。そして、ある社会実験が行われたのです。それは、AIが作ったメッセージと、牧師が祈って作ったメッセージを、どちらがどうだとは言わずに二つ提供した、というものです。

さて、どちらが恵まれたと思いますか? 残念ながら、牧師のメッセージよりもAIのメッセージの方が信徒たちは恵まれたそうです。世界中で多くの牧師たちが、あるテーマでメッセージを語っています。AIはそれらを全て読み込み、素晴らしいエッセンスを抜き出してメッセージを組み立てるのですから、一人の牧師が一生懸命祈ってメッセージを組み立てても追いつかないわけです。ならば、うまく活用していけば素晴らしく用いられます。しかし、一歩間違えれば悪い方向へ進みます。本当に祈りが必要なテーマです。
皆さんが使っているスマートフォンなども、今やAIと結びついています。普通に使っていると思いますが、実はAI情報だったりします。
先月の霊的戦い専門課程、末宗先生の講義は大変興味深かったので、よろしければ受講して聞いていただきたいと思います。

末宗先生が私に、AIで作られたメッセージを送ってくださいました。それは、『人類は被造物の管理人』というテーマのメッセージのAI版です。AIによると、

“「人類は被造物の管理人」というメッセージは、主にキリスト教の教えに基づいています。この概念は、聖書に記されている人間の創造の役割と責任に由来し、多くのキリスト教の宗派や教会、そして個々の牧師や信徒によって発信されています。具体的な発信者としては、以下のような例が挙げられます”

ローマカトリックでは、先日亡くなった教皇フランシスコが強調していたようです。東方正教会のコンスタンチノープル総主教バルトロマイ1世も結構強調していたらしいです。また、世界教会協議会や個々のキリスト教徒、神学者、環境倫理学者などがこのメッセージを発信していたのですが、なんと、その中で最も多くの情報発信をしていたのが誰かというと、私だったようです。私、このテーマに関してはAIによると、世界一になってしまいました。

なぜかと言うと、10年くらい前からそのことばかり語っているからです。そしてAIの場合、文字情報があるか否かが決め手らしいのです。画像やYouTubeの音声データだと不確実ですが、確実な文字情報があるかが判断の基準になるらしいのです。

実は新城教会においては、AI社会が来るのを預言的に見抜いていたかのように、40年以上前から毎週のメッセージが文字化され、データベース化されているのです。それは膨大な情報量です。

そうなれば、教皇フランシスコがペロッと一言言ったのとはわけが違うわけです。私が語ったメッセージに最も多くの情報があったようです。末宗先生が送ってくださったファイルは、

「滝元順の教える被造物管理について」というテーマでした。今から紹介するメッセージは、私が作ったわけではなく、AIが全て作成したものです。

『滝元順が教える』といいますが、聖書が教えていることに他なりません。しかし、私が過去に語った被造物管理のメッセージをAIが7000字に凝縮して、要点をまとめてくれています。自分で読んで、驚きました。
初めにこう紹介されていました。

“滝元順は日本のキリスト教会において、特に霊的戦いやリバイバル運動に関するメッセージで知られています。その教えの中でしばしば強調される重要なテーマの一つが、被造物管理、あるいは被造物の管理人としての人間観です。本稿では、彼がどのように被造物管理という概念を捉え、聖書に基づいて解説し、現代のクリスチャンに向けてどのような実践を促しているのか。公開されている説教や資料に基づいてリサーチし、その要点をまとめます。この理解は、信仰生活において自然環境や社会との関わり方を再考する上で、有益な視点を提供するものとなるでしょう。”

AIがこのように評価しているわけです。10年くらい前から、「救い」がただ単に人だけのものではなく、被造物全体に対するものだということに気づかされて、よく語るようになりました。私たちの団体の原点は、滝元明、田中政男などを中心に「個人の救い」「魂の救い」という限定された救いの教えが中心でした。しかし救いの概念は、もっと幅の広いものであることを10年くらい前から主が示してくださったからです。さらに、その実践をも、主は教えてくださいました。それは、全ての被造物に主をほめたたえさせることでした。それが私たちの重要な使命であると気づかされました。
人はどうして造られたのか。それは大きな疑問ですが、被造物の管理人として造られたという視点は、私にとっても大きなパラダイムシフトでした。

1. 被造物管理の核心
“滝元牧師の教える被造物管理の核心は、「人間が神によって創造された世界の管理者、すなわちスチュワードとして任命されているという認識」にあります。これは単に“自然環境を保護する”という現代的なエコロジー思想にとどまらず、より広範で霊的な責任を伴うものとして捉えられています。”

