〜2022年〜「それは主の復讐の年」
クリスマス、それは主の復讐の日!
勝利・感謝・主に栄光!

イエスさまの第二の栄光は、まさしく、十字架の苦しみと死でした。イエスさまがお生まれになった時、天の軍勢が現れて、主の栄光が辺りを照らしたと記録されています。主の栄光が現れたのです。私たちは、クリスマスを明るいイメージで捉えるのですが、「主の栄光」とは何か、最終的には、十字架の苦しみと死、そして復活です。
誰でも死に直面する日が来ます。しかしクリスチャンは、死を恐れる事なく、真っ向から、死を持って敵に復讐する、まさしくイエスさまに続く者であるべきです。今回、そのことを主から教えられた気がします。
伝道者の書八章八節、

『風を支配し、風をとどめておくことのできる人はいない。死の日を支配することはできず、この戦いから免れる者はいない。そして、悪は悪の所有者を救い得ない。』

と伝道者は語っています。さらに、伝道者の書七章一節、

『名声は良い香油にまさり、死ぬ日は生まれる日にまさる。』

誕生日はお祝いしますけれど、死んだ日をお祝いする人はいないです。死の日は悲しみの日です。しかし聖書は、誕生日よりも死の日のほうが勝ると言うのです。パウロもこう語っています。ピリピ一章二十一節、

『私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。』

『死ぬことは益です。』とは「死ぬことは利益です」という意味です。死はすべてを失うように考えますが、死ぬことは「利益」だと言うのです。
ヘブル人への手紙二章十四〜十五節、

『それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。』

イエスさまが最大勝利を勝ち得た、すなわち復讐を成し遂げた瞬間は、公生涯と言うよりも、「十字架の苦しみと死」でした。苦しみと死が、最も大きな勝利・復讐の瞬間であったのです。一般的に人生は、死に追いかけられ逃げるイメージです。イエスさまの十字架の死は、敗北なのか。勝利なのか。普通ならば、十字架は、志半ばで残念無念というイメージですが、聖書はそう語ってはいません。イエスさまの十字架の死は、大逆転、大勝利なのです。ご自分の死によって、死の力を持つ悪魔を滅ぼしたからです。
イエスさまは言われました。「自分の十字架を背負って、わたしについて来なさい。」
霊的戦いの中で、最も大きな戦いであり、最も大きな勝利をもたらす瞬間は、死の過程であり、死の瞬間ではないかと思うのです。だれでもやがて迎える死。免れる人は誰もいません。しかし、そこから目を逸らすのではなく、直視して、乗り越え、勝利する者でありたいと願います。

旧約聖書の様々な戦いの描写は、新約聖書においては霊的戦いに置き換えられます。
士師記に、サムソンという士師が出てきます。彼はペリシテ人という敵と戦い、多くをやっつけた勇士でした。しかし、彼がもっとも多くの敵をやっつけたのは、士師記十六章三十節、

『・・こうして、サムソンが死ぬ時に殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。』

彼が最も多くの敵をやっつけたのは、彼が死ぬ瞬間であったのです。私たちにも、死の瞬間、最も大きな栄光が現れるのです。
聖餐式は、十字架のイエスさまを覚える時であり、新しい契約を宣言する時です。そこで何を宣言しなさいと命じられているのかというと、コリント人への手紙 第一 十一章二十六節、

『・・あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。』

これがキリスト教信仰の中心です。キリスト教信仰の中心とは、「主の死を告げ知らせる」、すなわち、「主の死の宣言」です。「イエスさまは死なれました!」という宣言が、キリスト教信仰の中心です。
やがて迎える死を直視し、雄々しく戦うことを主は、望んでおられます。今回、家内の死をつぶさに目撃させていただき、死は、主が私たちに与えようとされる復讐の方法なんだと、知らされました。
今年はロン・ブラウン、小坂忠さん、私の知り合いの綾子先生、そして寛太が亡くなりました。さらに家内が召天して…。散々だったと、考えてはいけないのです。
死が集中した二〇二二年こそ、まさしく、主の復讐の年であったと言わざるを得ないのです。他にもこの教会から数人の兄妹姉妹が天に帰られました。これらも主の復讐の年の一環であったと信じます。
今や、発想の転換が迫られています。死は決して、敗北ではないことを、理解する必要があります。

