が与えられました。そして「食事時には、彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべ」というタイトルも与えられました。とても不思議です。ローマ書六章二二節に、
『しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです』
「罪から私たちは救われて、神の奴隷となった」とあります。私たちの主人は、イエスキリストであり、父なる神さま、そして聖霊さまです。その神さまに、食事時に食事をちゃんと与えられる自分になりたいと強く教えられました。新城教会の歴史やストーリーは何度か滝元順牧師が語っています。今までスウェーデンの宣教師たちは中国に宣教に来て、後に戦争後日本に来られたと聞いて何度も祈っていました。オーケ・レナンデル先生、またアルネ・リンデン先生を懐かしく思い出します。時々私も父に連れて行ってもらい、良い交わりをさせてもらったことを思い出します。彼らが中国で宣教をしていく中、戦争によって宣教師たちが追い出され、日本に来て、豊川や東三河に来て宣教を始められました。私たちはそのことを感謝しなければいけない、いつもスウェーデンの宣教師たちのためにとりなし祈り。豊川市にある教会。東三河地区の教会などの祝福をお祈りしていました。
しかし今回リバイバル・ミッションが、モンゴル・ゴビ砂漠で集会が行われ、そのきっかけでスウェーデンの先生たちがなぜこの日本に来たかということ、中国ではなくモンゴルだった事を知りました。「スウェーデン・モンゴル・ミッション」としてモンゴルへ北欧の地スウェーデンからモンゴルに来られ、今回モンゴル・ゴビ砂漠に行かれた方々から、写真を見せて頂きましたが、放牧民のモンゴルの人々のために。大草原と砂漠。そして人が多くない場所に命を懸けて宣教に来てくださった。そして一九〇〇年に中国で勃発した義和団の乱は、約220人の宣教師と数えきれないほどの中国人キリスト教徒が虐殺され、スウェーデン人宣教師もこの混乱から逃れることはできなかった。義和団の乱によるスウェーデン人宣教師の犠牲者数は、合計で四一人に上り、そのうち十五人の子供が含まれ、これは、スウェーデン人宣教師全体の約5分の1に相当する甚大な被害だったそうです。その後命がけで「スウェーデン・モンゴル・ジャパン・ミッション」となって日本語が全く分からないのに、大きな犠牲をもって豊川市などに来てくださいました。そのことがモンゴルに行ったからこそわかったのです。今の新城教会やリバイバル・ミッションはその大きな犠牲と神のご計画の中あります。なんと感謝してもしきれない感謝です。今年のテーマは「主が働きを加速される年」です。
今考えると私の意に反して、主は主の働きを思ったこののない速さで思った事のないほど加速してくださいました。その事で先ほどお読みしたマタイ二四章四五節~四七節のみことばにある「食事時に食事を」、このみことばを神様が与えてくださったときに、気づきました。今まで新城教会のリバイバルのために、また全国の教会や全国の方々の為に祈り、特別とりなしの祈りをささげていましたが、間違った祈りをしていた事に気がつきました。「食事時に食事」ではなく主人に別のものを提供していたかもしれない。「お腹すいてきた主人が食事をしたいときに、『どうぞ布団引いてありますので、お休みください』」とか、早く食事したいというにもかかわらず、今からお風呂ですと別のものを用意していたような自分ではないかと思わされました。
なぜなら先週の祈祷会にて、中国からではなく、モンゴルから命を懸けて来てくださったスウェーデンの宣教師とご家族の大変さ。犠牲。命がけの移動をして下さった事により、今の新城教会、リバイバル・ミッション。いや上條実という私がいる。イエスキリストの十字架とスウェーデンの宣教師がいたことで今がある。宣教師は全く知らない日本に来て下さった。なのに私はイエスキリストの十字架と愛を知りつつ、金銀は主が与えて下さるのに、経済的心配をして、モンゴル宣教。ゴビ砂漠宣教を無理だと思っていた。モンゴルの為、ゴビ砂漠のために祈れなかった事を悔い改めた。モンゴル宣教。ゴビ砂漠宣教があったからこそ「食事時に食事を」。今まで祈ってきた祈りは、食事時の食事ではなかった。今回確かに新城教会設立の祈祷会でみことばの剣がぐさりとど真ん中に入った。食事時に食事を主人に提供できたと思いました。
