隔ての壁を越えて

2025年8月3日(日)新城教会副牧師 滝川充彦

エペソ人への手紙2章14-16節
“14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。“

ハレルヤ。皆さんおはようございます。今日こうして礼拝のときを持つことができることを感謝いたします。
まず、次世代キャンプのために祈っていただき本当に感謝いたします。先週韓国で行われましたが、多くの皆様からの捧げものも与えられて、多くの子どもたちがキャンプに参加することができました。本当に感謝します。
午後からはその証を子どもたちから聞くことができますので、ぜひ参加していただければと思います。この礼拝の中でも少し報告したいと思います。

その前に少しインフォメーションです。
来週十一日の月曜日は、ゴスペルコンサートが行われます。こちらは入場無料です。日本の最前線で活躍しているトップミュージシャンが集ってのコンサートとなりますので、ぜひ新しい方を誘ってください。順先生が伝道メッセージをしてくださいます。良い伝道のときとなりますので、ぜひ祈って備えていきたいと思います。チラシもありますので用いてください。週報にはQRコードでチラシの画像データがダウンロードできますので、ご利用ください。

では、みことばを皆様とともに受け取っていきたいと思います。
今読んでいただきましたエペソ人への手紙二章十四~十六節の中で、「隔ての壁である敵意を打ち壊し」とあります。平和のキリストが、二つのものを一つにするために隔ての壁を打ち砕かれたということです。「隔ての壁」とは何か見ていきたいと思います。
この画像はイエスさま時代の神殿の様子になります。真ん中には聖所と至聖所があります。それを囲むように広場があり、そこに異邦人の庭というところがありました。黄色い印をつけたところには壁があり、これが「隔ての壁」になります。
異邦人の庭との間に石の壁があり、異邦人と呼ばれる人々はユダヤ人以外の民族の誰も壁の中に入ってはいけない。誰でもこの規則を破るものは自らの身に死を招くことになる。異邦人とユダヤ人との間に隔ての壁があったということです。イエスさまの十字架によって、それが取り除かれた、ということであります。
それでは、異邦人がどのような存在であったを見ていきたいと思います。
エペソ人への手紙二章十一節から十三節、

十一 ですから、思い出してください。あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、
十二 そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。
十三 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。

このように、神さまによって選ばれた選民であるイスラエルの民・ユダヤ人は、天地万物を造られた神さまを信じない人々、選民でない民族に対し彼らを「異邦人」と呼んで軽蔑していたのです。「割礼のない者」とも呼んでいます。割礼は人間の手によって施されるものでありますが、ユダヤ人は人間の手によって施される割礼が「ある者」として、そうでない人たちを「割礼のない者」と呼んで異邦人と呼ばれる人たちに対して傲慢な態度を取っていました。
また、そのような民族に対して敵意すら持っていました。異邦人たちは「イスラエルの民から除外された」、「約束の契約については他国人」であったとあります。
例え異邦人が真の神さまを信じたとしても、ユダヤ人が特別に神さまからいただいているアブラハムの祝福の契約・約束を、彼らは受け取ることはできないとされていました。
ですから、ユダヤ人との交わり、またこの特権というものに全く帰属できない、常に切り離された存在、それが異邦人であったわけです。ですから、望みもない神もない者と表現されています。
実際に異邦人の改宗者は、ユダヤ人たちから受け入れられたのですが、現実的に心から異邦人たちの改宗者をこの神の民として認めることは難しかったと言われます。
ですから異邦人は二流市民だと考えられていたわけです。ユダヤ人と異邦人の間に「隔ての壁」「敵意」があったのです。しかしイエスさまが、全人類の罪の身代わりとなって十字架にかかり、自ら命を捨て、死の力を打ち破りよみがえられ、贖いを成し遂げてくださいました。律法を成就してくださいました。そのことにより隔ての壁が砕かれました。かつては遠く離れていたあなた方異邦人も、今ではキリスト・イエスにあってキリストの血によって近いものとされた。今まで切り離されていた「異邦人」という存在もユダヤ人と同じように神さまに近いものとされた。神の民とされたということを意味します。
そして、イエスさまの十字架の贖いにより、ユダヤ人と異邦人を一つにされる、全ての民が神の民となって一つとなることが成し遂げられ、新しい一人の人に作り変えられるとあります。
「新しい」という言葉は、“カイノス”というギリシャ語が使われており、「時間的な新しいこと」ではなくて、今までにこの世にも存在したことがなかったような、全く新しい種類・質を意味します。まさに「神の民」ということを表しているわけです。ユダヤ人も異邦人も関係なく、イエスさまの十字架の贖いを受けたものは新しく造り変えられて、神の国籍を持った神の国の民とされるということです。ですからイエスさまの十字架の贖いは、人類の罪の赦しだけではなく、民族と民族との間にあった隔ての壁を打ち砕いて、敵意を取り除くものであり、主を信じる全ての人が神の民とされる側面もあるということです。私たち新城教会の会衆においても、いろんな地域から集い、またいろんな背景を持っていますけが、私たちはイエスさまの十字架によって救われたものとして、全てを越えて神の民として一つであるということを今日覚えていきたいと思います。
そして一つとされた民がどのような存在かというと、
エペソ人の手紙二章十七~十九節、