以前から私は、家内の召天・凱旋式の司式を、誰に頼もうかと迷っていました。しかしある時、自分が司式をしたほうが家内は喜ぶだろうと思い、家内に話してみました。「あなたの召天式があったら、私が司式させてもらうからね。」と言いました。すると、『本当にできるのー?』と言いました、しかし今回、司式をさせていただき、本当に感謝でした。
 子どもたちが「本当に、大丈夫?途中で泣き伏してしまうんじゃない。」と言いましたが、私は結構、立派にやり遂げたので、初めて子どもたちに褒められました。「よくやったね。」と。
本当に聖霊さまの助けがありました。私が司式している間、家内がとりなしの祈りをしているのが見えたと、ある人が言っていました。本当に支えられたという感じでした。多くの方々が家内の死を悼んでくださいました。
 そしてなんと今回のメインスピーカーは、私ではなく、家内自身でした。第二の栄光として、「家内がこの場所に立って証しができるように祈ってください」とお願いしていたのですが、それが実現しました。凱旋式では家内がメッセージをしました。それは今年の初めに、家内がここに立って、神の奇跡のストーリーを語りましたが、その時の録画でした。

三十五分間、本人が神の奇跡について語りました。本当に感動でした。大勝利でした。今までにない召天・凱旋式であったのではないかと思います。
人生はたいへん早いです。家内と結婚したばかりの時、こんなに可愛かったです。アイドルみたいでした。


昨年、私は中古の一眼レフカメラを買って、最近の家内の姿を写真に収めていました。

 これは夕方、家内が河川敷に行って祈っている姿を撮ったものです。
 これはツーショット。いい感じでしょう。

 この写真は八月に撮ったものです。

『しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。』(箴言三十一章十節)

家内はたいへん家庭的で、同時に、牧会にもよく関わってくれました。最高の妻でした。私は心から家内を尊敬し、感謝しています。
私は炊事や洗濯など、家事をやったことがなくて、家内が病気になって仕方なく、やるようになりました。家内は召天する前にいろいろと、どこに何があるとか、洗濯機の使い方とか、レンジの使い方も教えくれました。案外、簡単なんですね。部屋の掃除もルンバというロボット掃除機を買いました。勝手にやってくれるから助かります。そういうものを買いながら、きっと家内は天国に行くのだろうと予感しました。

今回、子どもたちも一緒に、この戦いを戦ってくれました。本当に感謝です。

『その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。』

子どもたち共々、家内に賛辞を贈ります。
今回、娘がいて良かった。それも近くにいて、本当に助かりました。娘がいろいろとやってくれて、こういう時の対処は、息子と私だったら最弱コンビで、どうなってしまったでしょうか。

来年、二〇二三年は、新城教会にとっては記念の年です。この間もお話しさせていただきましたけれど、新城市に教会ができて、七十年目にあたるからです。聖書の中で七十年目とは、バビロンからの解放とヨベルの年(五〇年+二〇年)、プラチナ・ジュビリーにあたります。特別な解放と安息の年にあたります。聖書はヨベルの年を特にクローズアップしています。来年は、ヘブル暦5783年、西暦では2022年9月26日〜2023年9月15日はジュビリー、ヨベルの年という説があります。
ヨベルの年は、主が帰られる年と重なるのです。いつイエスさまが帰って来られるのかは分かりません。しかしヨベルの年は、最も重要な年です。それを前にして、二〇二二年は死というテーマが重なったのかも知れません。普通では絶対に扱いたくない、逃げたいテーマを主が集中されたのは、大きな意味があるように思います。