これは私の感覚です。今までは中国からこの日本に宣教師たちが来てくださり、明牧師が出会ったと思っていましたが、モンゴルから来られていた。そしてモンゴルへ私は行ったことはないのですが、映像や写真を見せていただいて、大変なところからこの日本を愛し、また東三河を愛して奉仕してくださったことを考えると、並大抵ではない苦労があったと想像できます。私はとても恵まれました。
もしも誰かに後ろからたたかれたとして、振り返って全く違う人にやり返したら、やられた人はものすごく怒ります。今まで間違った人にやり返していた。様々な問題や戦いを覚えて祈っていたが今まで食事時に食事を与えていなかった。モンゴルをしっかりと認識しながら、新城教会の歴史について、この新城教会が立ち上げられたということを今回祈ることができて、まさに食事時に食事を与えることができたと、私はめちゃくちゃ感動しました。
今まで、多くの祈祷会がありましたけど、今回は祈りの力を強く感じました。手ごたえがありました。豊川駅前のロータリーで車を止めて祈りました。多くの車は来るし、警察も来たら困ると思って長い時間の祈りではありませんでしたが、ハッキリと敵がわかってみことばの剣を置いて帰ってくることができました。「神がその働きを加速してくださる年」と改めて考えたときに、自分がさまざまな導きに蓋を閉めていたことに気づきましたが、神は驚くような速さで、この新城教会の扉を開けてくださって、「食事時に食事を与えてくださるような忠実なしもべになりなさい」と、モンゴルを開いてくださった。とても恵まれて、今週は素晴らしい祝福をいただきました。
昔、新城教会でいろんな部会がありました。その中に、文書伝道部会がありました。文書を通して神様のために仕えたいということで、文書伝道部という部会を作り、いろんな企画をしてくれました。その中で「みことばの剣」という小冊子を作成しました。毎週一週間分のみことばとショートメッセージをまとめて掲載し皆さんに皆さんに配ったことがありました。教会の牧師やスタッフたちが原稿を書いてまとめた冊子でした。先週、ミッションの事務所で仕事をしているときに、その冊子に「私は自動販売機のようになりたい」と書いたことを思い出しました。それはどういう意味で書いたかというと、今年は酷暑の夏でした。暑くて喉が渇いた時、自動販売機があることは大変にありがたいことです。私たちは自動販売機でお金を入れて、「さあ何を選ぼうか」と思い、自分が一番飲みたいものを選び、それを飲んで満足します。しかし、商品を入れる人が間違えて入れてしまって、冷たいものを飲みたいと思ってボタンを押しても、違うものが出てきたりしたことがあります。暑いので、冷たいお茶やスポーツドリンクを押すと、温かいおしるこが出てきたりしたら、超がっかりしてお金を損したと思います。それと同じで、「食事時に食事を与えなさい」。そのときに私は、「食事時に食事を与えているだろうか」ともう一度考え直さなくてはならないと思いました。あの豊川駅前でとりなしたときに、中心を打ち抜くような祈りができたと思いました。毎日の生活の中で、常に祈る時食事時に食事を与えるような働きをしたいと思わされました。先ほど読んだ四七節、
「まことにあなた方に告げます。主人は彼に自分の財産を任せるようになります」。
こんなことが書いてあるんですね。食事時に食事を与えたら、今度は主人がそのしもべに全財産を任せる。と言っています。日本のリバイバルのために、そして神の前にこの教会祝福のために祈ってきたが、なかなかリバイバルが進まず、目に見えて主の働きを受け取る事が少なかったように思います。常に「食事時に食事を与える忠実なしもべ」にならなければいけないと教えられました。