十七 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
十八 このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
十九 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。

私たちはイエスさまの十字架によって贖われた神の民として、神の家族であるということです。お互いが兄弟姉妹です。
エペソ人への手紙の一章十節、

時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。

とあるように、神さまの壮大なご計画の一つ、それは天にあるものも地にあるものも、一切のものがキリストにあって、一つに集められる。ということです。
分断されているユダヤ人と異邦人も一つとされて、神の家族とされていく。世界大の大きな神の家族を築き上げること。贖われた者の一つの家族を築き上げることが、神さまの壮大なご計画です。現代社会において戦争が絶えません。いろんな言語を話し文化を持ち、その中で様々な敵意が置かれて戦争をしているような現実があります。世界は多くの民族であふれていますけが、神さまのご計画、終わりのときに向かって民族を一つにしようとしている。それが神さまご自身のご計画であるということです。ですから、私達は、世界大の神の家族の一員として、神さまご自身のご計画に向かって一つとなっていくことを目指していかなければならないと教えられます。

次世代リバイバルキャンプが韓国で行われました。まさに主ご自身のご計画、贖われた神の民が神の家族として一つとなっていく様を見させられたような時でした。
今からキャンプの報告をさせていただきたいと思います。私は引率者・保護者・リーダーとして行かせていただきました。
小学生から中高生、保護者引率者、滝元順先生含めて二十四名が、キャンプに参加しました。「このキャンプのためにパスポートを初めて取得した。今回が初海外」という子どもたちが多勢いました。ですからいろいろ道中手間取ることもありました。小中高生ですので心の動きも激しいですし、体も成長過程ですから、いろんなハプニングが続出し、思っていた以上に保護者は大変なキャンプでありました。
順先生に祈ってもらって、空港に向かいました。空港に行くまでに、バスに車酔いをする子、お腹が痛くなる子が出て、トイレ休憩をすることになりました。空港まで行くのにもすでに大変でした。子どもたちは、空港に着いたら動く歩道に興奮し、いろいろと新鮮でした。韓国の空港では、チェ・ヨンドゥ先生の牧会されているシャローム教会の方々が出迎えてくだいました。今回、シャローム教会の方々が通訳の面などいろいろとサポートして助けてくださいました。
今回、事前の準備では、ファンドレイズをさせていただいて、皆さまからは、本当に多くの捧げ物と支えがあったことを感謝致します。。
また新城教会には韓国語ができる方々がたくさんおられて、子どもたちに韓国語を教えてもらう機会も持っていましたので、子どもたちは自己紹介を韓国語で言っておりました。頼もしいなと思いました。

今回のキャンプは、子どもたちスタッフを合わせて二百人ぐらいの規模のでした。韓国、脱北の背景を持つ北朝鮮、中国系、ロシアの背景を持つ高麗人、日本人と五カ国以上の国々の背景を持つ子どもたちが集いました。本当に国際的なキャンプでした。最初はみんな緊張しているので、打ち解けるためにゲームをしました。やっぱり子どもたちは順応するのが早いです。すぐに子どもたち同士で勝手に遊び始めていました。そして、家族のように寝食を共にし、主を賛美し、祈る中で、みんなが一つとされていく姿を見ました。
今回、キャンプを主催してくださったキム・ガンホ先生を中心とする脱北された人たちの教会や、他の韓国教会がサポートしてくださり、休憩中には、飲み物やお菓子、カップラーメンやアイスクリームが無料で提供されていました。
帰ってきた子どもたちの声には、賛美の時間がすごく良かったと聞いていますが、国、言葉、民族を越えて神の民として主だけを見上げて、肩を組み踊りながら賛美をする子どもたちの姿がありました。私たち日本チームも日本語と韓国語で賛美を捧げるときがありました。