世界で最も死に対して背を向けている民族は、日本人であると言われます。日本人は、死から目を背けて、死を最も怖がっている国民だと言うのです。なぜなら、戦後、GHQがそのように仕向けたからだと言われます。世界で唯一、原爆を落とされ、大都市は絨毯爆撃され、日本は地獄を体験しました。その結果、「死」の恐れで凝り固まってしまったのです。戦後処理の政策として、GHQは日本人が死から目を逸すように、「3S政策」を実施しました。3Sとは、「スクリーン」、「スポーツ」、そして「セックス」でした。映画のスクリーンに、今ではYouTubeに捕らわれています。スポーツは、どうですか。日本がサッカーに勝ったら、大喜びする国です。そして性的な罪も満ちています。これらだけに関心を払っていれば、死から目を背けます。これは悪魔の政策です。
だまされてはいけないのです。主は聖徒たちの死を通して、最も敵に最も大きな復讐をなされます。二〇二二年、死というテーマが色濃く持ち出されたことは、主の復讐の年であったと信じます。そして来るべき二〇二三年は新城教会に、七十年目の解放と安息の年にしてあげよう!と、語っておられるのではないかと期待します。
二〇二三年は新城に教会が設立されて七十年、記念の年であることを覚え、七十年とは、バビロンからの解放と、ヨベルの年(五〇年+二〇年)とも重なる、重要な年となる事を信じます。それは「主の再臨」の為の戦いです。今回の家内の戦いは、再臨のための戦いではなかったかと私は理解しています。

今日はクリスマスです。クリスマスには明るいイメージがあります。ある牧師がクリスマスの伝道集会に招かれて、十字架の場面のメッセージをしたそうです。すると、主催者から怒られたと言うのです。「クリスマスの明るい時に、なぜ十字架の惨たらしい話をするのですか!」と言われたそうです。「神の愛とか、明るい話をしてくれたらよかったのに。」と文句を言われたそうです。
しかし現代のクリスマス・イメージは作られたもので、本来は大変シリアスなものです。

今日も読んでいただいた『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』という、最初に羊飼いに語られた言葉ですが、先週も語られておりましたが、羊飼いはベドウィンと言って、国籍もなく、社会から見捨てられている人たちで、最も貧しく心傷ついた人たちで、神は彼らを哀れんで、最初に現れて下さったのも事実です。
しかしベツレヘムの野という地域について、違った側面からの説が浮かび上がってきました。羊飼いたちは、天の軍勢の現れとともに、ひどく恐れましたが、救い主の誕生を聞いて、即、イエスさまと出会う為に馬小屋に出かけています。その行動は、たいへん機敏です。ある程度の予備知識がなかったら、あのような動きはできなかったのではないかと言われます。
彼らは、夜、野原で羊の番をしていました。それは夜に蠢く猛獣から羊を守る為でもありますが、なぜそこまで、羊を丁寧に扱うのか?という疑問も残ります。いろいろと調査がなされて、

“エルサレムとベツレヘム及び周辺の野原は、普通の羊が飼われていたのではなかった。ユダヤ人の規則によれば、それらは、神殿奉仕のための羊であった。ベツレヘムの羊飼いたちは、やがてエルサレムの神殿で犠牲となる運命にある羊たちを見守っていたのである。”

という説です。

”天使たちのメッセージは、やがて動物犠牲に代わって、イエスご自身が死を持って、ささげものとなることを意味していた”

神が救い主の誕生を、羊飼いと羊たちの面前で現したのは、イエスこそ、やがて十字架において、全人類のために、また、すべての被造物のために犠牲となる、神の子羊であることを示す為であったのです。そのために羊飼いと羊たちの所に栄光が現れたのではないか、と言うのです。もちろん貧しい、苦しんでいる人たちの為というのも事実です。
もしかしたら、この羊飼いたちは、それなりの聖書知識があって、一般のベドウィンたちとは異なった羊飼いではなかろうかというわけです。
イエスさまは、何のために生まれて下さったのか。それは、ご自分の死によって、サタンという死の力を滅ぼすために、地上に来てくださったのです。
クリスマス、ただ明るい雰囲気ではしゃぐのではなくて、イエスさまが、ご自分の死をもって、被造物の最大の敵である死に勝利し、復讐するために、地上に来てくださったのです。