AIはなかなか良いことを言ってくれています。「ただのエコロジー思想じゃなく、霊的な責任も負う」というのです。

1-1. うめく被造物と神の子たちの現れ
“この教えの重要な聖書根拠の一つとして、ローマ人への手紙8章19節から22節が頻繁に引用されます。「被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。」新改訳聖書2017 “

そして次に、

“滝元牧師は、この箇所を通して人間だけでなく、全ての被造物が罪の影響からうめき苦しんでおり、神の子どもたち(イエス・キリストを信じる者たち)がその管理者としての責任を自覚し、行動することを切実な思いで待ち望んでいる、と解説します。つまり、クリスチャンが信仰によって本来の姿を回復し、神の御心に沿った生き方をすることが、被造物全体の回復にもつながるという視点です。“

魂の救いがゴールじゃないということです。それがスタートラインであり、私たちが神の御心に沿った生き方をすると、被造物がそれに連れて回復していくわけです。

ある神学者が、「世界を回復する働きはクリスチャンしかできない。クリスチャンが世界から手を引けば、世界は汚れたままである。せっかく洗濯機の中に入れてあり、準備万端なのにスイッチを押さないでいつまでも入れられている洗濯物と同じである。クリスチャンは世界の回復を委ねられている唯一のものであることを自覚して、積極的に被造世界に働きかけるべきである。」と語っていました。

私が使っている洗濯機は全自動の優れものです。しかしスイッチを押さないと、いくら優れた洗濯機でも働いてくれません。全ての被造物は神から人類に手渡されているわけです。私たちが被造物に関わっていくときに、被造物の回復が始まるわけです。人間以外の全ての被造物が、私たちの手に委ねられているのです。

1-2. 管理者としての人間
“人は被造物の管理者であるという言葉は、滝元牧師のメッセージの中で繰り返し語られるフレーズです。これは創世記における神の創造の記述の人間に「与えられた地を従わせよ。地の全てのものを支配せよ。」創世記1章28節という命令に基づいています。しかし、この支配は搾取や破壊を意味するものではなく、神の代理人として愛と配慮をもって被造世界を世話する責任であると理解されます。被造物は人間のために備えられたものであると同時に、人間はその管理者として神に対して責任を負うのです。”

本当に重要なことを指摘してくれています。AIは全体像を理解した上でまとめ上げています。

昨日の結婚式でもお話ししましたが、全ては人間のために存在しています。果物を食べたりすると、神の愛を感じます。全てが人のために作られたと感じます。みかんなど、「さあ、食べてください」と言わんばかりに、一口サイズに切ってあります。バナナもそうです。「さあ、剥いてお食べください」とばかりに作られています。私がもし、みかんとかバナナとして進化するならば、絶対に皮をあんなに柔らかく、人の手によってむかれるようには進化させません。鋼鉄のような皮で実を守ると思います。

ということは、神が全て人間中心に被造世界を創造されたことは確かです。しかし同時に、人は管理者として、神に対して責任も負っていることを、どのくらい意識しているのでしょうか。
2. 聖書的根拠
“滝元牧師の被造物管理の教えは、特定の聖書箇所に深く根ざしています。”

2-1. 創世記における創造と人間の役割
“前述の通り、創世記1章26節から28節は、人間が神の形に創造され、被造物を支配する、あるいは管理する責任が与えられたことを示しています。アダムとエヴァがエデンの園に置かれたのも、そこを耕し、そこを守るため(創世記2章15節)であり、これは積極的な管理と保護の任務を示唆しています。罪の堕落以前、人間と被造物世界は調和の中にあり、人間はその調和を維持する役割を担っていました。”

2-2. ローマ人への手紙8章の被造物の解放への希望
“ローマ人への手紙8章は、被造物管理の神学において中心的な箇所です。ここでは、被造物が人間の罪の結果として、虚無に服し、滅びの束縛のもとでうめき苦しんでいる様子が描かれています。しかし同時に、望みがあるとも語られ、それは神の子どもたちが現れること、すなわちクリスチャンがキリストにあって栄光の姿に変えられ、被造物もその解放が与えられるという希望です。この解放は終末的な完成を待つだけでなく、今を生きるクリスチャンが管理者として役割を果たすことを通して、部分的に実現していくものとして捉えられています。”

被造物管理という視点のゴールは、今日も歌われましたが「新天・新地」です。イエス様がお帰りになるその日を目指しています。教会で行われる全ての働きは、イエス様の再臨により、新しい天と新しい地が創造され、世界の王となってくださることを目標とします。そして被造物管理は、それを部分的に実現していく働きに他ならない、というわけです。