しもべとは・・・主人に仕える人、奴隷とか従者、それがしもべという意味があります。主人に仕える者として、神の奴隷となった私たちが、神様の思っているそのままをしっかりと祈る。祈ることができるかどうか。「食事時に食事を与えたら、必ず主は私たちに素晴らしい奇跡を与えてくださる」。いや、全財産を任せてくださいということは、この日本を任せてくれる。リバイバルを与えて下さるのではないかと思います。
また、経済的に心配しているが、主に信頼しなさい、「食事時に食事を与える事が必要」そうしたら、「全財産任してくださる」。みことばをいただいたときに私は感謝しました。
話は変わりますが新城教会は、ここまで神さまの働きをさせていただいた。成長させてくださったのは、聖霊の激しい注ぎと、また主の声を聞いて成長してきたなということを思います。
聖霊の働きを考えると、一番最初に聖霊の働きが顕著に現れたのは、明牧師がよく私にも話してくれたんですけど、彼の実家の前にシイタケの乾燥小屋があり、最初にそこを教会としました。ある時滝元明牧師夫妻が祈っている時に聖霊が注がれ、祈ってるときに、家が地震のように揺れたというんです。聖霊の訪れがあり「滝元明、お前はこれから全日本を回って巡回伝道者として働く。この国とこの国とこの国を巡って伝道旅行に行く」と主に語られたそうです。激しい聖霊の訪れがあったというのです。そして晩年振り返るとその通りの国々に出かけて行ったというのです。
そして、二回目は一九六〇年に茶臼山製材の人たちが聖霊で満たされました。一九六〇年に田中政男先生とか中村先生などが、田舎にどんどん開拓伝道に出て行かれました。そこに神さまが計画の中で聖霊の注ぎを与えてくださって、聖霊様がこの教会に訪れてくださった結果です。
その後、一九七〇年でした。子どもたちに聖霊の降臨がありました。あのとき私も祈ってた一人ですけど、びっくりしました。豊川である先生が聖霊を求める祈りをするという集会で、すごく恵まれたと聞いて、私たちも聖霊を求めようと言って、子どもから大人まで祈りました。当時土曜日の午後子ども祈祷会を毎週していました。小さい部屋に集められてとにかく祈りなさいと言われました。初めは嫌で嫌でたまりませんでした。「祈れ」と言ったって、小学生ですので、祈れませんでした。でもすると突然そこに聖霊さまが望まれました。いろんな現象が起きたんです。岡本先生は「わははは」と大声で笑い転げていました。横を見たら、頭のいい子でしたけど、何か教えるようにしていました。私は手を一生懸命メッセージしているように異言でメッセージしていました。なんだかわからないけれどももう大騒ぎで祈祷会をやった思い出があります。そのことによって自分は支えられたなと思います。
その後、良く話される一九九二年に県民の森での聖霊体験でした。あのときから教会が変わりました。その時甲子園球場で集会をする事が決まっていました。人の力では絶対にできないと、ただ聖霊の力を求めました。そして圧倒的な聖霊の訪れが起きました。その後霊的戦いが始まり、分裂が起こり、人数も少なくなって「これからやっていけるのか」と思いました。しかし聖霊の圧倒的な力によって、進むことができたということを考えると、新城教会は聖霊様の働きが訪れてくださったことによって力が与えられてきたなと思います。
また主の声を聞いて、預言を聞いて成長してきたと思います。はじめに津具のシイタケ乾燥小屋を教会にした新婚の滝元明牧師と清子夫人に「あなたは日本中、世界中を駆け回る伝道者となる。そしてこの国とこの国に行き福音を伝えるようになる」と主から語られました。確かにその時語られた国々に招かれて福音を宣べ伝えに行く事ができました。
次に一九六〇年に起こされた茶臼山製材の人たちの聖霊降臨のとき、預言の賜物をいただいた姉妹が、田中政男先生に「浦川に伝道にでかけなさい」と預言しました。それを聞いて田中先生は伊勢湾台風のすぐ後でしたけど、結婚式を挙げたばかりでしたが浦川へ開拓伝道に行きました。自分がそこに住もうと思って用意していた新居は、伊勢湾台風によって川が氾濫して一階部分が水没しているような状態でした。そんな中伝道に入り、浜松市にも教会を造り、大きな敷地が与えらて、素晴らしい教会堂が建て上げらました。浦川に私も、何度も行きましたけど、階段は流されてしまったので、はしごで二階に上がったり下がったりしていたのを覚えています。