そして互いに祈るときが多く持たれました。現地の韓国の先生方、兄弟姉妹スタッフの方々が真剣に子どもたちのために祈ってくれました。かつて日本・韓国・ロシア、歴史的には戦争があり、敵対関係の中にあった国々でありましたが、イエスさまの十字架の贖いによって隔ての壁が砕かれて、ともに祈り合って助け合って遊び交わり主を賛美して祈りを捧げることがなされていました。お互いの国々の間には歴史的には様々な背景があるかもしれないけれども、イエスさまの十字架にあって互いに許し合って、また愛し合って仕えている、神の家族の姿がありました。
キャンプの中ではカーニバルという時間がありました。ブースごとに色々と遊ぶことが出来き、日本チームは日本の文化を紹介する趣旨で、浴衣を着る体験、折り紙、けん玉、コマ回し、あやとり、アニメのアンパンマンとバイキンマンのカードを使ったゲームなどを提供しました。交わる中で、お互いに打ち解けていきました。
その午後には巨大なプールに入りました。プールでは、国を越えてビーチボールで遊んだり、水を掛け合ったりしていました。言葉が通じない子どもたちがこのように交わり遊ぶことができるというのは、まさにイエスさまの十字架によって隔ての壁が砕かれている証であります。
今回のキャンプでは、日本人の参加が初めてでありましたが、コリョ人の方々の参加も初めてでした。少し、コリョ人という民族のことをご紹介します。高麗人と書くので高麗という国がかつて朝鮮半島にあり、混同するとこもありますが、特にコリョ人の人たちの背景の中で注目するべきことがあります。それは、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけ、多くの朝鮮半島の人々が貧困や、日本の植民地支配から逃れるためにロシアの極東の方に移住していきました。そこで、農業や漁業に従事し独自のコミュニティをつくっていきました。しかし、一九三〇年代に入りソビエト連邦のスターリンによって独裁体制が確立される中で、満州を支配するロシアと国境を接する日本が緊張関係にありました。戦争が激しくなるにつれて、ソ連政府は極東に住むコリョ人たちが日本のスパイになる可能性があるのではないかと不信感が強まっていきました。そして国家の安全を脅かす存在とされ、突然、十七万人ぐらいのコリョ人の方々がロシア極東から中央アジアへと強制移動させられました。財産もほとんどを持つことが許されなかったと言われます。
六〇〇〇キロの距離を家畜用の貨物車に乗せられて行ったそうです。マイナス三十度ぐらいになるような状況の中で移動させられたということで、移動中に多くの高齢者や子どもたちが命を落としたそうです。
しかし、こういったコリョ人の方々、ロシアという国に属しながら、国民の権利を認められない、交わりのない隔てられた存在は、かつてのユダヤ人が軽蔑し敵意をおく異邦人のような立場であったとことを覚えます。そのようなコリョ人の方々が、今回、このキャンプに参加していることは本当に大きな意味があると感じました。
キャンプの三日目、キム・ガンホ先生がロシア、中国、韓国、北朝鮮、日本の地図のタペストリーを用意し、国々のためにお祈りしました。特に、コリョ人の方々にタペストリーの真ん中に来ていただいて、コリョ人の方々のために祈るときが持たれました。祈りの中でだんだんと周りにいた人たちがコリョ人の方々に近づいていき、直接手を置いて、愛して祈るときが持たれました。
日本チームも真ん中に立たせていただいて、日本のために祈るときが与えられました。そのときも皆さんが熱く祈ってくださいました。そして私たちに近づいて手を置いて祈ってくださいました。
この祈りのリードをするキム・ガンホ先生が、この国々の間で様々な歴史的問題があるけれども、私たちがまず自分の罪を悔い改めましょう。そして日本を愛していこうと祈りを導かれていきました。イエスさまの十字架によって私達は許されたものであり、許されたものとして許すことが出来る。愛することが出来る。
隔ての壁を越えて近づいていくことができるのは、人間的な力によってではなくて、イエスさまの十字架の贖いのみであると教えられました。イエスさまの十字架の血によって、私達は隔ての壁を越えて、隣人を愛することができ、交わりを持ち、神の家族とされる。実際に体験させていただくときでした。
今回キャンプの中で歴史の勉強の時間がありました。特に韓国教会は北朝鮮の教会から始まったこと、平壌のリバイバル運動について教えてくださったことが印象に残っています。平壌のリバイバル運動はどこから始まったかというと、平壌の教会の牧師が悔い改めたことを通して始まり、みなが悔い改めの祈りに導かれて、平壌のリバイバル運動へと拡大したそうです。悔い改めから始まりました。イエスさまの十字架の愛によって、私たちは悔い改めに導かれて、神さまご自身の大きな救いの御業がなされます。そして神の民とされ、神の家族に加えられていく。自分自身を砕き悔い改めなければ、イエスさまの十字架の愛を携えて、隣人へ近づくことが出来ないのです。
最終日、互いに感謝をあらわし、特に、コリョ人のチームと日本人チームを前に出して祈ってくださいました。最後の賛美の時間、このように神の家族として肩を組んで一つとなっています。日本人は飛行機の時間もあり早くキャンプ場を出発しなければならず、途中で皆さんが見送ってくれるかたちとなりました。涙を流す韓国の方々がおられて、ハグをして愛を表してくださいました。イエスさまの十字架の贖いによって隔ての壁が砕かれて一つとされた神の家族とされたキャンプでありました。